第三話 霞ヶ城炎上
二本松に行くと、私は必ず『レストラン立美』に行きます。ここのポークソテーは口からビームが出るほど美味しいので、オススメでござるよ!
木村銃太郎隊に加勢せんと、二人の若者が大壇口に走っていた。
二本松藩士の山岡栄治と青山助之丞である。
話は少し遡るが、彼らは砲術家の朝河八太夫隊に所属していた。
だが朝河隊は壊滅。隊長の八太夫の命令によって退却したが、まだ戦える。
山岡は城に戻ろうとし、青山は木村銃太郎隊に加勢せんと思い駆けていたが途中で休息のため空き家に立ち寄り、鉢合わせとなったのだ。
二人は思わずここで激論を戦わせることになった。ふと、青山が山岡に訊ねた。
「城に帰りどうするのです?」
「何とか藩のえらいさんを説得して降伏させようと思ってな」
その言葉に青山は激怒。彼は抗戦論者だった。
「士気を下げることを言われては困ります。和議ならば何度も西軍に申し立てたのに、彼奴らは聞く耳を持たない。自分たちの火器の充実、奥羽の装備の旧式さを知るゆえ最初から勝てると確信し奥羽の地を蹂躙したいがゆえに和議を受け付けず、今日に至っているのではないですか!」
「でも無駄死にではないか。お前の言うとおり装備が違いすぎる。大人と子供だ」
「もはや、その期は逸してござる。我らは戦いぬくしかないのです!」
「我ら武士はそれでいい。しかし西軍が白河の城下で何をした。略奪と強姦だ。城下の民をそんな目に遭わせて良いのか?」
「……」
「また、ヤツらは遼太郎に何をした?ハラワタを食いやがったんだぞ」
「そこまで西軍に対して怒りを持つのに、どうして降伏を主張するのですか」
「仲間が犬死するのは、もうたくさんだからだ!」
その時、外で近隣の農民たちの泣き声が聞こえてきた。
西軍がもうここに、と思うやいなや山岡と青山は刀を握って空き家を出た。
しかし農民たちは西軍に攻撃されて泣き声をあげていたのではなかった。城の方角を見て泣いていた。
二人もその方角を見た。絶句した。霞ヶ城が炎上している。
「二本松の城が燃えておる…」
「もう二本松は終わりだ」
嘆く農民たち。その横で呆然と立ち尽くす山岡と青山。
「なんてこった…」
膝を落として落涙する青山。
「ちくしょう…!薩長め!」
「ふっはは、青山。もう俺の用件は終わっちまったな…」
「山岡さん…」
「お前、銃太郎の加勢に行くつもりだったんだよな」
「は、はい…」
「付き合うぜ」
霞ヶ城は西軍に攻撃されて落城していたのではなかった。
藩の重臣たちが藩主の丹羽長国とその正室を米沢に落ちさせた後に自ら火を放ったのだ。
しかし、そんな事情を前線に出ている山岡たちが知るはずもない。
話は戻る。
山岡栄治と青山助之丞は西軍に捕捉されまいと山道を駆けて大壇口に向かう。そしてようやく大壇口にたどり着けば、すでに木村銃太郎隊は壊滅していた。
もはや兵どもが夢のあとの大壇口。敵味方の兵の死体が転がる戦場を歩く山岡栄治と青山助之丞。つい先刻まで激戦があったと思えない静けさであった。
「山岡さん!」
「どうした?」
青山助之丞が見つけたのは
「じゅ、銃太郎…!?」
首のない木村銃太郎の亡骸だった。師を慕う少年たちもさすがに埋葬するゆとりはなく、断腸の思いで亡骸そのままに退却したのだ。首は西軍に奪われたのか?それとも彼の教え子たちが持っているのか?何一つ分からない。
山岡は泣いた。四つ年下の銃太郎を幼いころから可愛がっていた山岡は
「何で俺より先に死ぬ。馬鹿野郎!」
「せめて、ここに埋めてあげましょう」
「そうだな…」
