第二話 大壇口の戦い
大壇口の戦いです。現在この古戦場を春に赴くと桜がとてもきれいです。
木村銃太郎が率いる少年隊は、二本松城下南方の要衝である大壇口、その小高い丘で守備に着いた。
大壇口の守備隊は藩兵八番隊組頭丹羽右近を隊長とする三個小隊で、西軍本営の地である本宮に対する要衝である。銃太郎率いる少年隊はその配下となり布陣した。
布陣の様子は後年に水野進(後の水野好之)が発行した『二本松戊辰少年隊記』に
『大壇口に出陣して右手に布陣。周囲の地形を見るに一軒の人家あり、その側面には杉の木が数本あり。右手には竹やぶに続きて田畑あり。杉の木の中間に大砲を配置。我らはその左右に位置した。多くは畑地であり、身を隠すところなく枠木を組んで横に丸太を渡し、これに畳を二枚ずつ並べて縄にて結着し強固な盾とした』
と、ある。少年たちは『西軍のヘロヘロ弾丸など、この畳を貫通しないから大丈夫』と豪語していたと云う。かくして少年隊の陣場が構築された。
「みな、よくがんばったな」
「「はい!」」
行軍と陣場作りに疲れたであろう少年たちを労う銃太郎。
「戦闘は明日か明後日であろう。私と二階堂副隊長が見張りをするゆえ、そなたたちはもう休むがよい。夜露で火薬を湿らせないようにな」
「「はい!」」
実戦を知らない少年隊たちはまるで遠足気分であった。
『何となく江戸見物でも行きたらん心地であり、浮々として夜半にいたれども寝られず』(二本松戊辰少年隊記)
だが、それでいいと銃太郎は思っていた。この時に少年隊たちが仲間たちと何を話していたかは分からない。早くも家に帰りたくなった者。恋しい娘を思い浮かべている少年もいただろう。
「おい、龍次郎」
と、仲間の水野進が龍次郎に声をかけてきた。少しウトウトとしていたのを邪魔された。
「何だよ、進」
「あのさ、オナゴのアソコってどんな形しているんだ?」
「え?」
「この中で嫁がいるのお前だけだ。もう小雪殿を抱いたんだろう?」
「……」
「オナゴを知らないままくたばるかもしれないからな。アソコの形くらいは知っておきたくて」
「ああ、俺も知りたいな!」
「俺も俺も!」
耳ざとく、進の声を聞きつけた仲間たちが寄ってきた。
成田才次郎に至ってはご丁寧に紙と筆を用意して龍次郎に渡した。さあ描け、と言わんばかりである。
「…俺も知らない」
「「は?」」
「小雪と…そういうことはしていない」
「なんで? 夫婦になって、ヒィフゥミィ…三月は経ったろ?」
しつこく聞いてくる進。だが、どこの世界に愛妻の秘部を絵に描いて他の男に見せる男がいるか。
「小雪と俺は兄妹のように育った。夫婦になってからも中々実感が湧かなかった」
互いが稚児のころから一緒に暮らしていたのだ。実感が湧かないのも無理ないだろう。
夫婦になってからも接し方はあまり変わらず、一緒に阿武隈川で遊びに行き、夕暮れの安達太良山も一緒に見に行った。睦み合いのようにじゃれあうこともあったが、それも夫婦と云うより兄妹の様相。子作りどころか口づけもしていない。
「でも、やっとこさ手を握ったんだ」
◆ ◆ ◆
幼い夫婦には大きな前進だった。いつものように夕暮れの安達太良山を見に行き、二人の気に入りの場所でずっと見ていた。
その時、龍次郎は小雪の手を握った。びっくりしたように飛びあがった小雪。
「手荒れしている」
「…だ、台所仕事で」
顔が真っ赤の小雪。
「でも温かい。じっくり握らせてくれよ」
「……」
少し震えながら右手を差し出す小雪。それを両手で握った龍次郎。
「これが、俺のお嫁さんの手なんだな。妹じゃない、妻の…」
「お、お前さま」
左手を龍次郎の手に添える小雪。恥ずかしそうだが、それが何とも愛しい。
「なあ、小雪」
「はい…」
「俺はまだ修行の身だし心も未熟だ。女子を知ったら戦う覚悟が鈍る」
「……」
「そなたを抱くのは、この戦が終わって生きていたらにするよ」
「…はい、お待ちしています(ポッ)」
◆ ◆ ◆
「と、いうわけで…あれ?」
うっとりとして仲間たちに話していた龍次郎だが、そんなノロケ聞いていられるかと仲間たちは龍次郎に背を向けて寝ていた。
「勝手なヤツだな進、お前から聞いてきたのに!」
「俺はオナゴのアソコの形を聞いたんだ。誰がノロケを言えと言ったよ!さっさと寝ろ!」
「ちぇっ」
龍次郎は再び横になった。
(ホントは抱きたかったよ…小雪)
少し股間も熱くなってきた。
(ああ、未熟者!さっさと寝ろ俺!)
