61 魔法使い見習いと小さな王のおはなし
アルフレドに会った翌日のことだった。
慣れない世界と生活に疲れ、ぐっすりと寝入っている大輝は蹴りつけられて不愉快そうに目を開く。こんなことをする人は一人しかいない。
ルンゲが夕食を済ませ、早めに就寝した大輝を蹴り起こしたのだ。
この気まぐれな老人に、日々付き合わされている大輝は溜息を吐きながら体を起こす。
小さな少年の両脇に腕を入れて、犬猫を見せるかのように軽々と持ち上げている師匠が目の前に立っていた。
「ほれ、この国の王様じゃぞ」
「は? じいさん、何いってんの」
「こりゃ! ルンゲ師と呼べと言っておろうがっ!」
二人のやり取りの間も、少年は…いや、少年ともまだ呼べない幼子はぼんやりと視線を彷徨わせていた。
おおよそ子どもらしくないその様子に大輝は少し不気味に思ったが、とりあえず意思疎通を図ってみることにする。
「ええと、…こんにちは。いや、こんばんは、か?」
変な所で悩んだ大輝を、少年の鳶色の瞳がゆっくりと捕えた。痩せすぎてしまっていて目だけが異様に大きく感じる。
なんでこんな小さな子がこんなに痩せて、子どもらしからぬ表情をしているのか。とても気になった。
それが、始まりだった。
ルンゲはその日、彼しか知らないという秘密の抜け道を使って、子どもを塔へと連れてきた。子どもの名前は、クロード・ル・ネスレディアと言った。
この国の正妃は産後の肥立ちが悪く、そのまま死の国へ旅立った。ネスレディア前国王は、原因不明の病でその数か月に後を追うように旅立つ。次に王位を継承できるはずの王弟は、王位に就く前に馬車の事故で死亡した。これらの不幸は全て二年の間に起きた。
相次ぐ不幸から一人残された幼い王子は『災いを呼び込む』と陰でひそひそと言われた。しかし、見かねた宰相が後見人を引き受け、幼い王子を王とし、彼が成長するまでは面倒を見ることと、国政を代行することとなった。
お優しい宰相殿。皆が口ぐちに褒め称えたが、実際の宰相はこの国の支配権と、財力が欲しいだけだった。
毎日、死なない程度の少量の毒を幼き王に盛っておく。そのせいで顔色も悪く、どこかしら具合の悪い王を病弱だから大切にせねばと言いふらし、王宮の奥深くに閉じ込めたのだ。
人々はたった三年の間で不幸な幼い王のことを忘れた。五歳になった彼が会う人間は一日二回の食事を運んでくる耳の聞こえぬ貧しい身なりの男だけ。しかもその食事のうち一回は必ず毒入りだ。
そんな状態だった子どもを、食事係の男を買収し、ルンゲはこの時空の塔へと連れてきたのだ。
変わらずに食事を扉の前までいつも通り運ぶこと。ただし、食事を食べる本人はもう居ないのだからそれは処分して、空の皿を下げること。それをするだけで金がもらえると知った男は頷いた。危険が伴うが、彼なりにこの誰とも知れない幼い子どものことを案じてはいたらしい。お前が運んでいた食事には毒が入っていたのだと伝えると顔を青くし、自分の手をじっと見て涙を零したそうだ。
塔へやってきた子どもは、最初はしゃべらず笑いもしなかった。ただぼんやりと回りを見ているだけだった。
文字を覚える為に絵本を見る大輝を真似て、読むような仕草を見せてくれるようになった。
シチューを食べたら熱くて驚く子どもに口で吹いて冷ます方法を教えてやったり、届かない場所には肩車をしてやった。
時間を重ねるごとに段々と子どもらしい笑みを浮かべるようになり、最後には塔に響くような笑い声を響かせるようになった。その頃にこの子どもが喋らないのではなく、人と会話をしていなかったから言葉が未熟なのだということに大輝は気付いて衝撃を受けたのだった。
顔色も良くなり、鳶色の瞳には生気が宿ってきた。乾いた砂が水を吸収するかのように言葉を覚え、色々なことを大輝と共にルンゲの元で学んだ。
子どもは、魔法使い見習いを父か兄のように慕い、「ダイキ、ダイキ」と呼んで後をついて回った。口調も無意識に似てきた。そんな小さき友を大輝も「クロード」と呼んで可愛がった。最初に出会った時は人形のようだったが、本来のクロードは素直で可愛らしい。そしてとても賢い子だと感じた。
