起章:第二十三幕:紋<ウィスパ>
起章:第二十三幕:紋<ウィスパ>
「いったいなんだというでしょうか、あの化け物は……」
白の森の南西、深海都市ティルノ・クルンへと至る道を「黒い霧」駆け抜け、時折悪態をついていた。
「「人」の皮を被った紛い物……。なんであんなモノが存在できる……」
霧は時折立ち止まり、後方からの追撃を警戒しているのか、時折後方を伺うように立つことがある。
「甘いですね……。私なら、確実に仕留めに追いますが……。それほどにあの「ゴミ」にご執心なのでしょうか……、同じような玩具を準備すれば我々と共に来てくれますかね……?」
黒い霧は徐々にその霧の濃度が増しているのか、少しずつ大きく、より黒くなっていく。
「身体もじき戻る、か……。ならばどうしましょうか。彼のゴミを仕留めに行くか、このままイアネス様へ情報を持ち帰るか……」
黒い霧は来た道を振り返えるが、南東から一つの気配に気づき、慌てたように「人」の、さっきまで戦っていた「ミコト」の姿になる。
欠損していた右上半身は見事に再生しており、どこからみても「ミコト」その者になっていた。
「行商人……でしょうか?積み荷は……晶石。都合が良いですね、あれを襲って、補てん出来た後は来た道を戻ってゴミを仕留めましょう」
「ミコト」が右手を振るうと、身に着けていた衣類は汚れ、アルトドルフは壊れ、胸部のプレートアーマーは欠けた。頬には鋭利な切り傷まででき、端からは一筋の血が流れ出す。
「こんなものでしょうか……。あとは……」
口にすると「ミコト」はその場に倒れ伏し、荷馬車が近づくのをただ「待った」。
やがて、荷馬車が「ミコト」の前で止まると、一人が御者台から降り、倒れ伏していた「ミコト」に近づいた。
そこで「ミコト」は商人に見えないように、小さく、そして卑しく微笑んで、腹の下に隠した左手に漆黒の剣、魔封じの刃<スペルベイン>を生成する。
「……大丈夫ですか?」
そう商人に話しかけられ、「ミコト」の前でしゃがむのを確認し、勝ちを確信したのか、笑みを隠せず卑しく微笑んでしまう。
そして、身体を起こし、左手に持った魔封じの刃<スペルベイン>を目の前の、短い金髪の美女に突き刺そうとした瞬間、「ミコト」が爆ぜ消えた。
そこには金髪の美女の右拳が存在し、返り血に塗れていた。表情は怒りに満ち、どこかいらだっているようにも見えた。
「……お前、イダの臭いがする。何をしたか知らないが、とりあえず死んどけ。ミコトに扮していた分、殴りやすかったし、殴ってスカッとした。その点だけは感謝しよう」
そして誰も居なくなったのを確認すると、その美女の頬には深緑色の紋が浮かび上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
イダさんを抱き上げ、他に頼る人が思い浮かばず、進む方向はただ一つ。イダさんの事を口外しないと約束していた以上、「イダさんを知らない医者」の所へは連れていけない。
であれば、向かう先はたった一つ。ニナ・ルナディア氏の元へ、アスール村へと進路を取っていた。
あと数回分の飛翔で、アスール村の城壁へとたどり着くと解った時、急に城壁付近から「威圧」を受けた。
その力量から、てっきりフェリアさんかとも思ったが、城壁の前に立っていたのはビルクァスさんだった。
お互いに視認できた時にはすぐに解いてくれたが、普段はアレを隠していたのか、と正直驚いた。
アスール村の南門前、その前に堂々と立っていたビルクァスさんはさっきまで店で一緒に居たビルクァスさんとはどこか別人のように感じた。
「ミコト君か、今度は半年先の再会でなくて良かった、と言うべきなのだろうが……」
ビルクァスさんは、僕が抱きかかえているイダさんを見つめると、苦笑して門に手をかけ開けてくれた。
「ニナ様が待っている。邸宅へ急ぎたまえ。それと、これは私からの助言だ……、誰にも見られない事をオススメする」
そう伝え、微かに僕が頷いたのを確認すると、笑みを濃くし、森の方へと向き直り、ゆっくりと閉ざされていく門に背を向け立っていた。