久保豊三郎はいつも遊んでいる近所の娘のことを思い出していた。
ちなみに言うと、二本松藩には会津藩のように『戸外で女子と口を利いてはならない』と云う厳しい掟はない。
近所に住む智と云う娘、幼いころは鼻たれで男みたいだったが、十二となった今は蕾のような可愛らしさがあり、豊三郎は好意を持っていた。智も『大きくなったら豊三郎の妻になってあげる』と言っていた。
(生きて帰れたら、きっと…)
愛しい娘の顔を浮かべながら豊三郎は眠りに落ちていった。
翌朝となった。近くの小川で顔を洗い、そして朝食を食べていると
「あれ? 才次郎、先生は?」
訊ねる龍次郎。
「今さっき、お城から使者が来てお会いになられているみたいだ」
用向きが済んで戻ってきた銃太郎。龍次郎が訊ねた。
「先生、お城から何と?」
「大垣藩からしきりに降伏の仲立ちをすると使者が来ているらしい」
「今さら降伏など!それに大垣藩は薩長の走狗となって西軍に!」
「まあ、殿(丹羽長国)の奥方は大垣藩の姫だからな。本心は戦いたくはないのだろう」
「そういう大人の事情は分かんないです」
「ははは、俺もだ。それより龍次郎」
「はい」
「明日にも西軍と接触しよう。父上と兄上に褒められる戦いをせよ」
「はい!」
「うん、遼太郎と俺は親友だった。あんないい男はいない」
「兄上も同じことを」
「え?」
「いえ、兄上も銃太郎ほどいい男はいないって」
「そうか、嬉しい。だが龍次郎」
「はい」
「これから我らが直面するのは本物の戦だ。今までお前を親友の弟だからと特別扱いをしたことはなかったが、戦ではなおそうだと云うことを覚えておけ。今の私は兄の親友ではない。隊長だぞ」
「もちろんです!」
一層士気を奮い立たせる龍次郎。
「おーい龍次郎、見張りの交代時間だぞーッ!」
同じ当番に割り当てられていた才次郎が龍次郎を呼んだ。
「分かった、すぐに行くよ」
銃太郎の前から去った龍次郎。副隊長の二階堂衛守が銃太郎に歩んだ。
「聞けば、大垣の使者は『話にならぬ』と憤然として立ち去ったとのこと」
「らしいですな…」
「大垣は分かっていませぬ。二本松は降伏したくても出来ないと云うことを…」
「…今ここで降伏しても我らが三春狐と同じく会津攻めの先鋒にされることは明白であり、何より会津と仙台が逆襲に転じれば藩そのものが攻め滅ぼされる。何より三春の言われようはどうか。後々の世まで三春は奥羽の裏切り者と忌み嫌われ軽蔑されるであろう。二本松は降伏しても降伏しなくても存亡のかかった戦いをしなければならない。ならばせめて裏切り者の汚名だけは被るまいと思うのはことの道理…」
「何より奥羽と越後は再三再四、西軍に和議を主張しました。しかし西軍は聞く耳持たず、文句があるなら戦場にてまみえようと云う無礼千万。こんな暴徒にどうして降伏出来ましょう」
「その通りだ、衛守殿」
同二十九日、二本松藩の一番長い日が始まった。
この日最初に開戦の火蓋が切って落とされたのは供中口の戦いであった。供中口は霞ヶ城の東3.5キロの場所にある関門である。二本松軍で供中口を守備していたのは樽井隊二個小隊と三浦権太夫率いる農兵隊約150名であった。
兵数と火器の性能から劣勢は否めないが、地の利は二本松側にあった。西軍が二本松城下に雪崩れ込むには大河阿武隈を渡河する必要がある。供中口はその渡河を文字通り水際で防ぐ要所である。対する西軍は肥前国大村藩の渡辺清左衛門率いる二千三百名の軍勢である。
