起章:第三十一幕:永い夜の果てに
起章:第三十一幕:永い夜の果てに
フェリアさんに、いや、フェリアに事の顛末を伝えた後、僕は一人になりたくなって、イダさんの寝顔を確認してからフェリアを残し、部屋を出た。
フェリアは僕がどう変化したのかも知っており、この話を聞いた直後に、
「イダに相談するべきだろう。少しは和らげる事が出来るのかもしれない」
と、言ってくれた。確かに、困っていたし、何とかしたいが認識としては、ただ「頭の中が賑やか」になっただけだと思っていた。
『……羽虫が居る。食べたい』
唐突に頭の中に流れる情報に、とても「人」が発したものとは思えない、「声」を拾い上げる。声の主を探そうとすると、すぐに見つける事が出来た。
廊下の窓の外側にへばりついていたトカゲの一種だった。
竜の命を絶った瞬間から、これら「鱗を宿す生き物」の声が際限なく頭に飛び込んできていた。それらは決して「声」を発しているとは思えないのに、なぜかそう「感じ取る」事が出来、間違っては居ない。
最初はただ、「爬虫類」限定なのだと思っていたが、その範囲は広く、魚類にまで及んでいた。
「僕の世界が変わるだけで、取り巻く世界は変わらない……」
そうあの「竜」は口にして、現にその症状が現れている。
「竜」を狩る前、最初はどんな事でも受け入れられるし、乗り越えられると高をくくっていたが、いざ森の中を歩き、際限なき鱗を宿す者の声が否応なしに頭に入ってくるというのは、かなり堪えた。
あの「竜」は人生を捧げる事と言った。その意味が、人が生きていくうえで、理解する事は出来ないはずである「声」と共生する、樹の竜<ヴィドフニル>として生きていく事を意味していた。
そして腰にいつも吊っていたダガーは、形を変え青白く光り、魔力を感じとれる。これ単体としても十分な魔法が行使できるほどの内臓量を有している事を示し、まるで彼の「竜」の生命力が宿っているようだった。
頭の中で、必死に「僕が狩った命は「竜」である」と認識を重ねても、ある事実が頭の中を走り回り、その思考の邪魔をする。
言葉を交わした。
子供の頃、施設で出されるおやつの中で、ドーナツが一番好きだったが、ある事がきっかけで食べられなくなるくらい嫌いになった。
その発端を作った子も決して悪意のみがあったわけではない、という事はわかる。それでも、たった一言、
『さっきそのドーナツ喋ってたよ?食べないでーって』
今思えば、何をバカな、と笑い飛ばせただろうが、当時の僕はその「喋るドーナツ」を「おやつ」としてみる事が出来なくなり、結局残してしまった。
「意思の疎通」が出来る。というだけで、姿かたちが似つかなくても、脳が「それ」が「人」として捉えてしまう。
「……僕の世界が変わるだけで、取り巻く世界は変わらない……」
そうあの「人」は口にして、現にその症状が現れている。
「人」を狩る前、最初はどんな事でも受け入れられるし、乗り越えられると高をくくっていたが、いざ森の中を歩き、際限なき鱗を宿す者の声が否応なしに頭に入ってくるというのは、かなり堪えた。
あの「人」は人生を捧げる事と言った。その意味が、人が生きていくうえで、理解する事は出来ないはずである「声」と共生する、樹の竜<ヴィドフニル>として生きていく事を意味していた。
そして腰にいつも吊っていたダガーは、形を変え青白く光り、魔力を感じとれる。これ単体としても十分な魔法が行使できるほどの内臓量を有している事を示し、まるで彼の「人」の生命力が宿っているようだった。
アリュテミランの涙を使えば「こうなる」事は薄々感じていた。それでもほかに方法を思いつかなかった。だから実行した。
胃には何も入っていない。そんなものはとうに吐き捨てた。それでも、不思議と何かがこみ上げてきて、足早に屋敷の外まで逃げ出し、井戸の近くで何もでないのに何度もえずいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最初に意識を取り戻した時に感じたのは、「暖かい」だった。
ミーミクリーに魔封じの刃<スペルベイン>を突き立てられてから、体内魔力が著しく減ってしまい、出血量による体温低下よりも、残存魔力の無さからくる限界を迎えていた。
それが今、普段何気なく自室で眼がさめた時となんらかわらない、いや、それ以上に好調のように感じた。
天蓋つきのベッドに横たわる私は、自室で目覚めたというわけではないと解っていても、「ひょっとしたら、魔封じの刃<スペルベイン>で刺されたのは夢なのでは」と思ってしまった。
それでも右手を動かし、魔封じの刃<スペルベイン>が刺さっていた箇所に触れると、ざらついた痛みが生じ、夢では無かった事を物語っている。
そして、この腹部の痛みにではなく、「なぜ私がこんな状況で今までにない程の好調で眼がさめたのか」を説明してほしくて、身体を起こし周囲を伺うと、今にも泣きだしそうな「姉」の姿がそこにあった。
