51 パンとシチューと笑顔と
夕方、いつもより遅い時間帯にロゼリオの「ぴぃぃぃ!」という高い鳴き声が吹雪に混じって聞こえた。美雨が用意していたコートを着込み、マフラーを巻き、手にタオルとブラシを持って外に出る。丁度夫と魔獣が雪を舞わせ、降り立った所だった。
『ミュウ、いいこしてたか?』
「ただいま、ミュウ。変わりはなかったか?」
たくさん着込んだアルフレドと、いつも通りのロゼリオに美雨は笑いかける。
「おかえりなさい、アルフ、ロゼ! お疲れ様」
アルフレドはマフラーの奥から覗かせた菫色の瞳を細めた。おそらく微笑んでくれているのだろう。
暖炉の前に置いて温めていたタオルを、降りたアルフレドに渡す。アルフレドは礼を言ってロゼリオを小屋の方へと連れていった。美雨も付いて行って一緒にブラッシングをしてやるのが日課だ。
***
「白銀の、竜?」
美雨の話を聞いたアルフレドは怪訝そうに眉をひそめた。ロゼリオの毛を乾かす手が止まったので、彼が催促するように尻尾をパシリ、パシリと振ったので、すまないと言って再開する。
「白銀の竜というのは、この世界には一頭しかいないと言われているのだが…いや、しかし、まさかな…」
『オレ、知ってるよ。白銀の竜は、りゅうおうだ』
乾いた箇所を美雨にブラッシングされて、気持ちよさそうに目を細めていたロゼリオが放った一言に美雨は凍りついた。
「え。でも、全然、普通の優しい人…じゃない、優しそうな竜だったけど。吹雪に気を付けてって」
「そうだな、話に伝え聞く竜王は恐ろしく気性が荒いはずだ。彼の怒りを受けた国の城が真っ二つになったのはほんの二十年程前の話だ」
「じゃあ、やっぱり違うと思うよ。穏やかで、それに、なんだか疲れた様子だったもの」
長旅で疲れているというよりは、仕事に疲れた課長にちょっと似てると美雨は思った。あの人がいい課長は元気にしているだろうか。
「しかし、この吹雪ではとても行けそうにないな。明日の朝を待つしか…」
「そうだね。随分、吹雪いているけど、大丈夫かな…」
「竜であれば大丈夫だろう。こんな北方まで来ていることと、色からして火竜でもなさそうだ」
アルフレドの言葉に美雨は頷いた。竜なんて全然分からないから元々の住人である彼の言葉を信じるしかないし、傷は痛そうだったが寒さが辛そうなわけではなかった。
「しいて言うなら魔物が心配だが…まあ、この辺りにはここ五年程は出ていない。大丈夫だろう」
第二騎士団の警備がこの辺りを通ったのは美雨が竜と別れた後だ。見落としてしまったのかと苦い思いと、そんな大きな竜を人間はともかく、魔獣が見逃すだろうかと不思議にも思う。
ロゼリオの体の毛はふわふわ、羽毛はつやつやになったところで手入れを切り上げ、タライに水を張る。
「ロゼ、今日はどちらがいい?」
『今日は、はんぶんづつ』
水を張ったタライの中に、赤豆と白豆を半分づつ流し込む。ロゼリオがいつも通り美味しそうに食事を始めたので二人はおやすみのあいさつを贈ってから小屋を後にした。
家に入ったアルフレドは分厚いコート類や、雪で湿ったブーツを脱ぐ。美雨はそれらの水をよく切って暖炉の前に干す。乾いた服に着替え、一息ついた所で美雨をぎゅっと抱きしめ、ただいまのキスをした。
「アルフ、シチューができてるよ。と、言っても昨日のポトフのリメイクなんだけどね。パンと一緒に食べる?」
「ああ、頂こう。美雨のシチューは美味しいからな」
「ふふ、何作っても美味しいって言うくせに」
そんなことを言いながらも美雨は幸せそうだ。二人の結婚生活は順調で、春になればこの家で小さなパーティーを開くことになっている。結婚式の代わりだ。
近所の人たち…と言っても湖畔のまわりをぐるりと囲んで転々と建っているので遠いご近所さんだが。その奥さん方に美雨はとても気に入られ、こちら風の料理を徹底的に教え込まれたのだ。その数名の師匠方が料理を担当してくれると申し出てくれたのだ。
アルフレドがこの地に越してきたことを一番喜んだのは、この湖畔の人たちだ。ここは五年程は魔物が出ていないとはいえ、王城からは若干遠く、国境の守備隊からはもっと遠い。そんな所に第二騎士団団長のアルフレドが引っ越してきたのだ。
仕事中は家にいないが、彼の恐ろしく強い魔獣の匂いが色濃く残るこの地にわざわざ魔物が現れるとは考えづらい。それに、彼は引っ越してすぐにここの警備の甘さに気付いた。この近辺の警備も見直され、前よりずっと安全に暮らせるようになった。
美雨は、アルフレドは気が利くし、実行力もあるから助かるなと思っている。アルフレドは、美雨が素直な頑張り屋さんだから、ちょっと癖のある奥様方に気に入ってもらえて、うまく近所づきあいをしていると感心している。
結局はお互いがお互いをカバーしあっているのだが、それに気づかないこの夫婦を近隣の住民はこよなく愛しているのだ。
春になったらどんな料理を作るか。長い冬の間に近隣の奥様たちの会議が何度も行われていることを二人はまだ知らない。
真っ暗闇に猛烈な吹雪と、積もった雪に押しつぶされそうな小さな二階建ての家の窓からは、今日も暖かな暖炉の光と、二人の笑い声が漏れ出ている。その様子は暗闇を照らす灯りのよう。ロゼリオは友の満たされた気持ちを感じとり、今日も健やかに眠るのだ。
ロゼリオとアルフレドの間には契約が存在し、うっすらとですがお互いの感情が分かります。うれしい、かなしい、おこってる。くらいですけどね。
次話、アルフレドがんばる。




