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第八話 夢の蝦夷共和国

薩長新政府軍艦隊は甲鉄、春日、丁卯、陽春の軍艦四隻。戊辰丸、晨風丸、飛竜丸、豊安丸の軍用船四隻で兵数は箱館政権のおよそ三倍である。哨戒部隊より新政府軍の陣容を知らせる報告が入り、急ぎ軍議を開く閣僚たち。


「問題はどこで明治政府軍を迎え撃つか」

箱館周辺の地形図を指す中島三郎助。

「上陸は阻止したい。何とか海上で迎撃して蹴散らせぬものか」

地形図の鷲ノ木沖に将棋の駒を置く大鳥圭介。

「船が足らない。逆にやられるぞ」

と、荒井郁之助。続けて言った。

「近代戦は数が勝負を左右する。もう少し船があれば陽動作戦も取ることも出来るが…」

「ないものねだりをしている場合ではない。現有戦力で迎え撃つしかない」

土方歳三が言った。静まった軍議。榎本が切り出した。


「ないものなら、敵から奪えばいい」

「「……?」」

「甲鉄を奪う」」

あぜんとする閣僚たち。

「なんとしても甲鉄が欲しい。あれさえあれば今後の政府との交渉でも有利に運べる」

「しかし…そんなことができるわけがなかろう。無人の船じゃあるまいに」

永井尚志が言った。それに対して榎本は

「どこの国でもいい。第三国の旗を掲げ、甲鉄に接舷する時に日章旗を立てる。ヨーロッパではこの作戦を『アボルダージュ』と呼んでおり万国公法で認められている戦法だ」

「「アボルダージュ…」」

静まり返る閣僚たち。

「賭けだな。しかし、やってみる価値はある」

中島三郎助が言った。

「だが確かに甲鉄が我らのものとなれば戦局は有利となる。確かに賭ける価値はある」

大鳥圭介もアボルダージュ決行に賛成。

「榎本さん、俺が行こう」

と、土方歳三。

「土方くん、発案者の私が行くよ」

「貴方は箱館政権の総裁だ。現場指揮官は俺に任せていただく」

「回天、蟠竜、高雄でやろう」

回天艦長の甲賀源吉が言い、海軍奉行の荒井郁之助も立った。

「アボルダージュ作戦を決行する。ご一堂、箱館政権の未来はこの一戦に懸かっている。頼んだぞ!」

「「おう!」」


二本松藩の少年兵酒巻龍次郎は新撰組の狙撃手として軍艦回天に乗船することになった。愛銃のシャスポー銃を整備していた。弾薬は豊富に支給されている。存分に戦えると心を高揚させながら整備に励んだ。

「龍次郎」

「はい」

龍次郎を呼んだのは市村鉄之助、龍次郎より一つ年上の先輩隊士だ。

「箱館病院の寧々さんが来ているぞ」

「え?」

新撰組の詰め所入口にやってきた寧々。会いに行く龍次郎。

「ダメじゃないか寧々、ここに来ては」

「だって、アボルダージュ作戦に向かう旦那様が心配で」

「俺も正直怖いよ。でも逃げるわけにはいかない」

「これ…」

小さい人形を渡した寧々。まげを結い、鉄砲を背負った少年兵の人形。

「はは、この人形は俺か」

「余った布地で作ったの。お守り」

両手でギュッと人形を握った龍次郎。

「ありがとう、必ず生きて帰る」

「約束よ、旦那様」

指きりげんまんをして二人は別れた。詰め所内に戻った龍次郎。

「いいなあ新婚は」

「て、鉄さん、見ていたんですか?」

「見てなくても分かるよ。『生きて帰って来てね』とでも言われたんだろ?」

「え、ええまあ…」

「ちぇ、お前俺より一つ年下のくせに俺の知らない世界を知ってやがる」

「別にそんな大層な」

「お、そうだ。オナゴのアソコってどんな形をしているんだ?」

大壇口の戦い前に親友の水野進に言われたことと同じである。女を知らぬまま戦場に向かう男が考えることはみな同じなのか。

「い、いえ私も知らないのですよ」

「なんで?」

「祝言をまだ挙げていないんです」

「ほええ、みちのくの男は堅物だな」

「ははは…」

実は求めたことがあるのだが『祝言を挙げてからです』と、寧々に拒否されていた龍次郎だった。


◆  ◆  ◆


三月二十一日、箱館を出港した回天、蟠竜、高雄。互いを大綱で繋いで一列縦隊で宮古湾を目指した。

しかし翌日の夜に暴風雨に遭遇。大綱は断たれ、三艦は離散するはめとなった。蟠竜は合流のメドが立たなくなり、高雄は機関部が破損。結果回天一隻でアボルダージュ作戦を実行することになったのだ。


