37 自分の足で踏み出す一歩
「一か月後に、実家ね。……んで。大輝くんはいつ来るわけ?」
「え、一か月後だよ」
「や、そうでなくて。何時に行けばいいの?」
「……あ」
そんな会話をしたのが持っていくものを準備し始めた一昨日のこと。
大輝にメッセージを送ってみるが、今日までの間、いつも通り既読も付かなかったので、とりあえずお昼過ぎには到着するように出発することになった。
こちらに来れば、電波が届くのだから連絡くらい来るだろう。
そんなこんなで、茜は美雨を自分の軽自動車に乗せて走っていた。
先ほど、街のお刺身が有名な人気店でランチを平らげた。
あちらには刺身が無いかもしれないから、という茜の提案だった。
白ごはん、お味噌汁が最強という彼女からすると、美雨の行こうとする国はかなり苦痛そうに見えるらしい。
美雨からすると、あるものを適当に食べているからその辺は特に気にしていない。郷に入っては郷に従えだ。パンは大好きだし、洋食も好きだ。まあ、時々は和食が食べたくなることもあるだろうから、その時は茜がキャリーバッグに詰め込んだものを使うことにしようと思う。
市街地を抜け、川沿いをひたすら北上していけば彼女たちの生まれ故郷の町がある。山に囲まれた平地に大きな川が流れていて、そこそこ大きな港もある町だ。
美雨の暮らしていた場所はそこから奥に進んだ場所で、深い山の麓にある集落を進み、さらに奥の行き止まりの所にある。
茜の車は最近買い換えたそうで、美雨は初めて乗った。忙しい茜と遊びに行くときはだいたい美雨がアパートの下まで迎えに行き、そのまま美雨の車で出かけていたからだ。
新しい車は美雨の乗っていたものとは違い、ガタガタ揺れないし、外からの音もあまり聞こえない。何よりとても広く、これで軽自動車なのかと驚いた。
オーディオだけは以前のものをそのまま使用しており、学生時代に見慣れた箇所があってなんだかほっとする。
「パン屋さんでタカくんのこと言っちゃったのって、茜ちゃん?」
「そうだよー。あの時は頭に来てたからついつい。奥さんがあんなに怒るとは思わなかったけど」
運転する茜は視線は前方を見据えたまま、ぺろりと舌を出して見せる。美雨は苦笑した。
この期に及んでも、彼が少しかわいそうだと思ってしまう自分はどうかと思うけど。
そんなことを考えるくらいなら、アルフレドともっと向き合おうとも思う。彼を選んだのだから、それがけじめだ。
「でもさー、大輝くんが魔法使いとか、めっちゃウケるよね。三角帽子とかかぶっちゃってるわけ?」
「や、この前見たときは普通にこちら風だったけど。あっちではどうなんだろうね」
他愛のない話を続けているうちに二人の故郷の入り口に入る。
大きな国道を右に折れて、細い道のほうへ、細い道のほうへと車を進める。
「茜ちゃん、ちゃんとうちの場所覚えてるんだね」
「そりゃそうだよ。美雨んち山の中だから自転車で行くのは地獄のようだったよ。帰りは帰りでガタガタ下り坂だし、山が深いからなんだか途中の道は昼間なのに暗いし」
「あはは、分かる。あの途中の道って、動物の声とかして怖いよね。私、あそこでフクロウが飛ぶの見たことあるんだよ」
「うっわ。魔法使いに手紙でも届けに来てたんじゃない?」
二人で笑い合いながら懐かしい山道を車は登っていく。ここは、アルフレドがうっかり舌を噛んでしまった場所だ。
山頂まで抜けると、緩やかな下り坂になっている。そこを下っていくとほとんど緑色になってしまっているコスモス畑が一望できる。
以前来た時とは違い、ちらほらと散りかけのピンクの花弁が見えるくらいで、青々としている。
「あれ? 大輝くん、もう来てんじゃん」
丘の上の木製のベンチの上に寝転がってスマホをいじる男の姿。
こちらに気が付いた様子で身を起こして車の方を見つめ、驚いた表情をする。
まさか、茜と一緒に現れるとは思ってもいなかったのだろう。
立ち上がり、止まった車の方へと歩いてきた。
「わー、茜ちゃん。ひっさしぶりー」
「大輝くんこそ、なになに、魔法使い様になってたんだってー?」
「それって、大輝の向こうの服なの?」
茜の言葉に大輝は肩を竦め、美雨の質問には頷いた。
