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第六話 落城の挽歌

ここは飯盛山近くの庄屋、丁稚が血相変えて帰ってきた。

「旦那様―ッ!」

「何だ騒々しい」

「若いお侍たちが飯盛山で大勢死んでいます!」

「なに?」

庄屋の主人、吉田伊惣次は飯盛山に登っていった。

そして見た。白虎隊の少年たちが自決して死んでいるのを。

「な、何ということだ…」


伊惣次はすぐに使用人たちを飯盛山頂上に集合させた。

「彼らを弔う。丁重に運び出さなければならぬ。手を貸すのだ」

驚く伊惣次の使用人たち。

「旦那様!薩長に死者を弔うことは禁じられ…」

「愚か者!ホトケに官軍も賊軍もあるか!ワシが全責任を取る!大急ぎで山から下ろして弔うのだ!」

「「へい!」」

薩長新政府軍は非情にもこの戦乱で死んだ者を弔うことを固く禁じていた。背けば弔った者は無論、家族も厳罰に処す。そう発布していた。

しかし吉田伊惣次はそんな発布を無視して白虎隊の少年たちを丁重に弔った。それを伝え聞いた会津討征軍参謀、薩摩藩の中村半次郎は激怒。音頭を執った吉田伊惣次を召した。


『行けば殺される』

と、妻子や使用人たちは止めた。しかし

「逃げては自分のしたことが誤りになる」

そう家族に言い、伊惣次は単身で討征軍の本陣に行った。

「飯盛山にありし、少年たちを弔いし吉田伊惣次にございます。お召しにより参上しました」

当初、中村半次郎は

「見せしめじゃ。のこのこやって来た者のすべて斬り、その首をさらせ」

と、部下に命じたが

「いえ、来たのは一人だけです。しかも丸腰にございます」

「ほう…農民とはいえ肝が据わっておる。どれ会ってみよう」

伊惣次の前に現れた中村半次郎。

「討征軍参謀、中村半次郎じゃ」

「会津の庄屋、吉田伊惣次にございます」

「会津の死者を弔ってはならぬ、その発布をその方存じておったのか」

知りませんと言ったら問答無用で斬るつもりだった半次郎。

「存じていました」

「では何故弔った。覚悟は出来ていような」

「もとより。彼らの弔いは私一人でやったこと、いつでも死の覚悟は出来ています」

「一人でやった?バカを申せ、二十人近い少年兵の弔いを…」

「私一人でやりました」

最後まで言わせない伊惣次。そして

「参謀殿、死んだ者に官軍も賊軍もございません。まだ母親に甘えたい年ごろの十六、十七歳の若者たちが自ら命を絶ったのです。私の子供も同じ年ごろ。あんな哀れな姿を見て、手厚く弔いたいと思うのは人の道と思いませんか」

「……」

「しかし決まりは決まり、私は喜んでお裁きに服したいと思います」

「もうよい、行け」

「は?」

「構いなし(無罪)とする。去れ」

去っていく伊惣次の背を見て中村半次郎、

「あっぱれなヤツ。会津は武士だけではなく百姓にいたるまで立派な人間がおる。会津は恐ろしいところじゃのう」

と、苦笑した。


◆  ◆  ◆


新政府軍の鶴ヶ城総攻撃は連日続いた。

郭内の戦いで懸命に戦う会津武士の中に二本松藩木村銃太郎隊の生き残り酒巻龍次郎がいた。

龍次郎はとにかく狙撃が正確だった。木村銃太郎門下では三傑に入っていたが、今では経験も積まれ、おそらく木村銃太郎門下はおろか二本松一の狙撃手ではなかったか。最初は伝習隊から与えられたシャスポー歩兵銃を使っていたが、連日の戦いで弾丸は尽き、旧式銃を使って応戦していた。

元々銃太郎から教えられた砲術は旧式銃のものなので狙撃の正確さは変わらなかった。旧式銃の弾丸なら城内で作れるから弾薬の心配をせずに戦えるのが幸いであった。また、時に敵の死体から新式銃の弾丸を接収できたので龍次郎は新旧の銃を使いこなして戦っていた。