この数日前、薩長新政府軍参謀の黒田了介は海軍の幹部たちに会い、

「お前らが榎本の立場なら今一番何が欲しいか!」

そう怒鳴り散らしたが海軍は無敵の甲鉄を持っているため榎本艦隊を軽視し、結局哨戒行動も何もしていない。黒田が『アボルダージュと云う作戦を知っているか』と海軍幹部に訊ねた。誰も答えられず黒田は笑い『孺子、共に謀るに足りず』と海軍本陣から出て行ってしまった。


その後に黒田は軍艦春日を甲鉄の側に配置させている。

薩摩藩の軍艦春日には後の日本海海戦の英雄、東郷平八郎も乗っていた。同郷の戦友である伊集院と甲板を歩いていた。

「正体不明の軍艦?」

と、伊集院。

「ああ、蝦夷からこっちに進んでいるらしい。その情報を我ら薩摩の哨戒隊が掴んだ」

「なるほど、それで黒田参謀が海軍の偉いさんに直談判に行ったのか」

「『奇襲に備えて守りを固めろ』と言ったらしい。海軍は聞く耳を持たなかったらしいがな。しかし黒田参謀の言われるアボルダージュはありえない話じゃない」

「あ、あぼるだじゅ?」

「敵の主力艦を奪うという作戦だ。ちゃんと万国公法にも認められている戦法と聞く」

一笑に付した伊集院。

「平八郎、そんなことが出来るわけが無い。無人の船じゃあるまいし、ましてや黙って接舷させるアホウがおるか」

「第三国の旗を掲げていれば近づけないことも無い」

「おいおい、万国公法とやらは、そんな卑怯な手段を認めているのか?」

「それが認められているらしい。どこのエラいさんが定めたのかは知らないが…ん?」

宮古湾の甲鉄、平八郎の乗っていた軍艦春日は甲鉄から南にあった。平八郎はその甲鉄に近づく船を見つけた。

「…あれはどこの船だ?」

双眼鏡を覗く平八郎。伊集院も双眼鏡でその船を見た。

「アメリカの国旗をつけている。箱館商人の船か?」

「商人が軍艦で来るか」

「確かに。しかしあの船、甲鉄に…」

「おかしいぞ、あの軍艦!真っ直ぐに甲鉄に近づき、減速する様子もない!」


回天の甲板、切り込み隊長は土方歳三である。新撰組隊士が甲板に並ぶ。

船長の甲賀源吉は改めて甲鉄を双眼鏡で見て

「回天は外輪船で小回りが利かないから船首を甲鉄の横腹に突っ込ませるしかない。それと思っていたよリ乾舷(水面より出ている船の高さ)が低い。回天の船首とかなり高低差がある」

船首からでは乗りこむにも人数が限られ、いい的になる。土方は

「龍次郎」

「はい」

「お前は甲鉄に乗り込まず、この回天の甲板から敵を狙撃し続けろ。特にガトリングガンの砲手だ。いいな」

「分かりました」


回天艦長の甲賀源吉が掲げていたアメリカ国旗を降ろし、日章旗を掲揚。それを見た東郷平八郎、

「…!敵だ!空砲で甲鉄に知らせろ!敵の作戦は敵艦接舷攻撃、アボルダージュだ!」

軍艦春日から甲鉄に敵襲を三発の空砲で知らせた。甲賀源吉が

「アボルダージュ!アボルダージュ!」

と叫び、甲鉄に宣戦布告。後の世に『宮古湾海戦』と伝えられる前代未聞の敵主力艦強奪作戦が始まった!


