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最初の女に「コミュニケーション」を教える。

  気がつくと俺は草原の真ん中に横たわっていた。もしかしたら端っこかもしれないけれど見渡す限り草原なので俺は真ん中だと判断した。

  北には鋭く尖った山が、南にはなだらかな丘陵が見える。南北は太陽の位置でおおよそ分かるのだ。

  何よりも目を引くのはすぐそばにある湖とその真ん中に聳え立つ塔なのだろうけど、俺はそばで俺の顔を覗き込む女の顔を覗き込まざるをえなかった。

  麗しい顔に金のネックレスをかけている。長いツインテールは桃のように瑞々しい桜色だ。


「うるあいら。あいりるるえらら」


  どうやら言葉が分からないらしい。俺はしかし無視せずその女に言葉を返す。


「ここはどこだ? 少なくとも日本ではないようだが。あるいはモンゴルだろうか? 草原といえばモンゴルだが」

「ういら。りりおろるう」


  そう言って俺の腕にまとわりつく。


「生まれたばかりの雛鳥みたいだな。お前は。俺は親鳥じゃないぞ。知ってるとは思うが」

「うりうりお。えららるろおりら」

「何言ってるか分からないってば。お前どこから来たんだ?」


  女はネックレスをじゃらつかせながらにこにこと微笑むばかりだ。


「えいりりう。ろろろるおらい」

「ふむ。どうにか言葉を教えるしかないか。そうすればここがどこだか分かるかもしれない。こ・と・ば! 分かるか?」

「言葉?」

「そうだ。言葉だ。言葉は便利だぞ」

「どうして?」

「会話ができる。会話ができるとコミュニケーションがとれる。コミュニケーションがとれると色々できる」

「今まで必要なかった。言葉なんていらない」

「分からない奴だな。ま、いずれ分かるさ」


  俺はため息をつき、大きく伸びをする。そうして立ち上がって改めて辺りを見渡す。湖のそばにはまばらに木が生えている。太陽はさっきからちっとも動いていない。吹き渡る風は気持ち良いが俺の心は寒々しいばかりだ。

  やはり転生したのだろうか。浴衣の女を倒したのはまずかったのかもしれない。

  女が俺の腕にまとわりつきながら言う。


「お前は何だ?」


  俺は言葉を返さずに黙っている。目も合わさない。


「何で返事しない。無視するな」

「言葉は必要ないんじゃなかったのか?」


  そう言って俺は微笑む。女はバツが悪そうな顔で黙り込んだ。


「名前がないと不便だな。何か良い名前はないものか」

「名前?」

「そうだ。誰もが命の次に親にもらうとても大切な宝物だ」

「名前持ってない」

「じゃあ俺がくれてやろう。雛鳥みたいだしヒナでいいか。今からお前の名はヒナだ。言ってみろ。ヒ・ナだ」

「ヒナタ」

「ちょっと違うけどもうそれでいいか。よしヒナタ。とりあえず辺りを散策してみよう」


  俺は一先ず湖をぐるりと一周してみる事にした。すると小さな小屋を発見した。塔の陰に隠れて見えなかったようだ。

  俺たちはその小屋の中に入ってみる。何もない。馬小屋よりも殺風景な小屋だ。だがまあ雨露を凌ぐ事が出来るだけよしとしようじゃないか。

  ヒナタはただよちよちと俺についてくるばかりで、正直何の助けにもならない。とはいえ彼女がいなければまず孤独に苛まされた事だろう。俺は下らない冗談を言い、ヒナタはそれに分からないと答える。十分だ。

