起章:第二十四幕:命の天秤
起章:第二十四幕:命の天秤
当然だろう。
ミルフィの反応は至極最もだ。だからと言って、今更隠した所で意味が無い。私は怖くなり、ただ目をつむる事しか出来なかった。
目の前に居るであろうミルフィの表情は恐怖で固まっているのだろうか、ベットに横たわるイニェーダ様を、私を見つめて。
数時間前にこの部屋に窓から侵入した騎士は、紋を見せても、動じず、それどころか「だから何?」といった風だった。
その反応は「私たち」からして言えば、「異常」。剣を抜かれ、槍を構えられ、矢を番えられ、魔法を唱えられてもおかしくない「私たち」をあっさりと受け入れた。
「異世界人だから」。その一言を以前の部下は語った。「きっとこの世界を知らないから」とも。
それは、この世界に生きる「人間」としてはあまりにも「異常」すぎる。同時に、彼の騎士程「私たち」に優しい「人間」を知らない。
私はその話を聞いて、「その人が生きる道は、過酷な物になりますね……」と返したが、かつての部下は微笑み、何処か嬉しそうに小さくつぶやいた。
「でもそれは……、とても素晴らしい事だと思います」
かつての部下は、まるでわが子の成長を見守る母のように、優しい笑顔でそう呟いた。
私は目の前の灰色のドゥーギーに同じものを求めていたのかもしれない。それはなんと浅はかなのだろうか。
私は期待しすぎていたのかもしれない。私は後悔したくなかったのかもしれない。
気づくと私の頬には涙が伝っていた。
願い、期待、夢、希望、目の前のドゥーギーは私を「家族」として見てくれているのではないか。
そんな思いがあったが、ミルフィには恐らく届いていない。なぜなら、彼女の表情は怯えきったものになっているはずだから。
内心、諦めがついてしまうと、眼前の課題へと挑まなければならないと、意を決した。
今は私の命に代えても、助けなければならない命がある。少し不安だが、やるしかない。
涙を振り払い眼を開けようとする直前、両頬に、私が卑しい生き物であることを象徴する紋の上に小さな手のひらが、指が触れる。
恐る恐る眼を開けると、そこには両手を私の頬へ付け、何故か泣くのを必死にこらえているミルフィの姿があった。
震えながら紡がれるミルフィの言葉は、音にはならなかった。それでも唇の動きからわかる。
「――。知っていました」と。
「――。でも、怖くて聞けなかった。聞けばニナ様は居なくなるのではと思ってしまった」と。
「――。助けてもらった時、意識を失う直前ニナ様の頬に二つの太陽が輝いていた」と。
「――。名前が無いと言った時、ニナ様に「ミルフィール・トゥーヴェ」と名前を頂いた事を」と。
「――。「二つの太陽」と名付けられた私は、あの日から「ニナ様の一部」になったのだ思っていた」と。
「――。私はもう、あの日、あの時、あの場所で名前を賜ってから、ずっとニナ様を家族だと思いたかった」と。
言い終えると頬に触れていた手は落ち、ゆっくりと私の腕の中に入ってくる小さな「二つの太陽」。
背中に手を回してもいいのだろうか、と考えに至る前に、小さな手が私の背中へと周り、嗚咽が声になり始め私も強く抱きしめた。
彼女から感じられる温もりは太陽などでは無かったが、それでも私には十分、力になり得た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
雪原都市アプリール。その中心に位置するアリアーゼ城から出たアルフィーナは情報を求め、酒場に来ていた。
七大都市というだけあり、イリンナに母体がある国営の酒場や宿場などが準備されており、シグンを首に吊っているアルフィーナにとって、無償で使えるため重宝していた。
それでも、国営の酒場となると様々な地位や、職業、そして種族が集まる事となり、そうなってくると賑やかな酒場というのは、「問題事の宝庫」となり得た。
「てめぇ!もういっぺん言ってみやがれ!」
「何度でも言ってやる、薄汚いドゥーギーめ!その醜い姿を人さまの前にさらけ出すな!」
時折聞こえる怒声と、騒がしくも賑やかであるこの雰囲気がアルフィーナは嫌いでは無かった。