軍艦甲鉄に接舷する回天、真っ先に斬り込んだのは新撰組の野村利三郎、次に相馬主計であった。

予想もせぬ奇襲に驚く甲鉄の乗組員たち。野村利三郎と相馬主計ら新撰組の働きはすさまじかった。斬って斬って斬りまくる。土方歳三も斬り込んだ。甲鉄の甲板に急ぎガトリングガンが運び出された。

しかし

「ぐっ!」

「うおっ!」

砲手の眉間に鉄砲が撃たれ即死、回天から正確無比に狙撃してくる者がいた。酒巻龍次郎である。

砲手が変わってもどんどん狙撃する。他に鉄砲を持っている者も撃つ。乾舷の高さは甲鉄より回天の方が約3メートルも上。位置的にも恵まれていた。しまいにはガトリングガンの砲手になろうと云う者がいなくなった。

「よくやった!」

土方歳三がガトリングガンを奪った。龍次郎は拳を握った。

「やった!」

ガトリングガンを奪えたのは大きい。土方は敵兵に撃ちまくった。甲鉄の甲板における戦いは圧倒的に回天側が優勢であった。

しかし四面が敵艦で埋まる宮古湾。当然甲鉄に援軍が向かう。多勢に無勢であった。乗り込んでいった者は、どんどん数を減らしていく。回天の艦長の甲賀源吉は体中に銃弾を受けても指揮を取り続けていたと云うが、やがて頭を撃ちぬかれて討ち死に。他の新政府軍の軍艦が回天に集中攻撃を開始。もはやこれまでと思った海軍奉行の荒井郁之助は艦を甲鉄から離した。驚いた土方と龍次郎。

「なんと云うことを!味方はまだ戦っているのに!」

龍次郎は荒井郁之助に怒鳴った。

「分かっている!」

甲鉄の甲板に数本の綱を投げた。この時の荒井郁之助の判断を指揮官の所業にあらずと示唆する者もいるが接舷した回天の船首と甲鉄の横腹の高低差は三メートルもあった。不首尾の場合は綱をつかんで退却するしかなかったのだ。

「それに掴まれ!退却する!」

「ちっ!」

土方はガトリングガンを放棄、急ぎ綱を掴んだ。逃がしてなるかと土方を鉄砲で狙う兵を龍次郎が撃つ。土方が無事に回天に戻った、その瞬間!


ドォォォン!


回天の甲板に大砲の弾が直撃した。

「うわああッ!!」

「龍次郎!」

吹っ飛ばされ、血だらけになった龍次郎を抱き上げる土方。

「大丈夫か!!」

「う、ううう…」

「しっかりしないか!お前の働きでガトリングガンを奪えたんだぞ!」

「ひ、土方さん…」

気を失った龍次郎。急ぎ耳を胸に当てた土方。鼓動の音は聞こえる。

「失神しただけか…。早く手当てをしなければ…」


戦いの始終を双眼鏡で見ていた東郷平八郎。

「アボルダージュ…」

と、息を飲んで言った。このアボルダージュ作戦は失敗に終わったが、その大胆不敵とも言える戦いぶりは賞賛され世界の海戦史に『宮古湾海戦』と刻まれることになる。

東郷平八郎は回天艦長の甲賀を後々まで讃えた。だが一人の少年狙撃手の名がこの戦史に残ることはなかった。


箱館に到着して急ぎ土方は龍次郎を箱館病院に運んだ。

龍次郎の妻寧々は血だらけになって帰ってきた夫を見て一瞬絶句したが会津娘として気丈に振る舞い、龍次郎を手術する高松凌雲と助手を務めた。治療が間に合い幸いにも一命を取りとめた龍次郎。

