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第一話 少年隊出陣

私のホームページで連載完結した小説です。若干手を加えて投稿いたします。全11話ほどです。最後までお付き合いしてくださいませ。

明治維新…。日本近代化の先駆けとなった革命であった。日本はこれで古き武家支配から脱却し文明開化の世となっていく。


しかし華やかな勝利の一方で会津白虎隊のような悲劇もある。そしてその白虎隊よりも早く、若く、いや幼く、それでも国のために戦い散っていった少年たちがいた。それを『二本松少年隊』と云う。


◆  ◆  ◆


ここは二本松藩、霞ヶ城(二本松城)城下にある蓮華寺。その住職の日勇和尚を訊ねてきていた若者がいた。

「そうでございますか、ご重臣の方々は西軍と戦うご決意を」

「はい」

「聞きましてございます。長州藩の世良某が奥羽鎮撫総督の大山某に宛てた書に『奥羽皆敵』『仙台と米沢は弱国、主君は好人物』と書いたとか」

「その通りです。弱国のうえ主君はお人よしと言われては仙台藩も黙ってはいられなかったのでございましょう。世良は斬られ、その首を仙台の重臣たちは『見るに及ばない』『小便をかけてやる』とまで申したそうな。世良憎しの尺度が推し量れます」

若者は和尚の差し出した茶をすすった。

「しかし、これで開戦は避けられなくなりました」

「惜しむらくは西軍の人選の不手際ですな……」

と、日勇。

「と、申しますと?」

「奥羽鎮撫参謀は本来ならば長州の品川弥二郎がなっていたと聞いております。あの松下村塾出身で、温厚かつ思慮深き男と聞く。世良は生まれ故郷を幕府の長州征伐で蹂躙され徳川を憎んでいるうえに短気であったとのこと。品川が仙台と米沢の折衝に当たれば、このような事態には…」

「いえ、薩摩の西郷と長州の桂は最初から会津をつぶす気でございます。『より残虐に敵を滅ぼすことが天下の一新に最たる上策』と桂小五郎はそう言ったそうにございます。世良でも品川でも結果は同じだったでしょう」

「どう転んでも避けられまいか…」


「和尚様―ッ!お掃除が終わりました!」

まだ幼さが残る少年が本堂にいる日勇に知らせた。

「あ!兄上来てらしたのですか!」

「うむ、久しぶりに和尚の説教が聞きたくてな」

「ははは、もう愚僧が遼太郎殿に説教できることはございません」

「どれ、掃除のあとはいつも薪割りであったな。ウデのほどを見てやるか。では和尚、ここはこれにて……あ!」

「どうされた?」

「これは肝腎な用件を伝えることを忘れました。本日、父上が和尚と酒を飲みたいとの仰せです。今宵は当家にお越し願えますか」

「おお、これは思い出してくれて幸いでした。では今宵に伺うと父上にお伝え下さい」

「分かりました。では後ほど」

本堂を出て行く兄弟の背を見る日勇。

「……戦がなければ、明日の二本松を背負って立つ二人となろうにな…正三郎殿」

正三郎とは、先の兄弟の父である酒巻正三郎のことだ。元々正三郎は名の通り三男坊で家督を継げるはずもなく、口減らしで寺に坊主で出された。日勇とはそのおりに学友となった。

しかし兄二人が相次いで病死して、正三郎が還俗して家督を継いだ。日勇の学識と器量に惚れ抜いていた正三郎は親友日勇に息子たちの師となることを頼んだ。


正三郎の息子、長男は酒巻遼太郎、それと本編の主人公である次男酒巻龍次郎である。

日勇は特に机上で学問を教えることはせず、もっぱら寺の雑用をやらせ、空いた時間は兄弟と相撲ばかり取っていた。兄弟は日勇の課す雑用と相撲から色々と生きた学問を学んでいった。

