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起章:最終幕:儚い日常と、尊い非日常の別離

起章:最終幕:儚い日常と、尊い非日常の別離


 赤だった。否。赤と光と熱だった。

 

 幼い頃にほんの記憶の片隅にある小さな記憶。

 そこには赤と光と熱。そして優しい笑顔を携えた女性。

 その女性はきっと母にあたる人物で、あの赤と光と熱の中に消えた人。

 

 何故僕だけ残されたのか、何故側に居てくれないのか、何故抱きしめてくれないのか。


 小さい頃はそんな事ばかり考えていた。

 やがて少しずつ年を重ねていき、この記憶を人に話すと、トラウマとして認識される内容であることを理解する。

 でも僕にとってはその記憶を思い出すと、孤独感以上に、安堵する自分がいた。

 

 それはきっと記憶の中だけであっても、母が居ると居たという事実を教えてくれるからかもしれない。

 二度と会えないと解っていても、確実に「居た」事を意味するから。だから、安堵できた。


 でもそれは「元の世界」に居た時の話だった。


 今僕が地に足を着け、立っている世界は別の世界。

 だからこそ理解できていなかった。この世界に来て、その記憶に現れていた女性が、母が、別の人物になっていたことに。

 今、最も僕が好意を抱いている相手。言葉を、力を、知識を与えてくれた女性。感情の起伏が激しくて、感じている事がすぐに顔にでる子供のような人。

 それでいてしっかりと自分を持っており、意見を、想いを口にして、時として助言をくれる大人のような人。


 イニェーダ・ルミル・アリシュ。――イダ。


 そのイダが記憶に、あの赤と光と熱の記憶に出てくると、ひどく不安になる。

 

 また僕だけ残されるのではないか、側に居てくれなくなるのではないか、抱きしめてもらえなくなるのではないか。

 

 また、失うのではないか、とひどく不安になる。

 

 この、赤と光と熱の森の中で。


「……ミコト……、お前の主というのは……」


 隣のアルフィーナさんの声に反応すら返せないほど眼前に広がる景色はいつも見ていた家とは思えないほど様変わりをしていた。

 家は猛々しく火を噴き、割れた窓や外れた扉があった場所からは時折火があふれ出す。

 イダと一緒に水をやって育てた薬草の全てが火にやられ灰、もしくは焦げ落ち、その本来の役目を果たせない。

 庭先に作ったハンモックは木に吊った片方が焼け落ち、徐々に火が広がっている。

 いつだったかイダと寝そべった芝生は、散水した後のように水気を孕んでいたが、それは水ではなく、周囲の火に照らされなおいっそう紅く輝き、鼻を突く異臭がする何か。

 ソレが尚も火を噴く家の前に立っていた三人の男の物ではない。どこも怪我をしていない。

 

 見るな、探すな、と考え瞼を必死に閉ざそうとしても、身体が心が何かに掻き立てられ、頭が瞳が動いて、――やがてある一点に落ち着く。


 三人いる男達の真ん中。その男が手に持っていた、否。吊っていた長く細く黒い糸に支えられた何か。


 やがて僕よりも先にソレを視界に捕らえていたのであろう、アルフィーナさんが静かに口にする言葉で、三人の男達がそれぞれ振り返り、手に吊っている物の角度が変わり火の明りで露になる。


