起章:第四十一幕:雪花祭<アンリージュ>-IX
起章:第四十一幕:雪花祭<アンリージュ>-IX
嫌な視線を感じる――。
そう気が付いたのは、正午を告げる鐘の音が鳴り、しばらくしてからだった。
目的地が一緒で、二人でアプリールの南東門を目指していたが、どうしてもこの視線の正体が気になった。何度か気配を消してはみたものの、答えは変わらず。誰か、あるいは何か、に見張られているのはわかるが、それが何なのかが解らない。
最初はフィーナさんを探している騎士のものだと仮定したが、ここまで尻尾を見せないとなると、違うらしい。
更に問題なのは、この嫌な視線が「二箇所」から注がれていることだ。
一つは常に「見張られている」様に感じるが、もう一つは「時折見失っている」様に思える。
それでも二人、あるいは二つとも尻尾を見せず何度も「眼」を使って確認したが、網に引っかからなかった。
後者は人の手による物だとはなんとなくわかるが、前者においては明らかに魔法による何かだ。
後者の視線に気付けない理由としては……。
「おい、ミコト。その花束、なんとかならないのか……?」
そう、僕が手に持っている花束だ。
道行く人のほとんどは僕が手に持っている雪の花<フェン・タイ>の花束に驚き、次にフィーナさんという美女に気付き(この時点で男性の殆どは殺意の篭った視線になる)、最後にフィーナさんが持っているまだ咲いていない雪の花<フェン・タイ>を見て終わる(この時点で女性の殆どは殺意の篭った視線になる)。
結果、気が散ってしょうがない……。
「可能なら皆さんへのお土産にしたいのですが……。どうしてもっていうのなら――ッ」
――明確な殺意だった。
冗談混じりに行き交う人からもらう殺意などとは比べ物にならない。肌に何かが刺さるような痛みと、同時に全身の毛が逆立つような印象を受ける。
強引にフィーナさんの手を引き、人気の無い路地へと入り、素早く精霊の眼を借りて殺意の出所へと視界を向けると、アリアーゼ城にあるバルコニーから金髪の二十代後半の騎士甲冑を纏った人物がが、ヴィルヘルムの様な弦の無い白く輝く弓を構え、その正面には鏡のような物が浮いていた。
それだけ見て、この騎士が何をしたいのか全くわからなかったが、鏡に何が映っているのかを確認し、瞬時に精霊の視線を切り、目の前に居たフィーナさんを強引に地面へと押し倒した。
その瞬間、フィーナさんが立っていた場所に「何かが」通過し、路地の壁に轟音と共に大穴が穿たれる。
避けきったのを確認してから、再度精霊の眼を借りて、バルコニーに居た騎士を確認すると、弓の前に浮いていた鏡は霧散している最中で、弓を手に提げたまま、どこか呆然としているように見えた。
矢は恐らく魔力弾<タスク>だと思われるが、鏡に映っていた「フィーナさんの胸元」に寸分たがわず瞬時に飛翔したあたり、鏡に映っている箇所を正確に射抜く魔法かなにかだろう。
僕がフィーナさんを押し倒し、回避させたのに気付いてか、バルコニーの騎士はただ卑しく笑みを見せ、背後に控えていた騎士に何かを伝えたが、声を拾う事が出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
天に召しますお父様、お母様、アミル。アルフィーナは今日も健やかです。
ですが、先刻から心中は穏やかでは無いかもしれません。というのも、私の手を引き歩く「ミコト」と名乗った青年のせいです。
単に気が利く青年だと思っていました。私と歩速が違うのに気付いては立ち止まり、こちらが追いつくのを待ってくれたり、雪の花<フェン・タイ>の茎が欲しかったのも気付いてくれたのか、私がもらうのを恥ずかしくなって拒否したのに最もな理由を付けて、手にさせてくれたのです。
ですが、この青年。かなり気が多いのかもしれません。
手に取る雪の花<フェン・タイ>は全て開花し、いずれも花の形が違う所を見ると、「全て違う女性」を想っての事でしょう。
しかし、祭が始まっていないにも関わらず、手に取る雪の花<フェン・タイ>を全て開花させたこの青年が想う相手とは少なくとも「良い相性」に成るものと思います。
そこで私は、私が握っている雪の花<フェン・タイ>は誰に想いを馳せればよいのかわからない事に気が付いたのです。
この青年ほど想うべき相手が多いのも考えものなのかもしれないが、私のように誰を想えば良いのかも解らないというのも、考えものだろう。
そんな私の考えが顔に出てしまったのだろうか、ミコトはどこか心ここにあらずといった具合に、時折目の前に居るのに居ないように錯覚してしまうほど、存在が薄れるときがあった。
狩人などが獲物を追う際に気配を絶ったり、それに似た魔法が無いわけでもない。しかしその何れも、彼ほど見事にこなす者など居ないだろう。
こうやって手を繋いでくれていなければ、私だって見失ってしまいそうだ。
こうやって、手を繋いで。
手を、繋いで……?