当時、両軍が睨みあっていた阿武隈川の川幅は百メートルを越していたと言われ、川岸部を合わせると二百メートル近く離れていた。
しかし、西軍のスナイドル・スペンサー銃なら届き、二本松側のゲベール銃は届かない。たちまち供中口とその隣の高田口を守っていた兵の士気は低下していく。
権太夫は農兵たちに告げた。
「理由はどうあれ錦旗に矢を射るわけにはいかぬ。お前たちは家に帰り、親兄弟と女房子供を安心させ田畑に励むが良い」
と、農兵たちにわずかの金を与え、彼自身は烏帽子直垂姿で阿武隈川の堤防に立ち、単身で西軍の前に立った。
「我こそは丹羽左京太夫(藩主の丹羽長国)が臣、三浦権太夫義彰なり!」
堂々とした名乗りをあげたあと、彼は弓矢を西軍に射た。だが届かず、西軍の隊列の前に落ちた。その間にも西軍は攻撃を続けている。頃合いを見て阿武隈川の渡河作戦に入った。
権太夫に退却するよう指示された農兵たちは引かなかった。西軍の渡河作戦を何とか食い止めようとしたが、このころすでに指揮官の権太夫は自決していた。
やがて大軍に寄せられ、渡河作戦を食い止めること叶わず農兵たちは退却していく。
西軍兵は権太夫の亡骸を見るや
「烏帽子直垂に用いる武器は弓箭、何がしたかったのか、この男は」
と、笑った。隊長の清左衛門が権太夫の使っていた弓弦に紙が結ばれていたので、それを広げると
『明日散るも色は変わらじ山桜』
清左衛門は敵ながら見事とは思わなかった。何故なら、この渡河作戦に対して隊長の権太夫が農兵を率いて徹底抗戦をしたのなら、大村藩の軍勢は壊滅していたかもしれないのだ。阿武隈川の川幅は広く、二本松側にとっては天然の防壁だ。渡河中に攻撃されれば手も足も出ないのだから。
それを容易く渡らせたうえ自己満足も同然な死に方をした男。清左衛門はここに配置されていた部隊がもろかったのは、この男によるものだと分かった。『勇将の下に弱卒なし』と云うが、その逆で将が弱腰なら兵も弱卒である。
これで敵軍に二本松城下に殺到する勢いを付けることになる。自軍に有利な展開となったものの清左衛門は権太夫に手を合わせる気にはなれなかった。
「何でこんな身勝手な男を要所に配置したのやら。こやつのしたことは、ただの利敵行為ぞ」
しかし、錦旗に逆らうことは出来ぬと死を以て体現した者となると無下に出来ない。部下に命じた。
「東西と別れても同じ勤皇の士だ。こやつの死にざま記録しておけ」
二本松関係者で戊辰戦争後に新政府から賞詞を受けているのは三浦権太夫だけであり、大正八年、特旨をもって正五位を追贈され『唯一尊王義士』として靖国神社に合祀されている。
◆ ◆ ◆
時を同じくして供中口の後方である愛宕山で備えていた大砲方の朝河隊に権太夫の最期が伝わった。隊長の朝河八太夫はそれを聞いて絶句した。隊員の中に見事な最期と讃えていた者がいたが、
「何が見事か!」
隊は静まり返った。
「農兵を逃し、自分だけ敵に勤皇の意志を見せて死ぬ。裏切りでなくて何なのだ!」
権太夫は藩政に反対し、かつ今回の戦いにしても恭順を唱えていた。天皇を掲げる軍隊と戦うべきではないと。
「天皇の軍隊、権太夫のタワケはあの薩長が菊のご紋を掲げるに相応しい軍隊だと云うのか。あいつら白河で何をした!略奪と強姦だぞ!どこが王師(天皇の軍隊)と云うのか。お前の死に様はせめてもの藩への抵抗と云うことか。何と身勝手な。あの世で会ったら殴り飛ばしてくれる!」