二人は木村銃太郎の亡骸を埋めて、手ごろな石を盛り土の上に乗せた。合掌する山岡と青山。
「銃太郎、俺もじきに行く」
「山岡さん…」
「銃太郎の弟子たちと合流はもう無理だ。俺たちは俺たちで戦うしかあるまい」
「確かに…」
「天下取った薩長がどんな世を作るのかは知らんが…どうせロクなもんじゃねえだろう。そんな世に生きていても仕方ねえ…。賊軍相手に一華咲かせてみるわ」
「付き合います」
大壇口から霞ヶ城へ駆ける二人。薩摩軍の後背に追いついた。野津七次の隊だった。後ろを歩く下っ端を殺しても仕方ない。二人は山道を使い野津隊の先頭の方へ先回りした。黒い獅子頭をかぶる隊長級の士官を見つけた。野津七次である。そして
「だああッ!!」
「そりゃあ!!」
斬らずに突け!その二本松の剣法を武器に二人は薩摩隊に斬り込みを敢行した。
「二本松藩、山岡栄治!」
「同じく青山助之丞!」
「た、たった二人だと!?」
驚く野津、
「撃て!撃て!」
野津が命令を発するも、山岡栄治と青山助之丞は特攻である。もはや生還を考えていない。
二人のすさまじい戦いぶりに野津隊は大混乱。ついには野津に迫るが二人は銃弾で蜂の巣となる。青山は即死、だが山岡は倒れない。野津隊は笑みさえ浮かべて太刀を突く構えを見せる山岡の迫力に気圧され、さしもの野津もその場から馬を駆って離脱。
「ふん、何が薩摩隼人よ。ふっははは!」
さらに鉄砲が撃ち込まれた。
「さらば…二本松…!」
それが最後の言葉だった。山岡栄治は倒れた。山岡栄治と青山助之丞は九人も斬り殺している。まさに鬼神の突撃だった。後年に野津は
『勝ち誇った我が隊であったが、二人に斬りまくられて混乱し、この後の霞ヶ城攻撃に後れをとったほどであった。二人は実に立派であり、微塵もうろたえた様はなかった。敵ながら天晴れな勇士で、敵側には第一の殊勲者と言わねばならぬ』
と、語り『大壇口の二勇士』と讃え、記念碑を揮毫している。
◆ ◆ ◆
退却する少年たち。負傷していない者は誰もいなかった。銃太郎の死を嘆いて足取りも重い。
負傷している少年たちの足は遅い。やがて追いつかれてしまった。
「動くな!」
薩摩隊に捕捉されて鉄砲隊が並び、銃口を向ける。
「進…」
「なんだ龍次郎」
「やっぱり、小雪を抱いておけば良かったよ」
「そうだな、そうすれば俺たちもオナゴのアソコの形を知って死ねたよ…」
「ばぁか、妻の大事なところの絵を描いて見せるわけがないだろう」
「はは、それもそうか」
「今度生まれてくる時も、また二本松で会おう」
と、成田才次郎が龍次郎と進に言った。
「「おう」」
もはやこれまでと少年たちは刀を抜いて、せめて一矢報いんと構えた。
だが、薩摩隊の中から少年たちの前に歩んできた隊長が鉄砲隊を下がらせた
「お前たちか。大壇口を守っていたのは」
そして二階堂衛守が持つ包みを見た。血がしたたり落ちていた。
「隊長殿は戦死なさったか。子らを残して無念であったろう」
隊長は名乗る。
「薩摩藩、辺見十郎太である。追撃はせぬゆえ、早く退いて御首を弔われよ」
「ふざけるな!敵の情けを受ける二本松武士ではない!」
辺見に一喝する龍次郎。その龍次郎の口を塞いで退かせる二階堂衛守。
今は何と言われようと一人でも多く子供たちを帰還させることだ。
「退け」
戸惑う少年たちに衛守は再度、
「退けと言っている!」
「「は、はい!」」
少年たちは退却を始めた。
「隊長、よろしいのですか?」
辺見の部下が聞いた。
「今さら、あの者たちを殺しても戦局は変わらない。かまわん」
「はっ」
