43 魔法使いの想いと、新しい朝
執務を終え、久々に本来の自室のある部屋。
姉を迎えに行く準備やら、式典の準備やら、それにともなって不穏な動きをする連中への圧力やらでろくに戻っていなかったから、この部屋に戻るのは久々だ。
「アルフレドは無事に助かって、しかも姉ちゃんまで連れ帰ってきてくれた。こんなにうまくコトが運ぶなんて、ねえ。お母さんの仕業かな」
彼がこの世界へ渡ってきた時、なりゆきで師と仰ぐこととなった当代の大魔法使い、ユリアーヌ・ルンゲの居室がこの部屋だった。彼が集めていたよく分からないガラクタが積み上げられていたことすら、時間が経てば懐かしいものだ。
彼は大輝に自分の役目以上のことを課してこの塔を去り、今はこの部屋が現大魔法使いの大輝のものとなっている。
くるり、くるりと羽根が回る用途不明のブリキのおもちゃのようなものが窓辺に置かれたままだ。
「結局はじいさんがいつも言ってた通りになったってことかな。全ては誰にも計り知れない所で、収まるように収まるって」
彼の手の中には、美雨があの世界に置いてきたオルゴールの中に入ったままになっているはずの、母の形見である指輪が光る。内側に埋め込まれていた深い青色の小さな石は、心無しか輝きを増しているようにも見える。
「姉ちゃんの心の鎖は、オレじゃほどけなかったから。ちょうどよかったな」
彼の顔は皮肉げに歪む。これだけ、この世界に呼ばれていたのだ。どれほど拒もうとも時間の問題だったように思える。
しかし、あの世界にがんじがらめに捕らわれた状態で、道を選べと言われても難しいだろう。最悪、道から出てこられないことも考えられた。
どうすれば無理な界渡りをさせずに済むのか。優しい姉に、六年前の自分と同じ思いはさせたくはない。しかし、いくら考えてもいい答えは出なかったのだ。
大輝は当時五歳だった幼いクロードに出会い、この国のごたごたに巻き込まれていくうちに、自らの運命を知った。
何よりも、弟のような存在になってしまった小さき王の為に、この世界で生きていく決心をしたから王城に留まっている。
界渡りをした先で美雨が誰に出会うか、かけがえのない相手に出会えるかは分からなかった。かといって、姉を幸せにできる方法は思いつきもしなかった。
だから、姉自身の気持ちが変わり、この世界へやってきたのはラッキーだった。
そして、あの男ならば、姉の身に何が起ころうとその気持ちを変えないだろうという確信もある。だてに六年も一緒に過ごしてはいないのだ。
あの争いの最中、当初は得体の知れぬ異界人である大輝に手を貸した、彼の真っ直ぐな所は今も何も変わっていないと思える。しかし、バカバカ言うのはやめてもらいたいとも思う。
全てを話そうとはしない大魔法使いは、その手に指輪をぎゅっと握りしめて塔の小さな窓から外を見た。
辺りはすっかり夜になっており、高い塔にも夜の鳥の鳴き声がかすかに届く。
「アルフレド、姉ちゃんをよろしく。末永くお幸せに」
ほんの少し寂しそうな彼の祝福の言葉は、石に囲まれたこの部屋に静かに零れて、消えた。
***
「う、ううん……あれ? 朝……」
差し込む眩い朝日に美雨は一度開いた目を閉じ、ゆっくりと開きなおした。
湖畔に朝日が反射してキラキラと輝いていてとても美しいが、すごく眩しい。
そして、その朝日を浴びた隣に眠るアルフレドの金の髪も負けじと輝いていて美雨はドキドキした。
こんなに素敵で恰好いい人が、美雨の夫となるのだ。いや、なったのだろうか? 手続きとかがいるのだろうが、異界から来た美雨に戸籍とかがあるのか。ううーんと、考え込んだ美雨の体がぐいっと引き寄せられた。
「ミュウ、おはよう。そんな難しい顔をしてどうした?」
「アルフ、おはよう」
いつの間に起きていたんだろうと不思議に思いながらも、美雨はアルフレドのおはようのキスを受け入れる。
「私って、戸籍……ええっと、住人の届け出とかそういうのが必要なのかなと思って」
美雨の心配にアルフレドは笑みをこぼし、美雨の頭を撫でた。
「大丈夫。必要な手続きは一か月前から準備して、全て済ませてある。ミュウは大魔法使いの姉であり、陛下の客人の扱いだ。今の所は、な。……婚姻の書類はもう持ってきてあるから、今日の昼にでも提出に行こうか」
美雨の左手にすっかり納まった金色の指輪に口づけをひとつ落とす。
「うん、嬉しい。でも、アルフは今日お仕事じゃないの?」
「いいや。今日は元々非番だ。明日は出ないといけなかったのだが、レオナールが……ああ。副団長なのだが。ぜひとも明日は出勤しますと。何故か必死に食い下がってきてな。何かあっても、よほどのことがない限り呼ばれない」
ぜひとも明日は出勤したいって、何かあったんだろうかと美雨は首を傾げるが、理由など当然思いも付かない。
アルフレドに心酔している副団長レオナールは、城内の噂で美雨の存在を知った。大魔法使いに確認するとなんと、彼の姉上で団長の婚約者なのだという。
今まで結婚どころか、仕事仕事で浮ついた話の無かった団長に、春が!! と大げさではなく、飛び跳ねて大喜びをした。これはぜひとも上手くいっていただかねばならない、と彼は決心した。
美雨がやってくる日の朝、彼は鼻息荒くアルフレドに詰め寄り「明後日はどうしても出勤させてください!!」と言って引かず、アルフレドを困惑させたのだった。
「ミュウ、お腹が空いたのではないか。夕食も取らずに、その……がっついて悪かった」
「だ、大丈夫だよ、アルフ。でも、さすがにお腹は空いたから準備しようかな」
美雨は頬を赤らめ、手をぱたぱたと振る。アルフレドは少し名残惜しそうに美雨の頬をつるりと撫で、ゆっくりと身を起こしたのだった。
長くなったので一旦切りました。次が新しい暮らしになります。