起章:第四十六幕:散華
起章:第四十六幕:散華
私が覚えている記憶の中で一番古い物は、嵐とも取れるほど大きく荒れた海に貧相な小船に乗せられて、大海原に出た事だ。
気が付いたときには見た事も無い緑色の葉を宿した木々に覆われた海岸だった。周りには私と同じアンプラは居らず、その代わりに「人」が居た。
その「人」は街から街へと私と同じアンプラをつれて歩いた。
それからの記憶は、暗く、臭く、汚く、寒く、痛い。満足に言葉を発する事ができない私はただ、奥歯をぐっとかみ締めて、それらを我慢した。
しばらくして殴られたり、怒号を浴びた時などに、なぜか私たちを連れまわす「人」が微笑みながら、相手によく口にする「シェミィ」と言うとそれらが止む、もしくは早く終わる事に気付いた。
家事を任されたが鍋を焦がすという失敗をして、女性にはたかれても「シェミィ」と口にした。
馬糞の山の掃除中、運び車の操作を誤って道端に落とした時に怒られたが、あの時も「シェミィ」と口にした。
下水掃除のかってがわからず、汚いまま街にあがったときは蹴り飛ばされて、下水に落ちた。そんな時でも「シェミィ」と口にした。
久々に軟らかい寝床に案内されたと思ったら、なぜか裸の男が居て、服を破かれ、身体を重ねられた。何故か悔しくて、泣いてしまった時でも「シェミィ」と口にした。
だから私の中で「シェミィ」というのは、「謝罪」の意味を持つ言葉だと思っていた。
そんな生活を送っていって、何年経ったのか解らなかったが、とても寒く白い街へと連れて行かれた。
満足に着る物が無い状態で、はじめてみる白いふわふわした物は肌に触れるとすぐ水滴へと姿を変え、なんとも不思議な光景だった。
街の中央に位置する城も大きく、見上げるだけで首が痛くなった。
そしてその寒い街について、数刻もしないうちに私を含めた五人は身なりの良い、金の髪を生やした男性とであった。
私たちを連れあるく「人」は麻袋を渡され、中に入っていたであろう何かに心奪われたのか、見た事も無いような笑顔になり、何度も「シェミィ」と頭を下げ伝えていた。
このとき私は、何かこの「人」が失敗をして、それについて謝罪を行い、私たちが奉公に出向くんだと思っていた。
ところが私たちが連れて行かれたのは街から離れた森の中で、気付いたときには案内していた金髪の人間も居なくなっていた。
最初は私たちもその人を探し回っていたが、やがて一人、また一人と散り散りになってしまった。
恐怖心が全く無かったと言えば嘘になるが、どちらかと言えば、好奇心の方が勝っていた。
止むことなく空から降り注ぐ白いふわふわしたものは、味こそしなかったが口に含むとヒンヤリとして、すぐ溶けてしまう。
見た事も無い長い耳の小動物は、なんとも愛らしくピョンピョンと跳ね回る。
その小動物を追いかけているうちに、息が切れ荒く吐いた息が白くなる。
たったそれだけの事で、私は不思議に癒された。
同時に「帰りたくない」という欲が生じ、気付いたときには城壁が見えなくなるまで遠くへと足を運んだ。
そこでいつも渡されるカビの生えたパンが無い事に気付き、私の腹の虫はいつまでも鳴き続けた。
しばらく歩いて見つけた紅い丸々とした果実を宿す木は、私だけじゃ手が届かず、近くにあった枝で果実目掛けて振っている時だった。
全く物音がしなかったのに、背後から突然話しかけられ、私は驚いて木の陰に隠れてしまった。
続けて何か優しい声音で話しかけてくれるが、理解ができない。
謝罪の言葉を述べようと、恐る恐る顔を出すと黒髪の男の子がいた。耳は長くない。頬に紋<ウィスパ>は無い。腰に武器のような物も吊っていない。
最後に背中に背負っているであろう弓が視界に入った瞬間、私は「逃げたのがばれた」と思い怖くなり走り出そうとしても、疲れていたし、お腹も減って逃げ切れない事を悟った。
