起章:第二十九幕:一歩目
起章:第二十九幕:一歩目
エルフの記憶は二百年もつと言われている。しかしそれはより鮮明に覚えていればいるほど、色あせる事なく残り続ける。
長命なエルフにとって、二百年前というのは長くもあり、短くもあるが、私の二百年の間にはそれほど色あせない記憶などありはしなかった。
人間の首を刎ね、鮮血を浴び、声を張り上げ、次の目標へと斬りかかる。右腕を削ぎ落し、獲物を持てなくして、左腕を刎ね飛ばし、防御をできなくさせる。
その時の人間の表情は「恐怖」一色。生まれて数十年、常に肩から先、1メルテ先まであり、五本の指で大切な物に、愛しい人に、守りたい人に触れてきたのであろう、そんな手を無くしたからだろう。
ある者は足を無くし、逃げ切れずただ叫び声を上げ、命乞いをするばかり。そんな「人間」を見て、私は「ゴミ」だと思っていた。
もろく、弱く、意味のないゴミだと思っていた。
悲しくないのか、悲しいわけがない。ゴミを片付けただけだった。
怖くないのか、怖いわけがない。ゴミを恐れるなど意味がわからない。
私の二百年はそんな記憶で埋め尽くされていた。
それゆえに、「血まみれの人間」や、「人間ごときに恐怖を覚える」などありえない事だと思っていた。
もろく、弱く、意味のない。
そんな人間に「恐怖を覚えた」のは目の前の、青と白を基調とした衣類を纏っていた「騎士」なのに、今は見る影も無く赤黒く彩られ、顔さえも返り血を浴び、目に光のない「騎士」を見たからだ。
悲しくないのか、悲しいに決まっている。目の前の十数年しか生きていない子供に、どんな決断を強いたのか、と。
怖くないのか、怖いに決まっている。いつもニコニコ笑っていた少年の顔から笑顔が消え、表情が消え、目からは光が消えていた。
その様子を一緒に見ていた、隣に立っていた灰色のドゥーギーは両手で口を押え、涙を流していた。その仕草をみた私は素直に「羨ましい」と思え、同時にどっちの理由で涙を流しているのだろうか、と考えた。
「騎士」の変わりようを見て、悲しくなったのか、それとも無事に帰ってきた事に涙を流したのか。どっちにしても、私は「羨ましい」と思った。
この「騎士」の前で、素直に感情を表に出せるのが、羨ましかった。
やがて「騎士」は無言で革細工の腰に吊っていた鞄を私に差し出したが、その鞄からは鼻を突く異臭と、赤黒い液体が染み出し、手に乗った際の重みから何を得て帰ったのかが伝わってきた。
そのまま、庭先にある井戸の方へ歩いていく姿を見届けると、その背中に声をかける。
「……話がある。終わったら、ニナ様の部屋に来い」
返事は無く、ただ肩越しに振り向いた顔が小さく頷いただけだった。
振り返った顔にある瞳は確かに、私を捉えていたが、その瞳はどこか虚ろで、私の通り越した先にある何かを見つめているようにも見えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『おい……、なんで人間から……』
『しっ……!』
『構うもんか!どうせ聞こえていない!』
『でも……』
『……お子も生まれたばかりだろう……』
『これから、どうすればいいんだろう……』
『我々の事よりもまず……』
『……あぁ、お子をどうするかだろう……』
冷水を頭からかぶり、竜の血を流し、頭を振る。
『……人間は嫌いだ』
『……誰だってそうだ』
『行こう……、我らだけでも傍に』
『あぁ……』
耳に、いや脳に直接響く「声」に、先刻から悩まされていた。その声の主は人でもなければ、精霊でもない。
彼の竜との交換条件を飲んだ直後から、僕を取り巻く世界は少し変わってしまった。
正確には、世界の方が変わったのではなく、僕自身が変わったのは理解していたが、正直素直に受け入れられなかった。
髪から滴る物がなくなると、ゆっくりと眼を開き、ニナさんの部屋を見上げると、窓は空いておらず、屋敷の壁にたくさんの窓があるだけだった。闇夜の景色ゆえ、どこか不気味には感じられる程度だった。
しかし、一度瞬きをすると、そこには黄色から徐々に赤く、所として青から緑へと色が変わる。そのまま、再度部屋を見上げると、濃い橙から赤へと変わる色はどこか「人」の形をなし、部屋の中を移動している様子が伺える。
それが意味するのはなんとなくわかっていた。一種の赤外線を感知している、サーモカメラの様だった。無論、本来なら壁に阻まれるはずなのに、なぜか捉えたい対象を絞ると、それ以外の赤外線を除外、透明化し、物体の輪郭線のみ捉えられる。