兄の遼太郎の方は元服を迎えるころには教えることはなくなっており、今は弟子ではなく一人の士として認めて対等の付き合いをしている。しかし弟の方は元服前の未熟者だ。


「えい!」

ナタが薪に食い込む。

「まだ一撃で割れないか」

苦笑する兄の遼太郎。

「ちぇ、兄上はオレの年のころには出来たのに」

「いいんだ龍次郎、焦るな。成長にはそれぞれに見合った早さというものがある。たまたまオレは早かっただけだ。お前にもいずれ簡単に出来る」

「そうかなあ」

「あはは、銃太郎だってお前の年ごろには出来なかったぞ」

「ほんとに?」

銃太郎とは龍次郎の砲術の師で、木村道場の若先生と呼ばれる木村銃太郎のことである。

「おっと、今のオレが言ったと内緒だぞ」

そう笑って言いながら、遼太郎は簡単に薪を一撃で割った。

「あ、俺がやるよ!兄上にやってもらっちゃ和尚のゲンコツが飛んでくるよ!」


二本松藩は、およそ十万石で、あの織田信長の宿老である丹羽長秀が家祖である。その孫の丹羽光重が藩祖であり、戊辰の役に至るまで丹羽氏が治めている。東北の雄藩として幕末まで栄え、そして花も実もある良き国であった。

だが動乱の世となり、否が応でも武器をとって戦わなければならない。


やがて龍次郎の一日の修行も終えて、兄弟は家路についた。その道中のこと。

「てやんでえ、べらぼうめ!てめえらみたいな田舎者と一緒にされちゃあ、こっちは迷惑だ!」

「なんだ?」

江戸弁をしゃべる小洒落た若者が城下の往来で三人の若者に囲まれていた。それに気づいた遼太郎と龍次郎。三人は大桶勝十郎、岩本清次郎、中村久次郎、当年十六歳の血気盛んな若者だ。

「俺たちの善意が分からないと見える。ここは江戸じゃない。二本松だってことを教えてやりに来たのに」

と、大桶勝十郎。

「ふん、田舎者は複数で一人に当たる卑怯者のようだな。三対一で勝てると思うならやってみろよ」

「ではお望み通りに」


勝十郎、清次郎、久次郎は一斉に幾弥の体を担いた。3人に持ち上げられた幾弥はハッとして後ろを見ると、それは城下を流れる小川。

「おっ、おい、まさか!?」

「そーれ!」

勝十郎の合図で幾弥は小川に放り投げられた。幾弥にはどうしようもなく川に落ちた。

勝十郎、清次郎、久次郎の3人は幾弥を指差して大笑いしている。

深さは腰ほどの小川、ずぶぬれとなった幾弥は激怒し、川からはい出て勝十郎の顔面を殴打した。

「ただじゃおかねえぜ田舎者!立て!」

「やれやれ小川に落とすだけで勘弁してやるつもりだったのに。清次郎、久次郎、手ぇ出すなよ。俺が負けても今日は帰らせてやれ。いいな」

「分かった」

「負けるな勝十郎」

拳をポキポキと鳴らして不敵な笑みを浮かべ幾弥の前に立つ勝十郎。腕に覚えありと云うことか。

「大桶勝十郎だ」

「小沢幾弥だ!」

勝十郎と幾弥は取っ組み合いの大喧嘩を始めた。

いつの間にか野次馬も出来て、どっちもがんばれと声援を受けている。

「あはは、三対一のケンカになったら止めようと思ったが、勝十郎がそんな卑怯な振る舞いをするはずないか。帰ろう龍次郎」

「はい、しかしあれが江戸帰りの幾弥さんか」

「ああ、江戸で買ってもらった新式銃をよく見せびらかせていたな。江戸自慢をして同年の若者たちに田舎者と言っていた。それが勝十郎たちの癇に障ったのだろう。まあ、明日になれば仲間になっているだろうが。あはは」

