6 お互いの髪の毛事情
湯浴みを終えてアルフレドの背中の傷を確認した美雨は息を呑む。
「ミュウ、どうなってる?」
「えっと……すごく良くなってるように見えるんだけど……え、嘘。こんなに早く治るものなの?」
確かにまだ痛々しい傷口はあるが、出血は止まり剥きだしになっていた肉はもう見えない。薄いが、確かに皮が再生している。
「アルフは治癒能力が高かったりするの? ちょっと待ってね。写真撮って見せるね」
スマホを構え、カメラに収めてアルフレドに見せる。
「な、何だ、この……!?」
「ね! すごいよね、あんなに酷い傷だったのに」
絶句するアルフレドに美雨は頷いたが……。
「いや、傷もそうなんだが、この精密な絵は……いや。もう考えるのはよすか」
この世界には理解できない便利なことで溢れている。アルフレドはそう考えることにした。いちいち驚いていては話が進まない。
「確かに。今朝の感じだとまだ肉が見えているかと思ったが…ミュウのそのバンソウコウとやらはすごいな」
「や。さすがにコレはおかしいよ。こんなに早く治るわけないんだけどなー」
少なくとも5日は貼り換え続けないといけなかったような……おかしいなあと美雨は首を捻る。
今まで体験したことのない治療法だから治癒力が活性化したとかそんななのかなぁ。
「かすり傷もたくさんあったはずなのに、もうほとんど治ってるね」
薬を塗ろうと用意していた綿棒をケースに戻した。この状態なら塗っても塗らなくても同じだし、塗ったら塗ったでベタベタするだけだ。
「異界の薬はすごいんだな」
感心しきりのアルフレドに、異世界人の治癒力ってすごいなと思う美雨。
「そういえば。アルフの髪の毛って元々は金髪なんだよね?」
「そうだ。こんな面白い髪ではなかったな」
タオルで頭を拭く手を止めて、アルフレドは忌々しそうに右側の黒髪を掴んだ。
左は太陽の光を編んだかのような見事な金髪。一方の右側は染め直したのかなと思わんばかりの真っ黒だ。
「よくは分からないが、元の世界で魔物の頭を落とした時にすごい量の闇が噴き出ていた。それの影響か、あるいはこの世界へ渡ったことが原因なのか…」
「そうなんだ。こっちの世界ではアシメヘアとか言って、わざとやる人もいるけど」
「こんな面白い髪型を自ら進んで、か?」
目を丸くしたアルフレドに美雨は首を傾げる。
「面白い、かなぁ? 確かに少し変わってはいると思うけど、似合っていればいいんじゃないかな」
「…ミュウは、本当に変わっている」
「そうかな?」
アルフレドの『ミュウは変わっている』発言にはすっかり慣れてしまった美雨は軽く首を傾げただけだった。
変わっていると言われても、本当にその人に似あった髪形であれば特に気にしたこともない。
5年前の成人式で見た同級生のちょんまげは流石にちょっと面白いと思ったが。だって彼は自分の愛車のスポーツカーに乗り込んだのだが、天井が低いものだから、ちょんまげが当たって曲がっていたし……目に眩しい黄緑色の羽織もなんだか似合っていなかったし……いや、他人を悪く言うのはやめよう。
「そういうミュウこそどうしたんだ」
「え? どうしたって何が?」
「髪だ。魔力隠しなのか? 元々はそんな色ではないのだろう」
「魔力隠しが何かよく分からないけど……ただ単に染めてパーマかけているだけだよ。元々は茶色っぽい黒色だったかな」
高校を卒業と同時に友人と髪の毛を染めた。それ以来ずっとこんな明るさの色にパーマをかけている。元の自分の髪色と髪質は遥か記憶の彼方だ。
「こちらの世界では皆、髪を染めるのか」
「あ、えーと、染める人もいるし染めない人もいるよ」
「そうか……ミュウはそれでだいぶ魔力を削がれているが、それが必要ない位便利な世界なのだろうな」
「ちょ、ちょっと待って」
今、とんでもない言葉が聞こえた。
「魔力を削がれてるって、どういうこと?」
「そのままの意味だが」
きょとんとした顔の小さい彼。
「えええっと、私って魔力とかあるの?」
「…もしかして、こちらの世界では魔法は使わないものなのか?」
「魔法!! そういえば冷蔵庫の時に陣とかなんとか……」
そういえば言ってたと思いだし、美雨は首をこくこくと頷いた。
「ああ。私の国では同じような密閉された箱に陣を張り、食べ物を保管している。ただ、魔法使いクラスでないと管理は難しい。専用の小屋を作って番人を置ける金持ちでないと持つことはできないな」
「冷蔵庫の管理をする魔法使いってすごいシュールだね」
冷蔵庫の前にちょこんと座る、ハロウィンの魔女のような図を想像するとなんだか微笑ましい。
「私の世界では魔法はないよ。もしかしたらあるのかも知れないけれど、少なくとも一般的には無いの」
「そう、なのか……こんなに魔力を削いでも尚、魔力を秘めた貴女が知らないというのならそうなのだろうな」
不可解そうな顔だったが、アルフレドはその小さな頭をふむふむと縦に振り納得しているようだった。
「うーん。私に魔力があるのは良く分からないけど、アルフは魔法が使えるってこと?」
「ああ。人並みにはある。魔獣に乗り、魔剣を操っていた」
「ふわあ! なにそのファンタジー! ね、ね! 魔法見てみたい!」
「いや。それが、この世界に来てから使えなくなっているみたいなのだ」
「え。そうなの?」
「魔力も感じるし、流れも見える。現にミュウの周りの魔力も見えるのだが……オレが実際使おうとすると、うまく発現されない」
あの獣に襲われた時、剣もなくて太刀打ちできなかったのだと言われると、あの日の晩の光景がフラッシュバックして美雨はぞっとした。
本当に、見つけれて良かった。連れて帰れて良かったと改めて思う。あの時は無我夢中だったけれど、今は奇妙だけれど優しく礼儀正しい、大切な小さな同居人だ。
昨日の夕方まではこんなこと夢にも思わなかった。
あのコトがあった日から笑ってはいても、そんな自分を冷めた目で見る自分がいて。ただ毎日仕事をして、お金を貯めて。そして何を得るんだろう、私は。もう何も目標なんてない。もう、頑張るのも疲れたなって。そんなことばかり考えていた。
「ミュウ?」
物思いにふけってしまった美雨に、アルフレドの気遣わしげな声がかけられる。
「あ、ごめんね。ちょっと考え事してた」
「いや、ただ……」
なんだか悲しそうな顔をしていた。そう言いたかったがアルフレドは言葉を飲み込んだ。流れで同居させてもらっているだけの自分が彼女にそんなに踏み込んだことを言っていいとは思えなかったから。
なんとなく気まずい沈黙を切ったのは美雨の笑顔と、作ったような明るい声だった。
「アルフのね、食器とかどうにかしないとね」
「これで十分だ。ミュウが気にすることではない」
「うーん。でもペットボトルの蓋がティーカップで、アルフ的にはバケツサイズの小鉢ってちょっとあんまりにも……」
「本当に十分だ。問題なく食事も水分も取れているだろう」
「もう。そういうことじゃないんだってば。もう食材もほとんどないし、後でお買い物行こうかな」
オレに金を使わなくていいとしつこく言うアルフレドに、「分かりましたー」と答えながら美雨の頭の中には、スーパーのおもちゃコーナーとかだったら、人形遊び用のカップくらいならあるかもしれないなと、そんなことで一杯だった。
作中ではまだ一晩しか経過していなくてびっくりしています。