59 お父さんといつか呼べる日まで
しばらくアルフレドに話を聞いてもらって美雨は落ち着いた。
そして、一階で待っていてくれている竜王のことを思う。やっと会えた娘にこんな態度をとられてとても悲しいだろう。
お母さんの分まで、父を大切にしたい。素直にそう思えた。
聞きたいことも山ほどあったし、アルフレドと下へ降りていくことにした。
「ねえ、まだ目が腫れてるかな」
「ああ。真っ赤っかだな。隠す必要もないだろう。竜王殿は美雨を待っている」
そうだね、と美雨は返事をして部屋の扉を開ける。着いてきて欲しそうに振り返るのでアルフレドも頷いて後に続いた。
大輝の、竜と人との間で揺れ動く姿を見た時。驚いたが、非常に納得する部分もあった。稀有な魔力を持つ彼は異世界人だからだと思っていたが、アルフレドが訪れた世界でも魔力を持つ者はこの姉弟しかいなかった。ずっと、ひっかかっていたのだ。数限りなく広がる世界の中、特定の二つの異世界だけを迷うことなく、自由に行き来できるこの大魔法使いが。
竜の子という答えは腑に落ちた。そして、彼女のことを考えると、自分だって知らなかったくせにアルフレドを騙してしまったと勘違いするであろうことも簡単に予想できた。
彼女が早とちりをする前に急いで捕まえなくてはと、家へ急ぎ戻ったのだ。しょんぼりと一階に座る竜王に会い、彼女が娘である確認を取った。
そして、美雨自身に話を聞いて非常に納得した。髪を染めているから魔力が削がれているとかではなく、まだ卵だからその魔力は表に現れずに、美雨の中で渦巻いているのかと。
大輝や美雨が魔獣に異常に好かれる理由も納得がいった。魔獣たちは竜としての本質を無意識に感じていたのだろう。もちろん、それだけではないとは信じてはいるが。
螺旋階段を下りると、しょんぼりと椅子に座ったままの竜王の背中が見えた。
落ち込みすぎて背後の二人の気配にも気づかない竜王ってどうなんだろうと、こんな場合なのに美雨は可笑しくなってしまう。
まだ、『お父さん』と呼べるほどには一緒の時を過ごしていないから、悩んだが竜王と呼ぶことにした。
「竜王さん」
美雨の呼び掛けに竜王はぴょこん! と体を強張らせ、恐る恐る振り返った。
拒絶に怯える瞳。でもその奥にはわずかな期待も混ざっている。
「一つだけ聞きたいの。なんで、最初は私のことに気付かないフリをしていたの?」
「最初に娘よ、と呼びかけていたら、そなたは逃げてしまっただろう?」
それもそうだ。もしくは、かわいそうな竜かなと思っただろう。
「妻を…ミサキを探しているのは本当だ。大輝の話を聞いてもうこの世に居ないことは分かっているが、彼女は『絶対に私を探して』と言っていたからな」
表情に乏しい彼の顔は誇りに輝いている。死んだ妻との約束を必ず果たすつもりなのだろう。
「そなたの…その、美雨の情報はほとんど知らなかった」
美雨と呼ぶ時だけなんだかモジモジする竜王は少しかわいいなと思った。そして、その名前で呼ぶ人はもう居ないこの世界で不思議な気持ちもした。確かに私の父親はこの人なのだろうと、ストンと胸に落ちてくる。
「大輝が、そなたは人間として生きる道を選ぶはずだから、絶対に名乗り出るなと言っていてな。私もそれならばと、毎晩苦汁をなめる思いで耐えていたのだが…」
一目見て分かったという。彼と彼女の最初の卵だと。ずっとずっと探し続けた、いとし子だと。
しかし、大輝に美雨は人間として生きると釘を刺されていたこともあり、名乗ることもできずに知らぬふりをしたのだという。大輝に会わず、美雨に会っていたのなら今頃とっくに竜の里に問答無用で連れ帰っていたと笑った。