  俺は次に食料を求めてさまよった。まずは湖だ。清らかな湖はガラスのように透き通っており、魚が泳ぐのがよく見えた。

  鳥や獣は見当たらない。まばらに生える木には実が生っているがその色は赤と青で毒々しくどうも食す気にはなれない。

  突然ヒナタが湖に飛び込む。ばたばたと溺れてるのか泳いでいるのか分からない。数分するとようやく魚を獲って陸上へと投げた。

  ヒナタは陸から上がると魚にかぶりつこうとする。俺はそれを止めた。

  そこらの岩を岩で砕き簡単なナイフを作り魚をさばいた。食べてみるとこれが中々美味い。ヒナタも喜んでいるようだ。


「美味いか?」

「いつもより美味い!」

「そりゃ良かった。だがな、ヒナタ。もっといっぱい食べたくないか?」

「食べたい! でも無理。肴は泳ぐのが速いし湖に入ってしまうとどこにいるか分からないんだ」

「そこで言葉だよ」


  ヒナタは首を傾げる。

  俺はいくつかの言葉を教えてヒナタをもう一度湖に飛び込ませる。

  魚は陸上からはよく見える。前、横、後。俺が発するその三語に従うだけで効率は段違いだ。

  瞬く間にさっきの半分の時間で五尾を捕まえた。そしてまた同じようにさばき同じように食べる。

  ヒナタは言葉に表せない感動を身振りで表現しようとしていた。お腹を押さえて俺を見る。それも言語には違いないのだろうけど俺がもっと良い方法を教える。


「それはお腹いっぱいって言うんだ」

「お腹いっぱい?」

「そうだ。満腹とも言う。どうだ? お腹いっぱいだろう?」

「本当だ! お腹いっぱいだ! それに感動で胸がいっぱいだ! 言葉ってすごい!」

「分かってくれたなら良いんだ」


  俺がヒナタの頭を撫でるとヒナタは猫みたいに喉を鳴らした。


  余った魚の身は適当な岩で干す事にする。

  水も食料も確保した。しばらくはここで生きていけるだろう。余裕を得たら少し遠出をしてみようと思う。ヒナタと複雑な会話ができるようになれば出来ることも一気に増えるはずだ。


  そうして一年が過ぎた。


  ヒナタは多くの言葉を覚え、少し舌ったらずな所もあるがほとんど完璧に意思疎通出来るようになった。

  俺たちの行動範囲は大きく広がった。北は鋭い峰々の麓まで、南は丘陵の頂上までだ。丘陵の向こうには人の集落のようなものが見えた。だけど何となく塔が見えなくなる所まで行くのは危険な気がした。

  東と西は唐突に草原が絶えていた。深い深い崖の向こうは灰色の虚空で何も見えない。そちらに目を向けると視覚的認識というものが失われるのだ。俺は東西には近づかないことにした。ヒナタも本能的に嫌がっているようだった。


  小屋に戻るとヒナタが飛びついてきて俺を抱き締める。


「ビンセント兄様。どちらにいらしたのですか?」


  ヒナタは俺をそう呼ぶ。もちろん本名ではない。だが転生した俺は生まれ変わったのと同じだろう。新たな名前をつける必要が生じるのは言わずもがなだ。


「どうという事はない。塔を登ってたんだ」


  塔には一切入り口のようなものはなかった。だから俺はレンガの継ぎ目を頼りに登れる所まで登ろうとした。もちろん天を衝く塔だ、頂上まで行くつもりはない。ちょっとした筋トレのようなものだ。


「またですか。危険ですとヒナタは何度も言っているのに」

「心配ないさ。下は湖だからな。ある程度の高さなら無傷だ」

「それに空が泣いています。恐ろしいです」

「心配するな。あれは雨だよ。何も怖いものじゃないぞ」


  確かにここに来て初めての雨だ。あれほどの湖を湛えているのに不思議ではある。


「ビンセント兄様は物知りですこと。ですが名前を知っていた所で怖いものは怖いですわ」


  そう言うとヒナタは唇を尖らせるのだった。


「まあ大丈夫だろう。塔を下りる時に少し足を滑らせかけたくらいのことだ」


  そう言うとヒナタはヒッと声を出し、俺を強く抱きしめるのだった。まったく。


「勇気のあるビンセント兄様も好きですが死んでしまったらヒナタは永遠に泣きます」

「そうか。ヒナタは泣き虫だもんな」

「そうです。泣き虫です。だから無茶をしないでください」

「分かったよ。お前には敵わないな」


  ヒナタの頭を撫でるとヒナタは猫のように喉を鳴らす。

  しばらくすると雨は嵐になった。俺には不吉な何かが感じ取れた。

 何故なら悍ましい鳥の鳴き声が聞こえたからだ。

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