その背中には、赤い鞘に納められた一振りの大剣が背負わされていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一つ、いや二つの気配が門を越え、私の結界に入ったのがわかった。
一つは数十分とはいえ、この部屋で一緒に過ごした、騎士。
そしてもう一つは、消え入りそうな程小さい。むしろ消えていてもおかしくない程小さい。
それでも、約百年前に城を飛び出した時に顔を見たのが最後ではあったが……。無事……、ではないのは明らかだ。
「イニェーダ様……」
声に出た。
愛しい人を呼ぶように、親しい人を呼ぶように、友を呼ぶように。かつての主の名前が口から意図せず飛び出した。
その小さな声に応じるように、街の屋根屋根を伝い、一人の騎士に抱かれた、一人の「姫」を私は捉えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
屋敷へと屋根伝いに進むと、窓からニナさんが街を見ていたのが目に入った。
向こうも僕に気づいていたのだろう、窓から手を振り所在を伝えてくれている。
屋敷の門を飛び越え、ニナさんの部屋へ窓から飛び込むと、両手に抱えていたイダをすぐにベットへと仰向けに降ろした。
「ニナさん……」
ニナさんは頷くとイダさんの右側へと歩み寄り、腹部に突き立てられたままの短剣を指で触れようとして、弾かれ、まるで短剣が刺さっているのは自分であるかのように、苦痛の表情を作る。
「魔封じの刃<スペルベイン>が刺さっていますね……。……ミコト様……大変申し上げにくいですが……」
「……イダさんはこんな所で死にません……」
僕の発言に一瞬驚いたように、眼を開き、すぐに微笑むと、
「解っています。私が言いたかったのは、その……ローブを割いて傷口を、腹部を出すので……部屋の外に居てくれないか、と言いたいわけで……」
チラチラとイダさんと僕を交互に見つめながらおずおずと言った言葉に、
「もちろん、見ていたい、というのであれば」
「いえ、イダさんをお願いします……」
悪乗りする気分でもなく、ニナさんもかなり切羽詰まっているのだろう。表情を見れば少し焦りの様な物が見て取れる。
邪魔をしたくなかったし、何より時間が惜しい。無言で、部屋の戸に手をかけ、退出しようとすると、
「ミコト様?貴方は、最善を尽くされました。貴方の力は確かにイニェーダ様を守って見せた。私は貴方を尊敬します。だから――」
ゆっくりと後ろ手に閉める扉に、ニナさんの声は続く。
「だから――、そのような怖い顔をなさらないでください。目を覚ました時、イニェーダ様が悲しみますよ?」
最後に見たニナさんは、既に施術を始めていたのだろう、ベットを中心に薄紫色の球体の様な物を展開し、その中でイダさんの衣類に手をかけていた。
部屋を出て、廊下の窓に映っている顔は、およそ自分のものとは思えず、慌てて表情を崩した。
窓の傍に背を預け、今しがた自分が出てきた戸に向き直り、中の物音に耳を傾けようとして、階段を昇ってくる足音に気づき、振り向くと、兎のしっぽ亭で別れたままの服を着て、両手で胸に紙袋を抱え、肩で息をしているミルフィさんが居た。
「……さっき、……ミコトさんが屋敷へ飛んでいったのが見えて、……急いで帰って来ました……ニナ、様は?」
そう辛そうに言い、顎で部屋を示す。
すると、中から物音さえ聞こえなかったのに、たった一言、
『ミルフィ。買ってきたものを持って入って、手伝ってください』
言われた事に、微かにミルフィさんの耳が動き、部屋の前に立つと、肩越しに僕を一度見た後、何かを言おうとしたが、頭を数度振ってから部屋の中へと入って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
何か違和感を感じた……。
昼間に合った人と同じ人とは思えない、何かはわからないが、ただ違和感を感じた。
壁に背を預け立っていた人、ミコトさんは何か思い悩んでいる様な、暗く、そして冷たい顔をしていた。
