52 竜と騎士
傷の表現が少しグロテスクです。苦手な方はご注意を。
早朝、アルフレドは起き出して準備を始めた。無論、竜の様子を見にいく為である。美雨の夫としては勿論だが、騎士団団長として事態の見極めをしなくてはならない。竜が人里に現れるというのはそれくらい大きい事件だ。
美雨と二人、厳重に防寒着を着込み、ロゼリオの小屋へと向かった。
美雨は昨晩の残りのパンと、アーモンドに似た木の実の素焼き、と貴重品のはちみつを少しだけ準備した籠を持っている。槍を抜くのだからと清潔な大判のタオルや傷によく効く薬も一緒に入っている。
昨夜の吹雪で美雨が必死に踏み固めた道も消えていることだろう。となると、ロゼリオに騎乗して上空から向かった方が早いし安全に決まっている。
二人乗り用の鞍を付けると、ロゼリオは喜んだ。そういえば、冬になってから二人で飛ぶのは久しぶりだとアルフレドは思い出す。冬の上空は本当に寒い。身を切るような寒さで、手綱を握るのがやっとだ。そんな不確かな状態で大切な人を一緒に乗せるほどアルフレドは考えなしではなかったからだ。
しかし、今は緊急事態。美雨を前に乗せてしっかりと両腕ではさみこみ、手綱を握る。
「ロゼ、頼む」
「重たいけど、お願いね」
『うん! 飛ぶよー』
漆黒の翼が力強く上下し、辺りにつもったばかりの雪が舞って、まるで吹雪のよう。朝日に反射してきらきらと光る美しい様子に美雨は思わず見入った。
ロゼリオはいつもよりも高度を低くし、白樺並木のほうへと進路を取った。
ものの一分もしないうちにその姿を美雨はとらえ、声を上げた。
「あ! ほら! まだ居た。大丈夫かなあ」
「どこだ、ミュウ。何も異常は見られないが…」
「え? ああ、色が似てるから分かりにくいのかな」
美雨は首を傾げつつも、ロゼリオに位置を伝えて降下してもらう。
白銀の地が近づくにつれてアルフレドにも見えてきた。
確かに、竜だ。それも白銀の巨大な。
遮蔽の術を使っていたのだろう。この術は遠目では分からないようになる術だ。ただし、目視できるほど近づくとその力を失う、人間にはあまり実用性のないものだ。
しかし、美雨は落下していくのを自宅から見たと言っていた。だとしたら、落下してから遮蔽の術をかけたのか…アルフレドは怪訝に思いながらも、とりあえずは目前の竜のことから考えねば、と切り替えた。
「人間の娘、戻ってきてくれたのか」
ロゼリオが降り立つと、白銀の竜が上体を起した。
とても大きい。自分の中の動物としての本能が危険だと、警告を上げるのを無視して、アルフレドはロゼリオから降りた。美雨に手を貸して下ろしてやる。
「うん。約束したでしょう。アルフは返しのある矢を抜く方法を知っているんだって。だから、もう大丈夫だからね」
美雨は駆け寄り、励ますように巨大な竜を見上げている。
その姿に恐怖は一片も見えなくて、アルフレドは苦笑いを浮かべる。彼女はいつもそうだ。第二騎士団の性質の荒いと言われる魔獣たちにも怯えることすらなく、かわいい! 綺麗! と片っ端から手懐けてしまう。
自分の大切な友を褒められて嬉しくない契約主はいない。誰だって、うちのコが一番かわいいよねー!! という話をしたいものなのだ。どんな異形であろうとも。
副団長のレオナールが『奥様は、さすが団長を射止めただけありますね』と変な納得をしていたのを思い出してしまう。
「やっぱり、貴女は変わっているな」
「あ、久しぶりに言われた」
アルフレドの言葉に美雨は苦笑する。最近、あまり言われなくなって久しい言葉だった。
「そなたの夫の言うとおりだ。人間の娘よ。お前はとても変わっている」
緑色の瞳が何かを言いたげに、美雨を見つめる。それを見て、アルフレドは言い様のない不安を感じた。何故だろう、愛する妻を連れ去られてしまう、そんな気がしたのだ。
「…貴方は、竜王でお間違いないか?」
「ああ、人間たちはそう呼んでいるらしいな。過去がどうであろうと、今の私はただの放浪の竜だ。ずっと、妻を探している」
「人を?」
「ああ。私の愛する、生涯ただ一人の妻だ」
「…行方が知れないのですか」
アルフレドの問いには竜王は答えなかった。そっと伏せられた、優しい緑の瞳にはすべてに疲れたような、そんな色が浮かんでいた。
「私の話はどうでもよいであろう。この槍を抜いてはくれないだろうか。半端に痛くて、人の姿を取ることすら叶わないのだよ」
それもそうだ。早く槍を抜いてやらなくてはならない。
「竜王殿、貴方の頭上を我が友が通過し、私がそのお体の上に乗っても構わないだろうか」
「ああ、構わない。他のやつはどうかは知らぬが、私は気にしないから、抜いてくれ」
アルフレドは頷いて、ロゼリオに騎乗する。ロゼリオは竜王に怯えるでもなく堂々と槍が刺さった場所までゆっくりと飛んでいく。
「良い魔獣だな。我らが息吹を体内に宿しているのか」
竜王の言葉に、ロゼリオは得意げに獅子の尾をぱたり、と一度だけ振って見せた。
ロゼリオの爪はとても鋭いので、体の上に着地はできない。アルフレドが竜王に飛び降り、元凶である刺さった槍を見て盛大に顔をしかめた。
「竜王殿、貴方はこれをどこで受けたのだ? 南方の毒槍を使う部族のものではないか」
「ああ、そんな所に居たな。そこからここまでなんとか飛んできたのだが、このザマだ」
竜王が笑うとアルフレドの立つ場所が揺れ、慌てて足を踏ん張ってこらえた。
「これは、牛ならばものの数分で死に至る猛毒のはずなのだが…さすが竜王といった所なのか」
槍が刺さった場所はもう血だけではなく、黄色い膿のようなものでじゅくじゅくとしており、毒のせいか盛り上がった肉が紫のマダラになっている。
驚きと、少しあきれたような表情のアルフレドだったが、一番驚いていたのは美雨だった。
「ええ! 麻痺する毒って言ってたのに」
そんな危ないもの、人間であるアルフレドが触っても大丈夫なのか、とても不安だ。かといって、このまま刺しっぱなしというのもできない話だ。
「アルフ、絶対に槍の先には触らないでねー!!」
竜王の顔の辺りから声の限り叫ぶ美雨にアルフレドは軽く手を振る。そして、袖を軽く腕まくりする。
「さて、上手く抜けてくれればいいんだがな…」
返しが付いているため、一旦中に押し込んだり回したりしなくてはならない。相当な激痛が伴うと思われる。
「竜王殿、痛いかとは思いますが、なるべく動かず、ご協力をお願いしたい」
「覚悟はしている。大丈夫だ、始めてくれ」
竜王の言葉にアルフレドは頷き、作業を始めた。
低い位置にあった朝日はもう完全に上り、巨大な竜に刺さったトゲのような槍を何度か押したり引いたりして引き抜く騎士を白銀の世界と共に、しっかりと照らしていた。
だいたいのRPGは、竜が出てきたり、飛行船が出てくると佳境ですよね。
次話、飛べない竜をどうするのか。