手術室から出てきた凌雲に土方、

「先生、どうですか」

「ご安心を、どうにかなりました。命に別状はありません」

「そうですか、良かった」

「長い入院となりましょう。医師としてもう戦場に出させるわけにはいきません」

「心得ています。龍次郎をよろしく願います」

凌雲に一礼して土方は去っていった。彼が戻ってくることは二度となかった。


◆  ◆  ◆


宮古湾海戦から十日後、龍次郎は目を覚ました。

目を真っ赤に泣き腫らしていた愛妻寧々が傍らにいた。

「寧々…」

「旦那様…!」

「生きているんだ…俺」

「良かった、良かった…!気がついてくれて!」

「何日気を失っていたんだ俺は…」

「十日です。ぐすっ」

寧々の手に出航前夜にもらったお守りがあった。血痕がついている。

「血ダルマになりながらも…旦那様はこのお守りをしっかと握っていました」

「そのお守りが俺を守ってくれたんだな…。ありがとう」

生死をさまよった龍次郎は不思議な夢を見た。亡き妻の小雪の夢。あの世から迎えに来てくれたのか、そう思った。小雪が龍次郎に歩んできた。

『龍次郎様…』

『小雪…』

『まだ…こっちに来てはいけません』

『…俺はまだ生きていいのか』

『私たちの分まで生きて下さい。あの人と共に…』

龍次郎に悲しそうに泣いている寧々の顔が見えた。

『小雪…』

『お慕いしております。龍次郎様』

そう言って小雪は姿を消した。夢の中で見た妻の姿をまぶたに浮かべる龍次郎。

「寧々」

「はい」

「亡き妻に帰れと言われたよ」

「え?」

「こっちに来るのは早いってさ…」

「その通りです」

ふっ、と笑い、そして妻に訊ねた。

「で、あれから戦況はどうなったんだ」

「…政府軍に蝦夷への上陸を許してしまいました」

「そうか…」


明治二年四月、薩長政府軍は蝦夷に上陸し進攻を開始。各所で奮戦するも敗報が相次ぐ。

しかし土方歳三は二股口で薩長政府軍の進撃を防いだ。

『我が兵は限りあるも官軍は限りなし。しかるに吾れ任せられて敗れなば、すなわち武夫の恥なり』

土方歳三が当時の心境を詠んだものと云われている。

正面攻撃で蹴散らすのは難しいと見た薩長政府軍は小隊を二股口周辺の山々に散らせラッパを吹かせた。土方隊に動揺が走る。

「なんだあのラッパは!」

「山のあちこちから聞こえてくるぞ!」

「我らは包囲される。退却を」

「うろたえるでない!」

土方歳三は一喝。

「これは我が軍を恐れさせ退却させると云う敵のいたずらよ!敵が本気で我らを包囲殲滅せんとするならば必ず密かにことを進めるはずであろうが!どこのバカがわざわざラッパを吹いて自分の位置を教えるか!裏を返せば敵が我らに難渋している証である。この戦は勝てる!」