そんな時、なんと声をかければいいのか、なんと励ませばいいのか、悩んだ挙句結局、口を開いただけで、何も伝えられずニナ様のお部屋に入った。
部屋に入ると、空気が少し生暖かく、ベットを中心に加護結界がはられていた。そして恐らく部屋内の音が漏れないようにするためだろう、逆に部屋に入ってから外の音が拾えなくなっていた。
ベットの上には見たことも長い黒髪のエルフが横たわり、衣類の腹部が破れ、右腹部に短剣が刺さっており、かなりの出血をしていて、ニナ様のベットのシーツを紅く染め上げていた。
血の臭いがあまり得意ではない私には正直すぐにでも退室したい思いがあったのだが、何故かその場に脚が根を張ったように動けなくなっていた。
ニナ様は部屋に入室した私には目もくれず、ただ横たわっているエルフの右腹部に右手を掲げ、見たことも無い赤い陣を描いていた。
「ミルフィ。荷物私の傍においてください。それと、貴女の力が必要です。その前に……」
ニナ様は、右手はそのまま短剣に近づけて、左手で横たわっているエルフの額に触れると、優しく声をかけた。
「イニェーダ様、声は聞こえますか?」
「イニェーダ」と呼ばれた横たわっていたエルフは、ゆっくりと瞼が開き、辺りを確認すると、ニナ様へと視線を向け、弱々しく微笑んだ。
「ニィナフェルト……。元気そうで良かった……」
「はい。イニェーダ様のおかげ、なんとか生き永らえています。……イニェーダ様、今の状況がわかりますか?」
「ニィナフェルト」。ベットで横たわっているエルフはあろうことか、魔大戦で活躍し多くの魔族を屠った大英雄、炎神ニィナフェルトの名を口に出していた。
そして、右手で弱々しく、腹部に刺さっている短剣の柄に触れようとして、何らかの魔力干渉を受け、弾かれた。
「……やっぱり、夢じゃなかった……」
「はい。夢ではありません。……引き抜けない以上、「溶かし」取り除きます……。……その際、イニェーダ様に傷を残してしまいます。そのお許しを頂きたいのです……」
「……相変わらず、堅いなぁ……。黙ってやってくれて良かったのに、……そっちの子は?」
イニェーダさんは私を見つめると、弱々しく微笑んでくれる。
そこで、ニナ様は初めて私を見つめ、すぐイニェーダさんへと向き直す。
「……、私の大切な「家族」です。……勇気が持てず、まだ打ち明けられてない事もありますが……」
今、なんて言われたのだろうか。きっと気のせいなのだろうが、「家族」と言われた気がする。
私の父母は魔大戦へ兵として駆り出され、帰っては来なかった。それ以来、「卑しい獣人」としてドブ掃除や、家畜小屋の掃除番、焼き場係を転々として過ごした。
そんな汚い私に今、「家族」と言ってくれたのだろうか……。
「……へぇ、あのニナも……、怖い事ってあるんだね……」
「はい……。ですが、それも今日で終えようと思ってます。イニェーダ様を治療するのに、少しでも繊細な魔力操作をしたいので……幻術の維持は出来ませんから」
「……、そう。じゃあ私が最初にきっかけをあげる……」
「イニェーダ様!それは……!」
ベットに横たわっているエルフは、私に目を合わせ、一度小さく頷くと、目を閉じた。
そして、両頬に現れたのは、群青色の鳳仙花の種ににた形をした、紋だった。
「ニナ様!離れてください!」
それを見た瞬間、私は力強く叫び、根を張っていた足が自由になり、ニナ様へと近寄った。
するとニナ様は私を制すように、短剣に添えていた手を離し私に向けた。
当のベットに横たわっている「エルフ」は、限界なのだろう、目を閉じたきり、短く浅い呼吸を繰り返すだけで、二度と開く事はなかった。
「……ミルフィ。この方が、ミコト様の仕えている主であり、昔の私の主です。……怖いですか?」
「怖い、というよりも危険です!早く――」
「離れてください」と、続けるつもりだったが、続けられなかった。
困ったように苦笑する、ニナ様の顔に、頬に、赤く爛々と輝く太陽の様な紋が刻まれていたからだ。




