承章:第八幕:与命式<タシアスタ>
承章:第八幕:与命式<タシアスタ>
時間にして数秒。アルフィーナに案内された部屋に静寂が訪れていた。
いや、正確にはディーネの腕から血液が滴る音、痛みに耐えているためであろう、短く浅いディーネの呼吸音。
現状を把握して、先に動けたのは立っていたアルフィーナではなく、俺だった。素早く彼女に近寄り、右肩に手を添え、魔法を唱える。
「――、<ヒール>ッ!」
イダから教わった回復魔法を唱え傷を塞ごうとするが、腕にまかれた枷のせいで集中しても魔力が練れず、魔法を構築できない。
「おい、アルフィーナッ!早くディーネに回復魔法を使え!」
「…………え、ぁ」
アルフィーナは完全に放心していた。俺の怒声に対し、ただ目を見開き、手足が微かに震え、やがて両手に握られていた剣が手の中を滑り音をたて床に落ちる。
それと同時にアルフィーナもぺたんと座り込んでしまい、震えながら俺たちを見つめるだけでまるで役に立たない事を物語っていた。
アルフィーナに気を取られていると、ディーネが壁に背を預けたまま床に座っていた。
「……ッ、ミコト、様。腕を、腕を拾って、肩につけてください、……、それだけで、治りますからッ」
「なにを、そんな馬鹿な事が!」
「ッ、お願いッします!……早くッ!」
痛みからだろう、錯乱しているのかとも思ったが、彼女の痛みを耐えながらの声が耳に入ると、身体が自然に動いていた。
枷が付けられて動かしにくい両手で彼女の斬り落ちた腕を拾い上げ、両方の傷口を合わせるように近づける。
「こ、これで良いのか?」
「はいッ……。――ありがとうございます……。もう手を離しても大丈夫ですよ……」
何を馬鹿な、とも思ったが、ディーネの声から、痛みよりも疲労からくる気怠さを感じ取り、疑いつつも両手を彼女の斬り落ちた右手から離すと、床に落ちることなく傷口と傷口がひっついたかのように、宙に浮いていた。
その光景に自身の眼がいかれたのだと思い、数度瞬きを繰り返すと、微かにディーネの指が動き、肘が曲がり、腕が彼女の「力」で持ちあがった。
いつのまにか、溢れ出ていた血も止まり、切り口があった箇所の血液をぬぐうと、傷が全く無く、最初から怪我を負っていないかのようだった。
「……驚かせてしまい、申し訳ございません。私、人よりも怪我の治りが早いんです。ですから、首と胴が離れない限り今の様にしていただければ、すぐに治ります」
「怪我の治りが早い、って……。そんな生易しい表現で済む話じゃ無い気がするんだが……」
「便利ですよ?私、リンファ族でありながら、運動能力低いので、何もない所で転んでは傷を作ってますから。それさえもすぐ治りますけど」
「さすがに服までは、治りませんが」と、首を傾げながら言うが、冗談で丸く収められようとしても彼女が「普通」の人間、エルフではない事は確かだった。
「でも、一体何があったんだ……?何か心当たりがあるか?」
「それは――「<タシアスタ>……。いつだ――、いつこんな事をしたんだ……。いや……、ディーネお前さては最初から解っていたんだろ……。ミコトが自ら死を選ぶ事を」
ディーネに説明を促したが、答えたのは部屋の中央でなおもぺたんと座っているアルフィーナだったが、顔を伏せ、表情がうかがえない。
「はい。……重ねて言うならば、この後アルフィーナ様が行う忌むべき術にも心当たりがありましたので、このような行動に出させてもらいました」
「――何が、「忌むべき術」だ!お前がミコトに行った事も忌むべき術だろうが!」
アルフィーナは顔を伏せたまま、声を荒げるが、やがて一滴、また一滴と顔から雫が床へと垂れ落ちはじめ、泣いているのだ、と遅れて気づく。
そしてなおも意味が解らず、二人を交互に見ていた俺に対し、呼吸が整ったディーネが静かに補足する。
「ミコト様。私は昨日ミコト様と寝所を共にした時、ある呪術をミコト様に行いました。……アルフィーナ様が仰るように、それは「忌むべき術」と言われる一種の禁呪です」
「それは、ディーネの腕が切れ落ちたのと何か関係があるのか?」
「……お解りになりませんか?――こういう事です!」
ディーネが素早く左手で腰に下げていた刃渡り十センチ程度の曲刀を引き抜くと、何の躊躇いも無く俺の右上腕へと深く突き立てた。
