28 彼女の想いと、彼女の礼儀
気が付けばブックマークが1,400件を超えていました。とてもうれしいです。ありがとうございます。
彼女は彼の世界へ行くことは可能なのでしょうか。
「うん。みゅーちゃんなら、すぐにでも引っ越せるよ」
アルフレドと一緒に行きたい。私もあちらへ渡れるのかと聞くと大輝はあっさりと肯定した。
すごく悩んでいたし、聞くのに緊張もしてたのに。そうもあっさりと言われるとなんだか拍子抜けだ。
「そ、そんな簡単に行けるものなんだ……」
呆然と呟く美雨に、大輝は慌てて手を横に振った。
「いいや。みゅーちゃんだからね。あちらの世界はいつも誘っていたはずなんだけど、ほら。今までの姉ちゃんは、それをずっと拒否していたから」
「拒否? 確かに平和に過ごしたいなとは、思っていたけど」
うそつき。本当は誰にもなるべく関わらず、静かに一人で生きて行こうと思っていたくせに。大輝は笑顔を浮かべながら心の中で悪態をついた。
「行こうと思えば簡単だけど、そうだね。最初だしオレが手伝ってあげるよ。ただ、一つ問題があるにはあるけど」
「え、まさか私も小人になるとか?」
それは困る。お人形の洋服を用意しないといけないと言う美雨に大輝は声を出して笑った。
「はははっ! 小人になってもいいくらいアルフレドと一緒に居たいんだ? ひゅーひゅー」
「なっ! そ、そうなんだけど、でも望んで小人になりたいわけじゃないよっ!」
「小人のミュウか。それはそれで可愛らしいのだろうが……オレはこの大きさが良いな」
「ははは、弟の前で本当やめてね、それ」
しれっと呟いたアルフレドの言葉に美雨は少し頬を染め、その二人の前に座る大輝は、なんだか体がかゆそうだった。
「で、問題というのはなんだ?」
「ああ。そうだった。みゅーちゃんは、あっちの世界のラブコールがすごすぎてね。一回渡ってしまったら、もうこっちには二度と戻れないと思うよ」
大輝の言葉に、美雨ははっきりと頷いた。
「ラブコールはよく分からないけれど、一回行ったらもう帰らない覚悟はできてたよ。だから大丈夫」
その言葉にアルフレドはそっと微笑みを漏らす。
美雨が自ら望んでくれていることが嬉しく、そして誇らしかった。
「でも、私が今からあちらに行ってしまったら……こっちでの私は行方不明になるってこと?」
「そう。月曜日になって出勤してこない社員を心配してアパートへ……なんかよく聞くニュースみたいだよねー。もっともアパートはもぬけの空なわけだけどね」
会社の人、アパートの管理人さん、駐車場の管理会社。たくさんの人に迷惑をかけてしまう。
「ねえ、大輝。その……界渡りはいつでもできるの?」
「ミュウ?」
美雨の決心が揺らいだのかと、不安そうな声を上げるアルフレドに首を振る。
「アルフと一緒に私は生きたいから、行くよ。でも、界渡りがいつでもできるなら、すべてを片付けてから行きたい。堂々と胸を張って、アルフと一緒に暮らしたい」
行った先で、仕事のことやアパートのことを考えたりだとか、十年来の親友に何も告げずに引っ越すのは心苦しい。
美雨は悪いことをするわけではないのだ。夜逃げのように居なくなるのではなく、身辺を整理したかった。
「そりゃあ、いつだってできるよ。ただ、オレの仕事の都合がなー……うん、アルフレドはどうなのさ」
「寂しくない、と言えば嘘になるが、ミュウらしくて好ましいとオレは思う。貴女がそうしたいのなら、オレは待っている」
責任感が強い彼女のことだ。すべてを放り出して行くなんてことはしないだろうとは少し思っていた。
それに、もし自身が同じ立場ならば同様の行動をするだろうと思えた。
美雨を奪うのではなく、一生を共にきちんと歩いていきたいのだ。
「じゃあ、それで決まり。どのくらいかかりそう?」
「ええと……一か月で全部済ますよ」
それ以上は時間をかけたくなかった。もう迷うことなどないと思えるが、なるべく早い方がいい。
「全部、片づけておくよ」
はっきりとした美雨の言葉に大輝は頷いた。
「オッケー。アルフレドはどうする? オレも来ているし、あちらの世界はお前を求めている。すぐにでも帰れるけど」
大輝の言葉にアルフレドの瞼が軽く伏せられ、ゆっくりと開かれる。
「いや。明日は、ミュウの大好きなせっかくの“日曜日”だから。明日までこちらに留まろうと思う」
美雨の漆黒の瞳は驚きと、喜びに染まったが、すぐに気遣わしげな表情となる。
「アルフ、嬉しいけど……大丈夫なの?」
「もうこちらに三週間も滞在している。あと一日くらい、どうということもないだろう。なあ、大魔法使い殿?」
アルフレドの言葉に、大輝もいつものような軽い口調ではなく、もったいぶった顔をする。
「ああ、第二騎士団団長殿。君の現在の処遇は、私が離れにて闇祓いの儀を執り行っていることになっているからな。安心したまえ」
「ふふふ、大輝ったらなにそれ。大魔法使いの顔なの?」
二人の芝居に美雨が笑う。
いつの間にか日差しは傾き、外は夕闇が迫っていた。随分と長く話し込んでしまったのだと気が付く。
「あ。じゃあオレはもう一旦帰るわ。陛下に明日は団長さん帰って来るんでって伝えとかないと」
「大輝は、本当はホテルなんか取ってなかったの?」
「いや。取ってるよ。ただ、そこから界渡りしてるだけの空間だけど。飛行機には乗ってなかったけどね。面倒くさいから、今日はこのままここから渡ることにするよ」
大輝の言葉に美雨は目を瞬かせる。簡単にできるとは言っていたがそんな、ちょっと行ってくるくらいのものでできるのだろうか。
「アルフレドは明日の夜に、ここに迎えに来るから。みゅーちゃんを迎えに来るときの話も明日、その時に」
「頼む」
じゃーねーと軽く手を振り、大輝は壁の方を向いて一歩、足を踏み出した。一瞬何かが煌めいたように見えたが、すぐにかき消えてしまったので気のせいだったのかもしれない。
大輝の姿は掻き消え、アルフレドと美雨だけが残された。
いつもの部屋に、いつもの二人。やかましい大輝が居なくなったことで穏やかな静けさが戻ってきた。
「本当に、簡単にできちゃうんだ……」
「そうだな。オレもダイキが界渡りをできるとは知らなかったが。初めて見たが、恐ろしい力だな」
「大輝は、まだ隠してることが山ほどありそうだよね」
「すべては話していないだろうな。だが、ミュウが気に病むことではないだろう」
アルフレドは美雨の腰に手を伸ばし、そっと抱き寄せた。
柔らかい茶色の髪の毛を撫でると美雨が身じろいだが、気にしない。
何か香水を使っているわけでもないのに、いい香りがする。
小さな体だった時に、彼女の手のひらに乗るとふわりと漂っていたあの香りだ。安心する……陽だまりのような匂いだと思った。
やっと二人きりになれました。忘れがちですが、ジャンルは恋愛なのです。
次話、最後の日曜日を二人はどう過ごすのか。