しかし、それはあくまでも雰囲気の話であって、いざ自分が渦中に投じられるとなると、話は別だった。
「おい、銀髪坊主。その腰に吊ってるもん、寄越せよ。金になりそうだ」
まれに立場をわきまえぬ輩に絡まれ、半殺しにして、警邏に問いただされるのは最早日常茶飯事だった。
そんな事態に巻き込まれても、銀旋騎士団の証でもある長剣を見せれば、全てが不問となる。
無論、相手を「殺していなければ」の話ではある。それゆえに銀旋の長剣には意味があり、市に出回るような事があれば高値で取引される。
「不愉快だ。失せろ。今は機嫌が悪い……」
事実なのだろう。アルフィーナの表情は暗く、瞳にも光が無く、どこか鬱蒼としていた。
「んだ、てめぇ!や――」
「やんのか、こら!」とでも続けたかったのだろう。古くはあるが、フルプレートの重装鎧を纏った大の男が、アルフィーナに食って掛かるが、結果は大の男の喉元に座したままのアルフィーナが剣を突き出し、動きを封じた結果に終わる。
「貴様が、犬並みでいい。知性の欠片を有しているのであれば、この剣の意味が解るか?」
「……銀の風、銀旋の装飾!?」
「話が早くて助かる。私もこの酒場の雰囲気が好きなんだ。悪いが一人で飲ませてくれ」
銀色に輝く剣を白と銀で彩られた鞘へと戻すアルフィーナ。男は喉元の剣から開放され、一気に力が抜けたようにその場に膝をつくと、ポカンと口をあけ、アルフィーナを見つめていた。
その様子を見た、アルフィーナは顎に手を当て何かを考える仕草をすると、少しして男に話しかける。
「お前、最近なにか変わった話を聞かないか?」
「お前」と呼ばれた事よりも、イリンナに住まう銀旋の騎士に会った事の方が衝撃が大きい様子で、茫然としていたがやがて話し出す。
「いや……、特には?強いて上げれば、雪原都市アプリールの領土を荒らして回る結晶竜の存在くらいだな、いや、だと思います」
急に敬語になった事にアルフィーナは微かに口の端を上げたが、気取られないように続ける。
「いつからだ。いつから結晶竜が徘徊するようになった」
「詳しい日付までは……。ただ……噂では、南東の森から閃光と轟音が鳴り響いた時にどこからともなくやってきた、と」
完全に無関係ではない。アルフィーナはそう感じていた。しかし、いっかいの騎士であり、しかも銀旋の人間が、竜に弓を引く訳にもいかず、話しかけるにしても竜種の言葉は意思の疎通に用いる言葉が魔法その物になっているため、非常に難解となる。
「ほかにはなにか知っているか?」
「いや……、あ、いや、一つ。同じくここから南東に位置するアスール村っていう小さい集落がある。いけ好かねぇ獣人ども集落ではあるが、人もそこそこいる。その村に、最近「騎士」が現れたらしい……です」
アルフィーナは思考を巡らすが、最近イリンナから雪原都市アプリール付近に派遣された騎士の話は聞いていない。となれば、雪原都市アプリールの雪狼騎士団か、深海都市ティルノ・クルンの水魔の近衛の連中だろう、と。
「噂ではそいつ、左耳に魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスをしている、「エルフの騎士」らしい……です」
「エルフ……。ここらでのエルフと言えば、フェスタの者か?」
「いや、そこまではわから……りません……。ただ、リンファでは無いでしょう。アイツらは目立つからすぐにわかるはずだ……」
「……。貴重な情報を聞けた。――、これはその礼だ。受け取ってくれ」
アルフィーナは椅子から立ち上がり、男へと結晶貨を一枚投げて渡す。受け取った男も額が額なだけに驚きの顔を隠さなかったが、渡したアルフィーナ自身は理由がわからず、首を傾げていた。
グレインガルツに置いて、貨幣は一種類のみの流通となっているが、錫貨、銅貨、銀貨、金貨、霊銀貨、霊金貨、結晶貨と分類されている。
錫貨一枚で1ガルド。銅貨一枚で10ガルド。銀貨一枚で100ガルド。金貨一枚で1000ガルド。霊銀貨一枚で5000ガルド。霊金貨一枚で10000ガルド。結晶貨一枚で50000ガルド。