いまこの時、この平和な二本松の地が地獄の戦場となると誰が想像できただろうか。


時は慶応四年、錦の御旗を掲げる西軍(明治新政府軍)に江戸城が開城され、薩長土肥の藩兵を中心とする西軍は奥羽に進軍を開始。

奥羽と越後諸藩は『奥羽越列藩同盟』を結び交戦を示す。しかし西軍の進攻すさまじく奥羽の玄関口とも言える白河城にいよいよ迫った。


出陣太鼓が霞ヶ城に鳴り響いた。城下に緊張が走った。遼太郎は出陣となった。家老座上(首席家老)の丹羽丹波の内藤隼人隊に属する。龍次郎の父の正三郎も銃士隊の丹羽右近の伍長として出陣する。


本日の出陣太鼓を予想していたか正三郎は次男龍次郎の祝言をあげようとしていた。

龍次郎の婚約者は小雪と云い、正三郎がかつて思慕した娘と親友の間に生まれた子である。

親友の桜田新右衛門はかつて丹羽丹波に藩政を私物化していると強く諌めたため失脚し、やがて切腹となり、その妻は失意のあまり病死した。

正三郎は孤児となった幼い小雪を養女として引き取り育て、やがて次男の婚約者と決めたのだった。


小雪は霞ヶ城の城下ではちょっと知れた美少女だった。龍次郎は小雪を幼いうちは妹のように思っていたが成長するにつれて美しくなり、妻と出来る喜びに震えていた。

当初は元服と同時の予定だったが、正三郎はこれからの戦が熾烈極まると承知しており、自分が生きているうちに次男と養女の祝言が見たかったのだ。

正三郎と遼太郎の出陣前夜、日勇和尚も招待された龍次郎と小雪の祝言の席。誓いの杯をかわす龍次郎と小雪。

「うん、似合いの夫婦だ」

と、正三郎。

「本当に……」

妻の八重、つまり龍次郎の母も嬉しさに涙を落とした。

「小雪、龍次郎を頼んだぞ。いささか頼りないかもしれないが二本松武士の子だ。いずれはシャキッとしようからな」

「はい、義父上様」

そして龍次郎に向いて

「これからは妹ではなく妻です。お前さま、ふつつかものですが、末永くお願いいたします」

「こ、こひらこそ!」

「大丈夫か、声が上ずっているぞ」

と、冷やかす遼太郎。祝言の席が笑いで湧いた。


そして翌日、正三郎と遼太郎は出陣となった。日勇和尚も見送る。

「日勇殿、戦を終えたら、また美味い酒を酌み交わそうぞ」

「よき酒を用意して待っております。正三郎殿」

「父上、俺いっぱい修行して強くなります!だから次の戦には連れて行って下さい!」

「さあ、どうかのう。白河で西軍を追い返せば、もう戦の機会なんてないやもしれんぞ」

「その時は長州の萩まで攻めてやろうよ!」

「あっははは!その意気だ。修行に励めよ!」

「はい!」

心配そうに遼太郎を見つめる妻の清美。

「清美、留守を頼むぞ」

「お前さま…。生きてお帰り下さいませ」

「そのつもりだ」

遼太郎は母の八重に向いた。

「では母上、行ってまいります」

「ご武運を」

「はい」


◆  ◆  ◆


二本松軍、白河に出陣。慶応四年閏四月二十七日のことだった。

白河には仙台と会津、合わせて三千の藩兵が詰めており二本松軍が五百の兵力で合流する。

その白河に西軍一千の兵が押し寄せる。数のうえから東軍である『奥羽越同盟軍』が有利のはずであった。


五月一日の早朝、丹羽丹波率いる二本松軍が白河の手前数里、矢吹の地に至った時、西軍の攻撃が始まった。砲声が聞こえる。急ぎ加勢すべく走る二本松軍。だが、その道中で敗報が届いた。

「そんなバカな!」

開戦して間もないではないか。丹羽丹波は耳を疑ったが、続々と逃れてくる敗残兵。

それらに話を聞くと薩摩、大垣、忍の藩兵が奇襲攻撃を仕掛けてきたと云うのだ。


それにしてもあっけなさすぎる。敵は東軍の半数以下。しかも白河の前線部隊だけではなく、白河城まで陥落したと云う。仙台と会津の将官はことごとく鉄砲で狙い撃ちにされ討ち死にしていた。