「しかし、あの坊主、いい面構えをしていたわ」
酒巻龍次郎と辺見十郎太は後年に意外な再会をすることになるが、今はその再会など想像もしていない十郎太であった。
◆ ◆ ◆
敵にお情けで見逃してもらった。少年たちは悔しくて涙が出た。しかし戦えば全滅していた。
「ちきしょう…」
龍次郎は泣きながら歩いた。やがて城が見えた。全員が絶句した。悪夢の光景だ。二本松武士すべての、そして少年たちの誇りである霞ヶ城が炎上している。呆然と立ち尽くす衛守。城下の家々は放火されたか火の海だ。町の人々が逃げ惑う。まさに阿鼻叫喚であった。
龍次郎は冷静さを失った。隊を離れて走り出した。
「龍次郎!」
水野進が止めるより早く、龍次郎は混乱する城下の中に消えていった。追いかけようとする進の肩を掴んだ衛守。
「隊長!」
「追ってはならない!お前まで西軍に殺されるぞ!」
「だけど龍次郎が!」
「運があることを祈るしかない!いま四散すれば全滅だ!」
衛守はもう誰も犠牲にしたくはなかった。城にも戻れないなら丹羽家の菩提寺である大隣寺に向かうことを決めた。藩公の菩提寺なら味方もいるだろうと思ったのだ。
龍次郎は駆けた。我が家に。生きていてくれ、小雪、母上、義姉上、大粒の涙を流しながら家に駆けた。そして、家に着いた龍次郎が見た光景、それはあまりにも残酷だった。義姉の清美が家の玄関前に全裸で死んでいた。
「義姉上!」
清美はすでに死んでいた。城下に雪崩れ込んだ西軍は武家屋敷に押し入り、女たちを捕らえては陵辱した。清美もそうだ。夫遼太郎の仇にこの身を汚されるならと自決しようとしたが舌を噛み切らないように猿ぐつわをして西軍兵は清美を輪姦した。良人を殺した西軍兵に蹂躙される無念、どれだけのものか。
やがて満足した兵は酒巻家で分捕りも済ませて帰ろうとしたが、怒り狂った清美は包丁を握り、兵に突きかかった。
「この人でなしどもがあーッ!」
だが、次の瞬間、清美の頭は撃ち抜かれていた。操は女の命、それを全裸さらして死んでいた義姉の無念はどればかりか。龍次郎は涙が止まらなかった。
「兄上、申し訳ございません!申し訳ございません!」
平伏し石畳に頭をぶつけてあの世の兄に詫びる龍次郎。
「ごめんなさい…!義姉上を守れなかったよぉーッ!!」
ハッとして家の中に入った龍次郎。家の中で見た光景はさらに地獄だった。母親の八重は刀で斬られて死んでいた。
「は、母上!母上えええーッ!!」
母の亡骸にすがって号泣する龍次郎。
「ちくしょう…!ちきしょおおおおーッ!!」
妻の小雪の姿がない。家の中を探す。
「こ、小雪、龍次郎だ。隠れているんだろ、もう大丈夫だ、薩長は…」
奥の部屋の入り口、足が見えた。そこで龍次郎が見たものは悪夢と言うのも生ぬるいものだった。
小雪は首が斬り落とされ、体はこれでもかと陵辱されたのか傷だらけだった。
「うわああああああああああああああああ――ッッ!!!」
愛妻小雪の首を抱いて狂ったように号泣する龍次郎。
開戦と同時に二本松から避難する者もいれば、酒巻家の女のように留まって戦った者もいた。彼女たちも守備兵たちと防戦に当たったのだ。
守備兵たちはもはや防げないと悟り、酒巻の女たちに『もはやこれまで。家々を伝い、城下に出て米沢に落ちよ』と伝えた。
しかし、その直後に西軍兵は小雪たちが防戦していた一帯に雪崩れ込んできた。正三郎と遼太郎の位牌を取りに家へ一度戻ったことが、八重、清美、小雪の悲劇となった。
年かさの八重はすぐに斬られ、若い清美と小雪は集団で輪姦された。
