67 空を翔ける黒い竜とグリフォス
戸締りは済ませてあり、昼間のうちに冬の間はほとんど行き来しなくなったご近所さんにも一週間開けるという話をしてある。
『ダイキ、ひさしぶり』
竜の姿の大輝に会うのは初めてだというのに、ロゼリオはいつも通り挨拶をした。やはり魔獣たちには分かっていたのだなとアルフレドは改めて思う。
「ロゼ、随分遠くへ飛ぶから。疲れたら、すぐに知らせてくれ」
『大丈夫。アルフもミュウも乗らない、荷物もなければ、すごく軽い』
アルフレドの心配はロゼリオのプライドに障ったようだった。アルフレドは苦笑を零す。そうだ、彼はずっと一緒に国中を、それこそ休みなく飛び回るような魔獣だった。失礼というものだろう。
「失言だった。…ロゼならもっと早く空を翔けられるな」
『まかせろ』
ロゼリオの獅子の尾がパタリ、と一回振られた。
***
大輝は自らの首にロープを巻いてきていた。これでよじ登れということなのだろう。
固いウロコはツルツルすべりそうだと思っていたが、意外に滑らない。触ると少しザラザラしている。
背中に上って驚いた。大きなソリが固定してあったのだ。お腹をぐるりと巻いていたロープはこれだったのかと納得した。
「大丈夫だとは思うんだけど、こんなに長時間、長距離を乗せて飛ぶのって初めてだからさ。しかも二人だと術の制御が難しいからさ、このソリに乗っててくれれば一か所だけ制御すればいいから助かるんだよね」
美雨には魔法のことは分からないが、言いたいことはなんとなく分かる。それぞれに動く二人の面倒を見るのは大変だから、持ち運べる箱に入れておくようなものなのだろう。
ソリは広く、二人が乗る後ろに荷物を載せるスペースもある。なんだか思っていたよりずっと快適な旅になりそうで美雨は拍子抜けした。
「じゃあ、飛ぶからしっかり捕まっててねー」
威厳のある黒い竜は、いつもの大魔法使いの軽い口調はそのままに二人に告げ、ロゼリオに首を伸ばして伝える。
「ロゼ、オレが上空へ浮いたら付いてきてね」
『だいじょうぶだ、はやくとべ』
今日はまだ一度も飛んでいない上に、久しぶりの長距離飛行にロゼリオは興奮している様子だった。そんな魔獣の頭を撫でるかのように、大きな竜の頭が優しく触れて離れた。
大きな黒い翼をゆっくりと広げながら、湖畔の方へと進む。闇夜に紛れて、漆黒の竜の姿は見とがめられないだろう。家から少し距離を置いた所で黒竜はゆっくりと、しかし力強く羽ばたいた。重力を感じさせない動きでふわりと宙に浮かぶ。ロゼリオに騎乗している時とは全然違い、風を体に感じることはない。もう陣が張られているのだろう。
眼下に広がるのは、白い大地と灯りの消えた我が家。そして、三つの月を静かに映している湖と黒く生い茂る林だけだ。通い慣れていた白樺の並木道が、もうあんなに小さい。
アルフレドはソリから少し身を乗り出し、ちゃんとロゼリオが付いてきているのを確認した。結構な高度だが、彼はいつも通り…いや、なんだか生き生きとしているように見えた。
「ロゼ、飛ぶぞー」
『いこう、ダイキ!』
元気な返事を受け、黒い竜は滑空を始める。風を切る音も、身を切るような寒さも感じない。隣のアルフレドの熱だけが伝わり、景色がゆっくりと流れていく。ゆっくりと流れている気がするだけで、実際はすごいスピードなのだろうが。
ロゼリオは黒い竜の斜め後ろを飛んできちんと付いてきている。とても楽しそうだ。渡り鳥がV字に飛ぶように 。彼もまた、生まれながらに飛びやすい方法を知っているのだ。
「ねえ、本当にロゼの豆はあれだけで良かったの?」
「ああ。問題ない」
たくさん飛ぶのだ。ロゼリオの食料と水の確保は大変そうだと美雨は思っていたのだが、それは意外な形で解消された。本来、魔獣というものは水だけ飲んでいればあまり食物を取らない生き物なのだそうだ。
それでもご褒美的な意味合いであげたいなと美雨は思ったので袋いっぱいの赤豆と白豆を一袋づつは積んである。
「ロゼは豆が好きで、その中でも赤豆と白豆だけを食べる。お腹がすいたというのは、本当だろうが。まあ、毎日食べなくても問題ないな」
アルフレドの言葉を聞いた時は驚いたものだった。お腹が空いたと感じるそうだが、食べなくても大丈夫。最悪一週間くらいは水だけで平気なのだという。
「ソフィアを覚えているか?」
「ええっと、第二騎士団の騎士さんだよね。綺麗な女の人」
「うちの紅一点だな。ソフィアの魔獣がジークというのだが…」
「うん。白い翼のホワイトタイガー…ええっと、白虎だよね」
美雨の言葉にアルフレドは嬉しそうに顔を綻ばせる。一度しか会ったことのないはずなのに魔獣まできちんと覚えているとは思わなかった。彼女は魔獣を見て綺麗だと言っていたのが本心からなのだなと改めて感じた。
「そう。ジークと言うのだが、あいつなんて砂糖菓子しか食べないそうだ」
「えええ! あ、だから少し太ったとか言ってたんだ」
「そう。あまり太ると仕事に支障が出てくるからな」
アルフレドは苦い顔をしている。以前は筋肉質で引き締まっていたジークは、最近明らかに太ってきた。帰ったらまたソフィアと面談をせねばなと思う。
二人が話している間にも風景は流れ続け、もう美雨が見慣れた光景はない。月明かりを反射して白く光る大地と、黒い木の影が延々と続く。
「少し、休んでおけ。先は長いのだから」
アルフレドの言葉と一緒に肩を引き寄せられる。美雨はおとなしく従い、ゆっくりと目を閉じた。
なんてハイスペック。ちなみに大輝の食料は途中で買えばいいかなーくらいにしか美雨は考えてません。かわいそう。
次話、夜明け。