生き残っていた会津藩の部隊長は無念に叫んだ。

「装備があまりにも違いすぎる!」


奥羽越諸藩で実戦経験のあるのは会津藩だけ。その会津まで敗れた。

二本松軍は戦わず退却を余儀なくされたが、同月二十六日に会津、仙台の軍勢と共に白河奪還作戦を決行。須賀川に進攻を開始。会津軍の大砲で戦端が開かれた。


先の会津軍部隊長の言葉がまことであることを二本松軍は知る。敵の鉄砲と大砲の精度と来たら考えられない。

しかも天候は雨となった。まだ火縄銃の多い東軍には痛恨であった。二本松指揮官の丹羽丹波は敵陣を迂回して奇襲攻撃を画策していたが、これでは銃撃で側面を突くことは無理で刀槍での突撃しかない。位置的には敵に気づかれず側面に衝けた。突撃が開始された。

しかし西軍の持つ鉄砲は雨など関係ない。奇襲攻撃に驚いたが西軍はすぐに隊列を立て直し、銃撃を浴びせた。

「ぐああ!」

「うおおっ!」

この時、龍次郎の父の正三郎は息絶えた。他にも犠牲者甚大。

「父上!」

遼太郎は父の亡骸を担いで後退。正三郎は即死であった。


「ぐぐぐ……」

陣に帰って父の亡骸を見つめて号泣する遼太郎。昨日、酒を酌み交わした父が一日経過しないうちに死体となっている。戦とはこういうものなのか。遼太郎は涙した。

西軍参謀の板垣退助の率いる軍勢は棚倉藩を攻略し、三春藩は背盟し西軍について奥羽討伐軍の案内役を務めた。西軍は早くも奥州街道に入り本宮の地を占領し、二本松軍の帰路を封鎖した。二本松城に残るのは、女子供と老人、そして藩主の丹羽長国のそばに仕えるわずかの老臣だけであった。


兵の不足から、藩の重臣たちはやむを得ず六十歳以上の老兵と元服を済ませたばかりの十六歳以上の若年兵で防衛隊を編成するが、さらに年少の少年達が『私たちも出陣します』と藩に志願してきた。

藩では十五歳以下の者が戦場に出ることを許してはいなかった。当初重臣たちは『我らに任せよ』と一蹴したが、少年たちは引き下がらず『薩長に二本松を蹂躙させてなるものか』と、思いのたけを訴えた。


それでも重臣たちは『若い命を粗末にするな』と説得していたが、援軍と思われた三春藩が突如に裏切り、西軍の道案内どころか奇襲攻撃もしてきた。足りない兵力がさらに減っていき、ついに重臣たちは兵力を補うために十三、四歳の少年たちにまで特別処置として出陣を認めざるを得なかった。

ただし正式な命令を発布しておらず、黙認と云う形である。こうまでしなければならないほどに兵が足らなかったのである。後年、この少年たちを称して『二本松少年隊』と云う。


少年たちを率いるのは江戸留学から帰藩し西洋砲術を指南していた木村銃太郎と云う当時二十二歳の若者である。彼は堂々たる偉丈夫であった。銃太郎は藩校の敬学館でも優秀な成績で、藩主より江戸留学が許されて名門である江川塾に入った。

江川塾は砲術と一流の学問を教えるところで榎本武揚や福沢諭吉なども卒業生であり、また皮肉にも後に少年隊と戦うことになる薩摩軍の将の野津道貫とも同門であった。


銃太郎の父も藩の砲術指南だった。ゆえに銃太郎は二本松に伝わる鉄砲術と江戸の最新洋式の砲術双方兼ねた砲術を持っていた。やがて帰藩し、父の木村道場で師範となり『若先生』と呼ばれ門下の子供たちに慕われた。

