12 ホットケーキとベーコンエッグとガレットと
少し長めですが、区切りが悪くなってしまうのでこのまま投稿します。
トントントン、という規則正しい音が聞こえてきて、心地良い微睡みからアルフレドの意識がゆっくりと浮上する。
ぼんやりと目を開くと、木で編まれた籠の持ち手が見え、柔らかくて温かい不思議な布が体にかかっているのを感じてほっとする。
良かった。まだこの世界に留まっている。
最初は何が何だか分からず、ただ早く帰らねばと思っていた。
起きる毎に高すぎる、見知らぬ天井と巨大な家具が目に入り落胆していたのに。
気持ちの変化は緩やかで、そして同時に抑えられない思いも育っているのを感じていた。
アルフレドは瞳を閉じ、長く息を吐いた。
もちろん、元の世界へは帰らなくてはならない。もう一週間以上も経ってしまっているのだから大騒ぎになっているだろうし、仕事も溜まっているだろう。何よりも自身の魔獣のことは気がかりだった。
包丁を使うのは終えたのだろう。カタン、と皿を置く音。油で何かを炒めるような音と、なにやらいい匂いがキッチンから漂ってくる。
アルフレドは体を起こして大きく伸びをし、藤籠のベッドから降りる。昨夜、美雨が見つけてくれた剣を手に取り、日が高くなった室内でまじまじと見つめる。
「離してしまって、すまない」
精緻な細工はネスレディア第二騎士団団長の証。柄に輝くガーネットは女神の瞳……そして騎士の心臓を意味するのだという。
団長に任命された時に国王より賜ったこの魔剣は、アルフレドの魔力を糧として刀身を鋭くし、特殊な力を纏わせる。そして鞘に納めれば魔剣は休み、自身を癒すのだそうだ。
剣と共にベルトも戻ってきたことが唯一不思議だった。ベルトごといつ抜けたのだろうか。小人になった時だとしたら、こちらに渡ってきた際には元の姿のままで自身だけ小さくなり、その後に剣が小さくなったのか……。
考えたところで答えは出ないだろうが、どうしても考えてしまう。剣を付け、支度を整えた所で声をかけられた。
「アルフ、おはよう」
「ミュウ、おはよう。すまない、寝過ごしてしまったようだ」
見上げると、美雨はほかほかと湯気を上げる皿を持っている。
そうか。もう湯気が立つほど肌寒くなってきたのかとふと思った。
「全然いいんだよ。昨日は寝るの遅くなっちゃったし。それに、私が仕事の時はちゃんと起きてくれるし」
「それは当然だ。ミュウが働きに出るのに、オレが惰眠をむさぼっているのはおかしい話だろう」
おかしなことを言うと生真面目な顔で言うアルフレド。
そうは思っていても、実行できる人ってあまり居ないんだけどなと、美雨は思いながらテーブルに皿を並べる。
「ホットケーキと、ジャガイモのなんちゃってガレットとベーコンエッグだよ」
「ああ、とても美味そうだな」
金曜の残りカレーもあったのだが、それは昼食のカレーうどん用にすることにした。
せっかくの土曜日の朝だし、昨日はアルフレドの大切な剣も見つかった。なんかちょっと美味しいものが食べたくなったのだ。
美雨は大きなテーブル。アルフレドはその上に置かれた、人形用のテーブルについて手を合わせる。
「「いただきます」」
この世界に来たときには聞きなれないこの言葉に驚いたものだが、食べ物に感謝するこの挨拶はとても素晴らしいと今は思う。“ごちそうさまでした”も好きだ。
「やはり、このホットケーキは美味いな。オレが食べていたパンケーキとは違って、生地がふわふわなのにもっちりしていて、少し甘い」
「うーん。混ぜて焼いただけで料理上手になれちゃうものだから。でも、ありがと」
いつものように褒めてくれるアルフレドに笑いながら返す美雨。
土曜日の朝が穏やかに過ぎていく。
***
昼食にカレーうどんを平らげ、アルフレドに文字を教える美雨だったが、ある変化にふと気づいた。
「あれ? アルフの髪の毛、金髪のほうが少し多くなってないかな」
小さな三面鏡を取り出し見せるとアルフレドは首を傾げた。
「気のせい、ではないか? 黒と金の半々に感じるが…」
言われてみればそんな気もするが……鏡に映る自身は、やはり黒と金半々の髪だった。
「うーんそうかなぁ……」
美雨は納得がいかない様子だったが、三面鏡を片づけてまた文字を教えようとテーブルに戻ろうと腰を下ろしかけ……着信を伝えるスマホの振動に立ち上がった。
「あ。電話みたい。アルフ、ちょっと待ってね」
光って振動するスマホに少し驚いてはいたが、頷くアルフレドに美雨はごめんねと軽く手を合わせる。
スマホの画面を見て相手を確認すると、軽く目を瞠ってから出た。
「もしもし?」
いつも美雨が使っている、あの小さな“スマホ”は本当にすごいとアルフレドは思いながら、通話する彼女をぼんやりと眺めた。
調べ物も、動画も、遠くの者との会話だってできる。
