42 小さな家とふたり
木でできた扉の前にアルフレドは立ち、そっと手をかざす。ロゼリオの小屋と同じように「カチリ」と音がしてからゆっくりと扉を引いた。
外見通りに、温かい木の色をした玄関だった。
「ようこそ、我が家へ」
「ふふ、こちらこそよろしくね」
丁寧に腰を曲げて礼を取ったアルフレドに美雨は笑いかける。
少しの間離れてしまったけれど、彼はやはり美雨の好きな彼だなと思った。
そっと背を押され、美雨は室内へ入った。
鍵を閉め、アルフレドは玄関でおもむろに靴を脱ぎ始めた。美雨はなんとなくそれを見ていたが、すぐに驚きの声を上げた。
「アルフ、靴はネスレディアでも脱ぐものなの?」
「いや、脱がない。王宮でもそうだっただろう」
「でも、アルフは脱いで……あ。もしかして」
一つの可能性に思い当たった美雨を、アルフレドの菫色の瞳がじっと見つめて、次いで頷いた。
「ミュウのアパートではこうしていただろう?」
「覚えていてくれて、うれしい。でも、無理に私に合わせなくていいんだからね」
アルフレドは自分と出会うまでの二十三年間、室内でも靴を履いて過ごしていたはずだから、なんだか申し訳ない。
「無理などしていないから大丈夫だ。室内では靴を脱ぐのはとても素晴らしい習慣だと思う。衛生的だ」
「ならいいけど……私も落ち着くし」
確かに、一応泥は落とすとはいえ、外を歩いた靴のままで室内を闊歩するのは、やっぱり不衛生だとは思う。アルフレドがそう言ってくれることは、日本人の美雨にはとてもありがたかった。
美雨は履いていたヒールを脱ぎ、アルフレドの大きな軍靴の横に並べる。するとヒールが小さく見えて、なんだか自分が小人になったみたいだと思い、少し可笑しかった。
「ミュウ、おいで。こっちがダイニングキッチン。あちらのソファと暖炉があるところが居間だ」
指し示した方を見ると、木製の大きな木のテーブルに四脚の同じ色のイスが並べてあった。奥にはソファと暖炉があり、今は火が入っていないが……そう遠くない未来に暖かな炎を楽しむことができるだろう。
窓の外には、リビングの二面を囲うように木製のテラスも付いていた。
これだけでも十分素敵だと思ったが、アルフレドは美雨を手招きする。
「こちらの階段を上ると二階だ」
木製の短い螺旋階段がある。促されるまま上っていくと、廊下の先に扉がそれぞれ三つあった。
「二つは空き部屋だ。こっちが、寝室になる」
短い廊下の一番奥の扉を開けると、大きなベッドがあった。美雨が今まで眠ったことのない大きなサイズだ。
ちょっと大きすぎるかもと思ったが、アルフレドの体の大きさを考えると妥当なのかもしれない。二人の寝室なのだから。
「ここから見える景色が良くてな。それで、ここを二人の部屋に選んだ」
アルフレドが窓辺に歩み寄り、美雨を手招きする。
近づいた美雨は思わず歓声を上げた。
「うわあ……! すごく、綺麗だね。湖面が静かに反射していて、まるで絵みたい」
「ああ。風景を切り抜いたような気がするだろう」
アルフレドの言うとおりで、湖の風景を窓枠で切り抜いたような、生きた絵画のようだと美雨は思った。
「こんな素敵な家だから、住んでた人も素敵な人だったんだろうね」
「ああ。お二人には直接お会いしたことはないが、息子は陽気で、礼儀正しく真面目なヤツだ」
「そうなんだね。私も、この家に相応しい住人になれるように、がんばらなきゃ」
決意を新たにする美雨にアルフレドは優しく微笑み、そっと抱き寄せる。
「ミュウは、そのままでいいと思うのだが。十分、この家にふさわしい」
「そうかな? そうだと、嬉しいな」
アルフレドは美雨を抱き込んだまま、ゆっくりとベッドに座った。自然と美雨も一緒にベッドに座ることになる。
「ミュウに渡したいものがある」
そう言って、アルフレドは騎士服の胸ポケットから何かを取り出した。
彼の手に小さく金色に輝いているものは、華奢な指輪だった。
「ダイキに聞いたんだ。エンゲージリングの意味を」
本人は平然としているように見えていたけれど、パン屋の奥さんの言葉を実は気にしていたのだろう。
美雨はベッドに座らせたまま、アルフレドは立ち上がり、向き直る。
そして片膝をついて、頭を垂れて跪いた。
「オレをずっとそばに置いてくれ。誰よりも、貴女の近くに居させてほしい。ミュウの笑顔、泣き顔、怒った顔、それら全てを他の誰より一番近くで、ずっと見続けたい」
アルフレドは顔を上げた。その菫色の瞳は自信と、美雨への熱情でいつもより深い色に見える。
「オレと夫婦になってくれ、ミュウ。愛してる」
この世界でのプロポーズを美雨は知らない。
でも、アルフのくれたこのプロポーズだけ知っていれば、それだけでいいと思った。
美雨はベッドから立ち上がり、床に跪いたままのアルフレドの前に膝をつき、指輪を差し出している手を、両手でそっと包み込んだ。
アルフレドと目線をしっかりと合わせると、強い菫色の瞳と、優しげな黒い瞳の視線がしっかりと絡み合った。
「はい。ふつつかものですが、よろしくお願いします。……アルフ、愛してるよ」
はにかみ、頬を赤く染めながらも。美雨が目を逸らすことはなかった。
アルフレドはほんの少しだけ、ほっとしたような表情をして笑った。
「ありがとう! ミュウ」
「こちらこそ、ありがとう、アルフ」
アルフレドは美雨の左手を恭しく持ち上げ、薬指に指輪をそっと通した。
サイズは何故かぴったりで。驚く美雨にアルフレドは罰が悪そうに笑った。
「サイズは分からなかったのだが、美雨の指の太さを考えながら注文してきた」
もしサイズが違っても、直せるように手配はしていたらしい。
ただ、どうしても。プロポーズの際には指輪が手元に欲しかったそうだ。
左の薬指にキラリと光る指輪を付けた美雨をアルフレドは再び抱き寄せ、そっと口づける。それは段々と深くなってゆき、美雨はゆっくりとベッドに押し倒された。
「ミュウ。かつて貴女に伝えたように、あなたの全てを貰い受けたい」
首筋をなぞる熱い吐息に、美雨もまた体の熱が灯るのを感じる。
否などあるはずもなく、ゆっくりと美雨が首を縦に振ると、アルフレドは嬉しそうに微笑み、美雨の体にそっと手を伸ばす。
美雨はそれを、身じろぎしながら受け入れるのだった。
外はもうすぐ夕暮れを迎える。
やっと結ばれました。おめでとう、二人とも!
次話、新しい暮らしを始めた美雨はなじむことができるのか。