遊び疲れたクロードが寝入った頃にそっと抱き上げてベッドへ寝かせる。その後、この国の歴史や仕組み、法を夜遅くまで学んだ。朝になればいつも通り起きて食事を取り、ルンゲについて魔法を学ぶ。
元の世界に居た時にはこんなに必死に勉強なんてしたことがなかったし、必要性も感じなかった。今は違う。
大輝は、小さな王がこれからも健やかな笑顔を絶やさないように、自分の出来うる限りのことをしてやりたくなっていた。
そんな生活を続け、気が付くと一年半が経過していた。
魔法使いとしての大輝は、めきめきと頭角を現した。卵の殻のせいで魔力が抑えられていたのが逆に良かったのかもしれない。彼は稀有な魔法使いと周囲に認識される。扱いにくかった熱と水の魔石をもっと簡単に使えるように改良し、さらに価格を下げることに成功させたのも彼の実験の成果だ。
たった一年半の間で、大魔法使いの秘蔵っ子、次期大魔法使いと呼ばれるまでに彼は成長していたのだ。
しかし、ルンゲ師は決して大輝に界渡りの術を教えようとはしなかった。
そして大輝も以前ほど教えろとは言わなかった。姉は勿論心配だが、あれでも大人だ。それよりも今は、自分が居なくなってしまったらまた孤独になる小さな王が心配だった。
最初にルンゲ師に引き合わされたアルフレドは、あのすぐ後に魔獣と契約を交わすこととなり、第二騎士団へ配属となっていた。辺境の魔物を払ったり、国境を見まわったりと忙しくしている様子だった。しかし、戻ってくると必ず魔獣を連れて塔へ立ち寄って手土産や話をしたりした。
第二騎士団に入ったばかりの彼には、クロードのことは隠しておいた。知ってしまえば、自然と宰相の悪行を知ってしまう。そしてそれを知って知らぬふりをしていられるほど彼が大人ではないのを大輝とルンゲはよく分かっていた。
まだ、動くには早すぎる。
***
大輝がネスレディアの地へやってきてから三年目のことだった。
やっと、好機が訪れたのだ。
時々会う腐れ縁の騎士が教えてくれた、辺境に最近増えた魔物のこと。やけに獣に近い姿をしており、しかも数が多い。疑問に思ったアルフレドは大輝に相談をもちかけたのだ。三年の年月を経て、彼は第二騎士団副団長となっていた。
大輝は寝る間を惜しんで動いた。竜王に滅ぼされた国が教団に汚染されていたこと。そして魔物に関する研究をしているそこに、何故かネスレディア王国から荷物や金品が届いていたこと。そしてそれらは宰相が国を事実上掌握してから起きていたこと等を調べ上げた。
王の生誕祭という名ばかりの豪奢なパーティーが毎年開催されている。当の王は毎回欠席するという変てこな誕生パーティーだ。無論、その主役であるクロードはそれが開催されていることどころか、ルンゲに教えてもらうまで自分の誕生日すら知らなかったのだけれど。
そのパーティーの最中、標準よりはやや小柄なものの、すっかり健康的な血色になった少年王と、異界の魔法使いが現れたのだ。しかも、時空の塔の大魔法使いルンゲ・ユリアーヌも一緒だった。
宰相は慌てふためいたが、さすがになんとか取り繕って優雅な礼を取った。無論、その下げた顔は苦々しく歪められていたが。
陛下は病弱だったのでは、とざわつく会場の檀上に三人は近づいた。大輝は小さな王の背中を優しく押して檀上へと上げた。
「宰相、今まで国を見てくださり、お疲れ様でした」
宰相の顔が醜く歪む。たかが無力な子ども。死んでも替え玉などいくらでもあると侮り、様子も聞かず見ることもしなかったのが彼の敗因だ。
「それと、魔物の研究は進みましたか?」
その言葉に会場がざわつき、宰相の顔色はますます悪くなる。
何か言葉を発さないと。そう思っているのに口が動かず手が震えた。
そんな会場に現れたのが、パーティーに出席していた第二騎士団団長ドナート・ヴェストレムだ。
「陛下におかれましては、お元気になられたようで何よりでございます」
クロードの立つ壇下より跪き、優雅に礼を取った。
そして立ち上がり、声を失い立ち尽くす宰相を指さした。
「宰相殿を、地下牢へ。丁重にお運びしろ」
小さなものに縁がある姉弟ですね。
次話で大輝のおはなしは終わりです。