一瞬の出来事で、完全に避けるのが遅れ、肌に刺さったのを確認してから、飛び退く結果となり、飛び退いた後慌てて右腕を確認するが、そこには「何もなかった」。
そして刃を突き立てたディーネを見ると、そこには右上腕部が深く切られ、腕が切れていた時程ではないが、血が舞っていた。微かにディーネの息を飲む音が聞こえたが、それも一瞬で彼女の呼吸が収まった頃には上腕部の傷が癒えていた。
「<タシアスタ>……。自身の命を、相手の命に上書きをする呪術です……。聞こえが良いかもしれませんが、これが禁呪と言われる所以は、命を上書きした相手に傷が及ぶと、その全てが命を預けた側に現れます」
腕が繋がった時は俺が確認したが、ディーネは左手で自分の右上腕部を撫ぜ、血のりを払うと、そこには傷が無く、完全に治った事を物語る。
「私自身が傷を負った場合はその傷はミコト様には現れません。……そして、この呪術は「私」が死ぬまで効果が維持されます。ですが、ご覧の通り私はなかなか死なないと自負しております」
「待て……、俺が自死した場合どうなる……?」
「それが死に至る程の怪我であれば、死ぬのは私であり、ミコト様ではありません。……どんな死傷を負っても、首を刎ねられるほどの斬撃を受けても、頭がつぶれても、心臓を射貫かれても、ミコト様は死にません。……死ぬのは私です」
その声に、その言葉に、自らが理解したくないと、知ってはいけない事だと、理解してなお耳は彼女の声を拾い、脳はそれを理解してしまう。
「……ミコト様?イニェーダ様との思い出を共有できる私を死に追いやってまで……、なお自らの死を望まれますか?私はそう、「お優しい」ミコト様にお訊ねしたく思います」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ニナ様。……お体の調子はどうですか?」
「えぇ、もう大分良いわ。ありがとうミルフィ」
前は私が感謝を告げるだけで、この子は一輪の向日葵の様に私という太陽に明るい笑顔を振りまいてくれた。
それが今はどうだろう。特徴的な耳は頭頂部にてペタンと伏せ、尾は一寸たりとも揺れない。
その理由が私だけの問題でない事は解りきっている。最もたる理由もわかる。その上で、どうミルフィに声をかければ良いのか、その言葉が見つからない。
「いえ……。何かありましたら、お申し付けください……失礼します」
結果、ミルフィも同室に居るのがままならなくなるのだろう。前は御用があるまでお傍に控えております、というのがミルフィの口癖だったのにそんな言葉は一切出てこない。
私も失った物が大きすぎて、喪失感が積もるのを日に日に感じるが、ミルフィにとっては恐らく違う。
ミルフィが心配しているのは自らが村中を駆け回って集めた嘆願を差し向けた「兄」に対してだろう。その必死さから、私も昔の名を用いてまで署名に応じた。
私が本名で嘆願を出した以上、ミコト様の死罪はほぼ確実に無くなったと言っても良い。でも、ソレ相応の刑には処され、最低でも利き腕の切断刑は免れないだろう。
そうなった彼が、果たして生きていこう、という想いを抱けるのかが不安だった。
彼の行動の源とも言える、イニェーダ様の存在。その人が居なくなった以上、彼は何を標に生きていくのだろう、何を目指しこの先歩を進めるのだろう、と。
恐らく彼は命が救われたとあっても、自らの犯した罪に苛まれ自らに刃を突き立てかねない、と思えるほどだ。
だから……。
「ミルフィール」
部屋を出て行こうとする、自らの「騎士」に声をかけると、振り向く事はなかったが、微かに両耳がピクンと揺れ、右耳に吊るされたピアスが揺れる。
返事はないが、どういう顔をしているのか安易に想像が出来る。
「……、強くなりなさい。共に居たいと思う人に……その隣に立てる自分になるために。その人が歩を止めたり、道を間違った時、再び一緒に歩けるように支えになれる、そんな「人」になりなさい……。かつての私がそうだったように、ね」
返事は無かったが、背を向けたまま微かに一礼をして部屋を出て行った。私の「騎士」が立っていた場所には、二つの染みを出来ており、近く雨漏り防止のために屋根の修理でもすべきなのだろう、と心に決めながら、今は小さく自信がないのか丸まった背中を静かに見送った。




