第十話 西南戦争
酒巻武良は佐野常民の要請に応じた。凌雲門下の同門の医師数名を伴い、佐野の私宅に訪れた。佐野常民と大給恒が厚く出迎えた。
「酒巻殿、よくぞ決心して下さいました」
武良の手を握る佐野。
「いえ、私こそ今まで返事を渋り申し訳なく思います」
「明日の早朝に東京から船で熊本に向かいます。準備はよろしいですか」
「佐野さん、あれを」
武良は佐野邸の玄関先に置いた荷物を示した。それは山のような医療具と薬品である。松子から手渡された五百円で医師仲間と買い集めたのだ。
「木戸孝允殿(桂小五郎)から預かりましたお金で買いました」
「桂さんから!」
「木戸さんの願いでもある現地負傷者の救護、私も粉骨砕身に励む所存です」
「ありがたい酒巻殿!」
しかし今や逆賊となった薩摩兵を助けるのである。そうは順調に行かなかった。佐野は起草した博愛社の社則を時の実力者である太政大臣三条実美と右大臣岩倉具視に提出し承認を求めた。
第一条 本社の目的は戦場の負傷者を政うにあり一切の戦事は曾て是に干せず。
第二条 本社の資本金は社員の出金と有志者寄付金とより成る。
第三条 本社使用する所の医員看護婦等は、衣上に特別の標章を着し、以て遠方より鑑別するに便りす。
第四条 散人の傷者といえども、救い得べき者はこれを収むべし。
第五条 官府の法則に謹遵するは勿論、進退共に陸海軍医長官の指揮を奉ず。
博愛社は負傷者を救うことが目的であって戦争には一切関わらない。敵軍の負傷者であっても救える者は救う、と云う理念である。
しかし三条実美と岩倉具視は
『社則五条のうち一から三、そして五は是とする。しかし第四条は認められない。薩摩は、西郷は今や朝敵ではないか。これを救うとは何ごとか』
と却下した。一条でも通らなければ博愛社の現場救護は認められないと云うことだ。そこまでの経緯を佐野は武良に説明した。
「酒巻さん、それでは現場で応急処置中に政府軍に敵軍と思われ殺されます」
武良と同門の医師が言った。
「ふむ…。その点はどうされるつもりですか佐野さん、大給さん」
佐野が答えた。
「熊本に飛び、征討軍本陣に入り、総督である有栖川宮俄仁親王にお会いして直訴いたす」
「それは思い切ったことを…」
「順序を飛ばすようで気が引けるが時間がないゆえ、これしかない」
と、大給恒。大丈夫かと不安げな同門たちに武良、
「一度決めたことだ。多少の障害で腰を退かせたら我らは凌雲先生の顔に泥を塗ることになる。政府軍が難癖つけてきても叱り飛ばしてやろう。細かいことは佐野さんと大給さんに委ね、我らは救護に専念するのだ!」
「「おう」」
やがて佐野常民率いる救護団は熊本に向かった。政府の正式な許可がないままの救護活動である。危険が伴うことは承知のうえ。
しかし一度決めたからには退くわけに行かない。
「何か開陽丸で蝦夷地に行くときを思い出すな…」
やがて一行は熊本に到着。戦地に向かった。佐野常民と大給恒は言っていたとおり、すぐに征討軍本陣に駆けた。
征討軍参謀である小沢武雄と山県有朋が面会に応じ、そして佐野の意見を入れた。小沢と山県は有栖川宮俄仁親王に取次ぎを約束。二日後に佐野は征討軍本陣に再び出向いて総督の有栖川宮俄仁親王に請願書を提出した。有栖川宮はじっくりと佐野の請願書を読んだ。そして
「王師に敵なすと云えども皇国の人民、陛下の赤子である。佐野の人情の忍びざるところ、よく分かった。私が許可する。私が許可したということを三条と岩倉に書で伝えるゆえ、心配無用」
有栖川宮は朱筆をとり請願書に短く書き記した。
『願之趣聞届候事』(ねがいのおもむき、ききとどけそうろうこと。請願書を採択する)
