起章:第二十五幕:銀との出会い
起章:第二十五幕:銀との出会い
「ニナ様!ミコトさんが居ません!」
部屋から廊下に出たミルフィが驚いた表情のまま、ノックもなしに部屋に帰ってくる。
「えぇ……。たった今、私が張り巡らせているアスール村の結界を越えて、北西に進む強い気配を感じています。恐らくミコト様でしょう……」
「どうして……?――え、まさか」
そこでミルフィは理解したのであろう、彼がなぜ居なくなったのか、なぜ北西に向かったのか。北西に進んだ先に何があるのか。
施術の最中、精霊の一つが不自然に動き、部屋の中をウロウロしていたのが目に入ったため、事前にリアから事情を聞いていた私としては、「あぁ、見ているな」としか判断できていなかった。
しかしこのミコト様の行動は、読唇術か何かが使えるのであれば別として、完全に「音」まで拾っているに至る段階だ。
「ミルフィの予想通りだと思います。彼は恐らく自ら望んで大罪を背負いに行ったのでしょう」
「そんな!」
誰かを救うためには犠牲が必要だった場合、そこで立ち止まってしまう人は少なからず居る。
ミコト様も同じく、立ち止まってしまうタイプだろう。では何故彼は今、行動に出れているのか。
簡単だ。誰かを救うのに犠牲が必要だった場合、彼は立ち止まる。だが、その犠牲が自分だった場合、彼は立ち止まらない。「献身」、彼の騎士が突き動かされている原動力だろう。
だがそれは、主である側からはどう思われているのだろうか……。
「……、子は親に似るように、主に仕える騎士もまた、主に似るのかもしれませんね?イニェーダ様」
昔を懐かしむように、私は呼吸が整いつつある、ベットに上で横になっているかつての主を見つめ、微笑んだ。
そして未だ納得がいっていない、といった様子の自分の「騎士」を見つめ、彼女にもいつか、私の性格に似るのだろうか、と考えると笑みがいっそう濃くなるのを感じた。
「今はただ、彼が無事に戻ると信じましょう……」
そう、今はただ祈りを馳せていた。彼の騎士が無事に戻ることを、願わくばその手に竜晶石を握り、凱旋する事を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
僕は、ミルフィさんが部屋に入ってから、あの現場で起きた事を全て「見聞き」していた。
それはもちろん、己が目で、耳で感じたわけではなく、部屋内に居た精霊を利用した。
最初は「見る」だけで済ませようとしていたが、二回目の精霊の槍<エピルフィア>を放った影響だろうか、精霊の存在をより正確に把握できるようになり、さらに精霊の耳に響く「音」さえもわかるようになっていた。
結果、ミルフィさんが部屋に入り施術が始まってからというもの、あの二人の発言や行動は全て「理解」出来ていた。
最後に聞こえた、イダさんの状況まで事細かに。
だから、進路をひたすら北西へ。アスール村の城壁を飛び越え、未だ一度も踏み入れた事の無い暗闇の森へと、歩を進めた。
竜を屠り、大罪を背負ってでもイダさんの命のために。
当てなんていうものもちろん無い。まだ一度も訪れた事の無い、雪原都市アプリールへと至る道で、遭遇しなければ折り返しと、出会うまで永遠に繰り返せば良いと、この時は本気でそう思っていた。
体力面は魔力で補えるが故に、現実世界に居た頃に比べ跳ね上がっている。しかも、天敵足りうるクフィアーナの大樹が生い茂る、赤の森で無い以上、無くなれば補えば良い。
無論ただ、走っているのではなく、時折立ち止まり、周囲の気配を探り、異常が無いかを確認する。
木々が微かに軋む音は耳を凝らせば僕の耳でも拾えるが、「木の葉が舞う音」や「木の葉が地面に舞い落ちた音」、などはどう足掻いても聞き取れないのに、精霊の聴力はそれさえも拾い上げる事が出来た。
精霊の視力を得た時にも感動したが、聴力を得る事がここまで世界が変わるのか、と嬉しくもあり、徐々に新しい技能が身についていく自分自身の身体が怖くなったのは言うまでも無い。
それでも、一つ解っている事があった。
それは、「楽しい」だ。このグレインガルツに飛ばされてくる前の灰色の人生と見比べ、この世界に来てからは全てが新しい事の発見だった。
イダさん、フェリアさん、ニナさん達、エルフの存在。フィリッツさん、ラスティルさん、キーナさん達、ラヴィテイルの存在。ドゥーギーのミルフィさん、ドワーフのガルムさんの存在。
現実世界に居ては確実に出会えていなかったであろう、人たちとの出会い。
きっとこの世界にはまだまだ僕の知らない事が待ち受けているのだろう。その全てを楽しみたい、と思うのは至極当然のことなのだろう。
