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承章:第四十五幕:いつもの朝

承章:第四十五幕:いつもの朝


 その日の朝はいつもと同じ朝でした。

 ベッドの中で目を覚まし、まだ半分しか開いていない眼をこすりながら、体を起こして窓に手をかけ開け放つ。

 空気から感じるのは潮の香と、窓の外に咲く花の香。耳から得られる情報には、風の音と小鳥の囀り。市場から聞こえる人の声。

 清々しい空気を二度、三度吸うと自然と重かった瞼も開き、眼下に広がる城下町を見つめる。城下町は私が居る城を中心に円形状に広がり、さらに奥には波穏やかな海が広がる。

 

 そして僅かに空気が軋んでいるような不快な音。


 ここ最近ずっとこの調子。

 私以外には聞こえもしない不快な音。ここ数日、医者にも診て頂いたのに、帰ってきた答えは「原因不明」。

 この音を耳にして、何故か心がざわついてしまうのに、その不安を誰とも共有ができない。

 

 些細な事なのかもしれない。あるいは大ごとなのかもしれない。ただの耳鳴りだろう、とバカにされて終わるだけかもしれない。


 私の悪い癖なのでしょうが、うじうじと悩み行動に遅れ、気づいた時にはいつも取り返しがつかない後悔ばかり。

 

 寝起きなのに思考が悪い方へと傾こうとしていた時、部屋の入口から響くノックの音で我に返ります。


「クリスティア様、起きておられますか?」

「起きています。入ってください、アガレス様」

「失礼します」


 わざわざノックをして下さっても、「内鍵」は無く、通路側からの「外鍵」しか付いていない部屋なのです。

 まるで「内にいる者を外に出さないようにする」かの様な。


 入ってきたのは二十代後半、赤錆色の髪を短くまとめ、目鼻立ちもしっかりしている美丈夫。身に纏うのは魔術師が好んで纏うローブで、群青色をしている。

 街に住まう女性はみな彼を見るだけで息を飲み、我に返った者から声をかける、とそんな噂を給仕の者から聞いた覚えがあるが、私に言わせれば、「少し怖い」。

 

 私を見つめる瞳は紅く、切れ長の目には何の感情も籠っていない。そんな気さえします。

 

「クリスティア様、お薬の時間となりましたので、お持ちしました。……それと、従者である私に様付けは不要である、と何度も申しているはずですが?」

「す、すみません……。その、まだ「慣れなくて」……」

「他の者の目もあるのですよ?従者に敬語を使う主など、仕える者として恥ずべき事です。重ねて、簡単に謝るのも止めていただきたい」


 見知った顔の中でも、最も整っている殿方が怒気を隠そうとされずに、表情に出ると、「少し怖い」では済まなくなります。


「すみません……。あ、いや――」

「ハァ……。薬はここに置いておきますので、しっかりとお飲みくださいませ。何か不調がございましたら、何時ものように備え付けのベルを鳴らしてください」


 「アガレス」が持って入ったのはトレイと、それに乗ったコップに、「二つ」の薬袋。


「また――、量が増えたのですか?」

「はい。最近はあまりお休みにも成られていない様子。女給の者から伺っています。この「薬」には睡眠作用もありますので、量を増やさせていただきました」

「――、で、でも……」

「お飲みください」


 きつく「アガレス様」に言われ、思わず私の身体が一回り小さくなったのではないかと、錯覚するほど震えてしまう。

 

 ――、怖い。でも、臆病で弱い私には、ただ指示に従うしか出来ない……。

 今日こそはと、言い返したい事があっても、喉から出ることはない、「いつものように」自身の左手首を強く握り、我慢する。


「――、点滴の量を増やすこともできるのですよ?」

「そ、それは止めてください!」


 言われた事に、思わず言葉が強くなり、とっさの事で握っていた左腕の袖口がはだけ、肌が見える。

 そこには普通の「人」よりも、白い肌に、今日の空の色を映したかのような瘡蓋が――いや、鱗が見え、「アガレス様」は「それ」が視界に入ると、眉間に深くしわが寄り、聞こえるほど大きな舌打ちをすると、足早に部屋から出て行く。

 ドアが閉まる瞬間、紅い瞳でギロリと睨まれ、部屋が震えるかと思うほど強くドアを閉められる。

 そしてドアの向こう側からは乱雑に錠前をいじっているのかのような、金属音が響きながら、


「――、失礼しました。少し気分が悪くなったもので。――薬はしっかりお飲みください。……あぁ、それと、明日新しい女給が入る事となっています。あまり甘える事の無いようにお願いいたします」


 言い終えるともう用はないと言わんばかりに、足早にドアの前からいなくなる。

 人の気配がしなくなってから、私は髪をまとめている被り物を外す。

 腰まである長い髪は、袖口から見える鱗と同じ色で、左右の耳の上から、後頭部にかけては一対の角が生えている。角を撫ぜると、微かに砂浜に押し寄せるさざ波と似た音色が耳に入り、少しだけ落ち着く。


 ――本当に、いつもと同じ朝でした。鱗は消えず、角は生えたまま。今日も私は「人」に成れなかった。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 深海都市ティルノ・クルン。

 円燐大陸ブリフォーゲルにおける、最東部の七大都市の一つ。

 「深海」とついていることから、まだ見ぬ者へは深海に広がる都市を想像するらしいが、実際は海上に広がる都市となっている。

 イダさんから受けた知識によると、長い歴史の中では「深海に移動」する事もあったらしく、この名はその時の名残らしい。

 その「移動」というのが、海上にあった都市そのものを魔術障壁で覆い、浮力を失わせてから沈ませるだけだが、その機会の多くは「外敵からの侵攻阻止」が含まれていたらしく、かつての大戦でも使用されたらしい。