この土方の言葉で息を吹き返した土方軍は薩長政府軍を押しとめることに成功。しばらく薩長政府軍は二股攻略を断念せざるを得なかった。


「大した男だのう。土方歳三と云う男は。のう田島」

ここは薩長政府軍の本陣。陸軍参謀の黒田了介が土方を評していた。聞いていたのは開戦前に榎本から釈放されていた田島圭蔵である。

「はい、榎本殿と云い敵にも優秀な者は多いですな」

「こっちのバカ参謀と代わってもらいたいものだ」

「誰のことを言っているのだ黒田殿」

「アンタとは言ってないがな市之允殿」

黒田に嫌味を言われたのは長州藩士の山田市之允、後の山田顕義である。

「作戦は終わってみなきゃ分からん。どうも薩摩モンはすぐに結果を急ぐ」

「クチの減らん男じゃ」

「そっくりその言葉返すわ」

「返さんでいいわ」

「ふん、アボルダージュを予言したのが大当たりしてよほど得意のようじゃ」

「なんだと!」

「まあまあ黒田参謀」

黒田をなだめる田島圭蔵。

「とにかく二股攻略は当面しない。別を攻めて土方が退却せざるをえん方向に持っていく。いいな黒田参謀」

「またつまらんラッパ陽動作戦でないことを願うわ山田参謀」

「クチが減らんのはどっちじゃ、まったく」


四月十五日、土方は二股口を一時離れて本営の五稜郭に戻ってきた。

土方の部屋に市村鉄之助が行った。

「市村鉄之助、参りました」

「ん、ご苦労。龍次郎の容態はどうか」

「峠を越して、今は粥を食べられるほどに」

「それは良かった。で、鉄」

「はい」

「私の頼みを聞いてくれ」

「はい、喜んで!」

懐から封書を出した土方。

「これからすぐに江戸、いや今は東京か。日野に住む私の縁者にこの写真を渡し、これまでの戦況を伝えてくれ」

「え…?」

「龍次郎に別れを言ってから行くといい」

「ちょ、ちょっと待ってください。そのご命令だけは従えません」

「なに?」

「私はここで討ち死にの覚悟を決めています。そのような仕事は誰か他の者に任せて下さい!」

「……」

「りゅ、龍次郎が快癒したら行かせてはどうでしょうか。あいつは嫁もいるし」

「鉄、これは命令だ。聞けぬとあれば斬る」

「副長…」

「もう一度言う、命令だ。お前にしか頼めない」

「…分かりました。ご命令に従います」

「…すまないな」


市村鉄之助は夜に五稜郭を出た。灯のついた部屋の窓に立つ土方。

「鉄、風邪ひくなよ…」

箱館を出る前、龍次郎を見舞った鉄之助。

「これでお別れだな」

「鉄さん…」

「出てくるとき、副長の部屋の灯が着いていて窓に副長が立っていたんだ」

「見送って下されたのですね…」

「うん…」

鼻をすすって涙を袖で拭いた鉄之助。

「龍次郎、元気でな」

「はい」

「じゃあな。ほんの一時だったけど弟が出来たようで楽しかったよ」

「鉄さん、気をつけて!」

「ああ!」


もう箱館政権に軍艦はなく、海岸沿いの防衛線は新政府軍に突破された。土方隊は敵の包囲を避けるため退却せざるをえない。二股口の土方隊と戦わずに土方歳三を退却させると云う山田市之允の作戦は的中した。箱館政権の敗北はもはや避けられない状況だった。

五稜郭本営、ここで軍議が開かれた。議論は降伏に至る様相。しかし

「榎本さん、俺は降伏しないよ。俺に他の道はない…」

「土方くん」

「ここで薩長に頭を下げたら俺は地下の近藤と沖田に合わせる顔がない」

「ではどうするというのか」

「誤解しないでほしい。貴方たちに降伏するなと言っているんじゃない。しかし最後なら新撰組は勝手にさせてもらいます」

「新撰組など、もうないではないか」

榎本に振り向いて、フッと笑って答える土方。

「俺が新撰組だよ」


五月十一日午前三時、軍艦からの艦砲射撃と共に政府軍の総攻撃が始まった。

箱館政権の本拠地である五稜郭は箱館の市街地から五キロ離れている。一方市街地の外れには海沿いに築かれた陣地である弁天台場があった。上陸した政府軍は箱館の市街地を占領。弁天台場と五稜郭は分断されてしまった。

「孤立した弁天台場には二百五十の兵が取り残されている!しかもその主力はかつて共に戦った新撰組の生き残りだ!彼らを救出するには市街地に陣取る官軍の一本木関門を突破するしかない!私に続け!仲間を助けに行くのだ!」

「「おおおおおおおおッッ!」」

土方率いる一隊は一本木の関門に到着。土方はむやみに突撃せず鉄砲隊で敵軍に応戦。突撃の好機が来た。土方は突撃、馬に乗って刀を構える姿は戦国武将の一騎駆けのごとく。敵兵は馬上の男に怯えた。

「鬼の土方だ!」

「新撰組の土方だ!」

もはや薩長政府軍が箱館政権に勝利するのは間違いない。だから政府軍の者は勝利を味わいたいので命を惜しむ。決死の覚悟で突撃している土方を止められるはずがない。他の部隊も土方に呼応して突撃を開始。土方は馬上から斬る、斬る。

やがて土方は一本木関門の柵を飛び越えた。飛び越した瞬間に馬は撃たれ土方は落馬。だがまだ土方の気迫は衰えない。敵に囲まれ、一人で戦う土方歳三。人生三十五年の最期を飾る、まさに晴れ姿であった。やがて土方の体を数え切れない銃弾が貫いた。

