番外編2 黒い太陽
ふたつめは、大魔法使いのその後。
彼女の脳裏に焼き付いて消えないのは、震えながら二人の幼子を抱える、親友の姿。
そして、自分のものとは思えない憎悪に満ちた吼える声と、全身を走る鋭い痛み。
目が覚めると頬はいつも涙で濡れている。ずっと、悪夢を見続けていた。
***
竜王の里は春を迎えていた。
一旦は、我が子と卵を連れ戻った竜王だったが、また長い不在を続けている。もちろん、愛する妻を探す旅にだ。皆、竜王のことを心配しているが前ほどではない。もう諦めて戻って来いという声も無くなった。彼の探し物のうち二つは見つかったのだから。
竜の命は長い。密林から砂を二粒探し出せた彼なら、もっと輝く一粒を見つけ出せるだろうと思えたからだ。
柔らかく波打った桃色の髪を風にそよがせ、白い質素なワンピースを着た小柄で華奢な少女がゆっくりと花が咲き始めた草原を歩いている。
花を摘みにやってきたのだ。
竜しか居ないこの島で、人の形をわざわざ取る者など数えるほどしかいない。彼女はその数少ないうちの一人。名をシーラという雌竜だ。
竜の中ではかなり小柄なほうだが、もしもこの花でいっぱいの草原を歩けば、かなりの量の花を踏み潰してしまうだろう。なので、彼女は花を摘む時は人間の姿を取ることに決めていた。
「シーラ、また花摘みしてんの?」
「あら、大輝」
不意にかけられた声に、少女は驚き花を摘む手を止めた。
黒いけど、輝く飾り刺繍のおかげで地味には見えないジャケット、黒い細身のズボンに茶色の編み上げブーツ。首まで絞められた白シャツにはアスコットタイが覗く。
この世界では見かけない、白い“びにーる袋”を提げている。
黒いけどふわふわとして柔らかい髪の毛が風にそよぐ、よく見知った男性だった。
大魔法使いを映した茶色の優しげな瞳が不思議そうに瞬く。
「最近、頻繁に来るのね」
「うん。まあ、近くを通る用事のついでにね。」
そうなの、とシーラは返事をして花を摘む。七色スミレの花だ。この花は蜜がとても甘くておいしい。でも今回のシーラの目的は砂糖漬けとジャムを作ることだ。たくさん作って、今度子どもが生まれる友にあげようと思っている。
「シーラは、蜜集めしてんの?」
「うん。美雨にがんばってねって、お菓子を作ろうと思って」
自分など気に留めず、一心不乱に花を摘み続けるシーラに不満げな表情をしていた大輝だったが、その言葉を聞くと嬉しそうな表情になる。
「はは、ありがと。姉ちゃん、すんごい喜ぶと思うよ」
「それとね、卵の分も作ろうと思うの」
「え。う、うーん、もうちょっと成長してから、いや、生まれてからでいいんじゃね?」
彼女の花かごは、七色すみれでこんもりとした山が出来つつある。もう十分ではないだろうか。
「ああ、人の姿で生まれるのだから食べられないんだったね」
すっかり忘れていたらしい。少し残念そうに肩を落とした彼女を見て大輝は笑った。
「いいよ、たくさん作って。んで、余ったらオレにも頂戴」
「そうだね。大輝は食いしん坊だから」
「そんな言い方すんなってー」
わざと大げさに肩を竦めて見せる大輝に、シーラも笑いかける。
彼女は、竜の中でもとても珍しい花の竜だ。そしてその名の通り花のように美しい見た目だが、彼女のワンピースから伸びた白く細い手足には、醜く引き攣れた傷跡が残る。そして、それが自分たちのためについたものであることを彼はよく知っている。
***
薄い桃色の小さな竜は、花かごを口に咥えて草原を飛び立った。その後を、大きな黒い竜が続く。
目指す先は、不在の竜王の巣であり、黒い竜の生まれた場所だ。