西南戦争の勃発から三ヶ月が過ぎ、政府軍は熊本を制圧しつつあった。
佐野たち博愛社は長崎に入り、政府軍が野戦病院の一つとしていた福済寺を借り受け、そこを拠点として救護活動を開始した。ここには佐賀藩の医学塾である松尾塾の佐野の後輩たちも合流した。
武良はここでも治療優先順位の札を活用し、外科手術が必要な負傷者は武良が中心となり執刀した。治療の合間に仮眠をとっては負傷者の治療に当たった。
「さすがですな。当年五十の私にはそんな真似はできませんよ」
武良を労う佐野。小休止をとっていた武良に清水を渡す。確かに武良の働きがひときわ目立つ。彼はこの時に救護活動をしていた者たちの中で最年少なのである。当年まだ二十三歳の若さだから体力もある。
「ありがとうございます」
一息で飲む武良。
「うまい」
「酒巻殿は五稜郭にて高松さんの弟子になられたと聞きますが、やはり旧幕府軍の方ですか」
「はい、二本松藩です」
「そのお若さから…もしかして二本松藩の少年兵たち?」
「ええ、生き残りです」
「あれだけ要請しておいて何ですが、薩摩藩の者を助けるのには抵抗がありましたかな?」
「それは…ないと言えばウソになりますが、それでは師の教えに反しますので」
「『医者に敵も味方もない。あるのは患者だけだ』でしたか」
「そうです。それに…」
「それに?」
「大壇口で薩摩軍と戦い敗走し、やがて捕捉されてしまったんです。その時の薩摩軍隊長は我らが子供と逃がしてくれました。敵に情けをかけられ悔しくて思わず『ふざけるな』と怒鳴りましたが」
「その薩摩軍の兵をいま少年兵たちの生き残りが治療している…。人の縁は不思議なものですなぁ」
「その時の隊長、名前も知りませんがこの戦いでどうしているのだろう…」
「大壇口で戦った薩摩の隊長、うーん誰であろう」
「博愛社の方に申し上げる」
息も絶え絶えの薩摩兵が福済寺にやってきた。ちょうど休んでいた佐野と武良の前に馬を止めた。
「こちらに酒巻なる若い名医がいると聞いた。ぜひ我が軍の隊長の治療をしてもらいたい!この寺に運ぶのも困難なのだ!」
「酒巻は私ですが」
使いは馬を降りて武良に頭を垂れた。
「おお、手前は薩軍の雷撃隊に属する林元之助と申します。ぜひ往診に来ていただきたい」
「分かりました。佐野さん、今日は手術の必要がある患者はいないので雷撃隊の陣に行ってきます」
「分かりました、お気をつけて」
医療具と薬品を携え、武良も馬に乗って雷撃隊の陣へと向かった。
「隊長!博愛社の酒巻殿をお連れしました!」
「おお、ありがたい。入っていただけ」
「はっ、では先生、よろしく頼みます」
「分かりました」
陣幕を払い、患者のもとに歩こうとした武良。
「……!?」
「辺見十郎太である。ご足労かたじけない」
「あなたは…!」
「え…?」
「あなたが辺見十郎太なのですか!?」
「いかにも辺見十郎太であるが、貴殿とは初対面のはずでは?」
「お、大壇口の敗走の中、貴方に見逃してもらった二本松藩の少年兵です」
「ご貴殿が?」
「まさか再び会えるとは思いませんでした」
武良を見て、アッと声を上げた辺見。
「思い出した。わしが少年たちを見逃すときに『ふざけるな』と言ったワラシだな」
「覚えていてくれたのですか」
「覚えているとも。負けん気の強いワラシだと記憶に残っておる」
「あの時の辺見隊長の計らいがあればこそ、私はこうして生きています。二本松にとって薩摩は仇敵ですが、あの温情は今でも覚えています」
「立派になったな…。男の顔だ」
「ありがとうございます。では早速治療を」
「頼む」
辺見は左腕に被弾しており、そこが膿んで、ここ数日高熱が続いていた。
「切開して病巣を取り除くしかありませんね」
「治せるか」
