***閑話 騎士の思い出***
本編では書く必要がなかった小人バリアフリーと、忠犬アルフに少しだけお付き合いください。
弟に会いに行った美雨を見送った後、アルフレドは重い腰を上げて立ち上がった。
出窓からは夕方になる前の秋の日差しが温かく降り注ぐ。
この田舎道ではわざわざ三階のアパートの窓を見上げるような、奇特な人物はいない。
仮に見えたとしても、まさか小人が暮らしているなんて絶対に思わないはずだが、美雨に迷惑をかけるわけにはいかない。
いつも万が一を考えて白いレースカーテンの影から外を見ていたが、美雨を見送った際に初めて透明のガラスの前に姿を晒してしまったことに思い当たり、自分の判断を欠いた行動に反省する。
「ロゼなら全然気にしないのだろうけどな」
『見つかったら、オレが踏んでやる。早く、出かけよう、アルフ!』
そんなことを言いかねない、物騒で無邪気な相棒を思い出せば温かな気持ちになると同時に、どうしているだろうかと心配にもなる。
ちゃんと食事はとっているのだろうか。
気まぐれで好き嫌いの激しい相棒は……まだ、自分を待っていることだろう。
「……さて。少し勉強でもするか」
考えれば気持ちが暗くなるだけだ。
答えどころか、解く方法すら分からない問題を見つめるよりも、今できることをやっておこうと思った。
カーテンフックにぶら下がっているS字フック。そこから繋がる茶色のプラスチックの鎖をたどって出窓から下へと降りる。
美雨が設置する際に強度を確認して何度も引っ張っていた。
アルフレド的には鎖の強度よりもカーテンフックが根本から外れないかが心配だったが、それも杞憂に終わった。
「本当に小人になってしまったんだな」
***
最初は巨人の国に迷い込んでしまったのだと思っていた。
美雨も困ったように「貴方からしたら巨人なのかもしれない」と言っていたが、やがてオレだけが小さいということが程なく判明した。
美雨の家に置いてある小さなサボテンの大きさ。出てくる食材―野菜だったり魚の切り身だったりだ。
それらが全て大きい。
「縮んでいるのはオレの方なのか…」
呆然と呟くアルフレドに、美雨は同情のこもった眼差しで見やり、優しく口を開いた。
「もしかしたら、違うかも。この世界のものが全て大きいだけなのかも」
そうなのかもしれない。
でも、そうではないのかもしれない。
全てが大きな世界ではそれすらも判断できなかったが、小さな騎士を受け入れてくれたのは大きな優しい女性だった。
可哀想に思ったのかもしれないし、一人暮らしのようだったからちょうどいいペットのような気持ちだったのかもしれないが、その女性は小さな騎士の為に尽くしてくれた。
「これじゃあ何もできないね。ちょっと夕方に買い出しに行く予定だったから色々買ってくるね」
部屋のあちこちを検分し、大きな女性は手に持った四角い光る板を触る。
「ミュウ、貴女の持っているその光る板は、何に使うものなのか聞いてもいいだろうか」
「知らないことだらけで当然だよ。そんなに遠慮しなくていいのに」
何も分からないアルフレドに美雨は丁寧に説明し、教えてくれた。
会話はできるが文字は読めないことも判明すると、美雨は“スマホ”を触って何かをまた打ち込んでいるようだった。
帰って来た美雨はたくさんの袋を提げて帰って来た。
紙とは違う、薄くて丈夫な不思議な素材は“ビニール”と言うらしい。
丈夫で軽くて素晴らしいと思ったが、熱に弱く火気厳禁だと言われた。万能なものなど存在しないらしい。
「百円ショップでいろいろ買ってきたの。お金はあまりかかっていないから気にしないでね」
この世界のこの国では円という通貨単位を使用しているそうで、“100円”あれば色々買える不思議な店があるそうだ。
「食品、お皿、日用品……とにかくなんでもあるんだよ」
「それは、すごく興味があるな。是非行ってみたいものだ」
「ふふ、アルフが行ったら小さいから、商品だと思ってカゴに入れられちゃいそうだね」
「ミュウ、そんな恐ろしいことを言わないでくれ……」
高くて登れないような箇所には茶色のプラスチックの鎖が下げられた。
トイレの段差には小さなレンガが1つ置かれ、それで簡単に上れるようになった。
閉じてしまったらアルフレドにはあけられないような場所には、ドアが閉まらないようにと止め板が差し込まれた。
「閉じたら開けれないのもあるけど、バタンって、アルフが挟まったらって考えると危ないから」
言いながら想像したのだろう。ぶるっと身震いをする大きな彼女が普通の女性のように見えて不思議だった。
唯一の武器である騎士の剣も失ってしまった。魔法も発動しなくなっているようだし、そんな時に頼れる魔獣も当然いない。
それ以前の問題で、こんなに小さいのだ。その気になれば大きな彼女は簡単にアルフレドを害することだってできる。
しかし美雨は、アルフレドを小人というよりは、小さな人間として認識してくれて、しかも暮らしやすいように工夫をこらしてくれた。
洋服だって、同じものをずっと着ていれば済む話だ。
だが、きちんと湯浴みをして、服を着替えろと言われた。
食事も体を気遣ったものを用意してくれ、傷の手当も継続してくれた。
地位も力もなにもかも無い、何の役にも立たない小人に、帰ってきては嬉しそうに『ただいま』と言い、穏やかな時間を一緒に過ごす毎日。
こんなに誰かと一緒の時間を過ごすのは初めての経験だったし、こんなに心が温かくなるのも初めてだった。
***
「もうこんな時間か」
美雨が出かけてから、しばらく時間をつぶして食事を取り、湯浴みを済ませた。
アルフレドにはカーテンを閉めることができない構造になっているため、外が真っ暗なのが見て取れる。
「いつもの帰りより随分遅いな」
出窓の鎖を掴み、腕に力を込めて登る。
ガラスを触ると冷たい。
「これくらいしか冷え込んでいないのに秋なのか。ここの気候は穏やかなのだな」
冬は豪雪に埋もれる故郷を思い出し、ふと頬を緩めた。
暖炉の温かい光、何もすることがなければ美雨もおとなしく家の中にいてアルフレドとのんびりするだろうか?
「いや、編み物や備蓄品を作って忙しくしていそうだな」
そんな想像をしてみてなんだか自分が恥ずかしくなって窓をふと見下ろすと……。
「ああ、帰ってきたか」
弱い街灯の下をいつもより足早に歩く、ふわふわと揺れる茶色い頭が見えた。
プラスチックの鎖を伝って下り、玄関へと向かうと、外からいつものカツカツカツという音。
そして、チリンという小さな鈴の音と、ガチャリと鍵を回す音がした。
「ただい……」
「おかえり、ミュウ」
おかえりと言うと、大きな彼女は満面の笑みを浮かべてくれる。
この笑顔をこれからも見続けたいと、そう思いながら小さな彼もやさしく微笑み返した。
序盤の距離感をつかめないアルフと、保護しなきゃ!と使命感に燃える美雨でした。
次話は本編へ戻ります。
美雨がどうしても行きたい所へ、二人でお出かけです。