男を知らない小雪にとって死に勝る恥辱だった。純潔を捧げるのは良人の龍次郎様のみ、そんなほのかな小雪の想いはズタズタに踏みにじられた。
獰猛な兵に組み敷かれては抵抗も徒労に終わり、舌も噛めないよう猿ぐつわをされ、やがて輪姦されているうちにチカラ尽きて死んでしまったのだ。
意識が遠のき、死を迎えるとき小雪は何を思ったのだろうか。
(心までは汚されない)
そう、良人の龍次郎に心の操を誓い、死んだかもしれない。
次は自分の番だったのに死んでしまいやがってと西軍兵と云う賊徒は小雪の首を斬り落とした。
まさに天魔外道の所業。小沢幾弥を看取った伊藤仙太夫、二勇士を讃えた野津七次、少年たちをあえて見逃した辺見十郎太、彼らのような士道を弁えている者たちばかりではない。血に飢えた恥知らずな者たちの方が多かったのだ。
無念だったのか、小雪は目を開いたままだった。それをつむらせ泣きながら愛妻に語りかける龍次郎。
「悔しかったろう、無念だったろう、痛かったろう、何度もオレに助けてくれと呼んだだろう。でも…俺何も出来なかった。ごめん、ごめんな小雪…」
小雪の体は傷だらけのうえ、男たちの唾液や体液で汚れきっていた。龍次郎はそれを拭いた。初めて触れる妻の肌がこんな形になるなんて。悔し涙が止まらない。
「…許さない、俺は絶対に薩長を許さない!ちきしょう…!ちきしょおおおーッッ!!」
龍次郎の怒りと悲しみの叫び。
自分も許せない。何をやっていたのだ。家族を守れなかった。
龍次郎は清美の遺体も家に入れ、自らの家に火を放った。
そしてその日のうちに霞ヶ城城下から姿を消した。絶対に薩長を許さない。その思いを胸に。
◆ ◆ ◆
二階堂衛守が連れる少年たち。
いつの間にか散り散りになり、もはや隊として形を成していない。
しかし一人でも親の元へ帰してやりたい。そう願い、衛守は藩公菩提寺の大隣寺へと歩いた。
ようやく山門が見えて、寺の入り口に差し掛かった時だった。火を熾して食事をしていた一隊がいた。その一隊は衛守たちを見て、気安そうに手招きをした。
味方か、そう安心した岡山篤次郎はその一隊に歩き出した。
しかし衛守、すぐにおかしいと気づいた。
「待て、敵だ」
と、すぐに篤次郎を追いかけた。その通りだった。その一隊は土佐藩の一隊だった。彼らはまるで狩りを楽しむかのように衛守と篤次郎を狙撃。
小用を足しに隊を一寸離れていた隊長の広田弘道が銃声を聞いて戻り、撃たれた者を見て止めた。
「バカ者!相手は子供ではないか!」
撃った兵を殴り飛ばして狙撃を止めさせたが、時すでに遅く銃弾は篤次郎を貫き、衛守はほぼ即死だった。
成田才次郎や久保豊三郎、そして高橋辰治も傷ついた体で敗走。水野進も急いで走って逃げた。みんな散り散りとなってしまった。大隣寺山門の陰に身を潜めた才次郎、豊三郎、辰治の三人は銃太郎の首をそこに隠し、
「いいか、オレたちの誰でもいい。生き残った誰かが先生を弔うんだ」
「「分かった」」
三人まとまって動いたら目立つ。別れることを決めた。
「さっきも同じことを言ったけど今度生まれ来る時も、また二本松で会おうな」
と、才次郎。
「生き残ったら、また会おう。木村銃太郎門下の我ら、一生友達、仲間だ!」
辰治が言った。泣きながら抱き合う三人。
そしてその場から散って走る三人。もう振り向かなかった。
これが三人の今生の別れである。三人は駆けた。
まずは家に。もしくは一人でも多く敵を斬るために。
撃たれた篤次郎をさきほどの広田弘道が野戦病院に連れて行った。
