奴隷少女に「愛」を教える。
猫耳娘は奴隷なのだそうだ。俺への感謝として村人から送られたプレゼントだという。
「奴隷とは何ですか?」
村長の家に向かう道中、ヒナタは大真面目にそう言った。
「人類の最も愚かな行為の一つだよ。人間をペットにするようなものさ」
「愚か。という事はダメな事なんですね?」
俺は沸々と湧き上がる怒りを抑える。ヒナタは無垢故にその愚かさが分からない事は仕方ないのだと自分に言い聞かせる。
「ああ、ダメな事だ。いいか。人間に違いは数あれど上下なんてないんだ。他人は自分と同じくらい大事にしないといけない」
「分かりました。兄様」
村長の家宅は無駄に巨大だった。村の規模には見合わないように思う。俺には何か引っかかった。召使に案内されて村長の元へと案内される。
そこにはまるで玉座のような豪華な椅子に座った村長がおり、その周りには裸の女達を侍らせている。
「ヒナタ。外で待ってろ」
「何故です? ビンセント兄様」
「理由は後で教えてやる。黙って言う事を聞け」
「はい。兄様」
俺は償い代わりにヒナタの頭を撫でてやる。ヒナタは猫のように喉を鳴らす。
ヒナタが出て行くと俺は話を切り出した。
「これはどういう事だ? おっさん」
「どういう事とはどういう事です。英雄殿。何かご不満が? ああ、猫亜人はお気に召しませんでしたか? あれは今朝届いたばかりの奴隷です。手付きはしておりませんよ?」
おっさんは奴隷の一人の顔をペロリと舐めた。その奴隷の表情は恐怖と恥辱に満ちている。
「下衆め。もしかしたらとは思ったが人間を何だと思っている! お前のオモチャじゃないんだぞ!」
「何を言います英雄殿。これらは正当な手続きで手に入れた私の所有物です。オモチャにしようが家具にしようが私の勝手ですよ。それとも何ですか? 英雄殿は奴隷を良しとするこの国の制度、ひいては王様に刃向かうおつもりですか?」
「ああ、必要ならそうしてやるよ。王に刃向かうのだって怖くないね。俺は俺の道を進むのだからな! だが今はそんな必要すらない! 俺はお前をぶっ飛ばしたいだけだからな!」
「何を言うやら。行け! お前達!」
女奴隷達がゆっくりとこちらへ向かってくる。
そして俺を殴る。
殴る。
殴る。
だが俺は微動だにしない。その拳には敵を倒す意思なんて微塵もないからだ。ただひたすらに助けを求める拳でしかない。
「早く逃げてよ」
奴隷の一人が言う。
「人を殴りたくなんてないんだ」
また別の奴隷が言う。
「じゃあ殴るのをやめればいい」
俺は言ってやった。
「歯向かえば殺されるんだ! あたし達死にたくなんてないのよ!」
「俺だって死にたくなんてないさ。だけどな。人に飼われる状態を生きてるって言えるのか? 自由のない生なんて息苦しいだろ?」
「じゃあどうすればいいのよ!?」
奴隷達は静かに拳を下す。振るう先を見失ったのだ。
俺は目の前にいる奴隷の一人を抱き締める。
「やめてよ! 私にそんな価値ない!」
「どんな人間も最初は抱き締められるもんだろ? 今、拳を下ろした時お前は生まれ変わったんだよ」
女奴隷達は泣き噦る。俺は泣かせるままにする。
「何を言い含めた所で私の奴隷は私に所有権があるのですよ。英雄殿」
「お前に英雄なんて言われたくないね」
俺はつかつかとおっさんの目の前に罷り出る。
「どうするつもりですか?」
「それはこちらのセリフだ。お前がどうするかで話は変わるんだ」
おっさんは笑う。肥え太った豚のように笑う。そしてナイフを取り出すと俺に対して躍りかかる。
その刃は皮を裂き肉を貫く。深々と突き刺さる。俺が抱きしめた女奴隷の胸に。
「ば、馬鹿野郎! 何て事を!」
「へへへ。あたし、自分のすべき事を自分で決めたんだ。あんたを助けるって自分で決めたんだ」
俺は血に濡れる女奴隷を抱き締める。
「ああ、お前は生きたよ! どうしようもなく自由に生きたんだ!」
女奴隷は微かに微笑むと事切れてしまった。
俺は拳を握り締める。食い込んだ爪が皮膚を引き裂くが何ほどの痛みでもない。この女奴隷の受けた苦しみに比べればかすり傷だ。それでも俺は痛みに耐えて強く強く拳を握り締める。いや、耐えるという言葉すら正しくはない。俺はその痛みを享受していた。