隊長の朝河八太夫は後年に米国のエール大学教授として日米開戦を回避すべくルーズベルト大統領に親書を送った朝河貫一の祖父である。
「先生、いえ隊長、落ち着いて下さい」
隊員の小沢幾弥が歩んできた。彼は但鼓手として参戦している。自慢の新式銃を背中に背負っていた。
このはねっ返りに落ち着けと言われるとは、と八太夫は苦笑し
「分かっている。薩長は間近に迫ってきている。全軍迎撃準備だ」
「はい!」
朝河八太夫は全軍を鼓舞。
「我らはここ愛宕山を死守する!薩長のヤツバラを一兵たりとも通すな!」
「「オオオオオッッ!!」」
双眼鏡で前方を確認していた小沢幾弥。
「隊長、敵影確認!!」
先ほど、三浦権太夫と対した大村藩の軍勢が愛宕山に迫ってきた。
幾弥は自分の武器である銃を構え、息を飲んだ。彼の銃は新式銃で薩長軍が持つ物と性能は拮抗する。江戸から二本松に帰る時に買ってもらったのだ。
いつも『いいだろ、いいだろ』と城下町で見せびらかしていた。それが反感を買い、小川に放り投げられたわけだが、今では同年の少年たちとも打ち解け、話し方も江戸弁から二本松の言葉となっていった。
その自慢の新式銃を構え、好きになった故郷二本松を守るのだ。銃を握る手にもチカラが入った。
そして西軍との戦いは火蓋を切った。突出してくる西軍に対し、愛宕山の地形と塹壕を活用し鉄砲で迎撃する。幾弥の銃はさすが新式なので抜群の働き。次々と敵兵を蹴散らす。
「見たか!」
「浮かれるな!どんどん撃て!」
隣の塹壕にいる八太夫に怒鳴られる。その新式銃を『猫に小判』ではなく必殺の武器にさせられたのは砲術指南で、幾弥の師である八太夫の指導が大きい。幾弥は撃ちまくった。
しかし、あまりにも多勢で西軍は幾弥の持つ銃を一兵卒が持っている標準装備。火器の数と性能が違いすぎた。やがて朝河軍は壊滅状態となり、八太夫は退却を下命。その瞬間だった。幾弥の隣の塹壕に大砲の弾が直撃。
「先生!」
八太夫はもう虫の息だった。続けて第二発が来た。幾弥は吹っ飛んだ。
「うわああーッ!」
ほぼ全滅となった愛宕山の守備隊。まだ息をしている者を討ちながら西軍は愛宕山を突破。幾弥は木々の陰に飛ばされ、その掃討で命を落とすことはなかったが着弾の衝撃で目を負傷し、全身を強く打っていた。
「うう、痛いよ、見えないよ…。ちくしょう!」
目はうっすらとしか見えない。体をひきずって師の八太夫の亡骸に歩む幾弥。さっきまで爆音轟いていた戦場がウソのように静かだった。幾弥は地形の記憶を辿り、八太夫の亡骸へと着いた。師はすでに死んでいた。
「先生、先生ーッ!うわああああッ!」
号泣する幾弥。江戸帰りで生意気な幾弥は大人にも嫌われたが、八太夫はその生意気な鼻っ柱が逆に気に入り、弟子にしてくれた。新式銃を使っているのに的へまったく当てることができなかった幾弥に根気よく砲術を教えてくれた師を心から尊敬していた。
「ちくしょう、ちくしょう!五分の兵力と火器さえあれば薩長ごときに!ちくしょおおーッ!!」
幾弥は師の亡骸を背負い城下に至る。亡くなった師の亡骸を久保丁入口の大手門近くに埋めた。素手で穴を掘った。爪ははがれ、十指全部からおびただしい出血。
