53 とっても大きな竜を拾いました
何度か苦戦はしたが、思っていたよりもあっさりと槍は抜けた。アルフレドの抜き方は的確だったようだ。
竜王はとても喜び、感謝を述べた。本人は麻痺毒だと言っていたが、猛毒を塗られた槍は竜王の体を確実に蝕んでいた。
翼の付け根が酷く膿んでしまっており、空を飛べなくなってしまっていたのだ。
「弱ったな。もうすぐ息子の所まで行けたのに」
竜王が溜息を吐くと、白い雪がぶわっ!! と舞い上がり、美雨が後ろにひっくり返りそうになったのをアルフレドが素早く支えた。
「竜王殿、貴方は我が国に入ってしまっている。そして、私はこのネスレディア王国第二騎士団団長です。あなたの訪問を国にお伝えする義務がある」
「報告してどうする? 私は老いたが、人間に止められるほど落ちぶれてはいないぞ」
竜王の暖かだった緑の瞳が冷たく、細められてアルフレドはぞっとする。穏やかな様子からすっかり失念してしまっていたが、彼は城をその爪で真っ二つにしたと伝え聞く竜王そのものなのだ。
うかつなことは言えない。だが、騎士団団長としての義務は果たさねばならない…。
緊張した空気を壊したのは、彼の妻だった。
「竜王さん、お腹空いてるんじゃないの? 昨日から何も食べてないから。少し腹ごしらえして、それからゆっくり考えればいいんじゃないかな。アルフも、ね」
竜王の細められていた瞳は驚きで丸くなっている。アルフレドも同じだ。ロゼリオだけが呑気な声を上げた。
『ミュウ、赤いのくれ。お水も』
アルフレドは、ふと肩の力が抜けるのを感じた。美雨は本当にお腹が空いているとは思っていないだろう。ただ、場の雰囲気が悪かったので取りなしてくれたのだ。
「竜王殿、放浪の旅をする貴方に失礼なことを言ってしまった。申し訳ない」
アルフレドが潔く頭を下げて謝ると、竜王も面食らったように頭を小さく下げた。
「いや、そなたの言う通りだ。ここは人間の国。本来、私が居ていい所ではない。何もかも思うようにいかぬ上、こんな手傷を負ってしまって苛立っていた。すまないな」
丁寧に謝りあう一人と一匹。それを見ていた美雨はたまらず笑ってしまった。怪訝そうな二つの視線に美雨は答える。なんだか、二人ってそっくりだね! と。
***
パチパチと燃える暖炉。その前に干された防寒用のコートや手袋、ひっくり返して干してあるブーツ。
いつも通り、テーブルにつく美雨とアルフレド。その前には腰ほどまである長い白銀の髪をゆるい三つ編みにして横に流した、春を思わせる穏やかな緑色をした瞳の男性が座っている。整った顔は美しいが、人間の姿をとった竜族らしく、表情に乏しい。
彼はアルフレドの薄手の服を着ており、美味しそうに呑んでいるのは、氷がたくさん浮いたキンキンに冷えているレモネードだ。
なんだか見ているだけで寒くて、美雨は暖炉を確認した。大丈夫、ちゃんと火は燃えている。
「やはり、寒い冬は冷たいレモネードが一番だな」
「そ、そう。気に入ってくれて嬉しいけど…」
寒くはないのかな。その言葉を美雨は飲み込んだ。竜と人間は全然違う生き物なのだから仕方ない。
「竜王殿、色々と考えたのだが。オレはやはり報告せねばならない」
「…そうか。そなたがそう判断したのなら、そうするといい」
竜王は、何か諦めたようにも、疲れているようにも見えた。だが、とアルフレドは言葉を続ける。
「貴方の身柄は私が預かることになるよう、計らう。何も心配せずにお待ちいただけないだろうか」
「アルフ、大丈夫なの?」
美雨の不安そうな眼差しにアルフレドは力強く頷いて見せた。
「あのバカは、こういうタイミングで先月から王城を留守にしている。陛下に直接お話しして竜王殿には全く害意が無いこと、こちらに現れたのは竜王殿の息子に会いに行く途中に手傷を負ってしまい、今は治療中だということをお伝えする。そして、変な連中には気付かれないよう話は最小限にしようと思う」
人の姿を取った竜王は驚いた様子だったが、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとう、人間の騎士よ。感謝する」
「感謝される結果になれるよう、尽力する」
礼を述べてから、ふと思い出したように竜王は尋ねる。
「そなたらは番って間もない、まだ蜜月なのではないか?」
「みっ…! ごほん。ええと、一応新婚さんだよ」
竜王の直接的な言い方に美雨は頬をぽっと染めてから、咳払いをした。
やっぱり、竜と人間は違う。
「そんな時に転がりこんで申し訳ない。少しでも傷が癒え、飛ぶことができるようになったら、すぐに出てゆく」
申し訳なさそうに眉を下げる竜王に、美雨は首を横に振った。
「私は、拾ったものは最後まで面倒を見るの。中途半端に治った状態で出て行くことなんて、絶対、絶対、ぜーーーったいに!! 許しませんからね!」
どこかで聞いたことのあるようなセリフにアルフレドが笑い出す。
「はは、そうだな。どんなに小さいものでも、どんなに大きいものでも。拾ってしまったら責任を持つ。それがミュウだったな」
あっけにとられる竜王に、アルフレドは続けた。
「竜王殿、ミュウに見つけられたのが運の尽きだと思って、しっかりと傷を癒してくれ。妻の言葉はオレの言葉も同然だ」
立ち上がり、美雨に伝える。
「ミュウ、仕事には早いが、王城まで行ってくる」
美雨は首を縦にゆっくりと振った。
アルフレドは、暖炉の前に置いてあった防寒着を着込む。
珍しく晴れているとはいえ、冬の上空は厳しい寒さだ。
「もしかしたら、帰りは明日になるかもしれない。今日の夜はミュウにとっては二度目の赤新月の日だから、オレが付いていてやりたかったが…まあ、竜王殿がついていれば、早々、何事もないとは思うが…気を付けて。必ず、魔物避けの札は明るいうちに家の四方に貼っておくように」
慌ただしく準備を整え、玄関へと向かい、見送りはここまででいいと告げる。
玄関で見送る美雨に優しいキスをひとつ贈り、ドアを開くと寒い空気が一気に入り込んで身を竦める。
「うん。アルフも気を付けて…あんまり無茶しないでね」
美雨の言葉にアルフレドは頷き、マフラーを固く結んでロゼリオの小屋のほうへと行った。
その背を見送り、美雨は室内へと戻った。
新婚夫妻の家に転がり込む竜は、さすがの馬でも蹴ることはできませんねー。
次話、赤新月の長い夜。(ホラーではありません)