俺はおっさんの目の前で拳を振り上げた。だがその腕を別の女奴隷が抑える。もちろん俺は簡単に振りほどく。
「お前……。この期に及んで!」
「違います。貴方が手を上げれば確実に王国政府に捕らえられてしまいます」
「だけどこいつはっ!」
血に濡れた女奴隷を俺は見下ろす。
「分かっています。私達も気持ちは同じです。彼女とて貴方が牢獄に捕らわれる事を望みはしないでしょう」
女奴隷達が集まってきて俺とおっさんの間に立ちはだかる。おっさんは小さな消え入るような悲鳴を出して玉座にすがりつく。
「どうするつもりだ?」
女奴隷達が悲しげに俺に微笑みかける。しかし力強く答える。
「生きるのです!」
女奴隷達がおっさんを痛めつけた。積年の恨みというやつに仲間を殺された憎しみが加わり、俺の教えた自由への意志が纏め上げて拳に乗っている。
自分の行いは全て自分へ返ってくるのだ。良い行いも悪い行いも。
気を失っても殴られ続けるおっさんを見て俺は心を引き締めた。
いつの間にか召使い達は逃げ出していた。おそらく奴隷達にきつく当たっていたものもいたのだろう。
風呂場で血を落とす奴隷達に尋ねる。
「これからどうやって生きていくんだ?」
「北へ行きます。北には女神の顎という世界最高峰の鋭い山があります。そしてその向こうは王国の手出しできない秘境だという噂です」
「そうか。達者でな」
去りかける俺を奴隷達が引き止める。一人一人が俺にキスをする。まったく。ヒナタに見られたらどうなるか分かったものじゃない。
「貴方に教わった生き方を胸に生きていきます。本当にありがとうございます」
「良いってことよ」
俺はおっさんの屋敷を出てヒナタと共に家へと帰る。ヒナタにも何が起こったのか掻い摘んで話す。刺激的な部分は言葉を濁す。
「ではビンセント兄様はあの猫耳奴隷も解放するのですね」
「ああ、そういう事だ。どのみち二人で生きていく以上の余分はないからな」
そう言うとヒナタは嬉しそうに腕にすがりつくのだった。
家に戻ると猫耳奴隷が失禁していた。恥ずかしそうに頬を染めて目を伏せて、濡れた尻尾を抱きしめている。
「ああ!」とヒナタが声を荒げる。「何て事を!」
「まあ待てヒナタ。まだ幼い少女じゃないか。これから教えればいいんだ」
俺が猫耳奴隷に近づくと猫耳奴隷は悲しげな瞳を潤ませつつも獣のような唸り声をあげる。
「気にするな。さあ、轡と鎖を外してやろう。これを付けるような連中は俺が懲らしめてきたからな」
鎖を外すと猫耳奴隷は爪を立てて俺の頬を引っ掻いた。
「何て事を!」と言ってヒナタが猫耳奴隷に飛び掛る。
「待て待てヒナタ。大人気ない事をするな」
俺は仲裁に立つが気の立った二人は俺を蹴り、ひっ掻く。ドタバタとスラップスティックコメディみたいに家の中を暴れ回る。そればかりか猫耳奴隷は普通の人間以上の膂力があるらしい。柱を登り梁を駆け、壁や床に穴を開ける。
「いい加減にしろ!」
俺は二人を叱責する。二人は縮こまって俺を見上げた。
「下らない事で喧嘩をするんじゃない! さあ、まずは風呂に入ってこい! 俺がここを掃除している間にな!」
猫耳奴隷の失禁がなくともこの家は薄汚れていた。長年降り積もった埃は糖蜜みたいに床にべとついている。掃除は面倒極まりないが風呂から聞こえてくる二人の楽しげな声を聞くと力が湧いてきた。
まあ、数分の事だったが。すぐに二人は縄張り争いする野良猫みたいにギャーギャーと喚き、水を撒き散らしているようだった。
俺は辛抱強く掃除をする。風呂場はあいつらに掃除させようと心に決める。掃除はこの部屋だけだと思うと気が楽になる。
まあ、数分の事だったが。二人のびしょ濡れの少女達が全裸で転がり込んできて、俺の十数分を台無しにするまでの間だ。
俺は怒る気力も失せてしまった。三人で風呂に入り、三人で全ての部屋を掃除した。そして近所の娘さんに使い古した服を譲り受ける。
そうして改めて居室で猫耳奴隷と挨拶をする。
「家族はいるのか?」
「いにゃい」
「帰る場所はないのか?