“電気”と“電波”も少し学んだが元の世界での活用は少し難しそうだと思った。
だからそれよりも、川の治水工事だとか、建物の補強だとか、作物の育て方だとか。そういった方面を少しでも吸収したいと思う。
「ええー!? そんな、急すぎるよ」
美雨の珍しく怒ったような声に驚いて見上げると、美雨は困った表情のまま、右手でふわふわの茶色の髪を弄んで通話をしていた。
「もう帰国はしているの? いつこっちに……は!? もう空港にいるの!?」
柔らかい話し方をするいつもの彼女とは違い、少し砕けた話し方に興味を引かれた。
こんなに親しく彼女が会話をするのは誰なのだろうか。
一緒に暮らしてやっと一週間。その間でだいぶ距離は縮まったと思う。アルフレドに至ってはただの恩人に対する思い以上の想いすら抱いてしまった自覚もある。
通話を終えたスマホを片手に、美雨は長くため息をついた。
「ごめん、アルフ。ちょっと出かけないといけなくなっちゃって」
「オレは構わないが……なんかちょっと疲れていないか? もしかして嫌な相手か?」
このたかだか数分の間で、先ほどまでの美雨の穏やかな表情は一転、疲れと呆れを含んだ複雑なものになっていたのだ。アルフレドが気にするのも当然の話だった。
「私には歳が2つ離れた弟が一人いてね。海外に就職しているらしいんだけど、時々急に、何の前触れもなく帰ってくるの」
「それはまた随分と……マイペースな弟君だな」
さすがに人の弟を自己中心的とは言えない。言葉を選んだアルフレドに気付いた美雨は苦笑いを浮かべる。
「自己中でしょ。色々あって、口も悪くなったし、連絡もなかなかつかないし……きまぐれでマイペースで困るけど、私の一人しか居ない家族なんだ」
「…そうか」
美雨の口ぶりから母親は死去しているだろうと思ってはいたが、父親も居ないとは思っていなかった。この平和で便利な世界でも、死は訪れる相手を選んではくれないのだと思った。
「では、オレはどこかに隠れておかなくてはいけないな」
美雨の家はここだ。ならば弟はここへやってくるのだろうと思い申し出る。
「あ、それは大丈夫だよ。今から弟を空港まで迎えに行かないといけないんだけど、ホテルを予約してあるみたいだからそこに一旦連れて行って、夜ご飯を食べて帰ってくることになると思うんだけど…」
「ああ、そうなのか。オレは適当に何か食べるから気にしなくていい」
言い淀む美雨の心配を察し、問題ないと頷いた。
アルフレドはもう、一週間前の電気もつけられないような異世界人の小人ではない。冷蔵庫を開けることができるし、電子レンジもマスターした。レトルト食品も缶詰も知った現代っ子小人に進化したのだ。
この一週間で部屋は小さなアルフレドでも暮らしやすいよう、美雨と一緒にあちこちに細工を施した、その成果だ。
「ごめんね、アルフ。ちょっと行ってくる」
「体は小さいが、子供じゃないんだ。心配には及ばない。それよりも弟君には久しぶりに会うのだろう? ゆっくりしてくるといい」
ばたばたと準備をした美雨を玄関で見送る。
マイペースな弟で困ると言いながらも、美雨は嬉しそうにしていたのをアルフレドはちゃんと見ていた。
「ふふ、アルフはなんでもお見通しなんだね。ありがとう。じゃあ、行ってきます」
「ミュウ、行ってらっしゃい。気を付けて」
「はーい!」
バタン、と閉じられたドア。次いでカツカツとヒールが階段を下りて行く音。
いつもは朝にしか聞かないその音を、こんな時間に聞くのは少し不思議な気がした。
部屋に戻り、窓のカーテンフックに吊るされたプラスチック製の鎖をよじ登って出窓へ立つと、アパートの下を歩く美雨が見えた。
駐車場へと急ぐ、その足がふと止まり、こちらを見上げる。
出窓のアルフレドの姿を見つけた美雨の顔は満面の笑みで溢れる。次いで大きく手を振った。
「まるで、子供みたいだな」
呟き、アルフレドも手を振り返す。言葉とは裏腹に、アルフレドの表情は嬉しそうだった。
手を振ってはみたものの、小さな体の短い腕だ。見えるかどうかは疑問だったが、美雨にはきちんと見えたらしい。再度手を振って、足取りも軽く駐車場への道を駆けて行く。
いつもは大きな彼女がだんだん小さくなっていく。ここから見送っていると、同じ大きさなのではと錯覚しそうになる。
そのふわふわの茶色い髪の後姿は、角を曲がり、見えなくなった。
窓ガラスに背中を預け、ずるずると座り込み、アルフレドは片手で顔を覆った。その顔は少し赤く染まっていた。
「……参ったな。もう、このままずっと留まっていたくなってしまう」
呟いた声は、暖かな日差しの中にゆっくりと溶けていった。
口ではそんなこと言っておきながらも、置いていかれてちょっぴり寂しい小さな騎士なのでした。
次は、弟と姉の再会とそれに伴う変化になります。