21 三度目の金曜日の朝
柔らかそうなウェーブを描く茶色の髪の毛に、緩くなだらかな曲線を描く白い頬。
漆黒の長い睫のその下には、今は開いていない瞳があって。同じように夜の色をしているのを彼は知っている。
ぐっすりと眠っているようで、二人で一緒にかぶっている毛布がゆっくりと上下しているのが、なんだか可愛らしい。
次いで部屋を見回すと、自身が二週間暮らした風景がだいぶ違って見えた。
大きく感じていた白いテーブルは実際にはとても小さくて。
美雨が整えてくれた藤籠のベッドを置いてしまえば、美雨がぎりぎり食事をとれるくらいのスペースしかない。
広い出窓は、確かに広い窓ではあるが……出窓というには、あまり外に張り出してはいなかった。
随分と小さくなってしまった見覚えのある風景には、明らかに不要と思われるプラスチック製の鎖が垂らされるように、あちこちに設置してある。
それを見ると確かに自分は小さく、そして確かに、この部屋で暮らしていたのだと妙な実感が湧いた。
何より、一番の違いは美雨だ。
見上げるほど大きく、他に比較する相手もいなかったか。彼女の身長など考えたこともなかったが、毛布から覗くその肩は思ってもいないほどに華奢だった。
こんなにか弱い女性を巨人呼ばわりしていたのかと苦く思う。
しかし、本当に気持ちよさそうに眠っている美雨。起こすのはかわいそうに思えたが、この太陽の上がり具合だと、完全に遅刻ではないだろうか。
あんなに「遅刻、ダメ! ゼッタイ!」と言っていただけに気になる。
「ミュウ、起きてくれないか」
驚かせないよう、控えめに声をかける。
大きくなった自分を見て、美雨はどうするのだろうという不安も多少はあるが、それよりも愛する彼女と同じ大きさになったことが嬉しい。
――早く、目を開けて欲しい。そして、その瞳いっぱいにオレの顔を映したい。
「う、ううん……」
眠そうな声を上げた美雨の、長い睫が震えるのをじっと見つめて、大好きな黒い瞳が開かれるのを心待ちにして声をかける。
「ミュウ、起きるんだ。遅刻してしまう」
「うう、大丈夫。今日はおやすみもらったから……アルフ?」
寝ぼけながら口の中でごにょごにょと言うのが止まったかと思うと、美雨の瞳がパチッと開かれた。
「アルフ! 大丈夫だっ……た、ん、だ……ね?」
目の前に横たわる、小さくなくなったアルフレドを見て固まる美雨に、アルフレドは頷いた。
「ああ、ミュウがずっと付いていてくれたんだろう。ありがとう」
「う、うん。大丈夫だよ。良かった。元の大きさに戻れたんだ、ね」
昨日は大きくなるかも。と楽しみ半分、怖さ半分でいるうちに、彼を失ってしまうかもという恐怖体験になっていたことを思い出して、美雨はブルリと身震いした。
「ミュウ?寒いのか?」
「ううん。ちょっと昨晩のことを思い出したら寒気がしただけだよ」
身震いをした美雨に気遣わしげな顔をするアルフレドに首を横に振った。
「もう寒かったりしないの?」
「ああ、もうどこも痛くないし寒くもない」
昨夜の苦しみが嘘のようにどこも何も問題ない。
この不思議な快癒感は、まるで出会った頃に似ていて、少し懐かしく思った。
「……ところで、ミュウ。何故こちらを見ない」
「や、あの、あれだね。アルフが成長っていうか、元にきっと戻ったんだと思うけど、なんかすごくかっこい……慣れなくって」
視線を泳がし、しどろもどろに答える美雨。その顔は少し赤い。
「ああ、そうか。小さい姿だと見た目も多少幼くなっていたんだったな。手足も短いし、不便極まりなかった」
そう言えば、まだ元に戻った自分の姿を見ていないことに気付き苦笑する。
「昔から、老け顔だとか、若さが足りないとか言われるんだが……ミュウはこの顔は苦手か?」
「まさかっ!! とっても、素敵だと、思います!」