「はい」
「では頼む」
「では兵の方を呼んで隊長を押さえてもらいます」
「なぜだ」
「麻酔は貴重で内臓の手術にしか使えません。四肢の場合は押さえつけて動けぬようにして切除します」
「そんな必要はない。かまわんからこのまま切り取れ」
「激痛ですよ。耐えられません」
「ふはは、そう言われると余計に押さえつけをされるわけにはいかん。おい碁盤を持って来い」
部下に命じた辺見。
「三国志の関羽に倣おう。碁をしているうちに手術を済ませてくれ」
「では私は華陀と云うわけですか」
「ずいぶんと若い華陀だな。あっははは」
辺見の部下が碁盤を持ってきた。
「林を呼んでこい。あいつなら俺と互角に指せる」
「はっ」
さっき武良を呼びに来た使いの林が呼ばれた。
「碁の相手をせよ」
「わ、分かりました」
熱湯消毒した手術道具を握った武良。腕を高い台座に置いた辺見。
「では行きます」
「頼む」
麻酔無しで辺見十郎太の腕の手術を始めた武良。血が吹き出す。
「う、あ…」
目を背ける林。
「お前の番だ。早く指さないか」
辺見の顔をチラと見る武良。
(たいしたものだ。この人はこの手術さえ隊の士気高揚に使う気だ。激痛を屁ともしない豪胆さを見せる。兵は頼もしいと思うだろう)
「そういえば名前を聞いていなかったな」
「酒巻武良と云います」
「たけよし…。どういう字で書くのだ?」
「阿武隈川の『武』、安達太良山の『良』、会津藩主松平容保様が鶴ヶ城の戦に参加した私を労い、そう名づけてくれました」
「そうか…。薩軍を代表して礼を言う。二本松藩であった武良からすれば薩摩は憎んでも憎みきれない仇敵。それなのに熊本に来て我ら薩軍将兵らを治療してくれている」
「それが私の仕返しです。薩摩の者に感謝されて頭を下げさせると云うことが」
「なるほどな…」
「さ、これ以上は話しかけないで下さい。手元が狂ってしまいますよ」
「お、こりゃ失礼。わっははは!」
(さすが大壇口で我ら薩摩軍をさんざん手こずらせてくれた精鋭の少年たちよ…)
やがて手術は無事に終わった。術後に十郎太と武良は語り合い、武良は雷撃隊の陣に一泊。そして
「どうですか、昨日はよく眠れましたか」
「ああ、久しぶりにぐっすりだ。武良は本当に名医だ」
「私も隊長のような患者は初めて。隊長は名患者です」
「名医と名患者か、それでは病気も逃げ出そうな」
三国志で有名な場面、華陀と関羽の『名医と名患者』その日本版と呼ばれる酒巻武良と辺見十郎太の『名医と名患者』だった。
「ありがとう武良、これで存分に戦える」
「医者としてそれは止めたいのですが無理でしょうね」
「ふむ、残念ながら完全に治るまで大人しくもできないからな」
「なるべく怒ることは避けてください。無論、腕はなるべく安静に」
「分かった。それより何か礼がしたいが」
「それでは隊長から薩摩軍に我ら博愛社の活動を広めてくださいませんか。政府軍に理解してもらえないのは仕方ないとしても薩摩軍に理解してもらえないのは切ないですから」
「承知した。西郷先生もすでに存じていようが、私から改めて報告し全軍に伝わるようにする」
辺見は椅子を降りて武良に頭を下げた。
「すまなかった」
「隊長…?」
「大壇口で散った老兵に言われた。子供を殺して何が新時代だと…」
「……」
「薩摩は二本松に償いきれぬことをした。本当に申し訳なかった」
「…その一言が聞きたかった」
涙声で言う武良を見る十郎太。
「箱館で伊庭八郎様が言って下さいました。戦以外で仕返しをする道を選び、その道で薩長から頭を下げさせろ。お前の勝ちだと」
「…さすが剣豪伊庭八郎だな。その通り、武良お前の勝ちだ」
顔をあげて辺見は笑った。
「はっははは!我ら薩摩の完敗だ」