しばらく木の向こうにいる少年に動きがあり、手が動いたとおもうと、手のひらに頭上の赤い果実が降り、私に差し出した。
彼が理解できる言葉で、私が知っている言葉は「謝罪」の言葉のみで、こういう時「感謝」を伝えたいのに、私はその言葉を知らない。
せめて取ってくれた事に対して、謝罪を行うべきだと思い、自信無く言葉を口にした。
受け取った赤い果実を口含んだ瞬間、舌が捉えたのは凄い甘みで一瞬むせっかいりそうになったが、空腹に逆らえず二口目、三口目と口に運んだ。
カビの生えた硬い、味のしないパンなんかと比べ物にならない。
改めて少年に感謝を伝えたいのに、伝えられない。こっちの人たちに伝わらないであろう言葉でなら、伝えられるけど、それでは意味を成さない。
などと考えつつも、食欲は収まらずいつのまにか頬に沢山果肉を収めてしまい、少年はどこか嬉しそうにクスクスと微笑んでくれた。
しばらくして少年は口の前で指を左右にふり、「スェミィ」と口にした。恐らく発音を正したいのだろう
言われてみれば、確かに「スェミィ」の方が、正しい発音に聞こえる。
私は惜しみつつも、頬に溜め込んだ果肉を飲み干し、嬉しさからか笑顔で少年の言うとおり発音をすると少年も笑みをこぼしてくれた。
嬉しい。
生きていて、生まれて初めて心から、そう思えた。
少年が何か口にして、私はてっきり「果実を食べたい」と言ったのだと思いかじりかけのを差し出すと、腹の虫がよりいっそう強まり、恥ずかしさから顔を背けてしまった。
しかし少年は受け取らず、それどころかさっきと同じ要領で、果実を手のひらに落とし、一つを私に差し出してくれる。
この「人」は優しい。今まで出会った「人」とはまるで違う。
笑顔も嫌気が全く生じない。
まだ貰えるのだと理解した私は嬉しくなり、食べかけを一瞬にして頬に収め、二つ目にかじりついた時だった。
風切り音が聞こえ、止んだ時には背中に鋭い痛みがあった。
呼吸をしたいのに、何故か短く、浅くしか吸えず、咳き込むと血が口から飛び出た。
苦しいのは慣れている。
痛いのも慣れている。
だから、平気だ、と。
呆然と私を見下ろす少年に、私は優しく微笑み、彼に伝わる言葉で。
「スェミィ……」
と伝えた所で、自然と痛みが消え、意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ありがとう……」
アルフィーナがミコトを見つけ、近寄ったとき。辛うじて聞こえた少女の小さい声だった。
衣服は痛み、所々に穴が空き、汚れからくる異臭さえ放っていたが、ミコトはその場に膝を折ると魔族<アンプラ>の少女を抱き上げた。
少女は既に事切れており、ミコトの表情は翳っていたが、アルフィーナは平然としていた。
やがてミコトはリンゴの木に少女をすがらせ、背部に刺さっていた矢を抜きさり、静かに治癒魔法をかけ傷を塞ぐが再び少女の目が開く事も無く、静かに寝入っているようだった。
「ミコト……、すまない。こんな事なら――」
アルフィーナは少女に対して、微塵も感情をあらわにしてはいないが、ミコトに対しては少なからず思う事があるのか、申し訳無さそうにしていたが、ミコトの表情を見た瞬間言葉が出なくなっていた。
祈るように眼を閉ざし、端からは涙を流している。
人間と最後まで争い、からくも勝利を収め、多くの犠牲を出した魔族<アンプラ>を相手に、「人」が涙を流している。
その光景がアルフィーナにとっては異常であり、同時に畏怖を覚えるには十分だったが、やがてミコトが発する言葉に我を取り戻す。
「……教えろ。「一人」でも多くの魔族<アンプラ>を救う方法を」
数刻前まで一緒に居たはずの青年とは思えないほどの憤怒と、悲嘆を感じ取り、アルフィーナはただゆっくりと頷く事しか出来なかった。