しばらくして、目まいを覚え、再度頭を振り、瞬きをすると慣れ親しんだ世界へと戻り、己の腰に吊ってあったただの鉄のダガーを、いや鉄のダガー「だった」ものを目の前に持ってくる。
その刃は、真珠のように薄いベージュに光沢を宿し、虹色に輝いており、柄には青白い鱗があしらえられ、手によくなじんだ。
それと同時に、竜の言葉を、この短剣で竜の肌を、鱗を引き裂いた感触を思い出し、胃から酸っぱい物が込み上げ、たまらずその場に戻してしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「リア……。貴女なら、今の彼になんと声をかけますか……?」
私は言いながら、微かに開いた窓から庭先の井戸の近くで、嘔吐していた騎士を見ながら、かつての主の傍に腰を下ろしていた部下に問うた。
「……わかりかねます。こんな時、イダなら彼になんと声をかけるのでしょうか……」
そういうリアの表情からは「後悔」という文字が読み取れる。それはイニェーダ様の傍に大事な時に居られなかった事もあるだろうが、ほぼ確実にあの少年に罪を背負わせた事を後悔しているように思えた。
リアが後悔する事ではなく、私が口にしたことが原因であると説明しても、リアには通じなかった。
正確には、その手に大罪の象徴を携えた騎士が帰ってきてからは、より一層思いつめているように見えた。
「それは私にもわかりません。ですが、リア……。貴女だからこそ――、いえ、「今」の貴女だからこそ彼の騎士に言える事があると思います」
「私だから、こそ……」
「えぇ。素直に、思った事を言葉に出せば良いんですよ……」
そこまで言うと、リアの表情は微かに晴れ、どこか瞳の光は微かに揺れているようにも見えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「出し切った後」屋敷へと入ると、ミルフィさんが新しい衣服を準備してくれていた。
しかしその表情はどこか悲しげであり、必死に笑顔を作っているようにも見えた。そして、見て知っていたため、さして驚きもしなかったが、その頭の上のピンと立つ右耳には僕の左耳に吊っている物と同じ魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスがあった。
だから、という訳では無かったのだが、言葉も交わしていないのに、唐突に頭を撫ぜたくなり、ミルフィさんの灰色の髪へと手を伸ばし、二度三度撫ぜると、嬉しかったのか眼を細め顔をあげるが、その細めた眼からは一筋の涙が流れたのを見逃さなかった。
一筋だけの涙だと思っていたが、次から次へと流れ出し、気づいたときにはさして洗い流せていない血の付いたままの服に抱き着かれ、声を殺して泣き付かれた。
「心配をかけてすみません。それと、ミルフィさん。貴女とニナさんのおかげで、僕の大切な人が命を取り留めました。そのお礼を言わせてください」
そこまで言うと、僕の腰に抱き着かれたいたのを離れるミルフィさん。いつのまにか着替えていた、給仕服は所々、赤いまだら模様ができ、申し訳ない思いが少なからずあった。
そして未だに目から涙を流すミルフィさんの瞳を同じ高さから見つめるため肩膝をたて、一度頷いてから、頭を下げた。
「ありがとうございます。ミルフィさんが居なかったら、ニナさんも苦戦していたでしょう。本当に感謝しています」
「……私は、何もして、いません……。無事で、よかった、です」
「あんな高度な気流操作を見せられて、何もしていない、だなんて言われると、僕こそ何もしていません。ただ散歩に出かけて、羽の生えたトカゲと戯れてただけです。ですからもう泣かないでください」
そういうと、微かに頷き、涙を袖でぬぐい丸く大きな橙色の瞳で見つめてくる。その顔を見て、再度頭に手を乗せ数度撫ぜると嬉しそうに眼を細めてくれた。
「まだお会いして数時間しか経っていませんが、僕はミルフィさんには笑顔でいてほしいと思っています。……だから、僕がまたバカをやらかしても、笑顔で迎え入れてほしいです」
そう言い、手を頭から離し、立ち上がり案内された部屋へ入ろうとすると、服の裾を引っ張られ、立ち止まる。
振り向くと、そこには上目遣いのミルフィさんが居り、恐る恐る開いた口から、
