74 終わりの、始まり。
三人と竜王は、山を越えてすぐにロゼリオと合流できた。ロゼリオは何食わぬ顔で、別れた時より高い場所から合流した。今回の旅でだいぶ成長したのだろう。
古巣を飛び立つ前に、母の形見である指輪は竜王へと美雨が渡したままだったが、それがいいと思った。元よりオルゴールの中に入れたままだったのだ。それに、美雨が持っているよりも竜王が持っていたほうがふさわしいと思えた。
三人と一匹は北へ。竜王は東へとそれぞれ別れた。黒い竜の背から見た竜王は、大きくぐるりと旋回し、あいさつをしているようだった。
***
竜王の里から戻り、半月が経過した。仕事が立て込んでしまっていた為、大輝はすぐに王城へと戻りその日の早朝から激務となったそうだ。アルフレドも逃れられるわけもなく。帰れない日もあったりしたが、最近は段々と忙しさも落ち着き、毎日帰って朝に出て行くスタイルに戻った。
もう、吹雪くほどの雪は降らない。降ってもこれ以上はもう積もることはないだろう。冬が終わろうとしている。
もう一月もすれば空に小鳥が飛び始め、雪解けの小さな川ができるだろうとアルフレドは美雨に防水ブーツをプレゼントしてくれた。
夕暮れ時の暖炉の前で、美雨は落ち着かない様子でうろうろとしていた。夫がいつも帰ってくる時間帯だということはもちろんだが、今日は彼に伝えないといけないことがあるからだ。
大きな翼の音が聞こえ、美雨は防寒着をしっかりと羽織り、いつものように乾いた温かなタオルを持って外へと駆け出した。
「おかえりなさい! アルフ、ロゼ! お疲れ様!」
「ああ、ただいま。ミュウ」
『いいこに、してたか?』
いつも通りのやりとりが空から降ってきて美雨は、笑顔で手を振る。夫とその友…もうすっかり家族の一員の彼は、ゆっくりと着地をしている途中だった。
いつも通り、ロゼリオを小屋へと連れて行く。美雨がタオルでロゼリオの湿気を拭き、アルフレドがゆっくりとブラッシングする。いつもこの穏やかな時間が大好きだったが、今日の彼女はソワソワと落ち着かない。
「ミュウ、どうした? 何かあったのか」
そんな妻の様子に気づかないはずもない。アルフレドの問いに美雨は驚いたように瞬きをした。
「え、なんで分かるの?」
「いや、明らかに挙動不審だが」
『うん。ミュウ、へん』
ロゼリオにまで言われてしまい、美雨は自分の少し熱い頬に手を当てる。もう言わなければならない雰囲気だ。どうしよう…そう思ってアルフレドの顔を見上げる。深い菫色の瞳は穏やかだが、真っ直ぐに美雨を見つめている。
彼の大きな手を取り、そっと自分の腹部に乗せた。しばし怪訝そうな表情をしていたが、彼の顔が徐々に驚きに染まる。
「ミュウ、本当に?」
「うん」
竜の里へ行く少し前から月のものが来ていないこと。そして体調がいつもと明らかに違っていることを告げると、アルフレドは美雨を抱き寄せ、口づけた。次いで、力強く抱きしめたが、腹の子を思ったのだろう。少し力を緩め、耳元で囁いた。
「ありがとう、ミュウ」
その声は、落ち着いたいつもの彼のものだったが、喜びと興奮に満ちたものだった。
ロゼリオはよく分かっていないだろうに、彼の友の喜びが伝わったのだろう。嬉しそうに鳴き声を上げ、獅子の尾をパタリ、パタリと振ったのだった。
「卵でも、竜でも、人でも。なんでも構わない。オレたちの子だ…元気に生まれてこいよ」
アルフレドは美雨の膨らんですらいない腹部に手を当てて声をかけ、まだ早すぎると美雨に笑われたのだった。
まもなく春を迎えるこの国のどこよりも早く、この小さな小屋の中には春のように穏やかで、温かな空気が訪れた。
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私は、ごくごく平凡な村娘だ。明日で十六歳になる。
父は牧場に勤めていて、母は繕い物をする仕事をしている。
北の方にあるネスレディア王国という大国の大魔法使いという人が、人工的に魔物を作っていた組織を壊滅させ、その作り方を封印したというのは私が生まれた頃の話だ。最近は魔物もめっきり少なくなった。
今日も私は畑で栽培した花を束にして、町へと売りに行く。
少し遠いけれど、二時間程歩いていけば着く。売上が良ければお昼ご飯を買って食べてもいいし、悪ければ食べなければいいだけの話だ。今日は売れるといいな。
そんなことを考えてぼーっと歩いていたのがいけなかったのだろうか。