今日も寄せる新政府軍兵を狙撃して味方を援護。何とか寄せてきた新政府軍を退けられた。

龍次郎は倒れる新政府軍兵の携帯している弾薬袋を次々と拾っていく。それを見た会津藩兵は

「おいおい、あのワラベはわざわざ会津に戦利品を拾いに来たのか」

と、仲間と嘲笑った。しかし龍次郎は無視、黙々と拾い続けている。だが

「バカ者!」

一人の女丈夫が龍次郎を笑った者を殴り飛ばした。

「龍次郎殿は消耗した弾丸を敵から補給しているのだ。少しでも味方に貢献しようと!何でそれが過ち!何故それを笑うか、恥を知りなさい!」

庇ってくれた女がいたのは素直に嬉しい龍次郎。女に殴られた二人は、その正論と女の剣幕にスゴスゴと引き下がった。女は龍次郎に歩んだ。

「我が藩の不心得者が大変失礼をいたしました。お許しください」

「い、いえ、ありがとうございます」

「申し遅れました。私は山本八重と申します」

「酒巻龍次郎です」

山本八重、会津藩の砲術指南である山本覚馬の妹で、兄のもとに修行に来ていた因州の川崎尚之助と結婚していたが、新政府軍が会津に寄せる数日前に尚之助は姿を消しており、八重はそんな良人に失望し、すでに離縁していた。

兄の覚馬は新政府軍に殺されている。(実は生存していたのだが会津には殺されたと伝わっていた)弟の山本三郎はすでに戦死、八重はこの戦い、一人で参戦していたのである。だから一人で戦いに加わる龍次郎の気持ちが分かる。十歳ほど離れた少年、気持ちが分かると同時に弟のように愛しく思えているのかもしれない。龍次郎もまた母と同じ名前の彼女の気遣いが嬉しかった。

「龍次郎殿は木村銃太郎様の門下生だったとか」

「はい、師をご存知なのですか?」

「兄の覚馬からお名前を聞いていただけです。若いがかなりの砲術家だと」

「はい、木村先生は日本一の砲術家です」

「ふふっ、我が山本家も会津一の砲術の家。でも龍次郎殿の腕前を見るに会津では一番でも日ノ本では二番のようですね」

美貌の八重の笑顔に胸が高鳴る龍次郎だった。そして時を同じして…。


「日向隊長が戻られたぞ!」

白虎隊を率いていた日向内記が疲労困憊で鶴ヶ城に戻ってきた。日向が戻ったと言うことは白虎隊士も。そう期待に胸を躍らす各々の母親たちが出迎えに出た。

しかし、戻ってきたのは日向一人だった。負傷もしていて、歩くのもままならない日向に母親たちは

「儀三郎は?」

「雄次は?」

「俊彦は?」

と、次々と質問していく。日向は

「面目ない。食糧の調達のため…私は隊を離れ、その道中で狙撃された。何とか負傷した足を引きずり、隊員たちを待機させていた場所に戻ったが、すでに彼らはその場を離れてしまい合流することも叶わず…」

無念極まる。歯を食いしばり、日向は言った。

「そして今、やっと城に戻ってこられた次第で…隊員たちは戻っていないのか…」

母親たちは呆然として、そして日向に侮蔑の眼差しを向けた。

しかしこの当時、隊長級の士官の武士に婦女子が抗議するのが許されるはずがない。

「きっと他の隊に合流して戦っていよう…」

「部下を置き去りにしたんですか!」

酒井峰治が日向に詰め寄った。

「酒井…」

「ハッキリ言って下さい!隊長は儀三郎や雄次を見捨ててここに帰ってきたのですか!」

「……」

日向には酷な質問であろう。誰が好きこのんで部下を見捨てて逃げ帰る。

このため後世に悪評残る日向内記だが、彼とて会津藩の中で隊長に任命された武人。今に至ってしまったことが臆病のためではなく、ただ不運が重なったとしか言えない。

しかし若い峰治や、日向に息子を託した母親たちにこんな道理は通らない。

「初陣の儀三郎たちが指揮官なくて何が出来るのですか!他隊と合流して戦っている…。そんな都合のいいことよく言えますね!今ごろ死んでいるかもしれないでしょう!!」

激怒し、そして号泣して日向に怒鳴る峰治。

「……」


日向は何の反論もせず、いや出来ず、怒鳴る峰治や怒る母親たちの列の横を歩いていった。

「くっ…!」

峰治は地に拳を叩きつけて号泣した。それからほどなくであった。中村半次郎と吉田伊惣次のやりとりが鶴ヶ城にもたらされたのか、飯盛山にて士中二番隊白虎隊の壮烈な自決が鶴ヶ城に伝わったのだ。