「面白い人生だった…」

土方歳三は静かに倒れた。腹に巻いていた『誠』の旗がほどけて宙に舞った。

土方歳三の遺体がどこに埋められているのか、それは現在でも分かっていない。


土方の死を床の上で聞いた龍次郎。拳を握るチカラもない。ただ悔しくて涙が出た。

そして土方が戦死した数日後、伊庭八郎が箱館病院に搬送されてきた。薩長新政府軍との戦いに敗れ、矢尽き刀折れた八郎は満身創痍だった。

その八郎のすぐ横に寝ているのが龍次郎だった。ずっと意識を失っていた伊庭が目覚めた。声をかけた龍次郎。

「伊庭様…」

八郎は重傷だった。隻腕だった彼だったが残る右腕も吹き飛び、おびただしい出血である。

「…おお、鞘当の…」

「何てお姿に…」

「…悔しいのう」

「……」

「刀槍の技なら薩長に負けやしないのにな…」

「はい…」

「お前は二本松藩の少年兵たちの生き残りだそうだな」

「はい」

「…良い面構えをしている」

「え…」

「そして目も澄んでいる…」

「……」

「…お前がこの戦いを通して会ってきたのは立派な男たちばかりであったろう」

「はい、多くのことを教えていただきました」

「それはな、お前が本物だからだ。だから素晴しい男たちに出会えたのだ。ふっ、俺がそのうちの一人であればいいのだがな」

「伊庭様…」

「しかし、その澄んだ目と良き面構えも…復讐の魔酒に狂えば澱んだ目となり凶相と相成ろう…。薩長の連中のようにな…」

「お、俺は薩長のヤツラのような大人になんかなりません」

「ならば、この戦が終わったら武器を捨てろ」

「伊庭様…」

「悔しいが我らは新時代の幕開けに際し、敗者と云う役となったようだ…」

「そんなの…イヤです!」

「戦以外で仕返しをする道を選べ。薩長のヤツラと同じくなりたくなければな」

「戦以外で仕返し…」

「その道で薩摩と長州のヤツラに頭を下げさせてみろ。お前の勝ちだ…!」

「伊庭様!」

「生き続けろ。死ぬなよ。薩長が築く世がどんなものなのか、しかと見届けよ」

「はい…!」

「…最期にお前と話せて良かった。忘れないぞ龍次郎」

「伊庭様…!」

伊庭八郎は息を引き取った。龍次郎は涙を堪えきれずに泣いた。そしてこの時に八郎から聞いた言葉は龍次郎生涯の教訓となっていくのである。


◆  ◆  ◆


近隣の農民たちが数名の負傷兵を箱館病院の玄関に運び込んできた。この負傷者は新政府軍の兵であった。凌雲の助手たちは負傷者が敵方であることに治療を拒絶しようとした。

しかし、凌雲は直ちに傷病者を入院させている寄宿舎に彼らを収容した。寄宿舎内に緊張が走る。箱館政権側の傷病者たちは『外に叩き出せ』『仲間の仇、八つ裂きにしてくれる!』と殺気だって刀を抜いた。その次の瞬間、凌雲が一喝した。

「私はこの病院の全責任者である。たとえ敵であろうと負傷者は負傷者だ。私がこの者たちを入院させる必要があると考えたから入れたのだ。彼らと一緒であるのがいやだと言うのなら止めはせぬゆえ即刻退院せよ!」

興奮した患者たちは凌雲の気迫に圧倒されたのか一気に静まった。凌雲は敵方の負傷者の治療を開始した。


しかし、こんな凌雲の気骨も戦で気が立っている敵軍には通じなかった。この数日後に政府軍が箱館病院を襲ったのだ。新政府軍は病院の戸を蹴破り、傷ついて動けない敵兵が寝ているベッドをひっくり返す。

「やめて下さい!」

看護に当たっていた女たちが懸命に止めるが兵は聞く耳持たない。もうすぐ龍次郎が横になっている病室にもやってくる。動けない龍次郎の手を握る寧々。

「寧々…」

もはやこれまで。龍次郎は思った。伊庭の言うように生きて薩長がどんな世を作るのか見届けたい。

しかし動けない我が身に敵軍が迫る。

「もはやこれまでだ…」

「旦那様」

「俺を殺してくれ。薩長に討たれるくらいなら…」

「だめです!」

「頼むから…」

「だめです!重傷の旦那様を凌雲先生は必死になって治療してくれました。そして伊庭様は生きよと旦那様に言い残して死にました!なのに自害しては凌雲先生と伊庭様への侮辱です!」