今日の彼はいつものラフな格好ではなかった。
首までしっかりと閉められた白シャツに、黒のふわふわとしたアスコットタイのようなものが覗いている。
丈の長いジャケットは細かい金の縁取りがしてあって綺麗だ。付いているボタンもピカピカ輝いていて美しい。
ジャケットの色は黒かと思うが、よく見ると紺色だった。細身の黒いボトムに濃い茶色の編み上げブーツが覗く。
残念ながら、魔法使いの三角帽子はかぶってはいなかった。
「ねえ、大輝。杖とか、ローブとか、三角の帽子はかぶらないの?」
「姉ちゃん……映画の見すぎなんじゃないかな。そんなんすごい動きにくくない?」
残念ながら、あちらの世界では、魔法使いの服は活動的らしい。
言われてみると確かにそうだと美雨は納得する。茜は興味深そうに大輝の服をべたべたと触っていた。
「でも、こうやって見ると大輝くん男前に見えるね。なんか高収入のお得物件に見える」
「うっわ。茜さんにそういう風にみられるの気持ちわるっ、きもちわるー」
茜の冗談に大輝は盛大に顔をしかめる。
「まあ、茜さんなら問題ないと思うけど。くれぐれも他言無用でお願いできるかな」
「他言しても、みんな私がとうとう頭おかしくなったかなって流されるくらい、突拍子もない話なんだけどね。でも、絶対言わないよ」
茜のはっきりとした返事に大輝は頷いて、ありがとうと告げた。
「さて、別れも惜しいんだけど、もう行かないといけないんだよね。オレ、式典の途中で抜けてきちゃったから」
「だ、大輝……」
「うっわ、ダメじゃん。減給されろ、減給ー!」
二人の冷たい目を平然と受け流し、大輝は続ける。
「みゅーちゃん、オレが道の前までは連れていくから。そこからは姉ちゃん一人で行かないといけないんだ」
「え? アルフの時みたいに送ってはくれないの?」
途端に不安になり、美雨はキャリーバッグの持ち手をぎゅっと握る。
「アルフレドは、無理やりオレの道にねじ込んだからね。それで小人の姿にしたし、色々負担がかかった。自然な状態じゃなかったからね。姉ちゃんは自然に渡れるはずだよ。……うん、まあ、入り口は開くから。あとは一人で渡らないといけない」
「……わかった」
怖がっていても先には進めない。
もう、仕事も辞めたし住む場所だって、移動手段だってないし、サヨナラもたくさんした。
彼の元に早くいかないと。あの優しい人が、本当は寂しがり屋なのを知っているのだから。
「ただ……」
大輝は一瞬言い淀む。何かを言うか言うまいか考えている様子だった。
「まあ、いいや。世界がみゅーちゃんを呼んでいるから、道は無数にあるんだ。でも大丈夫だよ。怖がらないで、自分が正しいと思ったものを選べばいい。きっと大丈夫」
「大輝くん、本当に大丈夫なわけ? 聞いてると不安しか感じないんだけど……」
茜が心配そうに口を挟むが、美雨は安心させるように笑いかけ、彼女の手を握った。
「きっと大丈夫だよ。それに、もう行かなきゃ。茜ちゃん、今まで本当にありがとう」
「美雨……。どんなに離れても、私は美雨のことを忘れないよ。いっぱい、幸せになりなよ」
「うん」
茜の声が少し震えていたのには気付かないふりをした。美雨の声が震えていたのにも、茜は気付かないふりをしていてくれたから。
もう、さよならは済ませてある。
「大輝、お願い」
「おっけー。じゃあ、茜さん。オレはまた渡ってくることもあるから。もし遭遇したらよろしくー」
「高収入くんに何かおごってもらうからー」
嫌そうな顔をする大輝。笑顔の茜が手を振り、美雨も笑顔で手を振り返した。
「じゃあ、行くよ。みゅーちゃん、道を間違えないで。必ず、あっちで会おう」
大輝がキャリーバッグを持っていない方の美雨の手を引いて、一歩を踏み出し、美雨もつられて一歩、踏み出した。
この一歩で世界を渡れるのだ。
ロケットに乗り込む宇宙飛行士のように、ただの一歩なのに随分遠くまで行けるのは不思議だと。ふわりとした浮遊感を感じながら、そんなことをふと思った。
▼ 大輝は、魔法使いの正装を装備した…!
▼ 女性陣の心無い攻撃を受けた…!
次話、美雨は正しい道を選べるのでしょうか。