城内の母親たちはみな泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。

隊長の日向内記は飯盛山に向かい平伏して泣いた。何の言い訳もしなかった。死んだ者、生還した者、いずれも悲劇。それが戦争である。


◆  ◆  ◆


このころ、若干二十四歳の家老である山川大蔵が日光口より撤退中で会津鶴ヶ城に向かっていた。

その山川隊に白虎隊の生き残りが合流した。庄田保鉄と多賀谷彦四郎をはじめとした数人の隊士で、彼らは戸の口原合戦のあと篠田儀三郎たちとはぐれてしまった。彼らは飯盛山に登らなかったので、当然のことながら鶴ヶ城は健在と思っている。『まだ死ぬわけには行かない』と彼らははぐれたもの同士で相談し、鶴ヶ城に向かっていると云う山川隊に合流しようと云う結論に至った。


その道のりもまた儀三郎たちと同じく険しいものだった。二日三日飲まず食わずで、やっと山川隊に合流できたのだ。安堵した庄田たち。やっと眠れる、食べられる。

疲労困憊の彼らの前にやってきた山川大蔵、庄田たちは『よくやった』と褒めてもらえると思った。

だが、

「すでに儀三郎たちは死んだぞ」

「「ええ!!」」

「飯盛山山頂で立派に自決を遂げたと云う。なのに、今のお前らは何だ?」

「「……」」

「ふん、命が惜しくて薩長に背中を見せて我が陣にやってきたのか。情けないヤツらだ。誰ぞ残り物でもくれてやれ」

と、冷徹に言い放ったのだ。山川の冷たい仕打ちに庄田ら少年たちは涙を流して悔しがった。今さら飯盛山に戻って仲間たちと死ぬことも出来ない。

「みんな、ご家老様の前で切腹しよう!」

「「おう!」」

「腰抜けじゃない、命が惜しくて来たんじゃないってこと、ご家老様に示してくれようぞ!」

ここまで思いつめてしまった。さっそく山川の本陣に行ったが

「軍議中だ。目通り許さん」

と、また突き放す。仕方なく陣幕の外で待つ少年たち。軍議の内容も自然聞こえてくる。

内容によると前方に新政府軍の一隊があるということ。我らより多勢、ならば夜襲としようと軍議は決まった。やっと少年たちに会った山川。

「何だお前たち、まだいたのか」

「ご家老様!我らにその夜襲の先鋒をご命じ下さい!」

「戸の口の無念を晴らさせてください!」

「あっはははは!」

山川はこれ以上面白い冗談はないと云うくらいに大笑いした。

「お前らごとき、命が惜しくて逃げてきた腑抜けにどんな働きが出来ると言うんだ?」

「ご、ご家老様、それはあんまりの仰せです!」

「悔しいか。だがそれが現実だ。お前らに先鋒を任せるほど我が隊は人材に不足しておらんわ。いずれ適当な死に場所をくれてやるから、隅っこに引っ込んでいよ」

山川の部下たちもさすがに白虎隊が気の毒になり

「ご家老、先鋒は無理でも参戦のご許可くらいは」

「ならん」

取り付くしまもない。山川は庄田ら少年たちに一瞥もくれず、去っていった。

「ちきしょう!ちきしょおーッ!!」

庄田ら少年たちは悔しくて涙が止まらなかった。山川の口舌の刃は彼らの心を容赦なく切り刻んだ。

「こんな恥辱を受けるくらいなら戸の口で死んでいた方がマシだった!何で生きているんだ俺たち!」

同じく涙を流す仲間の多賀谷彦四郎が言った。

「保鉄、我ら、ご家老様を見返さぬうちに死ぬわけにはいかない!」

「「おうッ!!」」


その様子を見ていた山川の部下が前線に赴いていた山川に報告。山川はフッと笑い、

「そうか、死ぬわけにはいかん。そう言ったか」

「ご家老、もしやわざとあのような冷たい仕打ちを」

「ふふ、さてな」

山川の部下が見たとおり、それは山川ならではの『喝』の入れ方であったのだろう。

もし山川が少年たちに優しい言葉をかけていたら、すっかり安心し、それまで持っていた士気も落とす。劣勢著しい情勢で、それは死に繋がりかねない。あえて山川は憎まれ役となって庄田保鉄と多賀谷彦四郎らに士気を持続させるべく図ったのだ。

後年に庄田保鉄は山川のこの時の態度について『ご家老の名将たる仕事をつくづく感じた。冷徹なる仕打ちも我ら若輩どもを救わんとしての気付けの妙薬だった』と述懐している。