しばらく森を飛ぶ。シーラは小さいので高くは飛べない。翼も小さいので速度も出ない。黒い竜からしたら散歩よりも遅い速度だ。しかし、何も言わずに後をついていく。一人だったら一瞬で着く距離をゆっくりと飛行し、滝の裏側に広がる竜王の巣へと辿りついた。
天井の高い、一番広い入口の部屋に降り立ったシーラは人の姿を取る。次いで着地した黒い竜をじっと見つめる。
「どうしたの、シーラ」
見つめられて少しどぎまぎした様子で大輝が目を逸らす。竜になると顕著に変化する瞳は、夏の若葉を思わせる緑色。竜王と同じ色だが、彼では無いものだ。
「ううん。なんでもないの。ただ、卵が帰ってきたら、すっかり立派な黒い竜になってしまっていて。未だに少しびっくりするわ」
シーラは口を押えて笑う。花が綻ぶようだと、誰が言い始めたのだろう。大輝はそんなことを思いながら人の姿を取った。ネスレディア王国、時空の塔の大魔法使いの姿だ。
「大輝がいると、魔石のコントロールが楽で助かるわ」
「え、オレって便利家電みたいな役割なわけ。シーラひどい」
軽口を言い合いながら二人は竜王の巣の中へと入る。
鍵などかかっていない。ここまで飛んで入るには魔獣か竜でないと不可能だし、竜王の里に住まう竜の中で竜王の巣に悪さを働こうとするものなどいないからだ。
「ほら、お砂糖とか小麦とか。また色々買ってきといたから」
大輝はずっと持っていたビニール袋から取り出し、保存庫へと投げ入れた。中身はこちらの世界のものだが、ビニール袋は重宝している。ただのコンビニ袋だが。
「もう! ちゃんと順番に入れているんだから、適当に投げ込まないでよー」
適当に放り込んだ大輝を見て、シーラが慌てて花かごをテーブルに置いて走り寄ってきた。大輝にはよく分からないが、彼女なりのこだわりがあったらしい。新しく買ってきたものを奥へ、古いものを手前へ並べ替える。
「ふう。きちんと並ぶと気持ちいいね」
ぴしっと並んだ袋を見て嬉しそうなシーラ。何故だか大輝はその頭を撫でたくてたまらなくなったが、我慢した。
「砂糖漬けからつくろうと思うの」
「へえ。なんか、この派手な配色のスミレって見たことないな」
「これは、七色スミレっていうの。虹みたいな色をしていて綺麗でしょう」
砂糖漬けにすると、とっても綺麗なのだと得意げな笑顔で説明されるとつられて笑顔になる。
「とっても簡単なんだよ。卵を割ってね、白いところだけ使うの」
黄身はあとで使うのだろう。別の器に分けられたものを大輝がなんとなく見ているとシーラが笑った。
「ふふふ、本当に大輝は食いしん坊さんだね。いいよ、後でそれで何か作ってあげる」
物欲しそうな視線と勘違いしたのだろう。シーラが笑いながら言うが、大輝は首をすごい勢いで横に振った。
「い、いやあ、オレはお腹いっぱいだから。それよりも続き作んないの?」
「そうなの? 次はね、この白いところを…」
シーラの興味が逸れて大輝はほっと肩を撫で下ろす。好んで食べるお菓子やジャムなどはとても上手に作る。しかし、本来は竜である彼女は人間の食事はとらないし、味見もしない。ゆえに彼女は肉・魚等の料理は恐ろしくメシマズなのだった。
そんな大輝の心は知らず、シーラは手際よく卵白を切るように混ぜ、スミレにまんべんなく塗りつける。そして優しく、粒の大きな砂糖に押し当てる。
「へえ、そうやって作るんだ。シーラって器用だよねー」
肉とかの料理以外は、と大輝は心の中で付け足した。
「昔、お土産で竜王様とミサキにもらったの」
大輝の母のことを話す時、彼女の優しげな茶色の瞳は何かを堪えるように一瞬だけ揺らぐ。
「そっか。これで出来上がり?」