ついに龍次郎が横になっている病室までやってきた政府軍。往診に出かけていた高松凌雲が知らせを聞いて大急ぎで戻った。

「やめんか!お前たちはそれでも人間か!」

「なんだと!」

「ここにいる者たちは諸君らと戦い、傷つき動けない者たちばかりだ!それを殺す非道を犯して何が王師(天皇の軍隊)と云うのか!諸君らも武士ならば武士の情けがあろう!」

「賊に武士の情けなど必要ない!斬れ斬れ!」

「待て」

一人の薩摩藩士が味方を止めた。氏素性は伝わっていない。

「あなたが高松凌雲先生でござるか?」

「そうだ」

「ふふ、いい度胸だ。たった一人で我らの前に立ち塞がるとはな」

「私は医者だ。患者たちを守るのは当然だ」

「……」

「とっとと帰れ!治療の邪魔だ!」

「田島に聞きました。榎本たちが五稜郭を占拠して拿捕した政府軍の兵を敵味方の分け隔てなく治療し、そしてつい先日も敵軍と知りながらも負傷兵を収容した医師。それが高松凌雲と」

「医者に敵も味方もない!あるのは患者だけだ!」

龍次郎は凌雲の背をずっと見ていた。あるのは患者だけ。言うのは簡単だが凌雲は敵軍の目の前で言い切った。自分たちを守るために。

この箱館病院への襲撃は箱館戦争における薩長新政府軍の最たる汚点と現在にも語り継がれているが、一人の少年にある決意をさせた事件でもあった。酒巻龍次郎は凌雲の背と、その医の巨人たる剛毅さを見て自分がこれから行くべき道を見出したのだ。

「…分かり申した。退きましょう。おい」

「はっ」

「箱館病院の入口に『薩州隊改め』と書いた札を立てておけ」

「はっ」

「それは?」

「それを立てておけば、もう他の部隊がここを襲うことはないということ。貴方の仁の心の前には薩摩隼人も形無しですのう。あっははは!」


薩摩隊は引き揚げていった。急ぎ片づけを指示する凌雲。その凌雲の前に

「ん?」

龍次郎が動かぬ体を叱咤してベッドの上で凌雲に対し平伏していた。

「旦那様、寝てなくちゃダメ」

「少しだけ、少しだけだから」

「どうした龍次郎くん」

「先生」

「何かね?」

「私に医術を教えてください」

「なに?」

「旦那様?」

「先生の『医者に敵も味方もない。あるのは患者だけだ』の言葉に未熟なる私も感動いたしました。私も先生のような大人になりたいのです。医者になりたいと本気で思いました。お願いします。私に医術を教えてください!」

「……」

「亡き伊庭様が仰って下さいました。この戦が終わったら武器を捨てよ、戦以外で薩長に仕返しし、そしてその道で薩長に頭を下げさせてみろ。それが勝ちなのだと。私はその道を医師として進みたいと思います」

「旦那様…」

「私は今まで憎しみだけで戦ってきました。家族を残虐に殺した薩長をけして許すまい、仇を討つのだと。自分の悔しさを晴らす戦いだったと言い切れます。しかしいつまでも続くはずもなく見ての通り私はもう戦えません。命あっただけ幸運なこと。ならばこの幸運を逃さず、とことん生き抜き薩長がどんな世を作るのか見届けたい。そして先生のようなすごい医者になって薩長を見返したい!だから私に医術を教えて下さい!お願いです!」

「もういい、横になりなさい」

「う、上手く言えないのですが…」

「言わなくていい。目を見れば分かる」

「先生…」

「さすがは二本松武士だな」

龍次郎を横にさせた凌雲。

「いいだろう。医術を教えよう」

「ほ、本当に!ありがとうございます!」

「龍次郎くん、患者における最たる名医は患者自身だ。今は養生に励み、体を治しなさい。私の指導はとても厳しいものとなる。まずは体を治しなさい。医者としての修行はそれからだ」

「は、はい…」

無理をしたのか、龍次郎は眠った。スウスウと寝息を立てる良人の頬を撫でる寧々。

「寧々くん」

「はい」

「龍次郎の志や良し、いい医者になるぞ」

「は、はい!ありがとうございます!」


これから後、榎本武揚は明治新政府軍に降伏。戦いは終わった。蝦夷共和国は夢と消えたのだった。

昔に放映された大型年末時代劇『五稜郭』は大好きなドラマでしてね。今回のお話には色々とドラマ中の設定とか入れています。さだまさしさんの歌う主題歌『夢の吹く頃』がまたいいんですよ。

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