起章:第四十九幕:祈り
起章:第四十九幕:祈り
「終わりました。僕の勝ちです」
ミコトはポカンと口あけ固まっていたアルフィーナを無視して、借りていた弓背中に担ぎなおした。その瞬間、彼の眼の前に一枚の白い羊皮紙が現れ、下からゆっくりと丸まっていき、やがて筒状になり、漂い続ける。
ソレが意味するのは決闘の終わりであると同時に、白い羊皮紙を持つミコトが勝者であることを示していた。
自分が見た光景を未だ信じられなかったアルフィーナが数秒の後に復帰すると、ブンブンと顔を振り白い羊皮紙を握り締めていたミコトが居り、その様子を見ていたのか苦笑している。
「ミコト……、お前今どうやって狙ったんだ……?」
「眼で見て、ですけど?」
「冗談を言うな!矢を射るとき、眼を瞑っていたじゃないか!いや……、たとえ眼を開いて見ていたとしても、この近くに魔族<アンプラ>など居なかった。どうやって当てたというんだ……、しかもあの無理な条件を己に課した状態で……」
「……僕がどうやって矢を曲げたのか、それは理解してたりしますか?」
「魔力弾<タスク>……だと思っているんだが」
「正解です。後はまぁ、眼で見て?」
「だから、冗談など――!」
アルフィーナはミコトが尚もはぐらかそうとしている事に憤りを感じ、声を荒げるが、ミコトが己の右目を瞑り、瞼の裏で眼球を動かす。
「アルフィーナさん。髪のここんとこ、急いできたんでしょ?葉っぱがついてますよ?」
そうミコトが指差したのは肩甲骨の間で、アルフィーナは己の手でそこに手をやると、たしかに髪に一枚の葉が付いていた。
その葉を指でつまみ、これが何を意味しているのか一瞬わからず、問い返そうとした瞬間、ある事に気付く。
ただの一度も合流してから背中を見せていないのに、彼は「見えていた」。
後ろを振り返っても、そこには何もなく、木々と雪だけ。動物の姿なども一切無い。存在しているで「あろう」物体については知識として知っている。それゆえにミコトには「見えていた」。
ソレが意味する事はアルフィーナにとって「ありえない」という段階の話しで、自分が至った答えを信じきれずにいた。
「……ミコト、まさか精霊が見えて……いや、精霊の眼で物が見えているのか……?」
返事は無く、ミコトはただ瞑っていた眼を開き、リンゴの木に縋らせた魔族<アンプラ>の少女へと近づいた。
やがて少女の前で片膝を立て、眼を閉じる。
「アルフィーナさん。この子に祈りを捧げてくれませんか?こういう時、なんて言葉をかければ良いのか、わからないんです」
銀旋の長に、彼らの宿敵に、彼らの同胞を多数殺めた存在と同種の者に、ミコトは祈りを捧げる事を願い出た。
空は夕焼け空を通り越し、強い輝度を放つ星々は徐々に姿を見せ始めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。何故、コレが私の前に現れる。コレは敗者の下へと送られるべき物だ。なんで私の前に現れる?」
矢を放つ瞬間、空から一本の矢が降ってきたと思うと、眼前の魔族<アンプラ>の少女の衣類を縫い付けるように矢が刺さった。本来ならそのまま通り抜け、地面に刺さるであろう矢も何故か服を縫い止めるようにして止まっていた。
それとほぼ同時に、リュスの目の前に黒い羊皮紙が現れ、決闘に負けた事をあらわした。
その羊皮紙にはミコトが記した神判の約定<ジェシア・オルグ>に上げた、二つの約定が刻まれている。
だがリュスは納得が行かず、それに眼を向けることなく、それどころか空中に漂う羊皮紙を右手で払いのけ、眼前の少女へと矢を向ける。
少女はただ空から降ってきた矢の意味が解らず、呆気に取られていたが再びリュスに矢を向けられ、それをにらみつけた。
「貴方様が悪いのです。私めは決して悪くないのです。コレは何かの間違いだと思います」
それはリュスが魔族<アンプラ>の少女へと放った言葉だった。
今までの暴言などとは比べ物にならない言葉で、魔族<アンプラ>の少女も何が起きたのか解らず、首をかしげていた。