なんということだ、少し目を離したときに心無い自分の部下はこんな頑是無い少年を鉄砲で撃った。自分の隊長としての統率力の無さを嘆いた。
「う、うう…」
篤次郎は苦悶の声をあげた。
「しっかりせんか」
「て、鉄砲を…銃を貸せ…。ぼくはまだ…」
治療をしていた軍医もあまり篤次郎が哀れで涙ぐむ。
「なんと勇敢な子だ。何として快癒させ、私の子としたい…」
篤次郎は意識が遠のく。目には無念の涙。
「くやしいよ…。くやしいよ…」
「しっかりしろ」
「母上…」
篤次郎は息を引き取った。
広田は落涙し、改めて篤次郎の軍服を改めると『二本松藩士 岡山篤次郎 十三歳』と書かれてあった。彼が母親に代筆してもらい書かれた名前、皮肉にも役立つことになったしまった。
広田は篤次郎に対して『反感状(敵軍の士の武功を讃える書)』を書いて篤次郎枕元に残した。
反感状の全文は現在篤次郎が眠っている蓮華寺の石碑にある。
『今年十三歳にて戦死 岡山篤次郎、敵ながらも甲斐々々敷美少年一色残し置次第。薩州土州の者燐みいたはりしかども蘇みかへらず依てさしおくる一首。岡山尊公の名は幾世残れかし。【君がためニ心なき武士は 命はすてよ名は残るらん】』
戦争とは何とむごいのか。岡山篤次郎、享年わずか十三歳。
◆ ◆ ◆
成田才次郎は城下で薩長軍が略奪を繰り広げているのを見た。何が官軍、あいつらは奸賊、盗人だ。一度彼は家に戻ったが誰もいなかった。
しかし途中に叔父と会い藩主長国は米沢に落ち、多くの民も米沢を目指したということを教えてもらった。叔父が握り飯と水をくれた。夢中で腹に入れる才次郎。叔父の話によると才次郎の母親も米沢に向かい、父はまだ戦地で生きているから、いずれ合流しようと云うこと。
才次郎が知りたかったことは大体分かった。そして
「才次郎、お前もワシと一緒に来い。もう子供は戦うな」
しかし才次郎は首を振り、
「奸賊たちの首魁を討ちます。隊長と副隊長の仇を取るんです」
「才次郎?」
「叔父上、お許しください」
かつて才次郎は父に剣術について教えてもらった。二本松藩には代々『必殺を期すには、斬らずに突くべし』という刀法が伝わっていた。
その由来は、あの『忠臣蔵』の松の廊下において浅野内匠頭が吉良上野介を討ち損じたことを伝え聞いた二本松藩の初代藩主丹羽光重が、
『なぜ、斬りつけたのか。斬りつけずに突けばよかったものを!』
と悔しがった、と云う話からきており、それ以来、二本松藩においては『斬らずに突け』が伝統となっており、酒巻龍次郎の兄の酒巻遼太郎は藩主の前でその突き技を披露するほどの腕前であったと云う。
成田才次郎が出陣のおり父親から教えられたのも、『斬らずに突け』だった。
『子供のお前が刀を振り下ろしても弾かれる。敵に対したら迷わず突け!』
叔父と別れて、才次郎は気が触れたふりをして城下をふらふらと歩き、将官級の敵を求めていた。
目はうつろ、よだれを垂らし、正気の笑みではない顔。前方から走ってくる西軍の兵士は
「なんだ坊主」
「ほっておけ、頭がおかしゅうなっておる」
「帯刀しているぞ」
「何もできはせん」
と、才次郎を相手にしなかった。様相は狂人でも戦意はいまだ旺盛である強き意思。
そして一隊が歩いてきた。長州藩の一隊である。先頭には赤い獅子頭をかぶる立派な武士。
長州藩士の白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。
長州軍は二本松攻めで少し後れをとってしまった。
薩摩の伊地知正治と土佐の板垣退助は安全な後方に下がり、前線には出てこない。
