起章:第五十四幕:夜の帳、黎明未だ訪れず
起章:第五十四幕:夜の帳、黎明未だ訪れず
魔族の女性が両手を振ると、軌跡に紅く爛々と燃え盛る火球が出来、空にたゆたい主の命令を待っているようだった。
見たところ、魔族は武器を持っていない。無論、暗器の類を有していないとも限らないが、見たところ魔法戦に特化したタイプ。
であれば、私が取る行動はたった一つ。
接近戦に持ち込み、首を絶つ。
脚に魔力を送り身体強化を図り、突っ込むがその気配を感じ取ったのか、魔族の手が動き火球が迫る。
が、私は構わず、ただ直進してその首を狙う。
やがて火球が顔に当たる、という瞬間、火球は内側から破裂するようにして消える。
その光景を捉え、魔族はかすかに目を見開き驚いている様子だったが、遅い。
私の剣は確実に魔族の首を捉え、薄皮一枚きったところで微動だにしなくなった。
右手の指の二本で挟むようにして私の剣を捕らえ、その威力を完全に殺していた。魔族の女性はあざ笑うかのように口角を持ち上げるが、未だ留めなく溢れる血涙のせいで悲しんでいるようにもみえる。
戦闘に不要の感情だと決め付け、私はそれを瞬時に切り捨て、左足で魔族の脇腹を蹴りその指から剣を離すことに成功する。
痛みなどは無いのだろう。ただ衝撃で剣を離してしまい、ほんの数メートル、蹴り飛ばされるが、姿勢は崩さず、ただ威力を殺していた。
再び、魔族へ剣先を向けると、
「ハッ……、ハッ……ハッ」
最初は息でも上がったかのように錯覚したが違う。
笑っていた。
ただ壊れたかのように掠れた声で笑っていた。
「気味が悪い……。貴様何物だ?」
「アアアアァアッァアアアアアア!」
憤怒と悲嘆。その両方の感情で埋め尽くされているような、そんな叫びだった。
何が原因でこの魔族がここまで壊れたのかは解らないが、このまま放置して村に住まう者に被害が出ても困る。
「……アルフィーナ・バルディール。今からお前を冥府へと送る者の名だ。私と戦い敗れたことを誇って逝くが良い」
「……お前が……、お前が……殺した」
誰を?と問う前に魔族が飛ぶ。開いてた距離もあっという間に詰められ、自ら私の間合いに飛び込んできた事に一瞬思考が遅れてしまう。
そのまま繰り出された拳には赤く輝く魔法陣が展開されており、一瞬の身体強化に重ね属性を付与した魔法だと理解する。
が、それさえも私に触れようとした瞬間、全てを無に出来る。それゆえに無視して、ただ攻撃を行おうとした瞬間。
魔族の手は私ではなく、地面へと深く突き刺さり、爆炎と同時に土石に飲まれる。慌てて飛びのくが遅く、視界が奪われた中飛来する石が頬に当たり、傷を作る。
距離を取り、左手でその傷をぬぐいながら、剣先で魔族が居るであろう砂塵をにらみつけると砂塵が止んだ中でただ私を見つめていたが、その眼は私を通り越し何かほかの物を見つめているように見えた。
「……殺したい……、殺したいです………ニェー…様……」
最後は消え入りそうな言葉だったため拾えきれなかったが、たしかに「殺したい」と口にした。
手っ取り早く始末したいのはやまやまだが、コイツ壊れていながら私の破邪堅装<アーヴェリック>に気づき魔法による直接攻撃を避けた。
私には私自身にとって「害となる魔法」を強制的に無にする力がある。それをもってして最初の火球を消したが、魔法による副次結果までは無にできない。
よって、魔法による爆風で生じた土石は簡単に破邪堅装<アーヴェリック>を貫通し頬に傷を負った。
最もそれは私が破邪堅装<アーヴェリック>の下に、硬化魔法を展開すれば言いだけの話で、圧倒的優位なのには変わらないが、完全に力量を見誤った。
「慢心」。それが如何に恐ろしい事なのか、嫌というほど味合わされてなお直らない。自身の事であるがゆえに、呆れしか生じない。
そういえば、ミコトにも同じ事を言おうとしたんだったな。
アプリールで詰所に連れて行かれた時、ミコトに言おうとしたんだ。
間が悪くリュスが訪れて、言う機会が無くなったが、ミコトに助言できる側には、自分も立っていないんだな。
いつのまにか、己が置かれている状況に対し少しだけ気が緩み、頬が緩む。
だからかもしれない。魔族も憤怒と悲嘆に駆られながらも、ほんのわずかに我を取り戻したのか気の緩みを感じ、私は大きく一歩を踏み出して、その隙を突くために前へと飛翔した。
魔族も身構え、魔力障壁でも作ろうとしたのだろう、剣の数センチ先に魔力の壁が出来たかのような圧力を感じるが、悪手以外の何物でもない。
それに障壁を作り出した魔族自身も驚いたのだろう。かすかに血塗れた瞳が丸く開き、己が生成した障壁が割れるのを感じているのだろう。
