#001「家庭環境」
舞台は、寮の自室。
登場人物は、山崎、吉原、渡部の三人。
「朝、廊下で山崎くんだと思って声を掛けたんだ。そしたら、お兄さんのほうだった」
「似てますよね。私も、弟さんに話し掛けてしまったことがあります」
「年子で、三兄弟。しかも、同じ学校に通ってるとはね」
「紛らわしいですよね」
「ただいま。渡部。またボタンが取れたから、付けてくれないか?」
「いいですよ」
「見れば見るほど、違いが分からなくなる」
「どうした?」
「山崎さんが、お兄さんや弟さんに似ているという話をしていたんです」
「今朝、お兄さんに間違えて声を掛けてしまってね」
「一緒にしないでくれよ。全然、似てねぇから」
「そっくりですよ。見た目もそうですけど、仕草とか、言葉遣いとかも」
「声質も同じだよ。うしろから呼ばれたら、分からないと思う」
「まぁ、声に関しては認めざるを得ないな。俺の母ちゃんにも、電話で同じことを言われた」
「受話器を通すと、区別できないでしょうね。はい、できました」
「ボタン付けに、アイロン掛けに、裾上げまで。渡部くんは、器用だね」
「家事が得意だよな、渡部は。やっぱり、女きょうだいのあいだに育ったからか?」
「姉と妹がいるからといって、家事が出来るようになるとは限りませんよ」
「でも、生活の知恵を学ぶ機会は多いと思うよ。一人っ子だと、自分一人が何とかなれば良いだけだもの」
「吉原は、きょうだいがいないもんな」
「一人っ子は、いいですよね」
「そうでもないよ。僕も、きょうだいが欲しいよ」
「兄や弟がいたって、喧嘩ばっかりだぞ」
「姉や妹がいても、騒々しいだけです」
「それでも、一人で留守番するより、ずっと良いよ」
「あぁ、そうか。共働きだったな。俺の家は自営業だから、いつも親がいるんだ」
「お好み焼き屋さんでしたね。私は、父は外資系の商社マンで、長期出張ばかりですが、母は専業主婦ですから、マンションのオート・ロックに締め出されることはありませんでした」
「鍵を開けて、誰もいない家に一人でいる孤独さは、二人には分からないだろうね」
「でも、地方公務員と看護師だろう? 生活が安定してるじゃねぇか。鋭い眼光をしたスーツ姿の人間が、店の前で待機してるんだからな。それを二階から見てて、今日は大丈夫かと心配するのは、身体に毒だぜ」
「それは精神衛生上、よろしくないですね。父の出張先からの電話で、母が真顔で応対していると、何かあったのではないかと心配になるのと同じですね」
「心臓に悪いね」
「結局、どういう家で生まれ育とうと、不満は残るってことだな」
「同時に全てを体験する訳にはいきませんからね」
「無い物ねだりだね」