「はい!」
「ありがとう武良、忘れないぞ」
「私もです」
「さすがは木村銃太郎が鍛えた二本松の少年たちよ!見事だった!」
◆ ◆ ◆
辺見の陣を後にした武良。福済寺に帰り、救護活動を続けた。そこに政府軍の一隊が来た。
「賊徒薩摩の治療、あいならん!」
治療中の武良にも聞こえた。
「またか、今度はどこの石頭だ」
この時、佐野と大給は福済寺を留守にしていたので佐野の弟弟子である江原益蔵が博愛社の活動を説明した。
「負傷者に敵も味方もありません。我々は人道的支援のために働いているのです。有栖川宮俄仁親王の許可も」
と、有栖川宮俄仁親王が許可したと示す認定旗を指したが
「何が人道的支援か、こいつらが戊辰の折に何をしたか知っているのか!」
有栖川宮の許可が出ていると言えば、だいたいの政府軍の中隊は退いた。
しかし今度の隊はそれがどうしたと言わんばかりだ。
博愛社の者が福済寺の奥へと駆けて武良とその仲間たちに言った。
「逃げろ、今度の隊は何かおかしいぞ。今にも攻撃を仕掛けてきそうな雰囲気だ!」
「有栖川宮の認定旗を見せても退かないのですか!?」
すると入口から叫び声が聞こえてきた。
「薩摩の者は殺せ!」
「殺せ!」
「バカどもが!」
師、高松凌雲ゆずりの医者魂が燃えた武良。福済寺の入り口に駆けた。
「酒巻さん!」
政府軍の前に立ち武良は言った。
「やめろ!お前らそれでも王師(天皇の軍隊)か!」
「邪魔するならお前も殺すぞ!」
「ここにいる者たちは諸君らと戦い傷つき、動けぬ者ばかりだ!それを殺すなど人間のすることではない!」
「薩摩は人間ではなく鬼畜生だ!人間でないものに人間である必要はない!殺してやる!」
「医者としてそれを許すわけにはいかない!この恥知らずな襲撃、政府軍首脳は知っているのであろうな!」
「やかましい!」
箱館病院を薩摩藩の一隊が襲った時、毅然とその行いの非道を責めて追い返した師の凌雲のように政府軍の前に立つ武良。守る相手が薩摩兵であるのは運命の皮肉と言えよう。
しかしその時だった。若い兵が武良に
「龍次郎?」
と、武良の旧名を呼んだ。その兵を見た武良。
「四郎か!?」
「お前…薩摩に寝返ったか!」
「阿呆か、お前は!寝返るも寝返らぬもない!俺は医者としてここにいる。患者を殺そうとしているものを止めるのは当たり前だろうが!もはや動けぬ者を討つのが会津士魂なのか四郎!」
柴四郎、会津藩士で元白虎隊士である。会津鶴ヶ城の戦いで武良と会っており戦火を共に潜り抜けた。武良が榎本艦隊に合流すると聞き、一緒に行くことを望んだが体調を崩しており、かつ幼い弟(柴五郎)がいたので断念したのだ。
「薩摩は別だ!こいつらが我ら会津に何をしたか知らないお前ではないだろうが!鶴ヶ城で共に戦い、殿から元服を許され名まで拝領したお前なのに!お前は裏切り者だ!」
「なんだと!!」
「そうだろう、二本松藩のお前が!」
その言葉を聞いた一隊は殺気が薄れた。彼らは全員元会津藩士なのだ。二本松藩の少年兵たちは会津戦争の前に政府軍と戦って散った。会津藩の者は畏敬の念を持っているのだ。そして
「思い出したぞ。あのやたら狙撃が上手かった少年だ」
「城内で相撲大会をやることを言い出したあの…」
中には武良を思い出した者もいた。だが思い出話をしている時ではない。二本松藩の者なのにどうして薩摩の味方をするか、そう怒り出すものも出てきた。
「龍次郎、たとえ二本松藩のお前とて、薩摩に味方するのならば裏切り者として斬る」
「裏切り…。お前にはそんなものにしか映らないのか」