結晶貨一枚あれば、慎ましく生活すれば三か月はもつほどの金額で、男としてはただ雑談しただけなのに、三か月先までの安泰が買えたわけだ。
ただアルフィーナは、あまり金銭の感覚がなく、基本的な出費も光城イリンナ(国)負担となると、持ち歩くのは身分証明ともなる首からつっているシグンのみで十分で、財布を持ち歩く習慣がない。
たまたま、適当に鞄に突っ込んでいた革袋を取り出し、最初に出た貨幣の一枚を渡したにすぎず、それが如何な額で、市井の民にとって、どれほどの価値があるのかわかっていなかった。
アルフィーナは貨幣を握りしめて、未だ呆けているフルプレートの男を残し、酒場を出ると、一つ気になる事があり、自らのローブの首元を指で引っ張り、己の胸を確認する。
そこには確かに、わずかに、ほんの微かに膨らんでいる物があり、アルフィーナは首を傾げた。
「私は男に見るのか……?」
ため息と同時に首元を閉じ、歩きだすアルフィーナ。その足の向かう方向は南東の城門。
夕日が落ち、夜の闇へとなっている、森へ歩を進め、アスール村へと進路を取っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ニナ様の両手に抱かれて落着きを取り戻せた私は、ニナ様の指示通りに施術の手伝いを行っていた。
ベットに横たわるイニェーダさんの右腹部に突き刺さっている短剣の柄を覆える大きさで風を操作して、買ってきた素材の薬効成分のみを循環させる。
ニナ様曰く、疾患部に塗布することで痛み止めになるらしく、麻酔効果になるらしい。
時折、イニェーダさんは苦しそうに眉を顰め、短い声を上げていたが、意識が戻る事は無かった。
ニナ様は私が生成した風の中に両手を入れ、短剣の柄の左右を両手で囲い、柄の先端に深紅の魔法陣を展開していた。
そして、ニナ様の顔が小さく頷くと少しずつ、深紅の陣が柄に近づいて良き、徐々に溶けはじめ黒い霧となり風の中を循環していた。
「ミルフィ。難しいでしょうが、この黒い霧だけは外に出してください。極力、中に入れないように。麻酔効果が薄れます」
言われた言葉に返事を返す余裕が無いほどの繊細な作業を要求される。そして、言われた通り黒い霧の周りだけの気流を外へと流し、少しずつ循環しないように出していく。
「上手です。さすが、ミルフィです」
「……ニナ様から教わった事は何一つ……疎かにはしません」
気流を操作しつつ、ニナ様に言うと、嬉しそうに微笑んでくれる。
やがて、柄のほとんどが消え、残るは刀身だけとなった時、深紅の陣を止め、ニナ様が口を開く。
「もし、……もし施術に失敗したら、私は私を許せません……。私は臆病なんです……それゆえにミルフィ、私は貴方に打ち明けられていない事が多くあります。それでも貴女は私を信じられますか?」
「はい」
私は間髪を入れず、思っている事を素直に口に出した。
「ニナ様がこれまでこのアスール村でしてきた事全てを私は特等席で見ていました。……その全てが、ニナ様を物語っています。時には失敗すると所もありましたが、ニナ様は「負けませんでした」。皆から「頑張れ」と声援を受ける中で、私だけは「負けないで」と声援をしました」
言いながら、私はニナ様を見つめ、微笑む。
「頑張っている人に「頑張れ」とは言えません。ニナ様の影での努力は全て知っています。本音を言えば、どうかご自愛頂きたいのですが、ニナ様は「負けない」と知っていますから。だから、今目の前で消え逝こうとしている命を前に、ニナ様は失敗するかもしれない、と御思いかもしれません。ですが私だけは確信しています。「負けない」と、絶対にこの方を助けられる方だ、と」
伝え、自分の目の前の作業に集中すると、ニナ様は私が維持していた風の中から手を出し、近くのチェストから一つの小箱を取り出した。
そこまで見て、何か施術に必要な道具なのだろう、と思い視線を目の前の傷に向けたが、ニナ様の手は何か金属音を奏でる物を持ち、私の右耳にいつも触れるいやらしい手つきではなく、一瞬だけ触れすぐに離す。
何が付いたのかわからなかったが、右耳が少し重くなったように感じる。気のせいなのかもしれないが、ピアスでもつけられたのだろうか。
