起章:第四十五幕:始まりの言葉
起章:第四十五幕:始まりの言葉
イニェーダさんを白の森へと送り届けた後、私はアスール村へと帰ってきた。
道中、ニナ様の事。イニェーダさんの事。兄さんの事。私たち亜人の事。沢山の事を考えていた。
考え抜いても「コレ」という明確な答えなど見つからない事は解っていても、私が知っている世界はあまりに狭い事をここ数日で嫌というほど知らされた。
その大半を占めているのが、ニナ様……。ニィナフェルト様である事は言うまでも無い。
微かに動かすと私の右耳は確かに重みを感じとり、やや動きが鈍い。気を張っていないとどこぞの白い悪魔の兄のように耳が垂れてしまう。
その重みの正体は魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスであり、私が持っているもので唯一の高値がつく物。同時に、絶対に失いたくない絆をあらわす様な物。
無くなったからと言って、ニナ様との関係が薄れるとは思えないが、ニナ様が私に明かしてくれた真実を思えば、コレ一つ贈るのに、どれほどの心労を課したのだろうか。
ゆっくり進めていた馬車も、気が付けば屋敷を目の前にしており、私は考えがまとまりきらぬまま、馬を小屋に入れ、屋敷へと入った。
戻ってきてからは、洗濯や、料理、どの家事を順番に済ませれば一番効率が良いか、など考えていたが、私の足は自然とニナ様の部屋へと歩を進めていた。
その理由はイニェーダさんを送り届けた、という報告をするというのも一つの理由なのだろうが、たぶん違う。
私がこのドアをノックした後、部屋に入って最初にニナ様に口にする言葉は決まっている。
いつもどおりにノックをしたつもりでも、私は何かを恐れているのかもしれない。どこか力が入らず、手もかすかに震えている。
怖い。聞いても良いものかわからない。それでも、今のままにも出来ない。
ただの好奇心からの行動ではない、そう自分に言い聞かせ、目を瞑ると自然の一人の笑顔がまぶたの裏に現れる。
その人の左耳には同じような魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスがあり、私のものとは違う勇気の象徴。
私は左耳を数度動かし、そこには何も無いとわかっていても、なぜか安堵出来、「どうぞ」と声をかけられた後、静かにドアを開け中へと入った。
ニナ様はテーブル近くの椅子に腰かけ、書物を読んでおられたが、私が部屋に入った事で本をパタンと音をたてて閉ざし、テーブルに置いてから私を見つめる。
眼が合わさると、私に非があるかのように眼を反らそうとしてしまうが、小さく短く息を吐き気を取り直して、ニナ様の赤い瞳に向き直り、震える口を少しだけ動かし声を出す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
森へ入ってからというもの、最早庭とも呼べる白の森とも、ましてやクフィアーナの大樹で生い茂っていた赤の森ともまるで違う。
針葉樹林と呼べば良いのか、葉が細く長いものが多く、お国柄とでもいうべきか、寒い地域はこれが普通か、とも思ってしまう。
葉に積もってもすぐに落ちるためか、木の幹の周囲には雪で囲われており、まるで木の逃げ道をふさいでいるようだった。
拾える音はほんのかすかに風の音を拾える程度で、時折木から落ちる雪の音も拾えるが決して大きくはない。
「……雪が音を吸う、ってのはこういう事なんだろうか……。すぐ近くに大都市があるのに、喧騒一つ拾えない……」
これから狩りをする側としては、ありがたいと言えばありがたいのだろうが、こうも物音がしないと少し不安になる。
最もそれは、「僕の耳」が拾える音域の話であって、精霊の眼を借りるように聴力も頼ると、己の耳では決して拾えないであろう音が聞こえる。
雪が降り、地面に落ちるだけの音。陽の光を浴びて、少し解け始める雪の音。その解けて出来た水が地面に吸われる音。
野うさぎが雪の上をはねる音。小鳥が木の間で毛づくろいをしている音。誰かの間の抜けた声。
「ん?」
距離にして、二百メートル程先だろうか。
「んー」とどこか間の抜けた女性の声に、己の置かれている状況を完全に忘れ、自然と歩みが超えの主の方向へと変わった。
しばらく歩いた先には声の主でもある黒髪の少女が、リンゴに似た木の実に向かって必死に木の枝を振っていた。
いつだったか下校途中に布部が木の枝にひっかかった少女の風船を取るために同じように近場にあった木の枝を振っていたのを思い出した。
久々に思い出した布部の記憶も、半年以上会っていないともなるとどこか美化してしまうから不思議である。
「取ろうか?」
久々に思い出した現実世界の思い出のお礼に。そう心の中で付け足したが、少女は驚いたのか、怯えたのか、手に持っていた枝を地面に投げ捨て、素早くリンゴの木の幹を壁にするかのように姿を隠した。
一瞬で解りづらかったが、長く不ぞろいな髪に上部が尖った耳介を持っていた。決して長くは無いが、形としてはイダさんに教わっていたエルフのそれだった。
「危害を加えるつもりはありませんので、出てきていただけませんか?」
そう伝えると、木の陰に隠れた少女は僕を伺うかのように顔を半分だけ見せ、数度瞬きをして眼を走らせた後、すぐに同じように隠れてしまった。
目線から推察するに、顔の作りを確認して、僕の耳を見つめ、胴体、脚、最後に背中に背負っていた弓と矢筒に眼が行き、隠れた。
そして少女の顔を半分とはいえ見つめたとき、ある考えが頭をよぎった。
「四人目……、か」