「当たり前だ!お前が維新後にどんな暮らしをしていたかは知らないが、我らが移封された斗南でどんなにみじめな暮らしをしていたか分かるか。凍死した者、餓死した者は数え切れず、地元の百姓に泣く泣く身を売る女たちもたくさんいた!みんな薩長が会津を滅ぼしたからだ!」
「……」
「博愛社の精神は敵味方問わず人道的支援をするだと?笑わせるな!そんなことは痛みを知らないから言えるんだ!」
「だから復讐をすると云うのか。戦えぬ者を相手に」
「当然の報いだ。こいつらとて戦えぬ女子供を殺した。戊辰の怨み、思い知らせてやる」
「四郎、飯盛山で死んだ十九の英霊たちに、それを胸張って言えるのか」
「なに?」
「俺なら出来ないぞ。もはや抵抗も出来ない彼らを殺して大壇口や霞ヶ城で死んだ仲間たちに『動けない薩摩兵をバッタバッタ斬り殺してきた』なんて言えないぞ。そんなことを言ったら仲間たちに『二本松の恥』『もう仲間ではない』と言われるのがオチだ。戦えぬ者を殺す、それは戊辰で死んだ会津の英霊たちを土足で踏みにじることとは思わないのか」
「「……」」
「戦場で向かってくる敵兵を討つのは当然だ。だが傷つき動けない敵兵を殺すのは絶対に間違っているぞ。二本松と会津で抵抗できない女子供、年寄りを殺した連中と同じ人間になるぞ。自分がもっとも憎んでいた者と同じになるんだぞ。お前たちが会津の名を汚せば、会津の名を不滅のものとするために死んだ者たちにどう弁解する!どのツラ下げて許しを請うんだ!」
「彼の言うとおりだ」
会津隊の後方から一人の警官が歩いてきた。
「間に合ってよかった。みな退け」
「でも藤田さん…」
「でもは無しだ。武装している諸君らに丸腰で立ちはだかり、かつての敵を必死に守ろうとする彼の男気が分かるなら退け」
「「……」」
ふう、と大きく息を吐く柴四郎。
「すまない、龍次郎」
会津の名を汚さずに済んだ、そういう礼だろう。
「四郎…」
柴四郎は武良に対して、姿勢を正して頭を垂れた。
「柴四郎、無念でございます」
四郎は無念を立てた。武士として卑怯な振る舞い、間違った振る舞いをしたら、こうして仲間に無念を立てて詫びると云う伝統が会津藩にはあった。それを伝え聞いている武良はその無念を聞く側の作法である言葉を返した。
「よし!」
昔のようにお互いを笑顔で見つめる武良と四郎。武良の命がけの制止に応える柴四郎だった。やがて会津隊はみんな引き揚げた。藤田と云う警官が武良に歩んだ。
「政府軍に中々理解を得られず、ご苦労されていると思う」
「……」
「あ、これは申し遅れた。私は警視庁の藤田五郎と申す」
「酒巻武良と申します」
「会うのは二度目だな」
「え?」
「忘れたか、母成峠で会っているぞ」
「…?」
「私は元新撰組の斉藤一だ」
「では土方さんと一緒にいた…」
母成峠で武良は新撰組と共に撤退している。途中につまずいて転んだ武良に手を貸して起こしてくれた男、それが斉藤一であり今の藤田五郎である。
「立派になった」
「いや、そんな」
「感謝する。あやうく会津は箱館病院を襲った政府軍のような汚名を残すところであった。さきの連中、今はお前の態度に不満を覚えても後に感謝しよう」
「四郎は分かってくれました」
「それが会津士魂よ。一時は怒りに分別を忘れても、誤りと分かれば改める」
「『ならぬことはならぬ』ですか」
「ははは、今ごろみなで無念を立てていよう」
そのとおりであった。この時の旧会津藩隊は陣に戻り、一斉に武良のいる方向に正座して無念を立てたと云う。あやうく武士どころか人として道を外すところであった。
「どうした、なぜみなで無念を立てているのだ?」
会津隊の隊長が訊ねた。仔細を聞いて隊長は福済寺を襲おうとしたことに激怒。隊長の命令以外の行動であり、かつ非人道的な振る舞い、当然であろう。隊は五十人以上いたが全員が殴り飛ばされた。改めて全員に自分へ無念を立てさせた。
