71 彼女の変化
雌竜の名前はシーラと言うのだそうだ。体も気も小さな彼女は、自分よりも小さくて力もないのにいつも堂々としていて、笑顔を絶やさない母に憧れていたのだそうだ。母も優しく、繊細な彼女を気にかけ、二人はかけがえのない友になったのだという。
シーラとの対面の後、他の竜たちもかわるがわるやってきた。
皆、木の実だの花の蜜だの、おいしい果物と、色々持ってきてくれた。
「卵と、子竜が帰ってきた!!」
と、口々に喜び、陽気な竜などはドスドスと音を立てながらダンスを踊っていた。それを見た竜王は苦笑いしながら、家が壊れると溜息をついていた。集まる彼らからすれば、大輝などまだまだ子どもの竜なのだろう。姉の美雨なんて未だに卵呼ばわりだ。
そんな賑やかな広間。その中へ滝を突きぬけるように、小さな影が飛び込んできた。それは、真っ直ぐにアルフレドと美雨が座る場所へと飛んできて、ようやく二人は竜ではないことに気が付いた。
「ロゼ! おかえりなさい!」
「心配したぞ、ロゼリオ。…おかえり」
美雨はその鷲の首に飛びつき、ぎゅっと抱きしめた。アルフレドは獅子の方の体躯を軽く叩いておかえりを伝えた。
ロゼリオは得意げに胸を張り、獅子の尻尾をパタン、と振った。
彼は竜王の里の険しい山を一人で越えてきたのだ。
そして、アルフレドの気配を辿って竜だらけのこの場所に迷いなく飛び込んできた。
「本当に、その魔獣は良い性質だな。我らの息吹を宿しているだけある」
竜王にも褒められ、ロゼリオは益々鼻高々! といった様子だったが、アルフレドの胴に鷲の頭を甘えるように擦り付けた。
『アルフ、お水と、ごはん!』
まったくいつも通りのロゼリオに、美雨とアルフレドは顔を見合わせて笑い、立ち上がる。彼の大好物の豆は、二人が割り当てられた部屋に置いてあるのだ。
水は竜王が用意してくれるそうだ。大輝は竜の姿が見たいとみんなに請われて変位して見せている。黒い竜だー!! という歓声を後に、美雨とアルフレドはそっと宴を抜け出して割り当てられた部屋へ戻った。
「ミュウ、ちゃんと言えたな」
「え? ふふ、お父さんってちゃんと言えたよ」
何を褒められたのか一瞬分からなかったが、すぐに分かって美雨は笑みを零した。一度言ってしまえば簡単だった。自分より少し年上くらいの男性にしか見えないが、間違いなく彼は自分の父親なのだから。
「オレも、父上といつも呼んだほうがいいのか」
「え、うーん。すごく喜ぶと思うけど、どうだろう」
大輝あたりが爆笑しそうと美雨が言うと、アルフレドは思いっきり顔をしかめた。
しばらく保留ということで、と彼に笑いかけて豆を取ろうとしゃがみ、袋を手にして立ち上がった時だった。急に眩暈がして美雨はその場に崩れるようにしてしゃがみこんだ。
「ミュウ! 大丈夫か?」
すぐにアルフレドが気付いて駆け寄る。美雨の顔色は青白かったが、本人はいたって不思議そうに首を傾げた。
「ごめんね、なんか急に立ったから立ちくらみかな…? おかしいな。別にどうもないはずなんだけど」
「ずっと高い場所を飛んでいたんだ。気付かないうちに疲れが溜まっていたのだろう」
しゃがみこんでいる美雨の背中とひざ裏に腕を差し入れて、アルフレドは抱き上げた。そのまま干し草でできた柔らかなベッドの上へとそっと横たえる。荷物の中から毛布を一枚取り出してかけてやった。
「ロゼリオにはオレが食事を与えるから、気にするな。ミュウはちょっと具合が悪いから先に休むと伝えてくる」
横になっている美雨の少し血の気のない唇にキスをひとつ贈り、アルフレドは心配そうに頬を両手で包み込んだ。竜王の里に卵の状態で来たのだ。何かしら変化はあるかもしれないと覚悟はしていたが、こうやって目の前で具合が悪くなる様を見ると落ち着かない。
もちろん、竜であろうが人であろうが美雨でありさえすれば、アルフレドは構わない。だが、その本人が望んでいないのだ。できれば卵の殻は割れないで欲しいと思っている。
美雨の前髪を優しく掻き上げてやると、気持ちよさそうに目を閉じたので何度か繰り返していると寝息が聞こえてきたので驚く。よっぽど気が張っていたに違いない。気付けなかった自分を少し責め、美雨の額にキスを贈る。
「ミュウ、貴女が何になってもオレはずっととなりに置かせてくれ…」
その祈るような声は高い天井へとゆっくり吸い込まれていった。
***
翌朝、美雨は何事もなかったように元気に起床した。アルフレドはとても心配して脈まで測っていたが、特に問題はなさそうだったのでようやくベッドから起きる許可をもらえた。
最初の一番広い場所へ出ると、白銀の竜王がじっと滝を見ていた。
「おはよう、お父さん」
「竜王殿、おはようございます」
「ああ、おはよう、美雨、アルフレド。もう、具合はいいのか?」
竜王が気遣わしげに美雨を見つめた。美雨は笑って微笑み、大丈夫と伝える。
「あれ? 大輝はまだ寝てるの?」
「いいや。シーラと散歩に出かけた。島を案内してもらうそうだ」
そういう竜王の顔には『私が案内したかったのに』とありありと書いてあって笑ってしまう。
「じゃあ、ヒマなお父さんには、私とアルフとロゼを案内してもらっちゃおうかな」
「ああ。オレも竜王の里を見ておきたい。明日の夕方にはここを出発せねばならないからな」
明日の夕方か、と寂しそうに竜王は呟いたが、表情の乏しい顔に笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ。どこにでも好きなところへ連れていってやろう」
ドスンドスンと踊る竜。陽気な子もおとなしい子もたくさんいます。
次話、観光地巡り…ではなく、お父さんとお散歩です。