このおりの夜襲は小競り合い程度で、山川隊は何とか敵の一隊を蹴散らし、その後に何とか会津鶴ヶ城に到着。無論のこと庄田保鉄ら白虎隊も一緒である。山川の部下が報告。

「だめですご家老、もはや蟻の這い出る隙間もなしにございます」

「そうか、蟻の這い出る隙間もなしか」

「このうえはご家老、夜襲をかけて城の者たちと挟撃を」

「だめだ。それを城中に知らせることは出来ぬし、何より先の遭遇戦と違い城を包囲している以上夜襲にも備えていよう」

「しかし」

「まあ待て、ワシに考えがある」


それからしばらくし城下に祭囃子が鳴り響いた。

「ん?」

鶴ヶ城に寄せていた板垣退助、後方から場違いな音が聞こえてきた。祭囃子である。驚いてそちらを見ると会津に伝わる彼岸獅子の舞い。その一行が何とも正々堂々と鶴ヶ城の城門に踊りながら進んでいる。

多くの藩の連合軍である新政府軍。どこの藩のやりようかと呆気にとられ、そして道を開けていく。苦笑する板垣。

「どこの藩だあれは?」

「さあ…」

板垣の部下も分からない。まさか会津藩家老の一隊なんて誰も思わないだろう。

やがて鶴ヶ城の城門近くにまで至った。すると山川

「全軍進めーッ!!」

と、見事に鶴ヶ城に入城。してやられたと思う新政府軍は山川隊の後備に銃撃を浴びせようとしたが

「待て!」

板垣が止めた。

「武士の情けじゃ。通してやれ」


山川隊の入城で湧く会津軍。山川はその日のうちに軍事総督となった。

佐川官兵衛や萱野権兵衛、梶原平馬と共に新政府軍に激しい抵抗を続けるが新政府軍はもはや白兵戦による攻撃はしようとせず、鶴ヶ城を一望する小田山からアームストロング砲の砲撃を連日行っていた。

山川の入城で一度は士気が上がったものの、この稲妻のようなアームストロング砲の連続砲撃はそんな士気など打ち砕いていく。士気は激減、次第に郭内も新政府軍に圧迫され、本丸へと追い詰められていく。

「きゃああ!」

爆風に飛ばされた一人の少女、娘子軍の高橋寧々である。地に叩きつけられた。

「ううう…」

「大丈夫ですか」

「龍次郎殿…」

「出血は少しだ。少し全身を強く打ったみたいだけど、さすがは柔術の盛んな会津、無意識に受身をとったようですね」

「でも痛い…」

苦痛に顔をゆがめる寧々、自力で立てない。

「足を強く捻ったみたいだ。ここにいては危ない」

龍次郎は両腕で寧々を抱き上げた。

「ちょ、ちょっと!」

自分より背が低い男児なのに結構チカラがあると思う寧々。だが間もなく

「お、重い…」

「ちょっと、それ失礼です!」

「ご、ごめん…」

やっぱりチカラはなかった。

「おんぶにします」

寧々を背負った龍次郎。ヨタヨタしながら歩く。

「無理をなさらず。何とか歩きますから」

逆に気を使う寧々だった。

「だ、大丈夫です」

何とか郭内に寧々を連れて行き、寧々の挫いた足首をサラシで巻いて固定した。

「これで大丈夫でしょう。むやみに動かず、寧々殿は給仕や看護に励んだほうがいい。それも立派な仕事ですよ」

「ありがとう」

「いえ」


◆  ◆  ◆


連日の集中砲火で士気の落ちる会津軍。

「龍次郎…」

「はい」

「お前、沈んでいく船に乗っちゃったみたいだぞ」

と、酒井峰治。

「……」

郭内の兵士詰め所、まるで通夜のように士気がない。藩士すべてうな垂れていた。立ち上がった龍次郎。

「何だよ!音に聞こえた会津武士がだらしない!」

「「……」」

反論する気力もないらしい。

(まったく会津の殿様は何をやっているんだ。こういう時こそ前線のこちらに来て鼓舞をすべきじゃないか!)

