9 二度目の金曜日の夜と散歩
小さな騎士を拾った一週間前の金曜日とは違い、少し早めに帰宅できた。
夕方6時半に仕事が終わり、駐車場からアパートまでの道のりをこんな時間に歩くなんて久しぶりで、ちょっとウキウキする。
夕闇に包まれた空は暗いが、半月に満たないくらいの月が浮かんでおり、時間も少し早いからか車もいつもよりは多少通っている。部活帰りであろう自転車に乗った中学生だか高校生だかの姿も多い。
自室のあるアパート三階まで上る美雨の足取りは軽い。大きな仕事の締切が二つも終わり、しかも今日は金曜日。明日明後日はずっと家に居られるのだ。
どこにも出られないアルフレドは本当は辛いだろうに何も言わずに「お疲れ様。おかえり、ミュウ」と言ってくれる。怪我は快癒しているようだし、土日の夜にでも、散歩に行ってみるのもいいかもしれない。
「ただいまー、アルフ」
「おかえり、ミュウ。お疲れ様」
明るい室内に玄関。ふかふかのこげ茶色のマットの上には笑いかけてくれる小さな騎士。
一週間のうちに、この小さな同居人にも使用できるようにだいぶ室内を改良したのだ。
電気の紐を伸ばし、電子レンジを降ろし、プラスチック製の鎖があちこちの段差に取り付けられ、それを伝えばベッドの横の出窓にも上れるようになった。
アルフレド用の服も結構作った。作業に集中してしまうと無言になってしまう美雨だが、そんな彼女の手元をアルフレドは黙って見守った。
作業が終わり我に返って謝るとアルフレドは優しく笑みを浮かべて決まって言うのだ。
「ミュウの手にかかるとただの布きれが段々と形を成して服に変わる。魔法のようだし、見ていて楽しい」
アルフレドはとても優しい。時々からかわれることもあるが、優しく誠実だと美雨は思う。
朝、六時に起きる美雨に合わせて起床し、一緒に顔を洗う。寝ていてもいいんだよと言えば、そんなことしていたらすぐに堕落すると大真面目に言う。でも、本当は美雨に合わせていてくれるのだということは、とっくに気づいている。
美雨が仕事に出ている間、すっかり怪我の治ったアルフレドは体が訛らない様、重たいスプーンを持ち上げたり、筋トレをしたり、テーブルの下を走りこんだり、文字を勉強したりと充実した日々を送っているようだ。
そのお蔭でひらがなと簡単な漢字は読めるようになり、「高島美雨」の文字だけは書けるようにまでなった。ちなみに自身の「アルフレド・フリクセル」はなかなか書けない。外国人にはカタカナは難しいと聞いたことがあったがどうやらアルフレドにも当てはまるようだ。
お湯も出すことができるようになったので、お風呂のドアは常に開けてある。もっとも、温度調節が難しいようで「魔法が使えないと不便だな」と、ぼやいていたが。
気を使ってくれているのだろう。美雨が帰宅後にすぐにお風呂に入れるよう、帰宅すると、アルフレドはすっかり身ぎれいになっており、後はごはんを食べて眠るだけの状態になっている。
美雨が宣言した『お風呂は一日一回必ず入る』はきちんと守ってくれているし、お風呂のついでに自身の服も洗濯して部屋の隅の小さな突っ張り棒に干してある。
「アルフって、本当にすごいよね」
夕食のカレーを食べながら美雨は言った。
高島美雨の金曜日の夕食は必ずカレーだ。
土曜日の昼にはできればカレーうどんが食べたい。
「頭の回転も速いし、自分のことは大抵なんでもできちゃって。体が大きければ料理まで作ってくれてそうだもん」
「騎士団生活が長いからな。下っ端は料理洗濯掃除、何でもやる」
「ううーん。日本の男性にも見習ってほしい」
美雨が苦笑いをするとアルフレドは聞きとがめたようにカレーを食べるスプーンを止めた。
「……ミュウには、そういう相手がいるのか?」
「昔ね。今は誰とも付き合っていないから安心して。こんな小さなアルフを急に放り出したりなんてしないから」
「いや、そういった意味ではなくだな……いや、それはいい。今は一人なのか」
「そうだよ。なんならもうずっと一人でいいんだけど」
「それは……」
アルフレドは言い淀む。一週間前の彼なら絶対に踏み込まないで守ったラインだが、彼は慎重に言葉を選んで口を開いた。
「寂しくは、無いのか? 一緒に生きる相手が欲しいとは……」
「一緒に生きる相手かあ。素敵な言葉だね」
彼氏、彼女、付き合う相手。そんな言葉よりずっと素敵な表現だと思う。
そして、この世界で口にするには重すぎる言葉だとも思った。
「一緒に生きたいと思った相手はいたけれど、私は、その……選ばれなかったから」
美雨はスプーンでカレーを混ぜる。とっくに冷めてちょうどいい頃合いのカレーをただ、混ぜた。
「……選ばれなかった、とは?」
聞いてもいいものかと思ったが、踏み込んでみたアルフレドはすぐに後悔した。
「あ、あの、ね…」
やっとのことで口を開いたと思えば大きな瞳からぽろりと涙が一粒落ちてきた。
「ミュウ」
しまったと思い手を伸ばすが、差し出した手は短くて届かない。涙はテーブルに落ち、一粒の雨が落ちるように潰れた。
「あ、ごめん、目が痛くって……ええーっと、お風呂に行ってくるね」
美雨が立ち上がる。
「なんだかちょっと浸かりたいし、少し長いかも。食べ終わったらテーブルに置いててね。テレビ見たかったら見てていいから」
クロゼットから着替えを引っ張り出し、ごしごしと目元を擦った美雨は慌ただしく隣の部屋へと消える。
テーブルに残ったアルフレドと、少ししか口を付けていない大きな皿に注がれたカレー。
仕事のあとに必ず2人で食べる夕食を美雨はとても楽しいと言っていたのに。
「……オレは、何をやっているんだ」
なんで彼女の柔らかい所に踏み込んだ。それが許されるとなぜ思ったのか。
「いずれ帰らねばならないのだから、わきまえなければ」
泣かせてしまった上に、涙を拭うことも、顔に触れることだってできなかった小さな自分が無性に情けなかった。
「……オレは、本当に帰るのか?」
帰れるのかではなく、彼女を残して帰るのか?
その呟きに答える声は当然無く、静かな部屋にかすかにシャワーの音が響いてくるだけだった。
小人バリアフリーが出来上がる様子を書きたかったのですが、もう9話だよ、キリがないよねっ!と我に返り途中であきらめました。
お部屋を小人カスタマイズしていく二人を書くのはとても楽しかったのですが。
次話は夜のお散歩です。