「魔族<アンプラ>なのか……?」


 両頬に群青色の紋<ウィスパ>のある青白い肌の、イダの首を。


「……フフ。あいつら自分達が、イダの幻術にかかってるとは思ってないんだろうな、ハハ」

「……。ミコト……。アレは――」

「なんだよ、アルフィーナ。アレは幻術だろう」

「…………。ミコト、貴方ほどの眼をお持ちの方が現実を見ないのは、私は――」

「幻術だ!」


 自身の口から飛び出したとは思えない言葉に、自身も驚きを隠せなかった。


「ゲハハハハ!こいつら俺たちが殺した魔族<アンプラ>の女を狙ってたんじゃねーか?」

「そうかもしれねぇな!……ほら、お前らにも別けてやるよ!頭だけで十分な報酬だからな!」


 男が投げてよこしたのは、小さい肉片だった。

 頭の側頭部に一対ずつついているはずの耳。色はどす黒く、断面は赤黒く濡れ、臭いが鼻につく。


「それにしても、この女。魔法使う隙も無かったぜ?あれで、魔族<アンプラ>だなんてなんの冗談だよ!アハハハ」

「俺らの連携がすごかったって事だな。所詮魔族なんて、女ならただの穴だぜ。ギャーギャー騒ぐもんだから、楽しむ余裕もなかったけどな」


 三人はどこか誇らしげに語っていた。その言葉の一つ一つが、最早存在全てが癪に障る。


「お前ら……。イダをどこにやった……」


 低く、いつもの声ではなかった。それが俺の口からこぼれ出た。  


「あ?なんだお前、身内なのか?……このゴミの?魔族<アンプラ>だぞ?」

「所詮、戦に出ない下位市民だな。いいか?魔族っつーのは、顔にウィスパっつー紋を持ってんだよ。このゴミにもついてただろ?両眼の下、青いウィスパが」

「お前、ひょっとして魔族だと知らずに接してたのか?それとも、まさかエルフだとでも思ってたのか?エルフがこんな森の中に一人でいる訳ねえだろうがよ。それにしても、少し上玉だったよな。討伐よりも、売りに出してた方が金になったかもしれねえのに、少し突っ込んだだけなのに、すぐ泣きわめいて、なぁ!アハハ――ヒュッ」

 

 イダ「を」、吊っていた男の笑い声が我慢できず、瞬時にアルトドルフを引き絞り、放った。喉仏に刺さったと同時に、声が止み、小さく空気が漏れた音がする。


 もう薄れつつある、現実世界の思い出だった。「人を殺めたいと思った人の気持ちが理解できない」。TVニュースや新聞なんかで、速報などに発展することもあるような時もあった。


 その都度同じことをうっすら思ってた。今少しわかった気がする――。こいつら「ゴミ」なんだ。リアの言うとおりだ。


「……殺してやるよ、全員だ」


 仲間の一人がやられた事に理解が追いついていないのか、倒れ伏した男の両隣に立っていた二人ともただ俺を無言で見つめるだけだった。


「ミコト!この者たちは何も悪い事は――ッ!」


 目の前に悲痛な表情のアルフィーナが呆ける男共の間に立ちはだかり、邪魔をする。特徴的な銀の目には微かに涙を浮かべていたが、関係ない。邪魔をするならコイツもゴミだ。

 素早く右腕のアルトドルフの弦を最大限まで引き絞り、矢の先をアルの眉間に向ける。


「お前もソッチ側の人間なら、ココで殺す。黙ってみていろ」

「彼らは何も悪い事はしていません!魔族は――」

「イダは「人」だ!!普通に笑って、飯を食って、時には泣いたりもした!!この「世界」の右も左もわからない俺に字を教え、言葉を与え、力をくれた!!俺がケガをした時は死ぬほど心配して!!頼りになる人だった!この世界で生を受けたわけじゃない俺に優しくしてくれた……。あっちの世界にも居ない、俺の大切な――」


 いつしか目の前がかすむようになっていた。この世界に来て何度涙を流したか解らない。でも今流れている涙とは何かが違う気がした。

 振り払うため、顔を振った際に微かに視界に捉えたのは、先ほど男が投げ捨てた肉片。確かにイダは自分が魔族ではない、とは一言も言っていなかった。

 内心ではわかっていた。顔にタトゥがあるエルフを街で見たことは無い。何かしらの特別な存在である事。


 イダは――。


「……家族なんだ。だから頼む……。どいてくれ」


 その言葉に、アルフィーナは微かに震えるだけで、どくことは無かったけど、下唇を強くかみ締めていた。そして横を通り抜け、逃げさろうとする「ゴミ」を追いかけるのに邪魔はしなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 逃げ惑うゴミを仕留め、未だ火が消えない森の中を思い出の詰まった家へと歩を進めた。

 夢であるように、幻術であるように、と願っても己の手にこびりついたゴミに触れたときの血は消えておらず、酷く汚れているようにみえた。

 やがて、小さな家にたどり着いたとき、アルフィーナは「イダ」の横に立ち、未だ燃え盛る家を見つめていた。

 その隣に普段通り歩いていたつもりなのに、妙にふらつく足取りで近づき、アルフィーナの足元の「イダ」を見つめる。 

 気配で既に気付いていたのだろう。アルフィーナにもあと少しで触れられるという所で、振り返り小さく口が動く。


「――、満足ですか?……精霊騎士」


 アルフィーナの質問に応える間もなく、首の後ろに鈍い衝撃を受ける。薄れる意識の中で、色々と走馬灯のように思い出した。

 このグレインガルツに来てから、怖かった時や、つらかった時、寂しかった時、少なからずあり、そんな時いつもイダがいてくれた。イダが助けてくれて、傍にいてくれて、微笑んでくれて、抱きしめてくれた。


 その人は今――。


 全てがイダの幻術であってほしいと願った。家は火を猛々しくふき、イダがこまめに水をやっていた薬草たちは色を失い、寝転がって星を眺めた芝生は、芝生ににつかわないほど赤黒く染まっている。

 そして幻術であれば、と強く願った対象物。耳の殺がれたイダの頭がそこにはあった。口の端から血が垂れ、乾いている。

 

 声に出して叫びたかった。全てが幻であれ、と。

 これは何かの間違いなんだ、と。

 

 薄れゆく意識の中で、想いは口から出る事は無かった。


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