最近多くなった大型馬車のせいでガタガタになっていた道に、足を取られてバランスを崩してしまう。
「あ、やば…!」
商品である花だけは死守しないと! しかし、お花は両手の籠いっぱいに入っているわけで。もれなく私は頭から道に突っ込んでいた。しかも、運悪く大きな石が落ちている所へめがけて。
***
「おい、嬢ちゃん、大丈夫か!?」
「ほら、あんまり動かすんじゃないよ!」
騒がしい声に、ふわりと意識が浮上していく。
なんだか頭がガンガンする…
「ああ! 急に体を起こすんじゃないよ! 少しとは言え、頭から出血したんだから」
どうやら私は、見知らぬオバサマのひざまくらをお借りしているようだ。申し訳ない。そう言おうとした私の視界に、オバサマの深い緑色の瞳が飛び込んで来て、頭が割れるように痛んだ。
―――最初の一年、彼は私を珍獣のように扱った。
―――次の二年、彼は優しくなり、私の隣に寄り添った。
―――最後の三年目で、彼は私のものとなり、私は彼のものとなった。
彼って誰だっけ。
「ちょっと、あんた…大丈夫かい?」
頭を押えて立ち上がる。
私は、何か大切なことを忘れてる。忘れちゃ、いけないこと…。
「ちょっと、立ち上がって大丈夫なのかい? 随分ふらふらしているけど」
オバサマの手を振り払う。ごめんね、それどころじゃない。思い出さなきゃ。
周りを見回すと、止まっている馬車の中だった。通りがかって助けてくれたみたい。
「おばさま、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
馬車から無理やりに降りて、ぺこりとお辞儀をする。おばさんはまだ心配そうだったけど、無理強いはしなかった。
「気を付けて帰るんだよ」
「はい」
馬車が去っていき、私は残される。
道から少し外れて、土手の草むらに寝転がる。あんなに死守していた花かごが見当たらなかったけど、もうどうでもよかった。
青い空が眩しいので目を閉じる。
―――ごめんね。ハルトが呼んでるのを感じるよ。でも、もうそこには帰らない。
―――そこに戻れば、大切な子どもたちが、物のように奪われ、傷つけられてしまう。
―――会いたいよ、ハルト
バカな女だと思う。本当は寂しくて寂しくて。
でも、誰にも言えなくて。そのまま死んじゃったんだから。あの子たちはどうなっただろうか。
私が死んでも困らない様になるべく貯金はしてたし、保険だってかけてたけど。
卵だって、結局言えなかった。言えるわけないけど。
涙がポロリと流れて、止まらない。仰向けに寝転がったまま、右手を顔の上に乗せる。
「思い出した。思い出したよ、ハルト」
あれから、どれくらいが経ったのだろう。今の知っている情報と、明日が誕生日なのだから、十六年以上もしくは二十年近くは経過しているように感じる。彼は、まだ待っていてくれているだろうか。
体を起こして、涙をぐいっと拭いた。私が泣いてる場合じゃないよね。泣き虫なハルトはずっと泣いてるはず。あんなバカみたいにでっかい竜の涙を拭ってあげられるのは私だけだ。
包帯が巻かれている頭が、少しガンガンするけれど。急いで帰ろう。帰って、お父さんとお母さんに謝らなきゃ。今から旅に出るのだから!
「ハルト――ジオハルト。私、キミの世界に来れたよ。時間もかかったし、姿かたちは変わってしまったけれど…探しに行くから」
***
世界中を旅して、彼の愛するただ一人の妻を探す白銀の竜王。彼は、愛する妻が残した娘とその家族に久しぶりに会いに来ていた。人間であることを選んだ娘はだいぶ年を取った。
しかし相変わらず、彼女の騎士は深い愛情を注ぎ、二人はお互いに尊重し合い、幸せに過ごしている。子どもたちも一人は竜に。もう一人は人として生きている。
今は火の入っていない暖炉の前で懐かしく話をする彼の首元に光る小さな金色の指輪。その内側に光る青い宝石がその輝きをゆっくりと増したが、今は誰も気づいていない。
彼の長い旅が終わる日は近い。
二人と、その他大勢を見守って頂きまして、ありがとうございました。このお話で完結となります。
もしかしたら、番外編を書くことがあるかもしれません。
最初から読んでいて下さった方、今読んでいて下さる方のおかげで、無事に完結ボタンを押すことができました。本当にありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょう。