29 最後の土曜の夜
よく考えたら、日曜日の前にまだ残ってました。
まだ夕方だが、閉めていないカーテンから見える外はだいぶ暗く、街灯と少し離れたコンビニの街灯が見えた。
「ねえ、アルフ。最後の夜になっちゃったね。……今晩は、何が食べたい?」
逞しい両腕の中から首を上に傾け、薄暗い室内でアルフレドを見つめる。
「そうだな。この世界のもので……美雨が好きな、おいしいと思っているものが食べたい」
アルフレドはしっかりと抱き寄せた美雨に軽く背を屈め、その額に優しく口付けた。
美雨はくすぐったそうに笑い、アルフレドの首に手を伸ばす。さわり心地の良い金髪を優しく引き寄せて、その額にそっと唇を押し当てた。
***
「一番好きなおいしいもの、作りたいから一緒にお買い物に行かない?」
「そうだった、ミュウごと荷物を持ってやる約束だったな」
「いいからっ! 荷物を半分だけ持ってくれればいいよ!」
そんなことも話したっけ。なんだか随分前のような気がした。
彼と彼女が出会って、まだ三週間しか経っていないのだと思うと不思議な気持ちだった。
駐車場へと続くいつもの道へ、並んで歩く。
どちらともなく手が伸ばされ、その手はしっかりと絡み合い繋がれる。
夕方になり下がった気温の中、お互いの穏やかな熱は心地よかった。
車に乗って近所のスーパーへと向かう。
二人で食材の買い出しは初めてだからなんだか少し照れくさい。
洋服を買うのとは少し違う。
「ミュウ、何を作るんだ?」
「おでんっていう料理だよ」
スーパーの駐車場に車を止めて、店内へ入る。
明るい店内に賑やかなアナウンス。
丁度、夕方のタイムセールが始まったようだ。
すごく注目を浴びているのを感じて、なんだか恥ずかしいと美雨は思う。見慣れてすっかり忘れてしまっていたけど、この人はすごい美形なんだということを思い出す。
おばさまたちの目をタイムセールから一瞬奪うイケメンは、美雨が持っていた黄色の買い物カゴを取り上げて装備している。美雨が持つと大きな買い物カゴだったのだが、彼が持っていると少し小さいように感じる。
商品の陳列をひとしきり眺める、金髪に深い菫色の瞳を持つ長身の男はその形のいい唇を開いて興味深げに呟く。
「見切り品、お早めにご……なんと読むんだ?」
「ご賞味ください。早く食べてねってことだよ」
とてもカッコいいのに誠実で生真面目で、ちょっとマイペースで強引な所もある。そして、その菫色の瞳は美雨にだけ甘い。
店内の誰がアルフレドを見ていたって、この中で、アルフレドのことを一番知っているのは美雨だけなのだ。
「ネスレディアにはこういう店はない。小さな露店がたくさん並ぶ市があるだけだ。すごく便利なシステムだな」
「うん。あちこち行かなくていいから便利だよね……きゃっ」
「おっと」
通路の角から男の子が急に飛び出してきて、美雨がよろける。アルフレドはさっと抱き寄せ、その体をしっかりと支えた。
「あ、ありがとう、アルフ」
「すいませーん!!」
後から走ってきた母親が平謝りする。大きなお腹を抱えており、いきなり走り出した男の子に対応できなかったのだろう。
その後、二人でゆっくりと店内を回り、帰宅してから美雨はキッチンに立つ。
いつもは使わない頭上の大きな棚を開ける為に踏み台に上り、さらに手探りをしていると、見かねたアルフレドが声をかけた。
「ミュウ、何を取るんだ?」
「あ、えっと圧力鍋……オレンジ色の蓋付きの重たい鍋だよ」
ミュウが踏み台に乗って手さぐりをしていたのに、アルフレドは棚をちらりと見てお目当ての圧力鍋をいとも簡単に取り出した。
一人暮らしの美雨が何故圧力鍋なんか持っているかというと、勤務先の社長夫人が気まぐれでくれたのだ。これがなかなか便利なのは実践済みだが、いかんせん一人暮らし。常日頃はこの棚に片づけてある。
「ふふ、アルフと一緒に暮らしたら踏み台は要らなさそう」
「ミュウがこんなに小さいとは、あのころは全然思わなかったな」
牛筋から先に圧力鍋にかけておく。その間にゆで卵を作り、大根の皮を剥いてしまう。もちろんジャガイモも欠かせないし、はんぺんだって入れたい。
おでんは大好きだが、1人で食べるにはちゃんと作ると手間とお金がかかる。あちらに行けばもう食べることはないだろうなと思えたし、アルフレドも食べたことがないのではと思ったのでこれに決めたのだ。
レンジと圧力鍋のフル活用で、比較的早くおでんは出来上がった。
途中で、アルフレドが手伝いを申し出たが、ただでさえ狭いキッチン。何より、美雨が彼の為に作りたかったので丁重にお断りした。
***
「ミュウ、あの“おでん”は美味しかった。また作ってほしい」
「うん。でもあっちにお出汁があるかな……でもきっと作ってみるよ」
あちらに行く荷物に鰹節を加えようと美雨は心のメモに加えた。
荷物ってどれくらい持っていけるんだろう。大輝は結構自由な感じだったけど彼は特別みたいだから、もしかしたら制限があるのかもしれない。
部屋は電気が落とされていているが、カーテンの遮光が弱いので外の街灯のせいで室内はうっすらと浮かび上がっている。
美雨はベッドに、アルフレドは床の布団でそれぞれ毛布をかぶっている。
夜もだいぶ更けてきたが、時折前の道路を走る車の音が聞こえる。
「ねえ、アルフ。そういえば剣は小さいままだったね」
「ああ。きちんと持っている。……この世界では小さいままで良かったのかもしれないな」
アルフは少し沈黙し、もう寝たかなと美雨は思って瞳を閉じたが、衣擦れの音がしたので目を開くと、布団の上にアルフレドが座り、こちらをじっと見つめていた。
「どうしたの?アルフ」
「……この国はとても平和だ。魔物に怯えることはないし、便利だ。でもそんな世界からオレはミュウを連れていく」
「うん。私は、アルフと人生を共に歩む相手になりたいよ」
前に聞いた時には素敵だけれど、重たい言葉だと思った。
今、怖がらずに言えるのは……相手がアルフレドだからだ。
「ああ。オレもミュウと共に歩みたい。年を経て、オレが老人になっても貴女の手を取らせて欲しい」
「ふふ、その頃は私もよぼよぼのおばあちゃんだね。そんな皺だらけの手で良かったら」
「構うものか。オレにとっては誰の手よりも美しく、愛おしい手だからな」
明日はどうしよう、何をしたい?
お互いに横たわりながら交わす会話はとても穏やかで。
最後の土曜の夜は優しく更けていく。
おでんの美味しい季節ですね。
次こそ、最後の日曜日。




