番外編3 老いた大魔法使いは、かくも語りき
年寄りしか出ない上に長いとかもう、すいません!
愛する妻を探して今日も世界中を旅する白銀の竜王。彼はネスレディア王国より遥か離れた、南の穏やかな島へと立ち寄っていた。
バカンスで有名な島から少し離れた小さな島に一軒だけぽつんと立つ小屋。そこに彼の古い知り合いがいる。
「おお。ジオハルト、久しぶりじゃな」
竜の着地する音に気付いたのか、いや、それ以前に気付いていてもおかしくないなと竜王は思う。
「久しいな、ルンゲ。息子が世話になった」
「ダイキは上手くやっておるみたいじゃな」
人の姿を取り、竜王は眉をひそめる。この南の島は彼には少し暑過ぎる。ルンゲも気づいたらしく、小屋の近くの木陰を指し示す。背の低い木々でできた木陰には木製のイスとテーブルが置いてある。
「まあ、立ち話もなんじゃし、そこに座れ」
「ああ…ん? この場所だけ妙に涼しいな」
「わしを誰だと思っとる。元、時空の塔の大魔法使い、ユリアーヌ・ルンゲ様じゃぞ」
どうやらこの場所にだけ冷気の陣を応用したものを張っているようだ。陣を見て竜王は内心感嘆を漏らす。この暑い土地で、よくもここまで制御できるものだ。
「ルンゲよ、結局の所…そなたは何者だ?」
木製のイスに腰を下ろして竜王が問うとルンゲはいつもの老獪な笑みを浮かべた。
「わしは、わしじゃよ」
ルンゲの言葉はいつもの答えで、竜王は苦笑を漏らした。
「ダイキが心配していたぞ。まあ、心配というよりは中途半端に放っていった仕事をちゃんと済ませろといった所だがな」
「げげげ。見つかったら仕事をさせられる。あいつ、めっちゃ働きまくっとるじゃろ。ぜーったいに居場所は教えちゃダメじゃぞ」
こんな隠居生活を送っていても、大輝のことを気にはしているらしい。そのことを指摘するとルンゲは珍しく神妙な表情になった。
「あの卵を拾ったのはわしじゃ。そして割るようにけしかけたのも、わしじゃもん」
「ルンゲ、後悔しているのか?」
「…ひとつ、昔話をしてやろう。お前さんには聞く権利があるだろうよ。あの子の父親じゃ」
老人は木製のイスへと深く腰掛けてゆっくりと語り始めた。
珍しいこともあるものだと竜王は目を丸くしたが、イスに座り直して耳を傾ける。
「昔むかし、自分の暮らす場所に疲れて一人旅に出た、一族の鼻つまみ者がいたんじゃよ」
***
その一族は常に結界の張られた清浄な森の奥深くに暮らしていた。長く伸びる耳が特徴的で、恐ろしい程の魔力を保有し、竜程に長く生きる一族だった。
その男は、変化のない一族の里に飽いた。何故飽いたのか理解できぬ皆を振り切って、外の世界へと飛び出したのだ。一族の掟で、一度出た者はもう二度と里には入れない。
あちこちを歩き回り、辿りついた街で気の合う仲間と出会った。自分の身の上話を打ち明けても気味悪がらず、長い耳を見せると笑いながら好奇心で引っ張ってくるというとんでもない人間たちだった。
今度は仲間たちと魔法使いとして各地を放浪した。商隊を魔物から守る仕事をしたりして日銭を稼ぎ、夜には酒場へと繰り出す。一族の者が見たら卒倒しかねないような自由気ままな生活だった。
世間知らずだった魔法使いは、彼らに楽しいことも悪いこともたくさん教わった。そして、広い世界を知った。それらはとても新鮮で、魔法使いの心を震わせた。
そんな折、北にある小さなネスレディアという国で流行り病が蔓延していると噂が広がった。一緒に旅をしていた仲間の中で、年も随分上のはずの魔法使いを弟のように扱い、彼も兄のように慕っていた男が、その国の出身だった。
旅を続けると、どこもその話題でもちきりだった。とうとう、王族までも軒並み病にかかり次々と死去していっているという話を聞いた日の夜のことだった。
彼がひとりで国に戻ると申し出て、楽しい自由気ままな暮らしは終了した。その男がリーダー格だったから、解散ということになったのだ。
「私も共に行こう。お主では剣を振るうことしかできまい?」
「ユリアーヌ、ありがとう。お前が付いてきてくれると心強い。…だが、お前をオレの運命に巻き込んでしまうかもしれない。だから、オレ一人で帰ろ…」
「私はもう、里には戻れない。どこへ行こうと同じだよ」
長い耳を、術で上手に隠した魔法使いは、無理やりにその剣士の帰郷の旅へと同行することになった。故郷を捨てたとはっきり言っていた彼が戻ることを決意したのが興味深かったのもある。無意識に自分と重ねていたのかもしれない。
