68 オレンジ色の夜明け
「ミュウ、起きてくれ」
少しだけ休むつもりが、ぐっすりと寝入ってしまったらしい。アルフレドの何度目かの呼び掛けに意識が浮上する。最近、寒いせいなのかすぐに眠たくなってしまうのだ。半分竜だから、冬眠本能でもあるのかと思ったが、竜王も大輝も冬がこたえていないみたいだから単に美雨の疲れが蓄積されてきているだけだろう。
「アルフ、おはよう」
ごしごしと目元を擦って見上げると、寝入った時と同じでアルフレドがしっかりと抱きしめていてくれていた。
だいぶ眠ってしまったのかと思ったが、意外と辺りはまだ薄暗くて首を傾げた。相変わらず風の音も寒さも感じないが、黒い竜は順調に飛距離を伸ばしているようだ。ちらりと後ろを確認するとロゼリオも問題なく付いてきていてほっとする。
「おはよう、ミュウ。よく眠っていたのに起こしてすまない。だが、見て欲しいものがあってな」
「アルフはずっと起きていたの?」
「いや、寝たり起きたりを繰り返していた。ほら、前方をよく見てみろ」
まだ頭の芯が眠っているようでぼうっとした状態のまま視線を向けると、巨大な黒い竜の頭と、白銀の世界。そしてほのかにオレンジ色に染まる山稜が見える。段々と明るくなってきているのだろう。雪に埋もれるようにして立っている木々の影が白い雪に黒々と伸びている。
「わあ! 綺麗…。もうすぐ夜が明けるんだね」
雪のほぼ積もらない地方で暮らしていた美雨にとって、見知らぬ世界。しかも豪雪地帯でのいきなりの暮らしというものは戸惑いが多くて。もちろん感動はあったが色々覚えることで精いっぱいだった。雪が積もるようになってからはロゼリオにも騎乗していなかった。こんなにのんびりと高い所から雪景色を見たのなんて初めてなのだ。
「…すごい。山全体が輝いているみたい」
眼下の景色はゆっくりと流れてゆき、ゆっくりとだが確実に登っていっている朝日は山稜を黄金色に染めていく。雪に反射して眩しいが、この神々しい景色から目を話すことができなかった。
美雨はアルフレドの手に触れ、そっと握った。夫は力強く妻の手を握り返し、同じように眼前の景色に見入っていた。
***
二人が降りたくなった時にはロープを引き、ダイキが疲れたら勝手に降下し、ロゼリオが疲れたら鳴き声を上げるという取り決めだったが、朝日が完全に登ってしばらくしても誰も休憩を入れようとしなかった。結局、心配になった美雨がダイキのロープを引っ張り、休憩ということになった。
人の気配どころか、獣の気配すらまったく感じられない山岳地帯。そこで一行は休憩を入れていた。大輝はソリを背負っていたりするので竜のままの姿だ。
「ダイキ、ありがとう。疲れていない?」
「全然。もっと疲れるかと思ったけど、昨日たっぷり寝たせいか体が軽いよ」
黒い竜はニッと笑って見せる。その口元から覗く鋭い牙は真っ白に輝いている。
「それよりも、ロゼには驚いたなー。結構飛ばしてしまったんだけど、普通に付いてくるんだもんな。天馬より早いんじゃないの?」
竜は首をロゼリオに向ける。ロゼリオは得意げに嘴を鳴らし、鋭い爪のある前足で雪を抉った。そして獅子の後ろ足でいつもように踏み固める。獅子の長い尾がパタリ、と振られた。
「ここなら口うるさく怒る庭師もいない。好きなだけやってくれ」
芝生じゃないもんね、と美雨は微笑み、ふと気づく。
「あれ? 王宮にはあまり雪は降らないの?」
ついこの間も叱られたばかりではないか。
「ああ、オレたちの家は王都よりずっと北に位置していて標高も結構高めで、何の魔石も仕込んでいないからな。王都は、少し南の平地に位置している。雪は降るが、山のようには降らないし、王都の道路には熱の魔石を利用したものが使われている。多少の雪くらいならすぐに溶かしてしまうし、その影響で王都はそこまで寒くない」
美雨は目を丸くした。以前、乗合馬車で王宮に行ったっきりだが、そんな技術が使われているなんて思いもしなかった。
ただ、その分の雨は降るからそこが改良点なのだそうだ。
「あ、もしかして。発案者は大輝だったりするの?」
アルフレドはご名答、と笑ってみせた。大輝は知らん顔をして新雪を口に入れている。
「だから、アルフも色々工事とか技術に興味があったんだね」
「ああ。今までのネスレディアは、大きな国土を有しながらも、その寒さゆえになかなか作物の育たない貧しい土地だった」
陣も張ることができないような貧しい村などは、魔物が現れてしまえばあっという間に空になってしまう。そして春になって訪れた者によって発見されることが多かったという。
「しかし、魔石の改良で値段も大幅に下がり、魔力を有するものは皆持っているほどにまで広がった。赤新月の際の結界の札は微量な魔力の者でも扱えるよう改良され、普及しつつある。知識は力となるのだなと、ダイキに教えられたからな」
ダムの仕組み、堤防の形の意味。色々なことにアルフレドは興味を持っていた。それを教える為に美雨も調べ物をし、少し知識は増えたのだ。何か手伝えることがあればいいと思う。
大輝は少し照れたのか、その長い首をふいっと横に向けて呟いた。
「この世界にはこの世界の良さがあるから。それに、オレはネスレディア王国の大魔法使いだし。平和的な使い方をできるものは、有効活用しないとね」
言いながら背中を二人に向け、ロープを垂らした。
「ほら、また飛ぼう。休まず飛べば、今日の夕暮れには着くはずだから」
二人は頷き、ロープを伝う。七日間のうちもう二日目の昼前だ。時間は無駄にはできない。
ロゼリオ、もっとデキる子でした。
次話、到着です。