「……ニナ、様が……、その……。……ミコトさんと私が兄妹みたいだ、って言ってました……。卑しい私如きが、と思いもしました……、ですが、もし、お許し頂けるのであれば、……「兄」のようにお慕い……申し上げてもよろしいですか?」
男ならだれでも一度は言われたいセリフではあるかもしれないが、「兄」の様にとついた時点で、それはきっと「恋慕」しているのではなく、「尊敬」しているという意味なのだと思う。
少し残念?ではあったが、ニナさんの発言には僕も見聞きし解っていた以上、スルーするわけにもいかず、再び腰を下ろしミルフィさんと同じ目の高さになると、
「こんな頼りの無い僕で良ければ、ぜひ。……その代わり、一つ条件を付けさせてください」
僕の提案に少し怯えた表情になるミルフィさんだった。
「――今後二度と、自らを卑下しないでください。「兄」のように思ってくれるのであれば、ミルフィさんは僕の「妹」である、と胸を張ってください」
そう伝えると、怯えていた表情は消え、容姿に見合わぬ、凛々しい顔で力強く一度頷いてくれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ミルフィが準備してくれた衣類に着替え、フェリアさんに言われた通りニナさんの部屋に前に立ち、ノックをする。
「ミコトです。遅れてすみません」
『入れ』
フェリアさんの返事は短く、どこか苛立っているようにも聞こえたが、入らないという選択肢を見いだせず、恐る恐る取っ手に手をかけ扉を開け中に入る。
フェリアさんはベッドのすぐ隣に椅子を持ってきてそこに腰かけ、イダさんを見ていたが僕の入室と同時に振り返った。
ランプの明かりだけの部屋でも、フェリアさんの瞳は金色に爛々と輝いているように見え、頬には普段隠している深緑色の紋を宿していた。
ニナさんはベッドの反対側から、イダさんの手を握り、安堵したのかそっとかけていた布団へ、イダさんの手を入れてから微笑みを返してくれた。
イダさんはどこか血色が良くなっているように見え、視線から気づいたのだろう、ニナさんは一度頷いてから、
「もう大丈夫です。さすが、イニェーダ様の騎士ですね」
とさらに笑みを濃くしてくれた。
対してフェリアさんは確実に怒っていた。
肌を刺す程の怒気を宿し、眼はすわり初めてフェリアさんに命を狙われた時の事を思い出した。
やがて、フェリアさんはゆっくりと口を開くと、
「……何か言う事は無いのか?」
と、苛立ちを隠そうともせず、表情に現れる程不機嫌そうにそうつぶやいた。
恐れていた事の一つが目の前にあった。フェリアさんはある程度信頼してくれていたからこそ、イダさんの傍に僕を残し旅だったのに、帰ってきたら主が瀕死の状態だったのだ。怒って当然だし、僕も同じ状況だったら確実に怒っていたと思う。
だからこそ、本心を口にした。
「……イダさんの傍を離れてしまいました、すみません……」
「――違う」
「……イダさんを傷つけてしまいました……」
「――違う」
「……イダさんを傷つけた輩をわざと見逃しました……」
「――違う」
「……イダさんの存在を隠匿するように言われていましたが、多くの人に見られてしまいました……」
「――違う」
「……イダさん達に何の行動をするか、事前に許可を求めず己の判断で行動しました……」
「――違う」
「……イダさんから竜が神聖な生き物であると聞いていましたが、この手で殺めました……」
「――違う」
「……イダさんが――」
「――違う」
そこまで言うと、ついに苛立ちが頂点に達したのだろう。フェリアさんが「違う」と口にする度に、表情は険しくなり、細く整えられた眉はつりあがっていった。
そしてフェリアさんは短いため息とともに、椅子から腰を上げ立ち上がると、僕の目の前まで歩いてきて、僕より身長が高い分、どこか見下すように見つめられる。
すぐ訪れるであろう、拳の衝撃を耐えるために目をつむり、奥歯をギリと音がなるほど噛みしめる。
やがて訪れたのは、「痛み」の生じる衝撃ではなく、「疑問」の生じる衝撃だった。
何が起きたのかわからず、眼を開けると目の前にはフェリアさんの短い金髪があり、左肩にはフェリアさんの顎が乗り、両の手で腕ごと抱擁されていた。
そして、左耳に怒った声音ではなく、聞いたことも無いくらい優しい声音で、子供に言い聞かせるように、たった一言、
「……こういう時はまず、「ただいま」と言うものだろう。馬鹿者め」
と、囁いてくれた。