そして、僕が失って、二度と得る事が出来ないと思っていた、「家族」という甘美な響きの存在。
その存在のために、笑顔になれる。
その存在のために、何もしなくても訪れる朝が嬉しく思う。
その存在のために、笑顔になってほしいという願いが沸き立つ。
その存在のために、身を削いででも、守りたいという想いが生じる。
その存在のためだけに、明日も生きよう、と欲が生まれる。
あの灰色の現実世界でココまで想い行動にできた事なんて一度もない。
気づくと僕はいつのまにか、口の端があがり、笑顔になっていた。その顔は今から死地に赴く表情ではないのかもしれないが、うつむき不安になり挑むよりは遥かにマシに思え、森の中を飛翔し雪原都市アプリールを目指した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アルフィーナはアスール村へと至る街道の途中で、大樹に背を預け地に腰を下ろし休んでいた。あたりはすでに暗く、空には月と星々が輝き、森を微かに照らしていた。
見上げた先には青白い光を放つ、ひときわ輝く星がある。その星のすぐ近くに、一回り小さい赤黒く光る星があり、アルフィーナはその星へと手を飛ばし、握るような仕草をする。昔から旅をしている人が北を示す道しるべとして使っていた二つ並びの連星だった。
当然、星には手は届かず、ただ握りこぶしで星が隠れるだけだったが、アルフィーナは手を戻し、開いて何もない事を確認すると不思議と笑みをこぼし、ゆっくりと口を開いた。
「旅には慣れています。ですが、貴方が羨ましい」
アルフィーナは「貴方」と言い再び夜空を見上げ、を見つめる。
「貴方には何千年も寄り添ってくれる、人がいる。私にもいつか、そういう人が出来るのでしょうか……」
言いつつ、自分が可笑しい事を言った事に気づいたのか、アルフィーナは苦笑し、視線を正面へと戻すと、森の中を何かが横切ったのに気づき、微かに目で追った。
いくら休憩中とはいえ、周囲への警戒を怠っていたわけではない。それなのに、アルフィーナは目で捉えるまで「ソレ」の存在に気づけなかった。
「……ディアブロ、か?」
静かに腰を上げ、いつでも飛び出せるようにしゃがみ、左腰に吊っていた鞘に入っている剣を引き抜こうと手を添え、あたりの警戒を一層強めるが、ディアブロの気配はもちろん、大型の動物の気配も感じ取れない。
それなのにアルフィーナの目は何かを捉え、自然と戦闘態勢を整えてしまっていた。
「方角からして向かった先は……、雪原都市アプリール」
手を鞘から離し、ゆっくりと立ち上がってから、彼の街に誰か知り合いがいただろうか、と考えを巡らせるが、当然居る訳も無く、強いて言えば都長クィンスと、酒場で情報を教えてくれた粗野な男くらいだろう。
自らを取り巻く環境には誰も居ない事を再確認すると、ため息と同時につま先を雪原都市アプリールへと向ける、アルフィーナ。
「これといった恩義も無いのに、身体が動こうとしているのは何ででしょうかね……。自らの本懐なのであれば幸いなのですが……」
言いつつ、足に魔力を送り、飛び出す態勢を整え、苦笑するアルフィーナ。
そして再び空を見上げ、二つ並びの連星を見つめ、己の隣に誰もたっていない事を確認してから、大きく一歩を踏み出した。
最初の一歩で、街道から森へと入り、さっき「何か」が走り抜けた地点に立ち、周囲に何もない事を確認してから、雪原都市アプリールへと歩を進める。
歩、とはいうがアルフィーナの一歩は魔力を溜め飛んでいるにも等しい「歩」のため、一歩で五十メートル近く進んでおり、時折見つかる足跡はどう見ても人の物ではあったが、「ならばなぜ」とアルフィーナの思考をかき乱すだけだった。
人ならば、私が気取れないはずがない、と。
人ならば、私が追い付けないはずがない、と。
人ならば、私より魔力の運用がうまくない、と。
それゆえに、アルフィーナは一向に追いつけず、気配の片りんさえ捉えられず、差が開き続ける前を走る何者かを、完全にディアブロとして認識し眼を鋭くして、己の気配を闇へと溶かし、追跡し続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
誰かに追われている。
時折、後方から典型的な身体強化を行って飛距離を稼いでいる気配を感じる。
それが何者なのかわからないし、精霊の視点を借りて姿を確認しても、ボロのローブを纏っている華奢な人で、腰には純白に、青い装飾が施された鞘を吊っており、
