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#009「郷愁望郷」

舞台は、寮の食堂。

登場人物は、渡部、三好の二人。

「三好さん」

「おや、渡部くん。積読は消化できたの?」

「八割がた、午前中に読み終えてましたから。それより、お願いがあります」

「何かしら?」

「ドーナッツ作りを、見学させてください」

「良いわよ。でも、もう少し早くに来たほうが、参考になったかもしれないわ。もう、生地を仕込んだあとだから」

「まだ、二時前ですよ?」

「クッキーやパイと同じで、一時間ぐらい冷蔵庫で寝かせないといけないのよ。料が多いから、三時に揚げ終わるには、お昼前に生地を作らないとね」

「そうだったんですか」

「そう、落ち込まないでちょうだい。材料は、これよ」

「拝見します。甘味の秘密は、蜂蜜でしたか」

「砂糖は刺激が強すぎるから、ドーナッツには使いたくないのよ」

「お砂糖もクリームもチョコレートも要らない、素朴な風味ですね」

「昔はドーナッツって言ったら、こういうものだったんだけどねぇ。最近のは甘すぎるし、食感も頼りないわ。いつから、あぁいうドーナッツが増えたのかしらねぇ。少なくとも、万博のあとだとは思うんだけれども」

「モチモチふわふわとは、対極にある食感ですよね。最近は通販でしか買えなくなりましたけど、私の家の近くにある、ホテル直営店のドーナッツが、ここのドーナッツに近いです」

「あら。あのドーナッツのお店、無くなったの?」

「閉店してしまったのか、移転したのかは分かりませんが、見掛けなくなりました。帰るたびに、楽しみにしていたんですけどねぇ」

「残念ね。さて。それじゃ、型を抜いていこうかしら」

「手伝います」

「そう? 悪いわねぇ。そうしたら、麺棒で伸していったのを、型抜きして、バットに並べてちょうだい。これが、その型よ」

「はい」

「三角巾とエプロンも持ってきてたのね。準備の良いこと」

「実際に手を動かさないと、分からないこともありますから。こんな感じで、良いのでしょうか?」

「手際が良いわね。早く済みそうだわ」

「あんまり褒めないでください。照れます」

「まぁ、可愛らしいこと。揚げたてを大皿に山盛りにして、早い者勝ちで食べられるようにしてるんだけど、どうして毎週土曜日の三時に、こういうことをするようになったか、分かるかしら?」

「何か理由があるんですか?」

「ホーム・シックを和らげるためよ。周りで、金曜日の夜に帰り支度をして、土曜日の朝の船で帰って行くのを見送ったあと、日曜の夕方に船が戻ってくるまで、人気の少ない寮で過ごさなきゃいけないでしょう? 今日の渡部くんみたいに、自分から居残ることにした子は良いんだけど、そうじゃない子にとっては、辛いものなのよ」

「なるほど」

「そこに、こういうイベントがあれば、居残り組が集まってくるから寂しくないし、お腹も膨れるから、一石二鳥なのよ」

「ドーナッツを囲んで、輪になる訳ですね」

「それで、心の穴が塞がるって寸法ね」


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