16 彼女の行きたかった場所と彼の想い
長めで重たい内容になります。
山を抜け、田園地帯にまばらな家々が点在する地帯を抜けて、狭い道の方へと折れたかと思うと車がガタガタ揺れた。道路の舗装はあちこちひび割れて、ところどころ草が生えたような状態になっている。
「ミュウ、一体どこに行くんだ?だいぶ深い山に入ったようだが」
「大丈夫だよ。ちゃんと道はあるから」
ガタガタという上下の揺れは、大きな体の美雨にも衝撃が伝わるのだ。
小さな体のアルフレドは大丈夫かと心配になり、途中で掴み上げて助手席のシートに移してあげた。
転がり落ちないかは心配だったけれど、ドリンクホルダーは高い位置にあるからそちらから落下することを考えればよほどマシに思えた。
がたがたの道を10分ほど走った頃だろうか。
「アルフ、着いたよ。大丈夫?」
「うう、少し舌を噛んだが大丈夫だ」
そう答えるアルフレドは心なしか顔色も少し悪い。
早く降ろしてあげたほうがいいかもしれないと判断し、美雨が両手を差し出すと、小さな騎士は礼を述べてよじ登る。なおも心配する美雨に大丈夫だと片手をあげた。
「それよりも、ここはどこかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないか」
「あ。そうだった、ここはね……」
車のドアを開けると、自然の香りに微かに混ざる花の香り。
アルフレドの視界に飛び込んできたのは、ピンクと白と緑の鮮やかな、一面のコスモス畑だった。
「私の、実家だよ」
「ミュウの、実家……? しかし……」
続く言葉を躊躇い、口を閉ざしたアルフレドに美雨は優しく笑う。
「そう。コスモス畑しか残っていないの」
美雨が住む町からは少し離れており、弟に至っては会うことすら稀な状態だ。
自身も仕事が忙しく、なかなか家の管理をすることはままならないこともあり、3年前に建物を取り壊し工事を依頼し、更地となったこの土地に、弟と共にコスモスの種を植えたのだという。
「ふふ。意外と育ってね。毎年見に来るんだ」
「そうか」
経緯を聞いた小さな騎士は、何かを考えるようにコスモス畑をじっと見つめた。
「思い出の品とかは無いのか?」
「あるけど、レンタル倉庫……ええっと、お金を払って借りれる倉庫に預けてあるの」
ちなみに料金は弟持ちだという。
面倒な手続きから何から何まで、忙しい合間を縫って美雨がやったのだ。
それくらいは分担してもらって当然だと思う。
「弟とコスモスを植えたんだけど、あの子はあんまり帰ってこないから。こうやって他の人と見るのはアルフが初めてなんだよ」
手のひらの小さな騎士は立ち上がり、美雨のほうを振り返り、嬉しそうに笑みを零した。
冬に近い秋の冷たい風がコスモスと、柔らかい茶色の髪の毛、そして金と黒の髪を揺らす。
「ミュウの特別な場所の初めての一人にしてくれて、ありがとう」
「……アルフ。私ね、貴方に聞いてほしい話があるんだ」
「オレで良ければ」
深い菫色の瞳と漆黒の瞳の視線が合う。
「ありがとう、アルフ。少し、長くなってしまうから……座ろっか」
美雨はアルフレドを両手に掬い上げ、歩き出した。
***
コスモス畑を一望できる場所に木製のベンチが置いてあった。
家にあったものを残したのだという。
そこに美雨とアルフレドは並んで腰掛ける。
ベンチの上に大きな影と小さな影が仲良く並んだ。
美雨はゆっくりと話を始めた。
「私は元々、四人で暮らしてたの」
「ここに、両親と弟君とか?」
「ううん。ばあちゃんと、お母さんと。あとは、私と弟とで暮らしてた」
「ミュウの父上は……」
言ってからアルフレドは口を閉ざした。
そんな彼に美雨は笑ってみせた。
「お母さんはある日、駆け落ち同然でいなくなってしまったんだって。次にここに帰って来たときには私と、弟を連れてたんだって言ってた」
「それは……情熱的な女性だったんだな」
言葉を失い、菫色の瞳を伏せたアルフレドに美雨は続ける。
「お母さんは、お父さんのことが誰はとうとう教えてくれなかったよ」
「……手がかりは残されていなかったのか」
「何も。本当になぁんにも」
美雨は苦笑いを零す。
「二人も子供がいるのに何も残ってないの。私も弟も全体的にお母さん似だから、面影も何もわかんない。お母さんは私生児として2人を育てて、体を壊してて……気づいた時にはもう間に合わなかったんだ」
「……ミュウ」
母が死に至る病に倒れたのは、美雨がまだ19歳の時だった。
「ずっと、ハルトって言ってた。たぶん、お父さんの名前。私も弟もすぐ近くにいるのにそればっかり」
アルフレドは何も言わず、ベンチの上に乗せられた美雨の指を両手でぎゅっと掴む。
ああ、何故、オレはなんて小さく、無力なのか。
今の姿の彼にできることはそれくらいだ。握った美雨の指がピクリと震えたが振り払われることはなかった。