とんでもない質問に美雨はきっぱりと否定した。
短髪よりは長めの金髪はさらさらとしていて綺麗だ。秋の収穫時の稲が光を浴びているみたいだなと美雨は思う。優しい温かみのある色だ。
その髪はこちらの世界で暮らすうちに、本来よりも少し伸びたのだろうか? 顔に一筋落ちてくるたびに、うっとうしそうに掻き上げるアルフレドの節ばった指と、毛布から覗く筋肉質な腕にドキリとした。
小人ではない。少年でもない、立派な男の人だった。でも確かにアルフレドだということはわかる。しかし……。
--色気がありすぎて、どこ見ていいのか分からない。
そんなこと、本人にはもちろん言えないので、再びそっと目を逸らすと、アルフレドの力強い手が頭に伸びてきた。
「ミュウ、ちゃんとこっちを見て話さないか」
咎めるような口調はまるで先生のよう。
おかしいな、私の方が二つも年上のはずなんだけどと、美雨は思うが次のアルフレドの行動に、そんな余裕もすぐに無くなる。
まだ視線を泳がせる美雨に業を煮やしたのか、アルフレドは美雨の頭に添えていた手に力を込めて、強引に自分の方へ向けた。
そして、こつんと自分の額を美雨の額に合わせたのだ。
「ミュウ、オレはちゃんと覚えている。元の大きさになったら、好きなだけ抱きしめてくれるんだろう?」
「う、あ、アアアルフ!」
初めて間近で見る深い菫色の瞳は、まるで吸い込まれそうなほどに美しく、何より温かい。
慌てふためく真っ赤な顔の美雨を逃がしはしないと、ガッチリ頭を掴んで楽しそうな笑顔を浮かべて見つめているアルフレドを見て、小人の時と違ってなんだかいじわる度が増してるよね!? と美雨は心の中で叫んだ。
「ミュウ、ちゃんとオレを見るんだ」
「……はい」
「約束、忘れてはいないだろう?」
美雨は観念して頷いた。そして抱きしめようかどうしようかと手をピクリと動かして、気付いた。
「ア、アルフさん、ちょっとさっきから気になっていたのだけれど……服は、着ていないの、かな?」
一瞬流れる沈黙。
「毛布をかぶっているんだ。問題無いだろう?」
「あの、いえ、抱き着くので問題大ありなんですけど……」
しれっととんでもないことを言うアルフレドに美雨は反論し、大きくなった騎士は不満そうに溜息をもらして美雨の頭を離した。温かい大きな体が少し遠ざかる。
ほっとすると同時になんだか寂しいような気もして美雨はなんだか複雑な気持ちになる。
「分かった。服を着てから抱きしめてもらうことにする」
そう言って上体を起こしたアルフレド。
もちろん、鍛えられた無駄のない、実戦向きの筋肉に覆われてはいる細く締まった裸体が露わになる。
「----!!!!」
美雨は言葉にならない声を上げてベッドから飛び起きて立ち上がる。
「ミュウ?」
「見てない! 見てないから! 私、キッチンの方にいるから! 朝ごはん作ってるから! 絶対に着替えててね! 絶対だからね!!」
逃げるようにキッチンへ走る美雨に、面食らった表情のアルフレドがベッドには残されたのだった。
騎士団の鍛練時、汗で汚れてしまうので日常的にシャツを脱いでいた。下半身はちゃんと毛布にかかっていたから問題ないと思っていたのだが……男ばかりの空間で長年生活していると感覚が麻痺してくるのだろうなと、アルフレドは少し反省した。
そして、キッチンに逃げ込んだ美雨は未だバクバクと鳴る心臓を抑えるのに必死だった。
もう25歳で、男に免疫が無いわけでもないだろう。純情ぶってとか言われるかもしれないが、美雨は言いたい。
あんな色気の塊にあんなことされたら、誰でもああなると!
料理を始める前に、絶対に鼻血が出てるはず……と美雨が鏡をチェックしたことはアルフレドには内緒だ。
アルフレドさん、元の大きさに戻れてちょっと浮かれすぎたようです。
次話は服と靴の話です。束の間の日常です。