白井はそんな伊地知と板垣に腹を立てていた。将官がそんなだから兵は軍律を守らない。白河の時もそうだったが兵は女を犯して略奪を繰り返している。
「愚かな、勝つにも形がある。かようなことをすれば、みちのくの者はけして西軍を許さない」
白井は何度も後方にいる伊地知と板垣に前線に出て軍律を徹底させよ、そう言っている。
白井は高杉晋作の作った『奇兵隊』の出身。百姓町民で混成された部隊の一隊長ゆえ伊地知と板垣も白井を軽んじていたのだろう。
奇兵隊には高杉晋作が定めた鉄則『隊中諭旨』があった。
『農業の妨げや田畑を踏み荒らしてはいけない』
『庶民のものは草一本たりとも奪ってはならない』
『強き敵の百万を恐れず、弱き民一人を恐れよ』
白井の隊はそれを徹底していたが、他隊はやりたい放題。何度か注意はしたが『他藩の口出しは無用』と言い張り話にならない。
「薩長が中心の西軍、たとえ我らがせずとも二本松の者は長州がやったと見なし、後々まで許すまいな…」
赤ん坊の泣き声が聞こえた。息絶えた母親の背で泣いている。
「…この戦でどれだけの子供が死んだのか…」
「なんだ小僧!」
「帰れ坊主!」
部下が誰ぞに怒鳴っていたので、白井はその誰ぞを見た。凛として自分を見つめている一人の少年。
成田才次郎だった。
「まだ子供だ。討ってはならぬ」
「はっ」
才次郎は抜刀して白井に走り、体当たりをした。
「斬らずに突け!」
「ぐああッ!!」
才次郎の太刀は白井の腹部を貫いた。
「な、何たる不覚…」
そのまま刀を刺したままと白井と共に倒れる才次郎。白井の部下たちは激怒し、兵の一人が倒れる才次郎の頭を銃床で殴りつけた。才次郎の意識は薄れる。だが才次郎に討たれた白井は
「待て…討たれるは我が不明…。かような勇敢な少年に討たれて本望だ。その少年を殺してはならぬ…。手当てをしてやれ……」
そう部下に言い残して死んだ。だが銃床で頭を殴られたのが止めの一撃となったか、才次郎はすでに白井に折り重なり刀を突いたまま死んでいた。
成田才次郎 享年十四歳。
白井と才次郎の最期の様子は、長州兵から真行寺の住職に伝えられ、白井は長州軍でありながら二本松で弔われている。才次郎の父は息子の墓参と共に、白井の墓への墓参もまた欠かさなかったと伝えられている。
◆ ◆ ◆
他の隊士も凄惨な最期を遂げていた。
焼け付くような喉の渇きに耐えかねて、小川で喉を潤しているときに狙撃を受けた者。
才次郎のようにせめて敵将に一太刀と潜んでいたら、大砲の流れ弾に吹っ飛ばされ絶命した者。
いずれも十五歳以下の少年である。こんな幼い命を奪ってまで築く新時代とは何なのだろう。
高橋辰治は大壇口で負傷しながらも何とか城下に帰ってきた。郭内は敵で満ちており、城は炎上落城している。もう帰る家はない。敵を一人でも突き殺して死のう、そう思った。
『辰治、男らしく戦うのですよ』
涙を堪えている母から出陣前に言われたこと。今からやる斬り込み、それは男らしいのか分からない。
しかし、もはやこれまで。
「母上、私はまた母上の子として生まれます。お元気で」
決死の辰治、敵の巡回兵が来るや飛び出して突きかかった。
しかし無念にも返り討ちに遭い斬り殺された。享年十三歳。
遊佐辰弥は自宅近くの松の木の下で袈裟懸けに斬られて死に、徳田鉄吉も自宅前で死んでいた。
木村丈太郎も戦死、誰かが運んできたのか丈太郎の顔には白い布がかけられていた。
それぞれの手には脂で滲んだ太刀がしっかり握られていたと云う。
出陣前、母に実戦用の太刀を用意してもらった上崎鉄蔵。彼もまた
