起章:第三十二幕:母は……弱し……
起章:第三十二幕:母は……弱し……
陽が昇り、ミコトの言葉通り拘束を解かれた、アルフィーナは森の中をただ走っていた。
目的地は竜の咆哮が聞こえた方角。正確な位置はわからずとも、大雑把な方角から割り出し、足で穴を埋めていた。
その表情は、ミコトと竜が対話した場所へと近づくにつれ、苛立ちを宿すようになり、左手に握る銀の剣の鞘は主の徐々に込められる力に対し、時折悲鳴を上げる。
「嫌な予感しかしない……」
そう、アルフィーナは森の中を走りながら、小さく声に出した。
その声は誰に言ったものでもなく、ただ自分に言い聞かせるように、外れてくれるのであれば幸いだ、とでも言いたげだった。
しかしその願いは適わず、森の開けた場所に出ると、青白い鱗に覆われた一体の竜が血だまりに横たわっているのを見つけ、奥歯を力強くかみ締め、乾いた音が響く。
アルフィーナは竜の死骸の周りを観察するように見て廻り、やがて一つの結論へと至る。
「……、両の眼、心臓……。暴れた様子が無い……」
竜の双眸は抉られ、心臓に位置する場所には鋭利な刃物で切り開かれた跡があり、アルフィーナはそれらの傷口を指で触れ確認する。
「……竜具による傷だな……。再生した跡が無い……」
竜具。竜が生成できる武具を表し、その竜を殺める手段として用いられる武具。
本来、竜は圧倒的な再生力を有し、魔法や武器による傷が生じてもすぐに癒えてしまう。しかし、竜具によって傷を付けられた場合は別で、決して癒えることが無い。
それゆえに、竜から送られる竜具とは最大の信頼の証であり、神族の眷属を殺める事が出来る武具として大罪の象徴だった。
アルフィーナはフードを後ろに追いやり、その場で肩膝を地面につけ、息の無い竜へと頭を下げた。
目は瞑り、先ほど見て取られた苛立ちを秘めた形相ではなく、どこか穏やかだった。
やがてアルフィーナの口の前に白く輝く魔方陣が展開され、数度唇が動く。それは人には聞くことの出来ない、竜の言葉でたった一言。
『貴方の決断に祝福を……』
その言葉は、竜が自らの命を差し出した時に贈られる言葉であり、同時に命を奪う相手をも許される言葉を意味する。
そしてアルフィーナはゆっくりを目を開けると、ある物に目を奪われた。
それは、小さな植物の芽だった。
竜の爪の間の土に埋められたのだろう。それは、朝日をいち早く浴びたい想いでもあるのか、少し盛られた土から小さな芽が顔を出していた。
それが何の植物なのか理解した頃には、アルフィーナの顔は優しいものへと変わり、自然と口が動いた。
「どんな願いをかけたと言うのだ……」
アルフィーナは立ち上がり、青白く染まった空を見上げ、竜の爪の間から咲くであろう、花を想像した。
それはきっと、小さくとも五つの花弁を持つ、小さな花なのだろう、と。
息絶えている竜に似た色の花になるだろう、と。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「信じられません!傷が開かなかったのは幸運な事なんですよ!?」
はい。絶賛怒られています。
炎のように赤い髪を宿し、瞳も赤い美人なエルフに。顔も怒っているためだろう、かなり赤い。
「ニ、ニナ、ミコトは悪くありませんから……」
「イニェーダ様はもう少し、ご自愛ください!御身に傷をつけた私が言えた立場でないのは重々理解しています、ですが少しでも傷を残したくない私の想いを少しでも汲んでください!」
ベッドに入り、上半身を起こしていたイダさんが仲裁してくれるが、取り付く島も無い。
事の顛末としては、夜中にイダさんに声を掛けられてかというもの二人で夜空を見上げて過ごしていると、そのまま眠りこけてしまい、朝になって屋敷の主であるニナさんに発見され怒られている。
イダさんはお咎めなしというか、ケガ人であるという理由だろう、すぐにベッドへ移され、僕だけが床に正座状態だった。
「リアッ!」
名前を呼ばれるまで、ベッドに腰を下ろし僕の様子を苦笑したまま見守っていた金髪の「姉」は、「赤鬼」に名前を呼ばれた瞬間に立ち上がり、冷や汗を流していた。
「貴女もなんでイニェーダ様を止めないのですか!」
「す、すみません!……その、……」
「リアは私を止めたんですよ!ただ、どうしても私が……その、……ミコトの側に行きたくなって……」
あぁー……。イダさんめっちゃ顔真っ赤……。ニナさんと良い勝負っすわ……。
てか、そんな事言わなくても良いんですよ?こっちだって恥ずかしいです。
「例えそうだったとしても、リアがミコト様を呼びに行けば済む話しだったでしょう!?」
「すみません、そこまで考えが至りませんでした……」
素直に申し訳なさそうに、謝罪する「姉」の行動は本当にイダさんが大切な存在なんだと、理解を深めることが出来た。
「貴女もミコト様の隣で「セーザ」なさい!」
雷の如く轟く言葉に、姉は空中で足を曲げ、正座の姿勢で着地するという僕でも出来そうに無い芸当をやってのける。
「あの……」
と、ココで部屋の扉の横に立っていた給仕服の「妹」が控えめに手をあげつつ、声を上げた。
「なんですか、ミルフィ」