指導は厳しいが公平であり、何より懐が深く暖かかった。少年たちは『先生と一緒に戦いたい』と望み、藩内のうるさ型の大人たちも『あいつはモノになる。藩の明日を担う男だ』と認めていた。


酒巻家に正三郎の訃報はすでに届いていた。前線から無言の帰宅をして、先日に荼毘に付され弔われた。

母の八重は気丈にしていたが隠れて泣いていたことを龍次郎は知っていた。父上の仇を兄上と一緒にとるんだ。龍次郎の闘志は燃えた。

そして待ちに待った出陣の命令が龍次郎にも届いた。自宅から木村道場に走る龍次郎。

同じく木村道場に走る仲間たちに会った。親友の成田才次郎と水野進が龍次郎と並んで走り、いつの間にか誰が一番先に木村道場に着くか競争になっている。

「才次郎!俺に後れを取るなよーッ!」

「大きく出たな!そっくりその言葉返すぜ!」

「お、俺、もうだめ…」

「おいおい進、大丈夫か?あははは!」

龍次郎と才次郎が進に肩を貸して走る。そして龍次郎

「さあ、急ごう!薩長に二本松男児の心意気を見せるのは今ぞ!」

「「おおおおッ!!」」


木村道場に集まった少年たち。そして射撃場には大砲があった。最新式の四斤砲で、少年隊の大砲はこれ一門だった。しかし目を輝かせてそれを見つめる少年たち。

「先生、これがオレたちの大砲ですか!」

「そうだ龍次郎、さあ、みんなで明日の出陣のために運び出すぞ!」

「「はい!」」

射撃場から城門までは下り坂。出陣にはしゃぐ少年たちは下り坂の曲がり角を曲がりきれず、大砲と一緒に脇の草むらに突入してしまった。

「「わあ~!」」

「何やっているんだ、お前たち!」

「先生、大丈夫です! 大砲は傷ついていません!」

「お前たちにケガはないか?」

「「はい!」」

「よし、ではゆっくりと降ろしていくぞ」

銃太郎の指示通り、今度はゆっくりと大砲を引いていく少年たち。それを見つめる銃太郎に

「みんな、釣りにでも行くようなはしゃぎようですな銃太郎殿……」

と、副隊長の二階堂衛守が言った。

「武士として出陣できるのが嬉しくてたまらないのでしょう」

「今さらですが……。あんな子供を戦場に出すのは心苦しいですな……」

「同感にございます。何人、生かして帰してやれるか……」


急な出陣のために装備が間に合わず、少年たちの祖母や母親が夜を徹して父親の着物や陣羽織を肩上げして縫い直した。

同じく出陣に先立ち、少年たちは普段の稽古用に用いている大小の刀ではなく、改めて実戦に用いられる新しい大小に換えて初陣に臨むつもりであったが、経済的に苦しい家庭ではそうもいかなかった。

出陣前、上崎鉄蔵の家では肩を落として稽古用の大小の刀を見つめていた息子を見て母のさきが訊ねた。

「どうしました鉄蔵」

家の台所事情を知っている鉄蔵は茶を濁そうとしたが、さきは重ねて聞いた。

「いいから話してみなさい。何で刀を見て溜息をついたの?」

「……母上、戦には稽古用ではなく実戦用の太刀で挑みたいのです」

それはさきも分かっていた。戦争用の太刀はすでに父親が持って出陣しており、とても鉄蔵用の太刀を用意しておくような余裕はない。しかしさきは息子が初陣に恥をさらしてはと、

「分かりました。しばらく待ちなさい」

さきは実家の父に懇請し、名刀の大小を鉄蔵に持たせることができた。実家に頼ることは武家の女には恥であったのだが、さきは息子のために恥を忍んで実父に頼んだのだ。鉄蔵は新しい太刀と母の気持ちが嬉しくてたまらなかった。