大事な銃は見つからなかった。たぶん薩長軍に持ち去られたのだろう。視力は戻らない。意識もうろうで歩く幾弥。無念の涙を流し、せめて薩長のヤツら一人でも道連れに、と思っていたが久保丁坂でとうとうチカラ尽きて倒れた。そこへ薩摩藩の伊藤仙太夫が率いる一隊が通りかかった。
「何と、まだ少年ではないか」
幾弥は最後のチカラを振り絞り言った。
「敵か…味方か」
すでに目は見えなかった。深手の重傷、伊藤は幾弥を哀れみ
「味方だ」
と答え、その言葉に脱力した幾弥を抱き上げた。幾弥は手を首に当て、自分の首を斬るよう伊藤に願う。
「何か言い残すことはないか」
「俺の家の人に会ったら、幾弥は一生懸命戦ったと…」
「分かった。必ず伝える。いま、楽にしてやる」
伊藤は幾弥に止めを刺した。小沢幾弥、享年十七歳。
◆ ◆ ◆
大壇口にも西軍は迫る。寄せるのは薩摩軍の隊で、率いるのは辺見十郎太であった。大壇口の前方にある要所の尼子平、そこを守備するのは藩の軍学師範である小川平助である。峻険な高地に堅固な陣場を築いた。
軍学師範だけあり、小川の采配は薩摩軍を悩ませた。辺見の隊だけではとうてい攻略できず、大隊が二隊援軍として投入され、迂回して包囲戦術を駆使してようやく落としている。薩摩軍は小川の采配を讃え、その肝を食らったと云う。小川の備えにいた兵士数名は生き残り、後方の大壇口に後退していた。その後退の様子は前線を凝視する銃太郎の視野に入った。
「こちらにござる!早く参られよ!」
小川隊の兵は銃太郎の声に気付き、
「木村のセガレの隊だ、あそこまで退き…」
と、仲間たちに伝えようとした、その瞬間だった。彼らは閃光に包まれ、肉片となり砕け散った。薩摩軍の大砲が後退する小川隊の兵士めがけて撃ったのだ。はじめて人が粉みじんとなる光景を見た銃太郎と少年たち。銃太郎も呆然、龍次郎もツバを飲んだ。
「さっきまで歩いていた人間が…アッと云う間に塵と…」
そのさまを見て、怯えの声を出す少年たちもいた。
「あ、あんな武器を持っている西軍に勝てるはずがないじゃないか。こ、殺される!」
「は、母上…!」
無理もないことだ。だが、今から逃げたとしても西軍に捕捉されて殲滅されるのは明らかである。戦うしかない。だが士気が落ち出したのをどうするか。その時だった。
「みんな!我ら木村銃太郎隊は徹底された訓練を受けた二本松最強の精鋭だ!」
龍次郎が言った。
「上級武士たちの訓練を見たか。鉄砲など足軽の持つ武器だとつまらないメンツにこだわり、刀と槍の戦闘に固執して洋式鉄砲術の会得も拒否、ほふく前進の訓練もイヤがった!でも我らは違う!先生のもと、一番合理的で攻撃力のある戦闘訓練を受けたんだ!俺たちは二本松の最強の部隊なんだ!」
これが仲間たちを奮い立たせた。
「さすが嫁がいると違うな!いいことを言う!」
突っ込む才次郎、笑いが起きて全員から緊張が解けた。そして銃太郎が言った。
「よくぞ申した龍次郎!みな、逆賊薩長は目前ぞ!」
「「はい!!」」
「たとえ『錦の御旗』を掲げようと、それは幼帝をたぶらかして手に入れたに過ぎない。薩長は断じて王師(天皇の軍隊)ではない。ただの奸賊に過ぎぬ。断じて我らが負けることはない。龍次郎の申すとおり、我らは二本松、いや神州(日本)一番の精鋭なのだ!」
「「おおおッッ!!」」
銃太郎も鉄砲を構えた。傍らにいて前線を睨む龍次郎を見つめた。
(遼太郎、お前の弟に救われた。あやうく戦う前に我が隊は恐怖で瓦解するところだった。お前がここにいたらこう言うだろうな。『さすが俺の弟だ』と)