リュスは己が口にした言葉になんら違和感を感じておらず、決闘が終わった以上ミコトが課した後手の掟<ゼルヴ>に縛られる事は無い事を理解し、目の前の生き物に絶対的な力、暴力をたたきつけたい想いでいっぱいだった。
しかし、矢は番えられたまま矢先が震えるだけで、一向にリュスの指を離れる事は無かった。
「どうなっている!」
魔族<アンプラ>の少女はリュスのその声に反応し、何らかの理由で矢が放たれないとわかったためか、再び走り出し森へと姿を消した。
残されたリュスは額に玉の汗を浮かばせ、自分が陥っている状況を理解できず、自らが払いのけた黒い羊皮紙を手に取り、そこに記されている一文に目を走らせた。
『神判の約定<ジェシア・オルグ>』
『ミコト・オオシバ:先手の掟<アルマ>:無し』
理解できていない様子だったため、これは予想通りだったリュスは小さく鼻を鳴らした。
『ミコト・オオシバ:後手の掟<ゼルヴ>:魔族<アンプラ>の身体に傷が生じる矢は決した当たらず、身にまとっている衣服にのみ当てる事を有効とする。コレはミコト・オオシバ本人にも効果を適用する』
不可能だ。リュスは最初にそう理解したが、眼前の少女の胸元に縫い付けるように「肌に傷を付けない」ように刺さった矢はソレを行った事を示している。
ましてや相手を圧倒的不利な状況に陥れる約定を自らにも課し、獲物として狩られるだけの存在を助けていた。
そして最後にリュスが眼にした一文で、リュスは己が散々ゴミだと罵っていた存在に、敬語を使っていたのを思い出す。
『ミコト・オオシバ:永久の掟<エイワ>:この決闘でミコト・オオシバが射止めた魔族<アンプラ>はリュス・ヴィスヴァークの名の下、自由の権利を得て、アスール村での生活を許可する。またリュス・ヴィスヴァークは今後、亜人種を傷つける事が出来ず最大限の礼をもって接する。そしてこの決闘に置いてリュス・ヴィスヴァークが散らせた命に対し、その者の墓を立て毎日、祈りを捧げる』
リュスの顔が怒りに満ち真っ赤になっていたものから、瞬時に熱を下げ、青白い顔へと変わった瞬間だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どこから話せば良いのでしょうか……」
主であり、母のような存在であるニナ様は静かに口を開いた。
丸いテーブルを挟んだ向かい側に腰掛、ニナ様はどこか懐かしむように天井を見上げた。
「魔大戦。ミルフィ、貴方の知っている魔大戦の知識を教えてください」
「……、魔王ベルザフィードが率いる魔族<アンプラ>と魔物<ディアブロ>によって、暗黒大陸ルカーシャから円燐大陸ブリフォーゲルへ向けての侵攻が開始された物と記憶しています」
暗黒大陸ルカーシャ。
この世界、グレインガルツに置いて三つ存在する大陸のうちの一つとされているが、どのような形をしているのか全く知らない。
なぜなら地図上にも存在しないからだ。多くのものは世界の裏側である、というがソレを人が眼で確認した事は無かった。
「……その理由を、ミルフィは知っていますか?」
「わかりません……」
「いえ、当然です。彼の戦に最初は魔族<アンプラ>として参戦していた私ですら知らされていなかったんですから……」
戦の理由を知らない。
長いグレインガルツの歴史を紐解けば、一つの国に纏まるまで幾度と無く戦があったのは事実だ。
しかしその何れも「理由の無い戦い」などは存在しない。
「私がその理由を知った……、いえ教えてくれたのが、ミルフィが白の森まで送ったかつての主。イニェーダ様です。それと同時に私はベルザフィードの元を離れ、人間族へと加勢したんです」
「…………結局、理由はなんだったのですか?」
私が恐る恐る口にすると、ニナ様は立ち上がり部屋のカーテンを開ける。そこから見える景色は夕焼けが徐々に夜へと変わる、黄昏時だった。
そしていつだったか、白の森の上に紅く染まる槍が見えた位置に、薄く紫色をした半球状の結界が見え、あの時と同じように眼を見開き妙な胸騒ぎがした。
「ある人物の蘇生。それをもって、『完成された世界』を目指すための戦いです」