 海上にある時は、陸地から船で行き来が可能で、その都市の特性上から漁業などの水産や、内海へとつながる運河を通り、各都市へと船を出し物流を支え、多くの知識も入り、最も「魔術」が栄えている都市として学術都市としての側面もある。 

 都市中央にはアプリールにあるアリアーゼ城のように、大きな城・ティルフィリス城が聳え立つが、都市そのものが海上にある事を除けば、大氷石の上にあったアリアーゼ城の方が貫禄があったように見える。

 

「楽しみですか?ミコト様」


 あまり揺れを感じない大きな木造船に乗り、着実に近づいているティルノ・クルンを見つめていると、視界のすみに最早見慣れた漆黒のヴェールと黄灰色の髪が揺れ、一人の女性が現れる。


 ディーネ・フォーミュラー。イダに会うためにフェリアーニから旅を続け、今では僕の所有物に……。いや、もう一つ「命」になった人。

 身長は同じくらいだが、その年齢はエルフ族のリンファ種であるために、外見……といっても、顔は見えないが。外見では年齢が解らない。

 リンファ種女性のしきたりで、素顔を見せるのは婚姻後であり、最初に見せる男性は夫になる者らしい。そのせいか、冗談を交えてではあるが、アスール村からここまで旅をする道中で何度も「見ますか?」と自らヴェールの端を持ちあげたりもしてきた。


「馬車とはまた違う揺れだな。気持ち悪くはないが、やはり自らの足が地面を捉えていないのは不安だな」


 そう言い、ディーネの後を追って話しかけてきたのは、潮風が特徴的な銀髪をなびかせ、周囲の男性だけでなく、女性さえも振り返るほどの美貌を持つ女性。


 アルフィーナ・バルディール。元は銀旋騎士団という光城都市イリンナに本拠地を置く、対魔族、魔物の専門集団の長であり、剣姫、聖女等たくさんの異名を持っている旅の同道者の一人。

 彼女との最初の出会いは森の中で、イダさんを助けるために結晶竜を殺める前だった。アプリールで再開をして、決闘に巻き込まれ、イダさんを失ったけど、悪いのは彼女ではないし、罰せられる者共は自らの手で「送った」。

 その後、僕にかかった罪を帳消しにする代わりに、旅への同道を求めてきたが、これを辞退しようとして、先のディーネの呪にはまり、ディーネを殺めてまで、自らが「死にたい」と思えず、アルフィーナの旅に同道することを決めた。

 魔族<アンプラ>に対しては思う事があったために、両者で壁が生じていたが、アスール村で過ごすうちにそれも也を潜めたように見える。


「楽しみ、というのは、まぁ少しあるかな」

「旅は良いものですよ。新しい街に、新しい出会い。その時その時で、空気や匂いも違い、すべてが新鮮に感じるはずです。ミコト様もこれから多くの事を感じていくと思います」

「まぁ私もティルノ・クルンは初めてだからな。文献や、伝聞でしか知らない分、新鮮ではあるな」

「そうなのですか?てっきりアルフィーナ様「は」ティルノ・クルンへ訪れているものと思っていたのですが……」


 アルフィーナの言葉に、ディーネがさも「意外だ」と言わんばかりに返事をすると、アルフィーナはただ困ったように頬をかくと、


「ディーネ、お前なら私たち銀旋にとってティルノ・クルンがどういう土地なのか解るだろう?」

「……えぇ、まぁ――。ただ、それであっても、アルフィーナ様「は」ティルノ・クルンに訪れていると思ったのですが……」

「何度か足を運ぶようにと通達も受けた事があったが、例外として金華騎士団の者を向かわせていたな。私が直接関与した事ではないとはいえ、やはりまだ根深いからな……」

「だからこそ、「最初」に選びたかった、というのは理解できますよ」


 二人の話についていけず、一人会話を理解しようとしていると、ディーネが補足をしてくれる。


「かつての大戦初期、真っ先に魔族、魔物<ディアブロ>の被害を受けたのはここ、ティルノ・クルンなのです。ですが、その兆候を察していた当時の銀旋騎士団の面々で防衛戦を行っていたのです」

「……?それだけなら、何が根深いっていうんだ?」


 解らずさらに説明を促すと、返事はアルフィーナからだった。


「――逃げたんだよ。あまりの猛攻に耐え切れず、イリンナへと逃げ帰った。――街に住まう全ての者を見捨てて、な」

「……それは……」


 次の言葉が見つからず、口を閉ざす事しかできなかった。

 アルフィーナが直接関与していた事ではないにしろ、彼女たちにとってはあまり足を運びたくない都市であるわけか。


「ココでは銀旋は何の効力も発揮しないどころか、むしろ逆だ。幸いにして銀旋の剣はすでに折れて手元にないわけだが……」


 アルフィーナの視線が周囲を軽く見つめると、微かに周りの人間から声が聞こえる。

 そのいずれも「歓迎すべきもの」ではないのは、その人の目を見るだけで理解できてしまう。


「私は悪目立ちしているからな。この髪と容姿のせいで、「銀旋の長ここにあり」と宣伝しながら歩いてるようなものだ。……まぁ、なんとかなるだろうさ」


 困ったように肩をすくめ、迫りくる海上都市へ目を向けるアルフィーナ。

 それを追うようにして同じように見つめると、徐々に近づく都市に、新たな出会いが待っていると思うと、旅に出て良かったとさえ、思えた。

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