龍次郎は学問も刀槍もパッとしない。背も低いに加えて華奢であり、相撲では仲間たちに勝てたことがない。兄に及ばぬ愚弟と云う嘲笑を受けたこともあったろう。とても砲術は無理と当初銃太郎は思っていた。
しかし親友遼太郎に『お前の弟子にしてやってくれ』と頼まれれば断るに断れず弟子にした。
遼太郎は『弟は結構やるぞ』と言っていた。あいつほどの男でも弟への盲愛で目が曇るかと思ったが、しばらくすると自分の目の方が曇っていたと分かった。
龍次郎は砲術の覚えが早く、こと狙撃の腕前では三ヶ月も経たず銃太郎を追い抜いてしまった。他のことでは同門の少年に敵わないが、狙撃だけは木村道場一番となった。龍次郎は武士が学ぶ武技の中で砲術が一番好きであった。好きこそものの上手なれと云うが、おそらく天性の資質もあったのだろう。
(何より胆力もある。こういうのは教えても身につかない。遼太郎、お前はいい弟を持ったよ。妹しかいない俺にはうらやましい)
そしてキッと前線を睨む銃太郎。錦の御旗と丸に十字の薩摩藩の旗が見えてきた。大軍である。
銃太郎を始め、副隊長の二階堂衛守もこれが初陣である。これが初めての実戦なのだ。少年たちも無論初陣である。敵勢の進軍の音、そして少年隊の陣の中にある緊迫した呼吸の音だけが響く。
(ハァ…ハァ…ハァ…)
銃太郎は冷静に薩摩軍の進軍を見つめながら大砲の照準を合わせる。そして後に西軍が最たる激戦と評した『大壇口の戦い』の火蓋が切られた。
「撃てえッ!!」
四斤砲が火を吹いた。見事、薩摩軍の先鋒切っ先に砲弾を炸裂させて吹っ飛ばした。
「鉄砲、撃て!」
防壁の畳の後で横隊をしいていた少年たちが一斉に鉄砲を撃った。龍次郎も撃つ、撃ちまくって敵を倒す。父と兄の仇を討つと云う気持ちが彼の中でどんどん士気を上げていく。
「大砲、続けてどんどん撃つぞ!」
「「はい!」」
岡山篤次郎と成田虎治が大砲の担い手である。二人は顔を真っ黒にして砲身に火薬と弾丸を詰め込んだ。たった一門だが銃太郎は何門もあるかのように大砲を撃ちまくった。
「なんちゅう正確な射撃だ」
辺見十郎太は驚き、この部隊の中に野津七次(後の道貫)がいたが、彼もその射撃のうまさに驚いた。まさかこれほどの攻撃を年端も行かぬ少年たちが行っているとは想像もしていない。怒涛の前進を続けていた薩摩軍の進軍が止まった。
辺見は正面からの突撃をやめて、民家や木陰に身を潜めて敵を囲むように進軍するよう命令。
無論、銃太郎も敵の取った動きを見ている。その潜んだ先に撃つ、繰り返し撃つ。まさに砲弾の雨だ。
木村銃太郎隊の用いていた大砲は四斤砲で、口径八十七ミリの前装の施条砲で信管のついた榴弾、榴散弾、震弾の三種類の砲弾を撃つことが可能な大砲で、単なる鉄球が飛んでくるとのと違い破裂弾である。最大射程距離は二千六百メートル。千メートル前後がもっとも命中率と殺傷力も高い。
西軍にとっては思わぬ強力な兵器で、かつそれを自在に使いこなす銃太郎の砲術と、それを具現化できる岡山篤次郎と成田虎治の腕前。さらに加えて少年たちの正確な狙撃もある。まさに木村銃太郎隊、いや二本松少年隊は二本松最強の部隊と言えたのだ。
だが、悲しいかな数が違う。他の部隊は徐々に切り崩されていく。
かつ西軍は前線の砲声を聞き及び後続部隊が到着。砲撃隊であった。薩摩軍も一斉に大砲射撃を開始。数門の大砲が二本松軍、そして百人以下の少年隊めがけて火を吹く。