「にゃい」
「これからどうしたいとかそういう……」
「分からにゃい」
「なるほど。じゃあ一緒に暮らすか」
ヒナタが不平を垂れる。
「二人でいっぱいいっぱいだって言ったじゃないですか! ビンセント兄様!」
「だが放り出すわけにもいかないだろ?」
「むううう」とヒナタは変な声を出す」
俺は猫耳奴隷に向き直る。
「それでいいか? ええっと……名前は?」
猫耳奴隷では具合が悪い。
「まだにゃい」
「お前もか。じゃあ俺が何か名前をつけてやろう」
ヒナタが割って入る。
「ズルいズルいズルい。私も兄様に名付けて欲しいです!」
「いや、お前にはもう名前があるだろう。ヒナタという名前は嫌か?」
「もう一つ欲しいです!」
「名前ってのは普通一つだ。ワガママを言うんじゃない」
ヒナタは頬を膨らませて俯いてしまった。まったく。
「じゃあヒナタ。代わりにお前がこの子に名前をつけるってのはどうだ? この子の人生に影響のある重大かつ大変責任のある仕事だ。適当ではいけないぞ」
ヒナタは目を輝かせて同意した。それから三日三晩ヒナタは悩みに悩んでいた。
問題は猫耳奴隷が少しも懐かない事だった。どうにも奴隷根性が身についてしまったのか。俺と一緒に何かをするという事を避ける。言えば言う通りにするが、それこそ奴隷根性故のようだった。悩ましい問題だ。
一方ヒナタとは何でも一緒にする。まぁ、ヒナタを見下している感は否めないがどうもお互い様のようで、だからこそ遠慮がないらしい。
俺は気まぐれで紙飛行機を作って見せた。ヒナタがえらく感動する。
「ど、ど、どういう事ですか? 鳥みたいです」
「面白いだろ? 飛行機っていうんだ。さらに面白い事があるんだけど聞きたいか?」
「聞きたいです。聞きたいです」
「それはな、この飛行機、なぜ飛ぶのかは分からないんだ」
ヒナタの期待に満ちた表情は消え失せてしまった。
「はあ。分からないんですか? ビンセント兄様にも」
「いや、俺だけじゃない。誰にも分からないんだ。俺の生きていた世界ではこれの巨大なものが人を運んでいた。だけど厳密にはなぜ飛ぶのか分からないんだ。面白いだろ?」
「面白いですか?」
「面白いよ。面白くないか?」
「面白い、かもです」
どうやらいつの間にか気遣いというものを覚えたらしい。
「お前はどうだ?」
まだ名付けられていない猫耳奴隷に視線を向ける。猫耳奴隷は部屋の隅で丸まって頭を抱えていた。
「どうしたんです?」
「ほれ、紙飛行機。面白いぞ」
ついとヒナタが猫耳奴隷の方に紙飛行機を飛ばした。すると天地をひっくり返したような騒ぎで猫耳奴隷が逃げ出した。
「あ、ご。ごめんなさい。猫ならこういうの好きかと思って」
「おいおいヒナタ。めちゃくちゃ怯えてるじゃないか。ほら、おいで」
猫耳奴隷が俺の元へ駆け寄り、膝の上で丸くなる。ヒナタが不平を言うのを牽制する。
「どうした? たかが紙飛行機じゃないか。大したものじゃないんだぞ?」
「嵐、嵐みたいだ。怖い」
「嵐? 紙飛行機が?」
俺は猫耳奴隷の耳の裏をかきながら首をひねる。
「あの嵐の鳥ではないですか? 兄様」
「ああ、あれか。あんなもの大したものじゃないさ。ただ過ぎ去るのを待つだけだ」
「でもあいつあたしの家族を連れ去ったんだ。許せにゃい」
毛を逆立てる猫奴隷を落ち着かせるように首を撫でる。
「そうか。それは辛い思いをしたな。だが俺の元にいれば大丈夫だ。決して一人にはしないぞ。な? ヒナタ」
