62 割れた卵のおはなし
大輝が思っていたよりもずっと簡単に事が進んだ。
塔に一人戻った大輝は安堵の息を吐いた。ここにはもうクロードは居ない。
本来の王の部屋へと戻ったのだ。寂しがっていたが仕方ない。彼は王なのだ。本来ならばこんなカビ臭いベッドなど知らなくていい存在だ。
ドナートが護衛を申し出てくれたのだ。きっと大丈夫だろう。
団長のことは少し苦手に思っていたが、案外いい人だったのかと思った時、何かがひっかかった。
かの教団に持ち出された金品は馬車などをつかった形跡が全然なくて、証拠をつかむのに苦労したのだ。 上手いこと隠していたなと舌を巻いたものだったが、違ったのではないか。たとえば、そう。空を飛んだりする魔獣が秘密裏に動いていたとなれば話は別だ。
「起きろ! じいさん! クロードがやばい」
寝ていたルンゲを叩き起こし、ぶつくさ言う彼をせかしながら、ルンゲしか知らないという隠し通路を使って王の居室へと向かった。
二人が部屋に駆け込むと、窓が開け放されてカーテンが夜風に揺れていた。窓に駆け寄り目を凝らすと遠方に馬の体躯に白鳥の翼を持つ国で最速の魔獣であり、ドナートと契約を結ぶ生き物の美しく輝く白い翼が見えた。
「ありゃま。大輝、おぬしはいつも詰めが甘いのう」
「うっせ! じいさん、なんか足の速くなる魔法とかねーの?」
「そんな便利なもんがあれば、わしにくれ」
「くっそ、クロード…」
大輝が手をぎゅっと握りしめた時に、ルンゲはこともなげに言ったのだ。
「おぬしは、最初からずっと、世界で一番早い翼を持っておるわい」
「はあ? 謎かけとかもういいから」
「忘れたとは言わせないぞ。お前は、卵だ」
大輝は息を呑んだ。魔力を扱うと常に感じる、自身を覆う固い殻。これを割ってしまえば、人間には戻れなくなってしまう。竜として生まれ、竜としての長い時間を生きなくてはならない。
しかし、それがなんだというのだ。今ほど、まだ見ぬ父に感謝したことはなかった。
大輝はそのまま窓を乗り越え、夜の空へと身を投げ出した。
魔力を一か所に集中させ、雛鳥が卵を割るようにつつくと、固い殻は砕けて心地よい解放感に包まれる。
自分の首が伸びるのを感じた。同時に、今まで感じたことのない尾の感覚と翼の感覚もある。
黒く輝く翼を数回上下させてから、すごい速さで滑空する。黒い若竜は夜空へと溶けるように消えていった。
「もう、お役ごめんじゃな」
窓から見送っていたルンゲは、満足そうに微笑んでいた。
***
宰相と、第二騎士団団長ドナートは持ちつ持たれつで成り立つ関係だったそうだ。
役立たずとなった宰相をあっさりと切り捨て、人々の目がそちらに向いているうちにドナートは教団へ少年王を手土産に逃げ込むつもりだった。
彼の魔獣はかなり足が速い。間もなく国境という所まで来た時だった。
後ろから獣の咆哮が聞こえて彼の魔獣は金縛りにあったかのように足を止め、命令を無視して地上へと降りてしまった。
ドナートは舌打ちをし、薬で気を失わせているクロードを乱暴に担いだ。
この魔獣は惜しいが、もう時間がない。彼は捨てゆく判断を下した。
向けた背から、彼の友だった者の優しい声が聞こえた。
『きみのお父さんと約束したから、ずっと近くにいた。でも、もう一緒にはいられないね』
ドナートが立ち去る前に、天馬と呼ばれる希少な魔獣が言葉を発した。
『愚かなドナート。でも、好きだったよ』
ドナートが振り返ると、もうそこには彼の魔獣の姿は無く、いつも感じていた気配も感じられない。契約は破棄されたのだと知った。
次いで、大きな地響きと木が倒れる轟音がしてドナートは唖然とした。
目の前に現れたのは、彼が初めて目にした、黒い色の竜だった。竜の巨大な顎が開かれ、ドナートに迫る。死を覚悟して目を瞑ったが、痛みは訪れず肩が軽くなった。