「お母さんが死んじゃった後、今度は弟が学校帰りに行方不明になってしまったり、色々あって彼氏に振られちゃったりとかもう散々だったんだけど。今はこうやって、元気に暮らしてます」
笑った美雨の目元が少し赤い。
アルフレドは自分の小さいがゆえの無力さを恨みながら、もう一度ぎゅっと指を握った。
「体は元気でも、心が傷ついていれば……それは元気とは言えない」
「そうだね」
「なあ、ミュウ。オレが元の世界に帰る時が来たら……一緒に来ないか」
あまりにも唐突な言葉に美雨は目を大きく瞠った。
「な、なんで、そんないきなり……」
「オレは、いずれネスレディアに絶対に帰らねばならない。だが、オレはミュウを置いていきたくない。いや、離れたくない。オレは、ミュウを……愛している」
勢いの告白に美雨の目が驚愕に染まり、じわりと潤んだ。
「この世界は便利で豊かだ。でも、少し寂しいように感じる」
どこでもいつでも連絡が取れる道具が、人の距離を近づけているようで遠ざけている違和感をずっと感じていた。
ミュウの所に一週間暮らし、スマホが光ることは多々あれど、実際に訪ねてきた者など一人もいなかった。
毎朝早く起き、仕事に行き、疲れて夜遅く帰ってくる。アルフレドが来るまでそれを繰り返していたのだと気付いた時、胸が痛んだ。
「ネスレディアは少し不便だが、人と人の距離は近い。それに、オレがミュウを……」
「アルフ!!」
美雨の大きな声にアルフレドは言葉を続けることができなかった。
「もう、もういいよ。ありがとう。その言葉だけで、もう、じゅうぶん、だから」
「待て、ミュウ。最後までちゃんと聞い……」
「アルフは方法が見つかったら帰って。私は大丈夫だから。アルフに会えたから、もう大丈夫だから」
「だが、これでは……」
アルフレドの言葉に美雨は首をゆるりと振った。
優しくも、熱のこもったアルフレドの言葉を緩く、でも確かに美雨が拒んだのに気付いて何も言えなくなる。
「アルフ、私も貴方が好きだよ」
美雨の言葉にアルフはほっとした表情をした。
「でも、でもね。アルフは、私が命の恩人だから錯覚しているだけなのかもしれない」
「そんなことは、断じてない」
アルフの強い言葉に美雨は曖昧に笑った。
「私も、アルフが一緒に暮らして孤独を埋めてくれたから、錯覚しているだけなのかもしれない。もし、もしそうだとしたら私は、貴方の気持ちを都合よく利用してるだけだもの」
そんなの、いくらでも利用してくれればいいとアルフレドは叫びたかった。
でも、ああ……彼女は不器用で真面目で、優しいのだった。
そんな自分を許せるような女性ではない。
そして、そんな面倒くさい彼女を好きになってしまったのも自身だ。
離れたくない。連れて帰って真綿で包むように甘やかして。
雪の降り積もった家の中に2人閉じこもってしまいたいと。そんな危険なことを考えるようになってしまったのも事実だ。きっかけは何であれ、この気持ちは錯覚などでは絶対にない。
「オレは本当にミュウを愛している。……しかし、ミュウが信じられないというならば、分かってくれるまでオレは諦めない」
「アルフ、私は……」
アルフレドは、美雨の指を両手で包み、そっと口づけを贈った。
僅かに震える指先を感じたが、離さない。
「貴女の過去に何があったかは聞いた。でも、全てを話してはいないだろう?」
僅かに泳いだ黒い双眸を、菫色の瞳は力強く捉える。
「すべてを話せとは言わない。でも、ミュウがオレを心から信じられるようになってくれたら、その時は。貴女の近くにずっと置いてもらえないだろうか」
アルフは優しい。本当に優しいと思った。
そして、彼のことが本当は好きだと言ってしまった自分を、絶対に逃がしてくれないとも感じた。
「……アルフを放り出すなんて絶対にしないよ」
振り絞った声はみっともなく震えていて、美雨は自分が情けなかった。
失礼なことはできないといいながらも、優しい彼の気持ちを利用するずるい自分も嫌だ。かといって、何もかもを捨てて彼と一緒の道を選ぶほどには、もう若くなかった。
あと少し早く出会えていたらとも思うけれど、きっとそういう問題じゃないのもわかっている。
「ミュウ、もう帰ろう。山は冷えるから」
気が付けば、辺りに夕日が差し込み、コスモスたちには影が差してきていた。
「……うん。帰ろう、アルフ」
ミュウはいつものようにアルフを両手に包む。
冷たい風が少しでもかからないよう、この優しい人の小さな体が冷えてしまう前に足早に車へと戻った。
きっかけはどうであれ、お互い好き合って、しかも一緒に暮らしているのに。なんでこうもうまくいかないのか。
その原因は美雨自身にあるのは痛感しているけれど、今は彼の言葉に甘えようと思った。少なくとも、小人と巨人の今のうちは。
作者的には、押してもだめなら押し倒せって思ったのですが、アルフレドさんはそんなことしないそうです。
次話は、すっかり忘れられてた石ころの登場です。