この時、藩主の容保も重臣たちと善後策を講じてそれどころではなかったのだろう。あえて、その場にいた藩士たちを挑発する龍次郎。

「ふん、そんなんじゃ前髪のある俺にも相撲で勝てないな」

これには誇り高い会津の少年たちも怒った。

「なんだと!」

「おい、龍次郎」

「だって峰治さん、こんな腰抜けども、俺でもチョロイよ」

「表に出ろ、この野郎!」

と、多賀谷彦四郎。それに続く少年たち。

「何だよ、数で俺を袋叩きにする気かよ」

「薩長じゃあるまいし、そんな卑怯な振る舞いをするか!俺一人で十分だ!」

「ずるいぞ彦四郎、俺にも相手させろ」

「よし、そんなに元気が有り余っているのなら、みんなで相撲大会をしよう!」

「「え?」」

「峰治さん、食料は残り少なくても酒はあると聞きましたが」

「え?ああ、確かに備蓄庫に酒樽はたんとあったな…」

「じゃあ勝った者は飲める!これでどうでしょうか」

「し、しかし、勝手に酒を運び出して飲んでは」

「いいじゃないの峰治さん、私が責任を取るわ」

「お八重さん…」

「さあ、隣国の生意気なボウヤに焼きを入れてあげなさい!」


龍次郎は俺たちを元気付けるために…と、庄田保鉄や他の白虎隊士もすでに察していた。

しかし勝負に手は加えない。

「何だよ、口ほどにもないな。あっははは!」

龍次郎はあっさり投げられた。だが相手した多賀谷彦四郎もさるもの。狙撃に支障ないよう、ちゃんと受身を取れるよう投げている。

「なにくそ、もう一本!」

「おう、かかってこい!」

「彦四郎負けるな!」

「龍次郎も負けるなよーッ!」

白虎隊たちが詰めていた場所はお祭りのように賑やかになった。

六回続けて投げ飛ばされた龍次郎はさすがに

「参りました」

と、負けを認めた。ドンブリに注がれた酒を飲み干す多賀谷彦四郎。

「うめぇーッ!これが酒かぁ」

「よし保鉄!勝負だ!」

「おう、峰治!」

すっかり龍次郎に乗せられたが、少年たちは空腹ながら夢中で相撲に興じた。

「アイタタタ…」

龍次郎は着物を着て戻った。

「弱いわねぇ龍次郎さん。私にも勝てないわよ、それじゃ」

「ほ、ほっといて下さい!」

拗ねる龍次郎の横顔を見てクスクスと笑う八重。そして白虎隊士を元気付けた龍次郎の背を見つめる一人の少女がいた。高橋寧々だった。龍次郎が口ほどにもなくあっさり投げ飛ばされたときは不覚にも大笑いしてしまった。白虎隊士だけじゃない。見物していた女子供も元気付けたのであった。笑うのなんて久しぶりだったのだから。

「彼のような戦い方もあるのね…」


夜も更けた。相撲大会は終わり、郭内で眠りについている。

龍次郎はそこから出て庭の木陰に腰掛け、銃の手入れをやっていた。

「龍次郎殿」

「寧々殿、どうされた」

「いえ、なんか眠れなくて」

「酒のせいか、みんなのイビキもうるさいですからね」

「そうですね」

クスッと笑う寧々。龍次郎の横に座った。

「ねえ龍次郎殿」

「はい」

「どうして会津のために戦ってくれるのですか。二本松藩はすでに降伏しているのに」

この時すでに仙台藩と米沢藩も降伏しており、二本松藩も同じく降伏していた。

それでも龍次郎は武器を捨てなかった。

「…家族の仇を討つためです。そりゃあ二本松の無念も返したい気持ちもありますが、もうこの戦いは俺の戦いなんです」

「ご家族の?」

「俺の父と兄、師も仲間たちも薩長に殺されました。みんな武士として戦って死にました。無念なれど武士としての覚悟はある以上、それは勝負で仕方のないことです。しかし俺の母や義姉、そして妻は違う」

「……」

「俺の母は斬り殺され、義姉と妻は陵辱されたうえ殺されました」

クチを押さえた寧々。無神経なことを聞いてしまった。

ただ何となく、好意を抱いた男のことが少し知りたかっただけなのに。

「ご、ごめんなさい」

「いいんですよ。もう涙は枯れましたから気にしないで下さい」

「……」

「寧々殿?」

「ど、どうして龍次郎殿は平気な顔をしていられるのですか?私は兄の死がいまだ悲しくてたまらないのに…」

涙を浮かべている寧々。

「…平気そうに見えますか」

苦笑する龍次郎。

「…何度も泣きました。たぶん、こんな目に遭ったのが俺一人なら、とうに自害しているか発狂していたと思います。しかし不思議なものです人間て。俺以上の苦しみを味わっている者がたくさんいる、そう分かるだけで…何か救われるのですよ。醜いですね、他者の悲しみが自身の悲しみを埋めているなんて」