「ええ、まあ、そうですね。いつまでいるのか知らないですけどね!」
ヒナタはこれ見よがしに紙飛行機を作る。見た目は不格好でとても飛びそうにないが猫耳奴隷を怯えさせるには十分だった。
「そう意地悪をするなよヒナタ」
「別に意地悪じゃないです。そいつはさっき許せないと言いました。ならいつか嵐の鳥を見返すのではないのですか? ならばこのようなものに怯えていてはいけないと思うのですが」
「どうなんだ?」
俺は猫耳奴隷を膝から降ろして言った。
「いつか家族を取り返す。絶対に」
「ほら、やっぱりこんなものに怯えていてはいけません」
そう言ってヒナタは紙飛行機のようなものを投げる。飛びはしなかった。むしろ猫耳奴隷が怯えて飛び跳ね、俺の背中に逃げる。
「ビンセント兄様にベタベタしないでください!」
「にゃー!」
「ヒナタ。何か私怨が混じってないか?」
「そんな事ないです!」
「にゃー!」
そうして1日が過ぎた。次の日も朝から二人はドタバタと暴れ回っている。ヒナタが紙飛行機形の紙屑を投げ、猫耳奴隷が尻尾で打ち返している。
「いい加減にしろよ、お前ら……。いつまで喧嘩してるんだ」
「喧嘩じゃないです。これは特訓ですよ!」
ヒナタは妙に活き活きとした笑顔でそう言った。
「ビンセント兄ちゃん! もうカミヒコウキは怖くないぞ!」
猫耳奴隷もまた活き活きとした笑顔だ。どうやら謎の友情が芽生えたらしい。多分認めないだろうけど。
「でもでもこの子、さっき鳩に怯えてました」とヒナタがニヤニヤしながら猫耳奴隷を指差す。
「しー! しー!」と猫耳奴隷は唇に指を当ててヒナタにすがる。
「そろそろ名前は思いついたか? ヒナタ。いつまでもこの子じゃ面倒だろう?」
「そうですね……ピニャー・サッチ・ヴァルジオンというのはどうでしょう?」
俺は思わず面食らう。
「どういう意味だ?」
「嵐に立ち向かう者という意味です」
「一体どこでそんな言葉を知ったんだ?」
「近所のお姉さんに教えてもらいました。南方の国の言葉だそうです」
「ほう。なかなか良い名前じゃないか。略してピニャだな。どうだピニャ?」
猫耳奴隷は俯いてもじもじしている。ヒナタは不安になったのか猫耳奴隷に寄り添った。
「もしかして気に入りませんか?」
ピニャは何も言わずにヒナタの頬を舐めた。どうやら嬉しいらしい。ヒナタも照れ臭そうに微笑む。
唐突に扉が蹴破られる。そこには全身甲冑の兵士が立っていた。
「何者だ! 貴様ら!」
俺はヒナタとピニャを守るように立ちはだかる。
「ビンセントというのはお前か!」
兜に籠る声を聞くにどうやら女戦士のようだ。
「そうだ。一体何の用だ! あまり余る無礼! 話によっては容赦はしないぞ!」
「貴様には奴隷逃亡幇助の嫌疑がかかっている! 大人しくついてきてもらおうか!」
「なるほど。ならば仕方ないな」
俺は素直に進みでる。
「ビンセント兄様! こんな奴蹴散らして仕舞えばいいのです!」
「そうだそうだ!」
二人の妹達の言葉を受けて俺は振り返る。
「いいかお前達。法律が気にくわないからと従わなければ社会は回らなくなる。悪法とて法律なんだ。なーに、きっと俺の正しさを納得させるさ。だから二人とも大人しく待っていてくれ」
二人の俺を呼ぶ悲鳴のような声に足は重い。だが俺は振り返る事なく罪人を運ぶ鉄格子の馬車に乗り込んだ。二人の悲しむ顔に俺の心は痛んだが、笑顔を崩しはしなかった。