「大輝は、あまりそなたの情報をくれなかったから、こんな田舎に住んでいることも知らなかった。そしてこんなに良き夫がいることも知らなかったのだ」
ここに落下したのは本当に偶然だという。
南の地で槍を受け、他の仲間に抜いてもらいに行ったらきっと、もう諦めろ、里に戻ってこいと言われることは分かりきっていた。ならば、最近顔を見ていないし、大輝に抜いてもらおうと思ったそうだ。
「誰が、最近顔を見ていないし、だ。毎回毎回信じられないスパンで来るくせに」
後ろから大きな声がして驚き振り返ると、大輝が玄関を開けて雪まみれのブーツを払っているところだった。
全然気づかなかったと美雨は驚いたが、アルフレドは気付いていたらしい。
「ダイキ、随分と時間がかかったな」
「ああ。途中で仕事を抜けてアルフレドの話を聞きに来てたからな。早く帰りたかったんだけど…」
彼は額に手を当てて大きなため息をついた。
「誰かさんが、庭に巨大な穴を四つも空けてたからなー。しかも、この前直したばっかりのトコだったから、庭師のじいちゃんめっちゃ怒っててなー。もう宥めるのめっちゃ大変だった」
「そうか…それは、すまなかったな」
「え、アルフが穴を開けちゃったの? あ、ロゼか」
大輝の加入により賑やかになった会話。取り残された竜王は悲しげにレモネードに入っていた溶けきった氷水を飲んでいた。
ちなみに、今朝ほど大急ぎで帰ってきたアルフレドに代わり、鍵をあけっぱなしの小屋に入れただけの状態のロゼリオにブラッシングをしてやり、水をやり、豆をあげたら『こっちじゃない。りゅうおう、赤いのがいい』と言われながらも一生懸命世話をしていたのも、竜王だ。
***
とりあえず、全員がテーブルにつくと、二人の家の四人掛けのイスは初めて満席になった。
それぞれの前には温かい紅茶が置かれている。竜王の前にはもちろん、キンキンに冷えたレモネードだ。
「姉ちゃん、騙されんなよ。最近会ってないって寂しげに言っておいて、オレと会ったの二週間前だからな!」
「え、私が大輝に会うより短いスパンで会ってる」
驚く美雨に、竜王は悲しげな瞳を向けた。
「だって、二十年以上も探していたのだから、その分を取り戻さなくてはならないだろう?」
「え、ええっと…そう、かもね?」
「何を甘ったれて…。姉ちゃん、お母さんにめっちゃ似てるけどまったく別人だからな!」
竜王はそれは分かっていると頷いた。
「ミサキはこんなに思慮深く、穏やかではなかったよ。少しおっちょこちょいで、早とちりで。少し口が過ぎる所もあったな。だけどたくさんの物を私にくれたな」
美雨の知らない母を知っているこの竜王は、どんな気持ちで生まれ変わるかもしれない母を探しているのだろうか。
記憶も姿も違うだろうに、もう母とは言えないだろう相手を見つけて、どうするのだろうか。そこまで考えたが、やめた。美雨は彼ではないのだから、永遠に分かりっこないのだ。
「で、大輝はなんで私に竜王さんのことを黙っていたの?」
「私も、美雨のことをもっと知っていれば、このまま知らぬふりをできたのかもしれぬのに」
大輝は言葉に詰まっていたようだったが、全てを話すつもりになったらしい。
「竜王にも言っていないことがあるからさ。もう、全部話すわ」
全てを語ろうとはしなかった魔法使いは、全てを語るためにゆっくりと口を開いた。
格下のはずの魔獣に給仕する竜王さん。彼のそんな所が奥さんのハートを射止めたのでしょうかね。それとも、番ってからそうなってしまったのでしょうか。
次話、魔法使いは彼の知っているすべてを語ります。