最初は魔力運用の練度からして、フェリアさんを疑ったが違う。そこまで「追跡」に慣れていない人なのだと思う。
時折、足場を地面ではなく大樹の幹や、枝を足場にして進むと、差が開きまた後ろから追いついてくるという事が続いていた。
「このまま追尾されて、邪魔されたり、怪我されても困るな……」
立ち止まり、服に備え付けられているフードを上げ、かぶる。
以前、フェリアさんに言われ、「いつ何があって追われる立場になるかわからないから、顔を隠す手段を持っておけ」と言われイダさんが縫い付けてくれた物だったが、幻術魔法を覚えた今となっては不要な物かもしれないが、いつもフードを眼深くかぶるイダさんに近しい物があり、縫い付けてもらった時はとことん嬉しかった。
振り返り、特に罠を用意するつもりもなく、ただ、追ってきているローブを纏った人を待ち続けた。
約二分だろうか、時間が経ってから眼前二十メートルくらいの所に着地したボロローブを纏った人は、少し呼吸を粗くはしていたが、左腰に吊っている鞘へ右手を添え、いつでも抜剣できるような姿勢をとった。
お互いにフードを被り、顔は闇夜で詳細まで把握出来ていなかったが、フードの中から微かにのぞく銀髪は月の光で輝いていたのがわかった。
「……貴様、どっちだ?」
中性的な声だった。そっちこそどっちだ、と問いたい気分だったが、剣を抜きそうな人に問われ、疑問しか出てこず、
「どっち、……とは?」
と、素で返してしまった。
たったその一言が気に入らなかったのか、足に魔力をため、瞬時に突っ込み抜剣してみせた。
その剣は細く両刃ではあるものの細く、ビルクァスさんのような「戦闘用」には見えず、「芸術品」とさえとれた。その最もたる理由が鍔の装飾だ。
銀細工でなにか風がなびいている様な模様が施してあり、どこか目を奪われた。
そしてボロローブの人は、最初はこの世界で初めて見る物乞いの人かとも思ったが、当然そんなわけもなく、手荷物は白鞘の剣一本で特に荷物なども見当たらない。
ただ一つ気になるのは、剣もそうだが、袖や裾から微かに見える手甲や、足甲。丁寧に手入れされているのがわかり、鏡のように輝いているそれは、とてもボロローブには見合わず、正直盗品かとも思ってしまう。
そこで初めて、ボロローブの人は現状を把握できたのか、奥歯をかみしめ、ギリ……と何かがこすれる音が僕の耳に入る。
などと、余裕?観察をできたのには理由がある。
突っ込んできた瞬間、ビルクァスさん、かつてのバンディットウルフ同様、精霊を用いた拘束を行ったからだった。
とは言うが、この人の技量はビルクァスさん以上だった。踏み込みの際の魔力も淀みが無く、一瞬だった。剣の軌道は確実に首を捉え、ビルクァスさんのように、攻撃前に拘束する事が出来ず、回避を行ったつもりだったが、左頬を剣がかすめ傷が出来ていた。
よって、目の前でピタリと身動き一つできなくなっていたボロローブの人は剣を振りきった姿勢のまま、硬直していた。
「……貴様、何者だ……」
「それはコッチのセリフです。命を狙われる理由は……」
と、ここで何故かイダさん達の入浴シーンが脳内でフラッシュバックされる。
「……、す、少なくとも貴方に命を狙われる理由はないはずです!」
と全力で否定した。
そこで初めて、フードの下を確認すると恨みがましい表情で僕を見据える銀の瞳があり、一瞬息を飲むが、その瞳が何かを捉えた瞬間驚きの表情へと変わる。
その視線の先に何があるのかはわからなかったが、自らの剣で傷つけた頬でも見て驚いているのだろう。
「……待て、まさか」
「すみません、貴方が何の用で襲ってきたのかわかりませんが、所用がありますので、これにて失礼します」
「待ってくれ!話を……」
「その拘束は朝にでもなれば、解けるのでそのままで居てください。比較的安全な森であると聞いていたのですが、貴方のような男性も居るんですね。今後気を付けます」
まくしたてるように伝え、剣を振り切った姿勢のままの剣士を森に放置して竜の捜索を再開する。
気のせいでなければ、いや気のせいではなく、確実に後方から、
『話を聞けぇぇええぇえええ!クソ女がぁぁぁあぁ!』
と大声が響いた気がするが、今だけは気のせいにしておこう。
ていうか、僕は男です。中性的なの気にしているのですよ?これでも。
走り出して、傷口を撫ぜると、フードの左側が裂けている事に気づき、そこから見える魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスが風の抵抗を受け、揺れるたびに何故か急かされている、とそう感じ取ってしまい、より早く目標を探そうと心に決めた。