「母上、お婆さま、さらばです」
悲壮な覚悟で敵兵に突撃して、そして斬られた。
少年たちの悲劇は大壇口で木村銃太郎、大隣寺で二階堂衛守と云う指揮官である大人を亡くしたことだ。
あの白虎隊も大人の士官に合流できた者は助かっているが、少年たちだけで行動した者は亡くなっている。戦場で指揮官を失った少年たちには、どうしようもなかったのだ。
江戸帰りの生意気な小沢幾弥とケンカした大桶勝十郎も西軍兵相手に戦っていた。
ケンカ友達の幾弥も死んだと聞いていた勝十郎。弔い合戦とばかり戦ったが多勢に無勢。銃弾が右膝を貫き倒れた。
しかし刀を支えに立ち上がる。負けるものか、負けるものかと。
だが、数え切れない銃弾が勝十郎を襲った。
「は、母上ぇ…!」
悔し涙をポロポロと落とし、母を呼んで絶命した。享年十七歳だった。
あの日、小沢幾弥に二本松の礼義を教えてやると勝十郎と共に幾弥を小川に放り投げた岩本清十郎と中村久次郎は糠沢村の上之内にて西軍と壮絶な銃撃戦を繰り広げている。
二人は薩摩と土佐の部隊と最後まで戦い抜いて討ち死にした。岩本清十郎十七歳、中村久次郎、同じく十七歳だった。二人の戦いぶりは敵味方も称賛し『上之内の二銃士』と讃えた。
久保豊三郎は大壇口の戦いで負傷していたが、まだ自力で歩くことはできた。
しかし仲間たちとはぐれて間もなく破傷風にかかり倒れた。その後、玉の井の野戦病院に運ばれた。
すぐ近くに兄の鉄次郎も治療を受けていたが、すでに意識がもうろうとしていた豊三郎はそれも知らず母の名前と密かに思慕していた娘の名前を呼んだ。
「智…」
『智はね、大きくなったら豊三郎のお嫁さんになってあげる…』
「智…ごめん…」
豊三郎は息を引き取った。享年十二歳。
水野進は懸命に駆けた。運が良かった。家族は米沢に向かったことを記す書置きが家にあった。彼の家は分捕り(略奪)の憂き目にあっていなかったのだ。家族が残していった金と食料を持ち、城下を走る。
その道中のこと。同年ほどの娘とぶつかった。
「何をしている!西軍に見つかればヒドい目に遭うぞ!」
「あなたは木村隊の人ですね?と、豊三郎は?」
よく見れば、それは久保豊三郎がいつも遊んでいた智だった。
「教えて!豊三郎は無事なの?」
「…大隣寺の前で敵襲を受けて散り散りに…。分からない」
「ああ、豊三郎、豊三郎…」
よほど豊三郎が心配なのか、智は泣き出している。進が豊三郎と別れた当時には、まだ自力で歩けた豊三郎だが傷は深かった。もはや生きてはいまい。進はそう思った。
「とにかく仲間の友達を見捨てていけない。お前の家族は?」
「散り散りになってしまったの…」
「落ち行く先は聞いていないのか?」
「米沢に…」
「ならば一緒だ。オレと来い」
「でも豊三郎が!」
「生きていれば会える!」
「……」
(生きていれば…)
進は智の手を握り米沢へと向かった。彼女は後年に水野進の妻となる。
蓮華寺、遼太郎と龍次郎兄弟の師である日勇和尚が住職を務める寺。ここも西軍に占拠されてしまった。無念なるも和尚一人では抗いようもなかった。西軍は略奪してきた女たちを寺で犯し、それが済めば酒宴で酌をさせていた。
女たちも当初は拒絶していたであろう。しかし兵たちは暴力を振るい、無理やり言うことを聞かせていた。中には幼い妹や弟、老いた祖父母が人質に取られ、泣く泣く従うものもいた。
日勇は西軍が寺を占拠してから、ずっと兵たちに襟を正せ、女たちを解放しろと訴え続け、仏法と人道を説いた。
「お前たちはそれでも男か、いや人なのか」
そんなことは馬耳東風、まさに勝者の驕り。