「愚か者が、あやうく会津の名を地に落とすところであったではないか!昔なら全員切腹、いや斬首であるぞ!」
「「は、はい」」
「とにかく制止してくれた博愛社の者に詫びに行かねばなるまい。四郎、お前の知り人と聞いたが」
「はい、龍次郎です」
「りゅ、龍次郎?二本松の酒巻龍次郎か?」
「はい」
「あいつが博愛社に…。驚いたな」
◆ ◆ ◆
台風一過、再び治療に戻った武良。
「先生、敵は…」
「話せば分かってくれました。もう心配いりません」
「ありがとうございます…」
その薩摩人は涙ぐんでいた。
「どうしました、どこか痛むのですか」
「いえ、私も武士。痛みでは泣きません」
「ではどうして?」
「私は伊藤仙太夫と申します」
「…?」
「小沢幾弥殿の最期を看取った者です」
「な…!?」
「先生、先の外での言葉、こちらにも聞こえました。先生は二本松藩の少年兵たちの生き残りであったのですね…」
「そうです…」
「私は…霞ヶ城下に攻め入った者。その二本松の方に温かい治療を受けていると思うと…申し訳なくて…」
気づくと、仙太夫の他にも涙ぐみ、そして動けぬ体を叱咤して武良に平伏している者が何人もいた。よもや自分たちが蹂躙した二本松藩の者だったとは。申し訳なく、そして怨んでいよう自分たちに温かい治療をする武良の侠気に感じ入っていたのだ。
「先日往診した辺見隊長にも言いましたが、これが私の仕返しです。貴方たち薩摩の者に感謝されると云うことが」
「先生…」
「伊藤殿、幾弥殿の最期はどんなものだったのでしょうか」
「実にご立派で、それは堂々としたものでした」
「そうですか。それを聞ければ十分です」
その夜、旧会津藩隊の隊長が福済寺を訪れた。訪れた者を見て驚いた武良。
「山川様?」
「おお、何とも立派になったなぁ龍次郎」
そう、旧会津藩の隊を率いていたのは元家老の山川大蔵である。今は山川浩と名乗っており現在は陸軍少佐である。
征西別働第二旅団の参謀として西南戦争に参戦しており旧会津藩士で編成した別働隊も組織している。会津が明治政府軍として出陣することに抵抗があった者もいたが仇敵薩摩を討つ好機でもある。多くの元会津藩士は戊辰戦争の屈辱に対する報復をこの戦いによって晴らそうとした。柴四郎はそれに従軍していたわけである。山川は患者のいない奥の部屋に通された。
「まずはお詫びする。我が隊の一隊が軍規を侵してこの寺に押し寄せたこと、心から詫びる」
武良に深々と頭を垂れる山川。
「いえ、最後は分かってくれたのですから」
「そう言ってくれるとありがたい。いやまったく聞いた時は背筋が寒くなった。あやうく会津の名が地に落ちるところであったのだからな」
「あんまり叱らないで下さい。誤りと分かったでしょうから」
「もう遅い。全員ぶん殴ってやったわ」
「短気な方です」
「おお?言うようになったな、あっははは!」
しばらく思い出話をする山川と武良。
「そういえば健次郎はお元気ですか?」
「なんだ東京で会わなかったか?」
「え?」
「健次郎はいま東大の助教授になっている」
「ええッ!?」
「明治四年に国費留学生に選抜されてアメリカに行った。一昨年に物理学の学位を取得し帰国し、東大の助教授に就任したんだ」
「そりゃあすごい」
「朝敵と呼ばれた会津から、齢二十四で東大助教授だ。弟は会津の誇りだ」
「本当です。二本松藩の私でも嬉しいです」
「ははは、いずれ東京で我ら兄弟と一杯やろうではないか」
「はい、楽しみにしています」
◆ ◆ ◆
その後も博愛社の医療活動は続いた。
ある日、政府軍の若者が搬送されてきた。薩摩軍の攻撃に遭い重傷を負っていた。武良がすぐに診た。顔は切られて血まみれで、体は所々に銃弾を浴びている。