話しながら銃の整備をしていた龍次郎が銃を構える。整備を終えたらしい。

「これでよし…」

「…もうライフルの届くところに薩長は来ません。あいつらは安全な小田山にいて大砲を撃ち続ける卑怯者ですから」

「そうですね。でもいつでも即座に撃てるように整備をしておくことが木村流砲術の基本なんです」

「龍次郎殿…」

「母成でお会いした土方さんが言っていました。『憂きことの、なおこの上に積みかれし、限りある身のちからためさん』と。もうダメだと思ったときこそ踏ん張りどころなんだと」

「……」

「俺はまだ両の足で立っている。あきらめません。少しでも妻の無念を晴らしたいから」

「きれいな人だったのでしょうね」

「はい、一度でいい。抱きたかった…」

「……」


◆  ◆  ◆


翌日になった。白虎隊や龍次郎が詰めている郭内に山川大蔵が来た。

「二本松藩士の酒巻なる少年はいずれか」

「はい、私ですが」

「藩公がお呼びである。ついてまいれ」

「え、ええ!?」

松平容保が龍次郎を呼んだ。山川にくっついて本丸に歩く龍次郎。

「礼を申す」

と、山川。

「え?」

「会津藩は二本松藩の少年兵たちに幾度礼を言っても足りぬ。本当に感謝しておる」

「会津のご家老様」

「ん?」

「我らは会津のためではなく、二本松のために戦ったんです」

立ち止まった山川。

「そうであったな」

「…もし藩公の用件もそれなら帰ります」

「いや、藩公の用件は違うことだ。そう言わず拝謁してくれ」

「はあ…」

本丸、城主の間に到着。

「殿、二本松藩士、酒巻龍次郎殿をお連れしました」

「うむ、こちらへ」

容保の前に進む龍次郎。そして容保の前で平伏した。

「二本松藩、木村銃太郎門下、酒巻龍次郎です」

「松平容保である。面を上げられよ」

「はい」

容保を見た龍次郎。

(何て高貴な顔をしておられる方だ)

と、驚いた。

「どうした?余の顔に何かついているか?」

「い、いえ、ご尊顔を拝謁でき、恐悦至極に存じます」

「余もだ」

容保は礼を言った。二本松藩の少年兵たちには本当に感謝の言葉もないと。

そして生き残りの龍次郎が今に至るまで会津のために戦ってくれていることに礼を述べた。

「龍次郎」

「はい」

「そなた、歳は幾つに相成る?」

「この城で十五歳の誕生日を迎えました」

「ふむ、では元服をいたせ」

「え?」

「元服親は余が務めよう」

容保の重臣たちは驚く。藩主自らが元服親を、しかも龍次郎は他藩の子弟である。

「いかがであるかな龍次郎」

「は、はい!ありがたき幸せに存じます!」

「本来、前髪を落とすのは齢十七であるが、もはやお前は漢の顔だ。前髪も必要あるまい」

幕末当時、元服の儀式はかなり簡略されていた。

かつ今は戦時、武士の正装もない。龍次郎は軍服のまま前髪を切った。山川大蔵が切ったと言われている。

「十五か、弟の健次郎と同じ歳だな」

「健次郎?」

「体が虚弱でな、白虎隊に入隊したが一日で除籍された」

龍次郎の髪を切りながら語る大蔵。

「昨夜のお前たちの相撲大会で、お前と同様に簡単に投げられていた細いのがいただろう」

「ああ、いました」

投げられても投げられても、立ち上がって年長の者に挑んでいった少年がいた。健次郎と呼ばれていたことを思い出した龍次郎。

「それが私の弟だ。お前を羨ましがっていた」

「……」

「『二本松の龍次郎殿は私と同じく体が細くて小さいのに、鉄砲を自在に使って戦に貢献しています。私は使うどころか重くて持つこともかなわない。兄上、この差は何なのですか』と、ずいぶん悔しがっていた」