ちょっと待て。
私は記憶をめぐり、ここ最近、否。ここ「数年」で、「剣」以外に握った物を思い出す。
ドアノブ、貨幣、本、衣類、甲冑、飲食物、食器、その他もろもろ。何れも、こんな心が温かくなるような温もりを宿すものでは無いものばかりだ。
え、ちょ、え?
これ、私、初めてなんじゃ……、え、あれ?いや、スカートに頭突っ込まれたのも初めてではあるけども。
落ち着け、私。こんなのはいつもくぐって来た死線に比べれば、容易いものだ。そういえば、ザキマはなにかコレに関する事を言っていた気がするが、なんだったか……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「良いか、アル。お前さんの手を握ってくれるような野郎が現れたら、「逃がすなよ」?そんな人間、いや人間じゃねぇ可能性もあるが、そんなやつこの世に二人といねぇよ。絶対に」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
…………、ザキマ。後で殺す。
いや、あの後も半殺しにした気がするが、もう一度あの世の門を叩かせてやる。
それにしてもこの青年、この周囲の目線が気にならないのか……?
主な原因は彼が手に持つ雪の花<フェン・タイ>の花束だろうが、私が手に持っているこの茎も関係しているのは言うまでも無さそうだ。
「おい、ミコト。その花束、なんとかならないのか……?」
「可能なら皆さんへのお土産にしたいのですが……。どうしてもっていうのなら――ッ」
振り向いて苦笑しながらそう話していた彼は唐突に表情を変え、真剣な表情になり、瞳が左右へと素早く走ると、強引に手を引かれ人気の無い路地へと連れ込まれた。
そこで何を思ってか、目を瞑り何かを考えているように見えたが、それも一瞬だった。
次の瞬間、私は地面に押し倒され、彼の顔が鼻先数センメルテ(センチメートル)の所にあり、息を吐けば彼に簡単に掛かる距離だった。
経験が無いことだから、という理由にしておきたいのだけど、確実に私の顔は赤くなっているだろう。しかしそんな恥ずかしい思いをしているのは私だけなのだと、彼の顔をみればすぐにわかった。
私を押し倒したというのに、眼を瞑り眉間にしわがよっていた。表情から察するに何か嫌なものでも見ているのかのように、時折眼球も動いている。
そんな中、彼の顔の先、私が立っていたところの壁に大きな窪みが出来ていることに気がつき、割れたレンガの破片がパラパラと音を立て地面に落ちるたびに、その威力を物語っているようで、焦燥感に似たような何かを感じた。
そしてこのとき私はかすかに想ったのです。
眼前の見えない脅威から私を救ってくれた「ミコト」と名乗った彼を。私の手に握られていた雪の花<フェン・タイ>もやっと「役目」を果たしてくれるのやもしれない、と。
そんな私の想いなど彼は当然知りもしないのだろうが、何か苦渋の選択を強いたのか、彼は短く舌打ちをすると私の両ひざの下に手を入れて、私を抱きかかえ路地を飛び出したかと思うと、南東門をめがけ走り出した。
私を抱えたまま、かつ周囲の人間に移動の余波を与えないよう気を配り、舗装された路面をへこませないように最小限の身体強化で一歩を踏み込む。
とても綺麗な魔力運搬だった。これは彼の言う「最低限度の技術」などでは決してないだろう。
そんな彼の横顔を間近で見ていた私はある事に彼が気づいているのか少し不安だった。
彼が私を抱え飛び出した路地に、彼の持っていた六本の雪の花<フェン・タイ>に加え、一本の小さい花が咲いていた雪の花<フェン・タイ>がある事に。
標高の高い所で咲き白く小さく花弁を有し、無数の繊毛宿すそれは、「勇気」を表す花だった。