翌朝、鉄蔵は出陣のため家を出た。さきと祖母のかよが

「いってらっしゃい」

と、言うと

「私はもう帰って来ないつもりですから、行け、とだけ言って下さい。母上、お婆様、いつまでもお元気で」

そう答えた。涙が出てきたさきとかよ。戦場へ行かせたくない、他の藩士に卑怯未練と謗られようが息子を、孫をそばに置いていたい。

しかし、それは願ってはいけないこと。鉄蔵は母と祖母に別れの挨拶をして手を振りながら出て行った。

「鉄蔵、ケガなどしないで無事に帰って来ておくれ」

さきとかよはそう願わずにおられなかった。


岡山篤次郎は母に頼んでその所持品すべてに『二本松藩士 岡山篤次郎十三歳』と記名してくれと頼んだ。

「どうして?」

母親のみよは訊ねた。

「自分で書くのは字が下手で恥ずかしいから母上に頼みました。書いてもらった理由は戦死した時に、その屍を探しやすいようにするためです」

と、無邪気に答えた。みよは涙を堪えながら愛息が望むよう、丁寧に、そして愛しそうに息子の名前を書いた。


◆  ◆  ◆


ここは酒巻家、出陣を翌日に控えた龍次郎の元にまたも訃報が届いた。

「兄上!!」

父の正三郎に続き、兄の遼太郎も無言の帰宅をした。兄嫁の清美は遼太郎の亡骸にすがり号泣していた。

「あんな強い兄上が……!」

同じく涙を落とす龍次郎。母の八重も涙を堪えきれず涙を落とした。つい先日に元気に出陣して行った父と兄がこんなにあっけなく。悲しみより先に龍次郎には戦のむごさに呆然となった。


「薩長のヤツらはケダモノ!」

兄嫁の清美が怒りを堪えきれずに言った。

遼太郎の亡骸を酒巻家に運んできてくれたのは同じ剣道場に通う仲間たちであった。

その仲間たちから聞いた遼太郎の最期は信じがたいものだった。


遼太郎は二本松藩に代々伝わる剣術の達者だった。それは『斬らずに突け』と云う剣術。

退路を封鎖された二本松軍。遼太郎は同門の仲間たちと藩兵の中から特に腕自慢の者を選び、今日で云うゲリラ部隊を組織して西軍の陣を次々と夜襲して攻めた。


仙台でも細谷十太夫が同じく『からす組』と云うゲリラ部隊を組織した。仙台藩の兵は『ドンと大砲が鳴れば五里逃げるドンゴリ』と西軍だけではなく味方にもそう揶揄されていた。

伊達政宗の末裔たちがそんなものであるものかと、細谷十太夫は博徒や猟師も部下に組み入れてゲリラ部隊を組織して遼太郎と暴れまくった。遼太郎の行いは指揮官の丹羽丹波からすれば軍律違反だが、よもやそんなことを言っている状態ではなかったのだろう。


遼太郎は白兵戦で西軍兵を何人も突き殺した。それも深入りはせず、危うくなったら退き、そして好機と見たら同門の剣士たちと突きかかった。敵軍にもその顔は知られ、二本松の田舎剣法侮りがたし、とまで言わしめた。細谷十太夫と酒巻遼太郎が率いる奇襲部隊だけは押される奥州諸藩の軍の中で無敵の部隊だった。


細谷十太夫のからす組はその無敵を戊辰戦争終了まで維持するが、遼太郎の部隊はそうもいかなかった。

武運は遼太郎に味方せず、やがて鉄砲に倒れて絶命した。その瞬間だった。退却していた遼太郎の仲間たちは目を疑った。

西軍の兵が遼太郎の腹を裂いて、その肝を食いだしたのだ。勇者の肝を食えば、そのチカラが身に宿る。こんなバカげた話が西軍に跋扈していたのだ。遼太郎の仲間たちは激怒、刀を再び握って突きこみにかかった。もはや死兵とも云えた彼らに西軍は後退していったが、仲間たちは変わり果てた遼太郎の亡骸を見て泣かずにはいられなかった。