怯えながら僕に見せた顔には桃色の瞳に、同じく濃い桃色の拉げたSの字の紋<ウィスパ>が刻まれいてた。
それ単体でなんの意味があるのかはわからないが、イダさんも、リアも、ニナさんも、三人共に表に出す事を避けている。
この少女も同じ理由で僕を避けているのなら、一体どんな理由があるのか、三人に問うべきなのだろうか、と事態が悪化する前に聞いておくべきなのだろうか、と。そんなおもいにかられた。
ともあれ、決闘の場に置いて民間人がいると、流れ弾……矢?に当たって、怪我をされても困る。ああでもない、こうでもない、と考えをめぐらせていき、いくつかの経験則に行き当たる。
そのためにはまず「食べ物」が必要であり、おあつらえ向きに頭上にはリンゴが実っているわけで。
手のひらに薄い鋭利な板をイメージ、それを己の魔力で形成する事で魔力弾<タスク>にして、先ほどまで少女の振るう枝から逃れていたリンゴを目掛け指に挟んで投げつける。
リンゴは無事枝から離れ、僕の手のひらに落ちてくると、いつの間にか幹から顔を出していた少女の目が輝き、顔の前まで持っていく。
「……シェ、シェミィ?」
この世界の言葉で、ボクが最初に覚えた言葉だったが目の前の少女は言いなれていないのか、どこか語尾が吊りあがり、疑問系になっているようにも聞こえた。
ただより正しい発音としては「スェミィ」であって、感謝を伝える言葉で、スェミィに限った事ではないが、「エゥ」を付けると敬語になる。目の前の少女が自分と同じような環境で育ったのだろうか、と思考をめぐらせた。
リンゴを受け取った少女はよほどお腹が減っていたのか、感謝の言葉を伝えた直後、かじりつきシャクシャクと音を立てながら咀嚼していた。
その様子を見て、なぜかイダさんが頭をよぎり、アプリールに来てからというものイダミニウムの補充が出来ていなかった事を思い出した。
そういえば、イダさんは僕に言葉を教える時発音が正しくない時は、右手の人差し指を唇の前で左右に振っていたっけ。
その後、正しい発音をゆっくりとしてくれた。
「スェミィ」
イダさんがしてくれたように、右手の人差し指唇の前で左右にふり、正しい発音をを伝えると、両頬をリスのように膨らませた少女が、ゴクンと喉を鳴らしてそれらを飲み込んだ。
「……スェミィ」
そう笑顔で言われたお礼に、つい嬉しくなり、この世界に来た時、イダさんがしてくれた自己紹介を思い出した。
「リィ・ミコト。ルゥ・エゥネィメ?」
「僕はミコト。貴方のお名前は?」と簡単な自己紹介だ。イダさんがやってくれたように、自身を指差し「リィ」と付け加え、「ルゥ」の際に手のひらを差し向ける。
当然、異世界人である僕なら首をかしげるレベル(当時は)なんだろうが、この世界の住人にとっては簡単なやり取りだろう。
――が、返ってきたのは小首をかしげるだけで、一向に返事がなく、少女はパチパチと瞬きを繰り返すだけだった。
それどころか、少女は自身を指差し、
「リィ・ミコ……ト?」
と、勘違いをしていた。
しばらくどう伝えたものかと悩んでいると、表情を伺っていた少女が、何かに気づいたように、齧りかけのリンゴを差し出してくる。
クゥゥッゥと、少女の小さい腹の虫が鳴き、赤面と同時に顔を背けられるが、手に持ったリンゴはひっこめようとしない。
何を理解したのかわからないが、少女には「俺も食べたいから、頂戴」とでも理解されたのだろうか。
僕は頭を左右に振ってから、同じように魔力弾<タスク>を二つ生成し、頭上のリンゴをめがけ放つ。
枝から離れたリンゴを二つ手に納め、片一方を齧りかけのリンゴを差し出している少女へ差し出すと、笑顔になり手に持っていた齧りかけのリンゴを素早く口に納め、ただでさえ拉げているSの字の紋<ウィスパ>を頬の膨らみでさらに拉げていた。
その無垢な様子が、どこかアイスクリームを頬張るイダさんに重なって見え、自分の置かれている状況を一時忘れてしまいそうになった。
そんな時だった。ヒィィィッン――と、何かが風を切り接近してくる、そんな音。
一瞬で音がやみ、同時にトッと、何かに刺さる音がすると、目の前の少女の身体が微かに震え、眼を見開いていた。
やがて指の力が抜けたのか、少女の手からリンゴが零れ落ち、口の端から赤黒い液体がこぼれ出る。
そのまま、膝の力が抜けたかのように身体が崩れ、地に伏せる少女の背中に一本の矢が刺さっていた。
飛来したであろう方向を見据えると、精霊の眼を借りるまでも無く、木々の間に卑しく笑うクズの姿が見えた。
クズはそのまま、木の幹に隠れ、気配が消える。
足元には少女の手から零れ落ちた齧りかけのリンゴと、短く浅い呼吸を繰り返し、時折咳き込み喀血する少女。
俺の中で何かに亀裂が入り、亀裂の入った何かがパラパラと身から離れていくのがわかった。
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「教えてください。ニナ様達……魔族<アンプラ>とは何なのか……。ニナ様達はなんで同族と戦ってまで、私達に……いや、なんで人間達に加勢したのですか?」
控えめのノックの後、部屋に訪れた私の騎士はそういった。
その言葉は、ある種の始まりの言葉で、同時に彼女の中である事が終わりを告げる、そういった意味を持つ言葉。
いつかは話すつもりでいたし、どこか怯えながら部屋に入ってきた私の騎士は怯えながらも、眼に力を宿し、どのような結果を聞かされても揺るがない意思を感じ取れた。
だから私は、そんな騎士に優しく微笑みかけて、ある願いを持った。
『願わくば、どこぞの少年がかつての主を受け入れたように、私も受け入れられれば』、と。