「ううん。あとは乾いたフキンに乗せて乾かすよ」
滝の流れる音が僅かに聞こえるものの、室内には大輝とシーラの優しい声だけだ。
自分を攫おうとし、家族の運命を歪めた組織を絶やすために最近忙しく、またその処遇をどうするか悩んでいる大魔法使いは、この優しい雌竜と過ごすことが増えた。
件の組織の根城への通り道ということもあるが、彼女と一緒にいると復讐と憎悪に溢れたこの気持ちが少し楽になる気がする。何故かはまだ、彼には分からないけれど。
***
出来立てのスミレのジャムと、クリスタリゼされたスミレを大輝は持たされた。
包みは二つづある。
「ほら。大輝の王様と一緒に食べてね」
「ああ。あいつ甘いもの大好きだから、きっと喜ぶよ」
シーラは自分の分は取らなかった。大輝が分けておいたシーラの分を、美雨と大輝の容器に入れたのだ。自分の分を相手に分け与えるのは、彼女の性分なのだろう。
「私は、竜の峰は越えられないから。ここでお見送りするね」
竜の峰は高く、そして花の竜である彼女には寒すぎるのだ。
彼女は古傷の残る白く細い手を、大輝の頭に伸ばした。ふわふわとした柔らかい黒髪を撫でる。
「…シーラ?」
少し頬を赤くした大輝に、シーラは嬉しそうに笑いかけた。
「大輝は、大きくなったね。卵だったのに、誰よりも大きくて誰よりも早く飛べる。魔法も使えるし、知識もある」
「また、子ども扱いかよ」
大輝の溜息に、シーラは首を横に振った。
「ううん。大輝はもう立派な成竜だよ。黒いのに、名前の通りに大きく輝いて私の心を乾かしてくれた」
茶色のつぶらな瞳は、まっすぐに大輝を見つめる。
「大輝は、黒い太陽みたいだね」
その言葉に、大輝はうつむいてシーラの頭へと手を伸ばす。
同じようにぐしゃぐしゃと少し乱暴に彼女の薄い桃色の髪をかき混ぜる。
「きゃっ、ぐちゃぐちゃになっちゃう」
「シーラだって、やったからお返しだよ」
顔を上げて笑った大輝の顔に、もう迷いはなかった。
「もう行くよ。帰りが遅くなるし」
前に来たときは、二人を乗せていたから二日もかかった。
今の彼は早いし、竜として長距離を飛ぶことも、風の力を利用する方法も覚えた。
今から戻れば明日の明け方までには王城へと戻れるだろう。名残惜しいが、今の彼にはすべきことがある。もうすぐ生まれるであろう、彼の甥っ子だか姪っ子だかのためにも必ず、件の教団を壊滅させねばならない。
「うん。大輝、また来てね」
シーラの言葉に大輝は頷いて立ち上がる。
もらったお菓子とジャムの入ったコンビニ袋をしっかりと手に持つ。
「必ず来るよ。シーラ。今度は、少し時間が空くと思う。でも、またこうやって会ってくれる?」
「もちろん! 私たちにはたくさん時間があるんだもの」
***
とにもかくにも、優しさゆえに迷いを断ち切った彼は強かった。
竜を崇拝する組織を徹底的に潰した、その大魔法使いを人々は畏敬を込めてこう囁いた。『北のネスレディアに、竜殺しの大魔法使い有り』と。
そして皮肉なことに、竜殺しの異名を得た大魔法使いは、本来の黒い竜の姿で、随分魔物の減った世界で空を翔ける。
目指す先は、竜王の里。彼の大切な桃色の竜に会いに行くのだ。この気持ちを確認するために。
大きな黒い竜が、彼女への淡い恋心に気が付いてから、成就させるまでこれから50年の月日を要するが、それはまた別のおはなし。
生卵白とハチミツを使ったお菓子は、人間の赤ちゃんにはあげないでくださいね。
竜王の巣くらいにしか、キッチンはありませんのでそこでの調理になります。シーラくらいしか使いませんけどね。
あと一つ番外編と、オマケが書けたらいいなと思います。