「師が優れていたからです。そういう恵まれない体格でもどうにか戦えるように仕込んで下さいましたから」

「あはは、その論法では私は健次郎の兄失格だな」

やがて前髪を切り終えた。立派な髷を結っている。役目を終えると山川は脇に控えた。

「うむ、立派な武士だ」

「あ、ありがたき幸せに」

「名を贈る」

容保は半紙に龍次郎の大人の名前を書いた。

『武良』

「たけよし…」

「そう、阿武隈川の『武』、安達太良山の『良』の字だ」

「酒巻龍次郎武良…」

「気に入ってくれたか?」

「は、はい!龍次郎、その名前を一生の誇りとします!」

「ん、大義であった」

「はっ!」


激戦の最中、松平容保が心温まることとなった龍次郎の元服であった。

だが新政府軍の猛攻はそんな感傷も許さない。この元服の儀ののち間もなく砲撃は開始された。龍次郎も感傷に浸るゆとりはない。急ぎ持ち場に戻る。

しかし持ち場に戻ってもやるべきことはない。ただ、砲撃の音を聞いて着弾から避けることしか出来ない。壁が壊れ、土煙がごうごうと舞う。

足を挫いて満足に歩けない寧々のことなど省みる者などいない。みんな自分のことだけで精一杯だ。片足を引きずって逃げ惑うなか、大きな瓦が寧々に落ちてきた。

「きゃああ!」

だが、次の瞬間、瓦は銃声と共に砕け散った。

「龍次郎殿…」

倒れる寧々に走り寄る龍次郎。

「ほら、いつでも撃てるように整備しておいて良かったでしょう」

「龍次郎殿…!」

新政府軍の砲声に怯えきっていた寧々は龍次郎が来てくれたのが嬉しくてたまらなかった。思わず抱きついてしまった。

「ちょ、ちょっと…」

「怖かった…」

この時、初めて龍次郎は寧々を異性として意識し、そして同時に愛しいと思った。

『俺が彼女を守るんだ』そう決めた。

「俺がいます。さあ、おんぶしてあげます」

龍次郎は寧々を背負い、綱で結んだ。

そして走る。雨あられと襲い掛かる砲弾から我が身と寧々を守った。

燃え盛る火炎、崩壊する城壁、爆風、すべてから寧々を守った。『俺が守らなきゃ』と懸命だった。

先日はヨロヨロしながら自分を背負っていたのに、今は何とチカラ強いことか。龍次郎が『彼女を守る』と決めた心が背負うチカラを持たせたのだろう。

背負われている寧々は、その小さくも温かい背中に触れて

『ああ、私…。この方に一生ついていこう…』

そう思ったのである。


◆  ◆  ◆


鶴ヶ城には数多くの大砲が火を噴いて、一日およそ二千五百発の砲弾が撃ち込まれたと云う。

城内には藩士と共に千名を超える家族が篭っていたため、犠牲者の多くは老人、そして女子供だった。

総攻撃から七日目の九月二十一日、容保は家臣たちを集めて涙ながらに言った。

「余一人のために数千の子弟人民が苦しむ様子はもはや見るにしのびない。速やかに城門を開いて降伏し、人民塗炭の苦しみを救いたい」

家臣に問う。

「もし何か他に良い策があるのならば遠慮なく言ってほしい」

家臣たちは号泣し、そして家老の萱野権兵衛が言った。

「主君の意に従うのみ」

ついに松平容保は降伏開城を決断したのである。

それが城内に伝達されると藩士たちの号泣の声が上がった。血の涙を流している者さえいた。

なぜ、なぜ何の落ち度もない会津が賊軍になる。あれほど帝に忠誠を誓った会津が朝敵となり、薩長ごときに膝を屈しなければならないのか。

「儀三郎たちに会わせる顔がない!」

生き残った白虎隊士は泣きに泣いた。


龍次郎には涙はなかった。銃を持ったまま壁にもたれて座り、ボウとしている。そこへ

「…寧々殿」

「すいません、お胸を貸してもらって良いですか」

「…?」

「泣きたいのですけど、すがる方がいないのです」

「…俺でよければ」

寧々は龍次郎の前に座るや、龍次郎の胸に顔をうずめて泣き出した。

ずっと泣くのを我慢していたようだ。わああ、と大声で泣く。

「悔しい…!会津が負けるなんて!」

「……」

「どうして帝にあれだけ忠誠を誓った会津が朝敵として滅ぼされなければならないのよ!」

寧々の肩に軽く手を置いた龍次郎。

「…まだ、終わっていない」

「…え」

「俺は榎本艦隊に合流する…」

「龍次郎様…」

「これで終わってたまるものか。限りある身のちからためさん!」


降伏開城の知らせは新政府軍に届き、そして松平容保が討征軍の本陣へと歩いた。

容保と、その子の喜徳が討征軍参謀の中村半次郎に歩む。鮮やかな緋毛氈が敷かれていた。容保は中村半次郎にひざまずいた。後方に控える家臣たちは悔し涙を溢れさせている。容保の顔は静かだった。