「た、大変申し上げにくいのですが、私もイニェーダさんが屋敷を出て行かれるのを止めませんでした……。おにい……じゃない、ミコトさんが庭に居たのは知っていましたが、声をかける事ができなくて……。でも、イニェーダさんが一人で階段を下りてきた時、少しほっとしたんです……。「イニェーダさんならミコトさんを救いあげられるんじゃないか」って……」
話しつつ、主であるニナさんの前まで歩き、一度頭を下げると正座をしていた僕の隣へと並び、同じように床へ膝を着け、足を曲げた。
「私も、フェリアさんと同罪です。ですから、一緒に罰を受ける所存です」
こうして、姉妹に挟まれる形で三人の正座が連なり、ニナさんはどこかばつが悪そうにしていた。
「……ハァ。これじゃあ私が悪者みたいじゃないですか……」
「(事実だし……?)」
「あ”?」
姉の微かに口からこぼれた言葉に、ニナさんは「凄い笑顔」で「あ」にダブルコーテーションを付けたような裏声で返事をして、姉は肩を震わせ、妹は驚き尻尾を丸めた。
「ニナ、私も本当に反省していますから――」
「嘘です!!イニェーダ様はそう言って、何一つ反省されずに、過ごされまた同じ事を……、ご自身を蔑ろにされて……。思い出しましたよ、二十年前も――「あーーーー!あーーーーーー!」
あ、やっぱり十八歳じゃないんですね。いや、解ってましたけど。
何かニナさんは昔話を始めたが、イダさんの「アーアー」声に邪魔されて重要な部分(年齢)が正確に拾えていない。
正座組の三人は蚊帳の外になりつつある事を理解し、しばらく二人のやり取りを眺める事しかできなかったが、一向に話が終わる気配がなく一番最初から正座をしている僕は若干足の痺れを感じていた。
というか、ミルフィさんは慣れていない事をしているためだろうか、あるいは限界を早くも限界を迎えつつあるのか、正座というよりも内股を床に付けて座っている。正座ではなくいわゆる「女の子座り」になりつつあった。
「(リア姉ぇ)」
「(な、なんだ、そのリア姉ぇって……。リアで良い……)」
とは言うものの、顔はどこか嬉しそうに見えた。小声で話しかけた姉は、まだ余裕があるらしく、表情事態はさほど悪くない。
「(この状況、打破する方法は?)」
「(そんなものあればとっくにやっている。ミコトこそ何か無いのか)」
「(いや……、あるには……あるけど。……今後、どう発展を迎えるのか不安で……)」
言いつつ、視線を妹へと向けると、視線に気付いたのかこちらに橙色の瞳をむけ、瞬きを繰り返していた。
「(この状況が手打ちに出来るのであればそれ以上は望まん。ニィナフェルト様の「あの状態」はしばらく収まらんからな……)」
リアの言う、「あの状態」とは、「昔の事を思い出しては、「あの時はこう言ったけど、実際は……」」などと恨み言や損をしたこと、面倒ごとに巻き込まれたことを延々と語る事を意味するらしく、しかも正確な「いつ」まで付随するあたり、かなり根に持っている。
そして、イダさんもイダさんで、正確な年齢を僕に知られたくないためか、ニナさんが「○○年前」と付け加えるとき必ず「あー!」と声を上げ、それを遮っていた。
大丈夫です。すでに百歳以上なのは把握できました。
「(わかりました……。どうなるか解りませんが、お願いしてみます……)」
言いつつ、ミルフィへと視線を向け、頭頂部からやや側頭部側についている特徴てきな三角形の耳に口を寄せ、小声である「お願い」をする。
最初はくすぐったかったのか、声を出した瞬間「ヒャン!」と声を上げ、耳を折りたたんだが、ゆっくり声を続けると徐々に耳を上げ、最終的に全て理解したときには耳をピンと立たせいつもの状態になっていた。
「(は、恥ずかしい……です)」
と、赤面しつつ最初は「お願い」を拒否したが、
「(この状況を打破するためにはミルフィの協力が必要です。お願いします)」
と付け加えると、渋々といった様子ではあったが、コクリと小さく頷いてくれた。
そして、ミルフィは数度の深呼吸を終えた後、ゆっくりと声を出した。
「……あ、あの――」
「忘れていませんよ!百「あー!!!あーーーー!」前は、私が楽しみに取っていたデザートを――!」
「あの――!!」
ミルフィは一度めの「あの」よりはるかに大きい声で、二人の会話を遮るようにして声を張り上げると、二人の視線がミルフィへと集まり、声がやむ。
その様子を正座組の僕とリアも見つめ、次のミルフィの言葉を待っていると、うつむき顔を真っ赤にした妹が消え入りそうな声で、続けた。
「……そ、そろそろ……朝ごはんにしませんか……、……「お母さん」――」
結果。
その日、アスール村では奇妙な光景を目撃した村人が大勢居た。
それは、いつも買い物へは給仕の者を向かわせていた村の長が、自ら買い物かごを下げスキップで品物を買って屋敷に帰るというものだった。
村人の多くは、その異様な光景を「見た事もないくらいの笑顔で、逆に怖かった」と物語った。
最強の魔法を手に入れた当の本人、ミルフィは「母は強しと聞いていたのですが……」と言葉を残し、両の手で己の視界を遮り、鼻歌交じりに身体をくねらせながら料理をしている「母」の姿を見ないようにして恥ずかしがっていた。