「これはひどい、すぐに手術だ!」
若者は意識がもうろうとしていた。武良の声に気づいて、うっすらと目を開ける。
「う、ううう…」
「とにかく全力を尽くす。君は気力を振り絞れ」
(りゅ、龍次郎、お前なのか…)
「裂傷は消毒して縫合、その後に手術だが弾丸の全摘は無理だ。内臓に至っているものを先に…」
若者は武良の腕を弱々しく握った。
「りゅ…」
「…?何か言いたいのか?でも今はしゃべるな。君は重傷なんだ…」
「りゅう…じ…ろう…」
「……!?」
「りゅ…じろ…」
急ぎ血まみれの顔を拭いた武良。だが著しく破損して分からない。
「にほん…まつへ…」
「お前、二本松の少年兵か!?誰なんだ!?」
「そ、そう…ぞ…」
「そうぞ…安部井壮蔵か!?」
まぶたを閉じた仕草で頷く若者。
彼の名前は安部井香木と云った。彼もまた二本松藩の少年兵の生き残りなのだ。戊辰戦争当時は安部井壮蔵と云い、大壇口の戦いでは丹羽右近隊に属していた。隊は違えども龍次郎とは藩校敬学館で共に学んだ仲間であった。
維新後に彼は陸軍士官学校を優秀な成績で卒業して、現在は陸軍少尉となり西南戦争に政府軍として参戦。『戊辰の仇』と刀を振っていた。
彼は陣中で耳にした。山川隊から話が伝わったのであろう。博愛社に二本松藩の少年兵だった若者がいると。聞けば、あの辺見十郎太の手術もしたとか。
香木は聞いた瞬間に怒りを感じた。我らの二本松を蹂躙した薩摩の者を助けているのかと。名は酒巻武良と聞いた。龍次郎のことだとすぐに分かった。しかし
「いや…俺とて故郷を蹂躙した薩長が作った政府の軍人なんてやっているじゃないか。お互い様か」
すぐに気を静めた。
「切ないよな龍次郎、たとえ親の仇ほど憎い薩長土肥、大垣や三春に対しても生き残った我らはその仇どもが作った世の中で生きていかなければならないのだから」
九州から遠い故郷、二本松の方向を見る香木。
「会いたいな、久しぶりに二本松の思い出話でもしたい」
しかし、彼のいたところから福済寺は離れていたので無理な相談だったが進軍を重ねているうちに福済寺の方に近づきつつある。ころ合いを見て福済寺にいる懐かしい同郷の友に会いに行こう。そう思っていた。
だが進軍中に香木の属する部隊は薩軍の奇襲を受け、香木は重傷を負った。図らずも同僚たちに運ばれたのは福済寺。
そして治療に当たるのは酒巻武良だった。香木は血の混じった涙を落した。香木の手を握る武良。
「なぜお前がこの戦争に…」
「帰り…たい…。にほんま…つへ…」
「しっかりしろ壮蔵!」
「母上…」
死んだ母を思い出したのだろう。それが最後の言葉だった。香木は息を引き取った。
「壮蔵…」
思い出したことがあった。安部井壮蔵は武良の妻の小雪を思慕していた。
だが、すでに婚約者がいるのではどうしようもなかった。
“小雪ちゃんを泣かせたら承知しないぞ”
祝言の前に言われたのを思い出した。戦友の手を握り落涙する武良。なんてむごい再会なのか。
だがそんな悲しみにくれていることは許されない。
「酒巻さん!負傷者四人が搬送されてきました!」
この救護所もまた戦場であった。
「…すぐに行きます」
武良は香木の軍服からボタンを一つ取り、強く握った。
「この戦死者を政府軍本営へ願います」
と、博愛社の者に伝え、患者の元へ走った武良。押さえきれない涙を白衣で拭い、血のりのついたボタンをギュウと握る。
二本松少年隊の安部井壮蔵、明治十年五月三十一日に戦死、享年二十三歳。
大壇口の戦いから九年後、仲間たちの元へと旅立った。
「みんな…壮蔵がそっちに行ったよ。温かく出迎えてやってくれよ…」
次回、最終回です。