この当時、僧侶はそれなりの畏敬を受けていた。僧侶を殺せば天罰が下ると。
ゆえに西軍の兵たちも日勇の説教をうっとうしいと思いながらも殺さず放っておいた。
日勇は何度も諭したが、何を言ってもムダと分かり西軍兵が酒宴をしている寺の本堂、その真ん中にある大きな柱、それに背をつけて日勇は割腹したのである。
「我、いま日蓮大聖人捨身奉仏の念力をもって、汝ら奴輩の畜生道を目覚めしめるぞ。南無妙法蓮華経!!」
あまりの割腹のすさまじさに一気に酔いが醒めた西軍兵。
ここにいて好き放題していたら本当に天罰を食いそうだと、西軍兵はようやく女たちを解放して蓮華寺をあとにした。
一番弟子の遼太郎は死に、二番弟子の龍次郎も行方知れず、酒巻の家族は皆殺しにされたと聞いた。日勇は長生きをする気もなかったのかもしれない。驕る西軍に二本松人の魂を見せつけ、日勇は逝った。
◆ ◆ ◆
この日、霞ヶ城は落ち、そして城下町は地獄と化した。
戊辰戦争は二本松の人々から何もかも奪い尽くしたのであった。
現在の二本松市に訪れてみると、少年隊を含めて戊辰の役で戦った者たちの墓が山奥にあることが分かる。かつ発見は困難であることが多い。それは死者を弔ってはいけないと云う人を人と思わない薩長新政府の理不尽な命令により、遺族は見つからないよう奥へ奥へと埋葬するしかなかったのである。
平成の現在になっても墓が発見されていない隊士もいる。無縁仏として弔われており墓碑が判明しないのである。二勇士の山岡栄治は埋葬されている寺は判明していても墓石がどれか分かっておらず、木村銃太郎の首がどこに埋葬されたのか現在も不明である。
それら英霊たちにとって戊辰戦争は終わっていることなのだろうか。どうして少年たちは幼い命を散らさねばならなかったのか。その問いに答えられる者はいないのかもしれない。
ここから後日談となる。しばらくして仙台と米沢も西軍に降伏。こうなっては二本松も戦えない。
矢尽き、刀折れた二本松も降伏した。西軍にとって残るのは会津藩のみ。
大壇口で戦い負傷した三浦行蔵は退却中に隊からはぐれ、道沿いの豆畑で苦しんでいたところを近くの農夫に助けられた。しばらく生死をさまよったが何とか粥をすすれるほど回復の兆しも見え始めていた。
農夫から二本松はどうなったのか、と訊ねた。農夫は
「二本松は西軍に降伏、お殿様は大隣寺に謹慎しております」
と答えた。三浦行蔵はそれを聞き、悲しそうに笑い
「謹慎か…。何か悪いことをしたのかな二本松は…」
いったい二本松に何の落ち度があったのか。そんなものは針の先ほどなかった。
チカラで言うことを聞かせようとする薩長の思い上がりをどうしても許せなかったのだ。
薩長は自分たちの利権のために因縁をつけて戦を仕掛けてきたのだ。
朝廷を味方につけているうえに、圧倒的な兵器力の差で自分たちが必ず勝つと分かっていたからである。勝つのが分かっている戦をやるなんて武士のすることか。汚い、薩長は汚い。錦の御旗と多量の最新火器を嵩にした弱いものいじめだ。一少年兵であった行蔵もそれを分かって戦っていた。
しかし、負けたことで薩長は正しく、二本松は朝敵となった。汚名を晴らせないまま終わってしまった。悔しさのあまり涙が止まらなかった行蔵。その後、回復した行蔵は蒲団をきちんと畳み、農夫に礼を述べて、いずこかへと去っていった。行蔵がその後どんな人生を歩んだかは現在も不明である。
参考資料
・十二歳の戊辰戦争 林洋海
・二本松少年隊のすべて 星亮一
・霞の天地-二本松少年隊物語- 東雲さくら/まきお