恐れる人々に「温もり」を教える。
じきに雷が鳴り始めた。ヒナタは怯え、俺の腰にすがりつく。
「怖いです。うるさいです。ビンセント兄様。あれは何なんですか?」
「あれは雷だ。ヒナタ。小屋の中にいれば大丈夫だ。泣くな」
俺はヒナタを引き剥がし、小屋の外を伺う。雨が吹き込み、稲光に照らされる。見上げるとその嵐は鳥の形をしていた。塔を止まり木にして翼の下に嵐雲を従え、鳴き声と共に雷を放っている。
俺は改めてここは異世界なのだと思い知った。こんな現象は見た事がない。これを元の世界の何かで説明できるというのなら喜んで教わるだろう。
鳥は東からやって来たのか西を見ている。しかし不意に俺の方を見た。俺とまっすぐに目が合う。俺を対等な相手と認めたように思えた。
だが嵐の鳥はふわりと舞い降りるとやかましく喚きながら小屋を鷲掴みにする。俺は素早く小屋を飛び出て嵐の鳥の鋭い爪を難なくかわす。
しかしだ。何ということだろう。哀れヒナタは小屋ごと嵐の鳥に連れ去られてしまった。嵐の鳥は雷を撒き散らしながら南へと飛んで行く。
俺は慟哭した。己の不甲斐なさに涙した。あの鳥の狙いさえ分かっていたならヒナタを連れ出す事など訳がなかったのだ。だが俺にはそれが出来なかった。いくら言い訳しても初めて見た巨大な鳥の雄大さと美しさに心を震わせたのは事実だ。その危険性に、ヒナタにとっては遠大な魔物だという事実に、思い当たっていればこんな事にはならなかった。
許せヒナタ。だが安心してくれヒナタ。かならずお前を助ける。
俺は早速干し魚を掻き集めると嵐を追って走り出した。足が軋み筋肉が悲鳴をあげる。それでも俺は止まることなく南へと走る。腕も痛み、肺も悲鳴をあげる。食べた物を吐いてしまい、脇腹が悲鳴をあげても俺は一切休憩せずに鳥の後を追いかけた。
三日三晩を追いかけるととうとう鳥も諦めたのだろう。辿り着いた集落の一際大きな建物、鋭く尖った屋根に降り立ち、小屋を放り捨てた。嵐に見舞われる集落の人間達には悪いが何よりもヒナタだ。
俺が小屋に飛び込むとヒナタが俺に抱きついた。
「きっとビンセント兄様が助けてくれると信じていました」
だがおれは冷たく突き放す。
「それではダメだ。ヒナタ。自分で助かろうとしない奴はダメだ。俺はお前を助けたかったんじゃない。手助けしたかったんだ。ヒナタ。俺を失望させてくれるな」
「ごめんなさいビンセント兄様」
「分かってくれたなら良いんだ。さあ塔に戻ろう」
その時野太い悲鳴が聞こえた。どうやらどこかに雷が落ち、火が着いたようだ。
「ビンセント兄様。太陽がおちてきました」
そう言ってヒナタが指差す先には燃え盛る家があった。
「違うぞ。ヒナタ。あれは火だぞ。家が燃えてるんだ」
「ヒダゾ?」
「マジか。火を知らないのか。そう言えば適当な火打石が見当たらなかったから刺身と干物ばかり食べていたんだったな」
「おいお前!」
突然おっさんが俺に話しかけてくる。だが俺は返事をしない。
「おい無視するんじゃない!」
「俺に言ってるのか? 俺の名前はオマエじゃないぞ?」
「す、すまん。名前を知らなかったからつい出過ぎた真似を。名前を聞いてもいいか?」
「まず自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ。ヒナタでもそれくらいの事は分かるぞ」
そう言って俺はヒナタの頭を撫でてやる。ヒナタは猫みたいに喉を鳴らす。
「す、すまん。俺の名はアラギ。この村で村長をしている。お前はあれについて知っているのか?」
そう言うとおっさんは燃え盛る家を指差した。まったく。
「お前もか。あれは火だ。俺の知ってる世界と同じなら、だがな」
「どうすればいい。あの火を消すにはどうすればいい」
「それが人に物を頼む態度なのか?」
「なんだと? お前こそ偉そうじゃないか」
ヒナタが囁く。
「ビンセント兄様。こんな奴に兄様の知識を分け与える必要なんてないです。早く帰りましょう?」
「まあ待て。ヒナタ。そんな事を言ってはいけないよ。知識は全ての人に平等に分け与えるべきなんだ。お前だって多くの事を俺から教わったろ? 初めは言葉も喋れなくて散々無礼だったじゃないか」
ヒナタは頬を染めて落ち込んでしまう。
「すみません。ワガママが過ぎました」
「分かってくれたなら良いんだ。さあ、おっさん。俺で良ければ火について教えよう。だがまずは行動だ。知識だけの頭でっかちではいけないからな。水を汲んできて火にかけるんだ」
「そうするとどうなるんだ?」
おっさんは呑気に質問する。
「そんな事を言っている場合か!? 人が死んでは手遅れになるぞ!」
おっさんは顔を青ざめさせて飛んで行った。村人達に指示をしている。中々どうして手際がいい。まだ荒削りな所はあるが村長としては及第点だった。どうやら俺は彼の見た目のせいでウスノロだと思い込んでいたらしい。俺もまだまだだな。反省しなければなるまい。
しばらくして鳥は南に飛び去った。嵐は静まり、雨は止み、燃え盛る炎も消え去った。
人々は寒さに凍えていた。俺は火打石を探し出し、もうほとんど燃えてしまって住めない家に火をつけた。
悲鳴が上がる。人々が逃げ惑う。どうやら火を恐れているらしい。ヒナタですら俺の背中で縮こまっている。村長が飛んできた。
「せっかく追い払った火をなぜ呼び戻したのですか!?」
「まあ待て。慌てるな。ほらおっさん。こっちに来てみな」
おっさんの顔はみるみる柔和になる。
「温かい! 一体これは?」
「物は使いようって事さ。人を殺すのも人を助けるのも火じゃないんだ。それを使う人の方って事だな」
おっさんは涙を流していた。まったく勘弁してくれよ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「大した事じゃないさ。俺ではなく今お前を温めてくれる火、あるいは火の存在を認めてくれた神にでも感謝するんだな」
村に平穏が訪れると俺は英雄として祭り上げられそうになった。だがきちんと俺は説明する。火なんてものは俺の世界では常識で子供のうちから学ぶ事だ。こんな事で英雄扱いされるのはむしろ恥ずかしいやめてくれ、と。
村人達は渋々ながら納得してくれたようだ。だが今度はお礼をしたいとうるさく言う。仕方ないので一軒家を貰うことにした。どうも罪悪感を感じてしまうが、俺が断ると今度は彼らが罪悪感を感じてしまうらしい。ここは俺が罪悪感を背負うべきなのだろう。
一軒家はボロいものだったが文句は言うまい。俺とヒナタは一緒に扉を開き、新しい生活への第一歩を踏み出す。
だがそこには既に先客がいた。猫耳を生やし、ボロ布をまとい、鎖に縛られ轡を噛んでいる少女だ。
俺は先行きに不安を感じるのだった。だが、もう慣れたな。ここは異世界なんだ。常識は一切通用しない。俺は改めて覚悟を決めた。