やがて私が横なぎに走らせた剣先は確かに、肉を、首を捕らえ、剣を握る手に幾度となく味わった重量と衝撃を味わう。
――はずだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……、何をしている」
「それは僕の台詞です。何をしているんですか」
危なかった。
あと数秒遅れていたら、確実にニナさんが殺された……。
「お前が庇っているのは魔族<アンプラ>だ……。しかも、アプリールの森に放たれていた言葉すらまともに話せない魔族<アンプラ>じゃない。戦闘に秀でている以上、放っておいても害悪にしかならない!どけッ!」
「嫌です。この人は僕の大切な人のうちの一人です。それを害そうと言うのなら、貴女は僕の敵です……アルフィーナさん」
「ふざけた事を言うな!人が魔族を大切な人だと?!お前、自分が何を言っているのかわかってるのか!?」
いつだったか、森の中でアルフィーナさんを拘束した時もこんな風に睨まれていたのだろうか。
銀髪もその銀の瞳も、周りの明りを吸い己の輝きへと変えているようで魅力的ではあったが、完全に怒気を孕むアルフィーナさんの瞳が正直怖かった。
どうすればココまで「人」に憎しみを向けられるのか……。
でもそれは、ニナさんも同じことだ。何があってここまで豹変しているのかまるで理解が追いついていない。
ガルムさんの工房を出た直後、ビルクァスさんにニナさんの行方がわからない事、アスール村南部の白の森を含めた森が燃えている事。それらの説明を受けて真っ先にイダさんの元へ駆けつけたかったが、脚は自然とニナさんの気配へと吸い寄せられた。
今となってはニナさんの元へ来て正解だったと思っている。
体内魔力がその身体という枠からあふれ出し、結果として毛細血管の一部が破裂。それで血涙を流していた。そんなニナさんへ魔力針<ファントムダート>を飛ばし、一時的に暴走しきっていた魔力を整えると同時に、意識を奪う事に成功する。
結果、ニナさんは「目を丸く開いて自分がどのような施術を受けたのか理解したかのように安心しきって、その場に倒れ臥した」が、アルフィーナさんの追撃を恐れ、僕が二人の間に割って入った。
「……ミコト。私はお前に多少なり、恩を感じてさえいる。そんなお前は傷つけたくない。……だから、黙ってそこをどけ」
アルフィーナさんは手に持っていた剣を素早く鞘へと収め、僕へと再度向き直るが尚もその瞳には怒りが満ちており、ココで退けばどうなるかわかりきっていた。
「お断りします。アルフィーナさんが同じ立場になったとき、僕が矢を向けて、アルフィーナさんはどくんですか?」
「……私には大切な人など居ない。……だから、そんな仮の話など出来ん」
大切な人など居ない。その一言を言うとき、アルフィーナさんの瞳が微かに動き、己の言葉に動揺しているようだった。
しかしそれは一瞬で終わり、再び睨まれる。
「……僕らが始めて出会ったあの森でやった事。アレと同じ事を今、アルフィーナさんに行えば貴女はまた身動き一つ取れなくなるはずです。ソレを今、僕がしないのは何故だかわかりますか?それが最も安全で、この人を傷つけるという可能性から最も遠ざける事ができるというのに、です」
「……、知らん。例えどのような理由だったとしても、私がそいつを殺める事になんの歯止めが効くというんだ」
「……簡単です。貴女はリュスとは違う。簡単に「人」を殺める事が出来る、あんなクズとは違う。僕は今日知り合ったばかりの貴女にそんな想いを抱いているのですが、ただの幻想なのでしょうか?貴女はあのクズと同種の「人間」なのですか?」
僕がそういうと、アルフィーナさんは小さく舌打ちをした後、警戒を解いたのだろう。彼女の周りを覆っていた威圧感を解き、街で一緒に歩いていた時のような温和な雰囲気を纏っていた。
「良いか、信じたわけじゃない。もしコイツが何かに害なすようであれば、即座に首をはねる。今度は貴様がいかに擁護しても、寸刻すら待たん。……それで良いな?」
「構いません。その時は僕もこの首進呈しましょう」
僕の返事にアルフィーナさんは小さく鼻を鳴らし、そっぽを向く。
それを確認してから、僕の背後で倒れているニナさんへ振り返えり、意識を失ったままのニナさんを背負うと、その衝撃からか意識が戻ったのか小さく唇が動き、耳のすぐ側で声が漏れる。
その声は、小さく吐き出すと同時に消え入りそうな声で、謝罪の言葉だった。
「……ミコト、様。……申し訳、ございません……。……イニェーダ様を……」
瞳からあふれ出ていた血の川を、今度は透明の本物の涙が一筋流れ、僕の肩へと落ちた。
「……守れませんでした……」