肝だけではなく、他の内臓も西軍兵士は食らったのか、腹の中は空も同じ。

あまりに無念であったか遼太郎は目を開けたまま死んでいた。


敵を倒すのも武士、返り討ちにあうのも武士、だから遼太郎の討ち死には勝負で仕方のないことだ。

だが戦士の亡骸を辱めた行いは断じて許せるものではなかった。

山々の間道を通り、西軍の布陣を抜けて亡骸を城下に運んできた遼太郎の仲間たち。

彼らは当初、酒巻家の者にはこの話は言うまいと決めていたが、亡骸の異常さは戦に縁なき者が見てもすぐに分かるもの。

どういうことなのか、八重と清美は問わずにいられなかった。

そして重い口を開いた仲間たちによって明らかになった。狂ったように泣き出した清美。

「許さない……。絶対に薩長を許すものか!」

龍次郎も同じ思いだった。

「兄上、この仇は弟のオレが必ず討ちます!」


遼太郎は龍次郎の師の木村銃太郎と藩校で鳳龍と呼ばれ親友同士、江戸留学の資格を最後まで争った。

結果銃太郎にわずか後れを取っても遼太郎はグチ一つこぼさず銃太郎を祝福した。

歴史的には敗者となった酒巻遼太郎だが勝者側の高杉晋作や板垣退助に器量はけして劣らない。

龍次郎には大好きで誇りであった兄。それをこんな無残に殺した薩長を絶対に許さない。

『参りました、兄上はやっぱり強いなあ』

『まだまだ参るのは早いぞ龍次郎、さあ、突いてこい!』

『はい!』

兄の厳しくも優しい笑顔を思い浮かべ、龍次郎の目には激しい怒りが宿った。


◆  ◆  ◆


翌、出陣の朝、龍次郎は家族の見送りを受けた。

「母上、義姉上、私は必ず父上と兄上の仇を討ちます!」

「龍次郎、怒りに任せて銃太郎先生のご命令に背くようなことをしてはいけませんよ」

「母上…」

「銃太郎先生だって親友が討ち死にし無念のはず。でもあの方は報復に身を任せる短慮者ではございません。ご指示通りに働くのですよ。良いですね」

「はい」

「龍次郎殿、それが結果よき働きとなり、仇を奉ずることとなりましょう。ご武運を願っておりますよ」

「はい義姉上」

妻の小雪を見つめる龍次郎。

「わずかな時であったけれど、そなたと夫婦になれて良かった」

「お前さま…」

「母上と義姉上に孝行するんだぞ」

「はい」

「では、行ってまいります!」

龍次郎、これが家族との今生の別れであった。


木村銃太郎門下の二十五名の他に藩校敬学館の六十余名の少年たちが銃砲隊を編成、霞ヶ城を出陣。

少年たちは城下の民と家族の歓声のなか、堂々と城門をくぐり行軍した。

「篤次郎!」

「母上」

岡山篤次郎の母みよが隊を見送る民衆の中にいた。まだ頑是無い息子、いっそ隊列の中から引きずり出して連れて帰りたい。

でも、それは許されない。息子は武士、私は武士の母。周りを見れば、同じ思いを抱き堪えている母親が何と多いことか。

「お国のため、最後まで武士らしく戦うのですよ!」

「はい!敵の大将の首、持ってまいります!」


久保豊三郎の母みくは無事を祈るように手を合わせ息子の凛々しい横顔を見つめていた。

武功なんていい、とにかく無事に帰ってきてほしい。もう、それだけだった。

「豊三郎!」

「母上!行ってまいります!」

息子の背を見つめながら涙ぐむ母のみくだった。


そして少年隊は戦場の最前線に向かった。戦史に残る戊辰戦争の激戦の地、大壇口に。慶応四年七月二十七日のことだった。

『秋に菊が咲くころに』というタイトルですが、筆者は毎年秋に二本松に訪れ、霞ヶ城で催されている菊人形祭りを楽しみ、少年隊の墓参をしております。お城の隣の洋食屋、ここのポークステーキは美味しいので毎年寄っています。

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