やがて降伏の儀は終わり、城に篭っていた者たちは幽鬼のごとく出てきた。何日も満足に食事を取っていない。憔悴しきっている酒井峰治や、同じく白虎隊の仲間たちはさっきまで降伏の儀が執り行われていた場に敷かれている緋毛氈、それを号泣して切り裂き出した。

彼らはこの日の無念を忘れぬため切り裂いた緋毛氈の小片を懐中深くしまい込んで持ち帰ったと云う。後にその緋毛氈の小片は『泣血氈』と呼ばれ、会津人の心の奥深く刻み込まれることになる。降伏落城前夜に山本八重が詠んだ歌が残る。

『明日よりはいづくの誰かながむらん なれし御城に残す月影』


◆  ◆  ◆


「本当に行くのか」

と、酒井峰治。鶴ヶ城下の焼け野原、別れを惜しむ龍次郎と峰治。

「はい、榎本艦隊に入れてもらいます。現在、榎本艦隊は仙台領の石巻の港に停泊し、旧幕府軍の残党を募っているそうです。共にいる大鳥隊長や土方さんは俺によくしてくれたので、何とかなるかと」

「そうか…。出来ることなら一緒に行きたいが…すまんな」

「これにてお別れですね、峰治さん」

「龍次郎、さよならは言わない、また会おう」

「龍次郎ーッ!」

山川健次郎が駆けてきた。

「健次郎」

「俺は正直、同い年のお前の活躍がねたましかった」

「…ははは」

「でも、いつか違う道で、この山川健次郎の名前を上げようと思う。負けないぞ」

「こっちこそ」

「これ、兄上からの餞別だ。道中、気をつけてな」

些少だが銭の入った袋を龍次郎に渡す健次郎。

「ありがたく頂戴するよ。ご家老には龍次郎が礼を言っていたと」

「分かった」

寧々が見送ってくれないのが少し残念の龍次郎だったが、会っては別れがつらくなる。これでいいんだと思った。白虎隊の生き残りたちに見送られ酒巻龍次郎は会津若松から去っていった。農民姿で太刀と銃は簀巻で隠し、ズタ袋を背負って一路石巻へ。


会津若松を出て四半刻(三十分)を過ぎたころだった。木陰から人が出てきた。龍次郎は驚いた。

「ね、寧々殿?」

「私も一緒にいきます」

会津で同行を申し出ても龍次郎は拒絶しただろう。だから寧々は先回りして待っていたのだ。

「なんて無茶を。新政府軍に見つかれば大変だと云うのに」

「だから龍次郎様と同じく農民の、しかも男装までしました」

なかなか堂に入っている変装だった。胸もサラシを巻いているのだろう。立派に農夫に見える。

「まさか、ここまで来て帰れとは言いませんよね」

「……」

「あの砲弾飛び交う阿鼻叫喚の中、私は龍次郎様に背負われ思いました。『この方に一生ついていこう』と」

気丈に振る舞う寧々だが内心は恥ずかしくてたまらない。自分がしていることは立派な求愛である。

「俺にはもう帰る家もない天涯孤独の身。一緒に来ても苦労するだけですよ」

「お互い様です。私にも帰る家はありません」

「俺は旧幕府軍と新政府軍の戦があるかぎり絶対に武器は捨てません。それでも一緒に来てくれますか?」

「はい、参ります」

二人の間に心地よい沈黙が流れる。見つめあい、そして龍次郎は静かに言った。

「寧々殿、俺の妻となってくれますか」

「喜んで」

ニコリと笑う寧々だった。二本松少年隊の酒巻龍次郎に娘子軍の高橋寧々、戊辰戦争があったがゆえにめぐり合い、そして夫婦となった。何もかも失った二人、家族も国も、みんな奪われた。

しかし今、生涯の伴侶を二人は得たのである。

山下智久さんが峰治を演じた白虎隊のドラマも良かったですね。日向隊長を責めるシーンはそのドラマから使わせていただきました。

さて、次はいよいよ箱館戦争へと身を投じる龍次郎です。ヒロイン寧々さんの活躍に期待しましょう。

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