「イニェーダ様……、良かった……。腹部の痛み以外になにか違和感がございますか?」
「リア……。すみません、後れを取ってしまいました……。それで、あの……」
「施術を行ったのはニィナフェルト様で、傍仕えのミルフィール譲も手伝ったそうです……」
記憶に残っている事だった。
「……知っています。ですが……」
「ミーミクリーであれば、私がティルノ・クルンから帰ってくる際に跡形も無く屠りました……」
助かる……。あの状況で、一番の問題だったのは「ミコトの存在を知られる」事だった。それをリアが対処してくれていたのであれば、問題は無いだろう。
「ありがとうございます。……リア――」
「ニ、ニィナフェルト様でしたら、別室にてお休みになっておられます……。ミルフィール譲への感謝を伝えるのも明日でも良いと思います!」
「――、フェリア!」
私の「姉」は強く名前を呼ばれた事で、たどたどしく説明していた口を強く閉ざし、肩を大きく揺らした。
「――、状況を。なんで私が、こんな快調な状態で眼がさめたのかを、教えてください」
「姉」は、膝の上で丸めていた拳に力を入れ、何かを言おうとしては、止め、口だけが開閉を繰り返していたが、やがてそれも終え、短いため息の後、意を決したかのように口を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
屋敷の芝生に横たわり、夜空を見上げていた。
時間にして、既に日が変わっているだろうが、疲労度はあるものの眠れるような心境ではなかった。
あの「人」も最後に、双月が綺麗だ、と口にしたが僕が見上げるとどうしても「月は一つのほうが良いな」という思いがこみ上げる。
淡い赤と、青に輝く月は見慣れたそれとはかけ離れ、どこか不安になる部分も少なからずあった。
いつだったか、月光に照らされたイダさんを抱き留めた時には「美しい」と素直に思えたが、あの「人」の命を絶った時も、そんな心境だったのだろうか。
いつの間にか、視界がかすみ双月がぼやけ、自分が今どういう状態なのかを察する。きっと、男として情けない、泣いているんだと思う。
「……ミコト?」
聞きなれた声だった。というか、空を見上げていた視界に不安そうに見下ろすイダさんを捉えるまで、接近に気づけなかった。
泣き顔を見られたくなくて、すぐに身体を起こし、イダさんに背中を向けて、話しかけた。
「ごめん……。って、ダメですよ。まだ寝ててください。もう大丈夫かもしれませんが、今は傷も完全に癒えていないでしょうし……しっかり休んでください」
「……なんで、泣いているのですか?」
ばっちり見られていた……。
「……泣いてなんかいません」
「そうでしたか……。……どうやら私もまだ本調子では無いのでしょうね……、背中お借りしますね」
そう言われ、僕の背後に腰でも降ろしたのだろう「よいしょ」と掛け声が聞こえた後、背中に熱を重みを感じた。それがイダさんの背中であると気づいたのはそれからしばらく経ってからだった。
そのまま、お互いに無言で背中合わせの状態でただ過ごしていた。
「何も、言ってくれないんですね……」
そう、背中からイダさんの声が聞こえ、ほんの微かに声と一緒背中が振動する。
「私は、ミコトに言いましたよ?「荷を分かち合う努力をしろ」と。……、あ、あの時は姿はリアでしたけど……」
「知ってます。最も知ったのは、ニナさんから教えられた、というのが正しいですが……」
「そ、そうでしたか……」
どこか、照れくさそうに言ったのだろう、表情が簡単に想像できた。
そして、また沈黙が訪れ、それを破ったのはまたイダさんだった。
「……ミコト。貴方は私と彼の竜の命とを天秤にかけたに過ぎません。結果私を選び、竜も自らを手放した。貴方はきっと「別の方法があったのでは」と考えたでしょう?……でも、そんなものは決して有りはしません。私がこうして今、貴方と星空を見上げる事が出来るのも、こうして話せているのも――」
話しながらイダさんは背中から離れたと思うと、僕の両肩から腕を胸へと回され、さっきまで触れ合っていた背中とは違う感触が訪れた。
「……こうやって、貴方の背中から鼓動を感じられるのも、貴方の近くに居るだけで心臓が驚くぐらい早く脈打てるのも、全てが貴方のおかげです」
それは何か告白されたかのように思える言葉で、
「それでも貴方が竜の命を絶った事を気にするというのであれば、私は貴方に声を大にして誓います」
時として力強くもなり、
「『この命はミコトに救われ、彼の偉大な竜によって生き永らえた。もう一人の命とは思わず、この生を全うできるよう誓います』――」
己の意思をはっきりと口にして、
「その重荷は貴方「だけ」が背負う物ではありません。だから、もう泣かないでください。私の騎士」
僕は遥かに救われ、同時に許された。そう感じてしまった。