「とてもよく似合います。まるで兄妹みたいですね」
そう口にしたニナ様は再度私の隣へと腰かけ、風の中に手を入れる。
その表情はいつも以上に真剣そのもので、両頬の太陽は爛々と輝いていた。
「一瞬で溶かします。出血するでしょうが、焼いて塞ぎます。ミルフィは今維持している気流を私が「今」と伝えたら、傷口に絞り込んでください」
「……わかりました」
ニナ様の瞳を、顔を見るといつも以上に真剣なものだった。
やがて赤い陣は消え、少しずつ腹部に刺さっている刀身が溶けはじめ、黒い霧になる。
「んっ……!」
柄を溶かしていた時とは違い、直に皮膚に触れている部分を溶かしはじめたせいだろう、イニェーダさんは苦しそうに声を漏らし、顔をゆがめた。
「すみません……イニェーダ様。すぐに終わらせます……」
口ではそういうが、より繊細な作業を要求されているのだろう、柄を溶かしていた時と比べ物にならない程の魔力の密度を肌で感じ取れた。
刀身は傷口から見えなくなり、徐々に奥を溶かし始めたのだろう、赤黒い血が少しずつ溢れだし、シーツを汚し、イニェーダさんは意識が無い中でも何かに耐えるようにシーツを強く握っていた。
ニナ様は集中したいのか、その瞳を閉じ、額には汗を浮かべ、ただひたすらに傷口近くに手を添えていた。
やがてニナ様がゆっくりと眼を開けると、傷口から黒い霧が出なくなり、ニナ様がゆっくりと口を開く。
「今です。ミルフィお願いします」
軽く頷き、傷口から内部へ、維持していた気流を流しこむと、ニナ様が傷口に右手の指で触れ、イニェーダさんを見つめる。
「お許しください。主の肌に傷を残すことを……」
聞こえていないであろうイニェーダさんにそう伝え、指の先に炎の魔法を展開し、焼く。
嗅ぎたくは無かったし意図して息を止めていたのだが、その臭いは私がニナ様に助けられた時に辺りに充満していた臭いと同じものだった。
私の表情に気づいたのか、ニナ様は傷口から指を離し、手早くガーゼと包帯を当て、上から氷結魔法を展開し、傷口を冷やし始める。
「ミルフィ。お疲れさまでした。貴女が居てよかった」
足に力が入らず、立ち上がる事は出来なかったが、口だけは動いたため、確認したい事があった。
「……もうイニェーダさんは大丈夫なのですか?」
「――はい」
そう言うニナ様の表情はなにかを隠したいという思いがあるように感じて、ただ黙って見つめていた。
「……いけませんね。貴女にはもう嘘はつきたくない、という思いが勝っています」
イニェーダさんを見つめつつ言うニナ様の言葉に、私は「やっぱり……」というのが最初に出てきた。
「このままでは危険です。ここに高純度の魔晶石……、竜から取れる竜晶石があれば確実に助かりますが……こればかりはどうしても……」
「竜……ですか……」
まず手に入らない。例え居たとしても、手を出せない。彼の生物は「神族の眷属」にあたり、命を奪う事自体が大罪を意味する。
「雪原都市アプリールに最近、結晶竜が現れ森や、家畜を荒らしているという噂は聞いた事がありますが……。危険すぎます……自らの命を秤に乗せ、誰かの命をつり上げようとするようなものです……」
「……このことは、ミコトさんには……?」
「無論言えません。ミルフィ、貴女もミコト様には内密にお願いします……。面会はさせてあげましょう……最後になり得ないのですから……」
「……わかりました……。ではミコトさんをお部屋に案内してきます……」
私は上手く笑えるのか自信が無かった……。「無事、成功しましたよ!」とたった一言伝えるだけだ、と思っていたのに、その扉の取っ手がいつもの数十倍にも重く感じられた。
それでも伝えねばならない。まるで医者になり、余命幾日かを伝える気分だったが、私以外に騎士を部屋へと招き入れる人が居なかった。
意を決し、扉を開け、壁に背を預け立っているであろう騎士へ、自身の無い笑顔を向けた。
しかし、そこには開け放たれた窓があるだけで、騎士の姿はどこにも無かった。その代わりに、その窓には映し出されたのは、灰色のドゥーギーの「騎士」だった。