恐る恐る目を開けると、竜が口に少年王を優しく咥えているところだった。竜は丁寧な仕草で地面に寝かせる。その巨大な体の輪郭が揺らいだ。そして、よく見知った異界魔法使いの姿へと転じたのだった。
「…お前は、竜だったというのか」
「…教える必要、あるの?」
ドナートの問いに吐き捨てるように答え、大輝はクロードをおぶった。
本当は竜の体を維持したかったのだが、慣れないせいか人間の姿に戻ってしまったし、先ほどの無茶な飛行で体中が悲鳴を上げていた。
「いいや。随分お疲れのようだ。少年王などの手土産よりも、竜を持って行ってやれば、今後の憂いは一切なくなるな」
ドナートは、腰に履いていた剣をスラリと抜いてゆっくりと近づいてきた。
大輝は背中におぶったクロードをかばうように背筋を伸ばして立った。
その時だった。
「ヴェストレム団長! 竜が飛んで行ったと近隣の住人が駆け込んできまして…どうされました?」
空から降ってきた聞き慣れた声に大輝はニヤリと笑い、ドナートは忌々しそうに舌打ちをした。
「ん? ダイキではないか。その背負っているのは…」
「異界の魔法使い殿は、竜を使って陛下を攫ったのだ。私はそれを捕縛している所だ。協力してもらおうかフリクセル副団長」
ズシン、と大きな音を立ててグリフォスが着地をする。
大輝は何も言わない。
「ダイキが? いや、しかし…」
何かに気付いたようにアルフレドは言葉を切った。そして、その深い菫色の瞳で、己の所属する第二騎士団の団長を見据えた。
「ヴェストレム団長、テオはどこです?」
「…あいつは竜に怯えて逃げて行った」
「そんなはずはありません。魔獣は決して裏切ることはありません。テオは…」
ドナートは大きな舌打ちをした。大輝に向けていた剣を部下である副団長へと向けて笑う。
「口うるさくて、正しいことしか言わない。お前のことがずっとキライだったよ、フリクセル副団長!」
襲い掛かってきた剣を止め、アルフレドは返す力でそのまま切り払った。弾かれると思った斬撃はそのまま肉を抉り…彼の憧れていた上司はその場に倒れ、動かなくなった。彼は剣を避けもしなかったのだ。
「オレは、貴方の強さと、正確な状況判断にはいつも憧れておりましたよ、団長…」
アルフレドは短く目を瞑り、小さく祈りをささげてから大輝に体を向けた。
「さて。説明してもらおうか、大輝」
座り込んでいる大輝にゆっくりと近づくが、ぴくりとも動かない様子に慌てたアルフレドは駆け寄り、その背中を見てさらに驚いた。
「なんで子どもが…?」
とにかく、この場所はよくない。魔物がいつ出てきてもおかしくないし、先ほどの竜だってまだいるかもしれないのだ。アルフレドは大輝をうつぶせにロゼリオに乗せた。後ろにまたがり、子どもを抱え込む。
「重くて悪いが、いけそうか?」
『大丈夫! これくらいへっちゃら』
「ありがとう、ロゼ。頼む」
ゆっくりとロゼリオが翼を上下させる。
その振動で大輝が僅かに目を開けた。アルフレドがクロードを抱き抱えているのが見えて安心する。
東の空がかすかに白んできているのが見えた。
***
事情聴取を数日受けた大輝は、不審な点や不可解な点が多々あった。しかし、幼き王自らの判断で側近に据えられ、ひと月ほど事後処理やら色々済ませてからやっと自室へ戻れることとなった。
時空の塔へと戻るとルンゲは不在で、ガラクタが積み上げられた部屋の机に書類がひとつと手紙がひとつだけ置いてあった。
大輝はそれを見て深いため息を吐く。なんであの老人は人を振り回すのだろうと。
ドナートにも色々あったんでしょうね。テオは野生に帰りました。
次話、現在に戻ります。