しかし幸い陣に直撃はしない。木や地面に着弾して木は少年隊の頭上から落ち、地面に落ちた弾丸はもうもうとした土煙を出す。
「負けるな!撃ち返せ!」
逃げるものはいない。故郷を守るんだ。祖母や母、姉を、妹を、弟を守るんだ。恐怖に挫け失禁していた者もいた。だが、その者も逃げない。攻撃を続けた。
側面から弾丸が飛んできた。敵が側面に回りこんだ。龍次郎の目の前を弾がかすめた。
「先生!左方に敵が回りこみました!」
「よし、任せよ!」
岡山篤次郎と成田虎治は迅速に砲台を左旋回、旋回させながら銃太郎は照準を済ませていた。
左方に回りこんでいた敵兵は驚き、
「まさか!?この陣には一門しか大砲がなかったのか!?」
「退け退け!たとえ一門でも使い手がすごい腕だ!」
陣の左方に大砲発射、すぐさま前面に大砲を方向転換、撃ちまくる。
だがすでに防壁としていた畳はズタズタとなっており、もはやその用を果たしていない。
「立つな、伏せて敵を狙い撃て!」
「先生、もう弾がありません!」
悲痛な報告。十分な軍備で配置したが、敵はあまりに多勢だ。
大壇口後方に配置していた老兵隊が前方の砲声を聞き及び駆けつけた。孫ほどの少年が戦っているのに、後方にいられるものか。突撃を開始した。
だが、やはり多勢の薩摩軍は強い。味方の屍を越えて、どんどん迫る。左方に再び敵兵が寄せ、右方にも忍び寄る。
「先生!辰治が!」
誰が叫んだかは分からない。高橋辰治が鮮血にまみれて倒れた。
「しっかりせよ!」
「だ、大丈夫です」
「先生!午之助が大ケガです!」
上田孫三郎が悲痛に叫ぶ。奥田午之助は仰向けに倒れていた。
「銃太郎殿!」
もはや退却しかない。副隊長の二階堂衛守は訴えた。銃太郎もそんなことは分かっている。
その時、敵の鉄砲玉が銃太郎の腕を貫通した。次々と増える犠牲者、自分のかわいい教え子たちが。
銃太郎は悔しさに震えた。腕なんか痛くない。だが自分を慕い付いて来た少年たちが死んでいく。
言葉に出来ない痛みだ。老兵隊の隊長が少年隊本陣に叫んだ。
「早う城へ退け!わしらが何とか防ぐ!」
「副隊長、退却だ!私が老兵隊と共に殿軍に立…」
次の瞬間、龍次郎の顔面が鮮血にまみれた。敵の鉄砲玉が銃太郎の腰から腹部を貫いたのだ。その弾丸は龍次郎の頬をかすめた。
「先生!」
「う、おお…!」
血を吐いて、膝を地に付ける銃太郎。
「龍次郎…!」
「はい!」
「大砲の火門に釘を打て…!」
敵に接収されても使われないようにするためだ。
「は、はい!」
「みな、隊長を担ぐのだ!退却するぞ!」
衛守の指示で銃太郎を担ごうとした成田才次郎と水野進。その手を振り払った銃太郎。
「私に構うな、すぐにお前たちは城に戻れ。早く行け!」
「「先生!」」
「私はもはや戦えぬ。腹を貫かれてはもうダメだ。足手まといにしかならぬ。首を刎ねよ」
泣き出す少年たち。ここに置いていけないと衛守は食い下がるが、
「押し問答している時間はない!副隊長、我が首を刎ねよ!」
「先生の負傷はまだ軽い!無事に城に戻るためにも先生と二階堂副隊長は我らに必要なんです!」
確かに子供が四散して切り抜けられる状況ではない。龍次郎はそれを言った。たとえ動けずとも我らを指示してくれれば。そう訴えた。
後を考えれば龍次郎の意見は正しい。指揮官からはぐれた少年兵が辿りつく先は死しかないのだ。