魔法使いが同行するならば、オレも、私もと仲間たちも付いてきた。結局は全員で剣士の故郷であるネスレディア王国へと向かったのだった。
小さな北国は地獄のようだった。病が蔓延し、毎日人が死んでいく。しかし、これから冬を迎えるということが幸いした。動物での感染拡大が緩やかになり、その間にルンゲを加えた王宮の医師団たちが特効薬を開発できたのだ。
病は食い止められ、この国の第八王子であった剣士は王となった。他の王位継承者が残っていなかったからだ。嫌がる彼を王座に据えたのはルンゲだった。それしかこの国の崩壊を止める方法がなかった。
「ユリアーヌ。必ずこの国の行く末を見守ってくれ」
「ああ。私の目が見え続ける限り」
時を越えて、この国を見守る。そう約束をしたこの魔法使いに、王となった剣士は高くそびえる塔を作った。その塔の名を“時空の塔”と言う。
いつしか、その名前の意味は廃れ、ただの呼び名となった。真実を知る者はいつの間にか一人になった。彼は緩やかに年を取り、小国だったネスレディアはだんだんと大きくなり、小さくなり。それを繰り返して“北の大国”とまで呼ばれるようになった。
王の子孫は大魔法使いを厭う者もいたし、友のように接してくれるものもいた。仲間たちの子孫も王家に深く関わりを持っていたが…時が流れると以前の関係は少しずつ変化していった。仲間の子孫が宰相となった代にそれは起きたのだった。
***
「わしには、止めることができんかったよ。仲間の子孫が殺し合うのを」
竜王はただ黙って聞いていた。ルンゲは視線を海へと向けた。南の海はどこまでも青く、海鳥がのんびりと飛んでいるのが見える。
「幼い王がこのまま殺されるのは防いだ。じゃが…」
「宰相も、そなたが見守り続けていた一族だったと。そういうことか」
老人は苦笑を浮かべて頷いた。保護すべき対象同士で諍いが起きるのは何度も見てきた。しかし、あれほどまでに露骨に事を起こされたのは初めてだった。
「わしは、ずるい男なんじゃよ。自分の手を汚したくない。もう疲れた…そんな折じゃった。卵が手元に落ちてきたのは」
子どもの居ない彼にとって、仲間の子孫は彼の子孫も同義だった。しかし、時の流れと共に少しずつズレが生じ、少しづつ他人へと変化していく。
しかし、当代の王とその大魔法使いは彼が寝食を共にして育てたようなものだ。例えそれが短い期間でも、彼にとって二人は実の息子のようなものだ。
「私も、そなたのことは責められないな」
「…ダイキに竜になって欲しかったんじゃろ」
竜王はゆっくりと頷いた。この世界に戻ってきてくれればそれでいいと思っていた。しかし、卵のままならばじきに死んでしまう。また、この広い世界で一人ぼっちなのだ。
「お前はもう、一人じゃないじゃろ」
ルンゲは意味ありげに笑った。
「そうだな。私には息子も、娘もその婿も。そして孫までも居る」
「いや、そういう意味ではないんじゃが…ダイキの姉は、2人も産んだのだったな。フリクセルはいい父親になってそうじゃな」
真面目で誠実な、深い菫色の瞳をした若い騎士見習いを思い出す。いい目をしていた。クロードはもう大丈夫だろう。兄のように慕う竜に、決して裏切らないだろう騎士もいる。そして、隠居してからも南の島まで届く北国の噂話が如実にそれを語っている。
「ああ。美雨は人のまま生を終える。それはとても寂しいが、決して悲しいことではない」
竜王の言葉に、長い寿命を持つ大魔法使いは頷く。
「ジオハルトよ。鈍いお前に一ついいことを教えてやろう」
「なんだ?」
「このまま、この島を出たら北西へと飛び続けてみい。落し物が見つかるかもしれんぞい」
落とし物? と首を傾げる竜に老人は答えずに、ただ笑った。
里を飛び出してから、もう数え切れないほどの年月を過ごした。彼の王との約束は途中で放り投げてしまったが、もう十分だろう。ここからきちんと見守ってはいる。
最後に弟子を取れたことはとても幸せに思う。あの優秀すぎる弟子はすぐに自分を超えるだろう。そうしたらここへとすぐにやって来るに違いない。その時がいつになるかは分からないが、その時は昔話でもしてやろうと思った。
次話で長い番外編はおわりです。
さて、落し物は見つかるでしょうか。