しかし銃太郎は重傷、副隊長の衛守に指揮官を託すしかない。
「私を担いでは逃げ切れぬ。ゴホッ、今後は二階堂隊長の指示に従え」
「先生!」
「これが最後の命令だ!背くことは許さない!」
「先生…」
「さあ、二階堂隊長、介錯を!」
「されば御免!」
本当に首を斬ってしまうのか、少年たちは涙顔で衛守を見た。衛守は刀を振り下ろしたが、人の首は切れそうで切れない。衛守は三度振り下ろして、ようやく銃太郎の首を切り落としたのだ。
木村銃太郎、享年二十二歳。あまりにも早すぎる死であった。
銃太郎、無念であったろう。彼が二本松藩全軍を率いられていたら戊辰戦争の結果はどうなっていたか分からない。それほどの人物だったのだ。木村銃太郎率いる部隊、つまり二本松少年隊の攻撃について、後に陸軍大将となった野津道貫はこう語っている。
『二本松の南十丁ほどの丘陵に、兵数不明の敵兵が砲列をしいていて、我が軍を攻撃した。早速これに応戦したが敵は地物を利用して、かつ射撃がきわめて正確で、一時我らは完全に前進を阻まれた。我が軍は正面攻撃では攻めきれないことを悟り、軍を迂回させて敵の側面に回り、かろうじて撃退することが出来た。おそらく戊辰戦争中、第一の激戦であったろう』
野津はこの後の会津攻めにも参加している。
それでも木村銃太郎隊の攻撃を『戊辰戦争第一の激戦』と評しているのだから、会津藩の抵抗より凄まじい攻撃であったのだろう。いかに木村銃太郎が鍛え上げた少年たちが精強であったかを物語る。
「あああ…!先生が、先生が死んだぁーッ!」
号泣する少年たち。しかし
「泣いている場合ではない」
衛守は銃太郎の首を包んで持ち、そして少年たちを連れて急ぎ退却した。
やがて薩摩軍は特攻してきた老兵たちも駆逐。
自分たちを手こずらせた部隊の陣に来た辺見十郎太は呆然としていた。兵が
「隊長ダメです。この大砲は退却時に釘が打たれています」
と、報告するが聞こえていない。
「こ、この陣地はなんだ?」
馬から降りた辺見。敵陣に転がるのは子供の死体ばかりだった。
「みんな、まだ子供ではないか…」
野津七次が歩んできた。
「あの攻撃が…この少年たちがやってのけたことなのか…」
「なんと云うことだ。こんな子供たちまで戦場に出すとは…二本松の殿様は頭がおかしいのではないか!?」
「わしら二本松をそこまで追い詰めたのは誰だと思うている…」
死んで倒れていたと思えた老兵が辺見に言った。止めを刺そうとした兵を止めた辺見。
「何故…何故、子供を戦場に出した!?」
「おごる勝者のお前にゃ分からん…」
「……」
「子供を殺して何が新時代…!笑わせるな!」
事切れた老兵。改めて戦死した子供たちを見つめる辺見十郎太。
「…袖に名前が書いてある肩章がついている。弔うことは時間がなくて出来んが、名前を記録しておけ」
「はっ」
「忘れぬぞ、この戦」
大壇口を攻撃した野津七次は次の歌を詠んでいる。
『うつ人も うたるる人も あわれなり ともにみくにの 民と思えば』
さらに、大壇口古戦場には陸軍大将木越安綱の詠んだ歌碑が建立されている。
『色かへぬ 松間の桜 散りぬとも 香りは千代に 残りけるかな』
参考資料
・『二本松少年隊』二本松観光協会
・『二本松少年隊』星亮一
・『数学者が見た二本松戦争』渡部由輝
・『二本松少年隊物語 霞の天地』東雲さくら/まきお