1 花の金曜日の残業帰りに
誤字脱字、教えていただければ幸いです。
残業を終えて車に乗り込む。エンジンをかけるとお気に入りの音楽が流れてきて。ふーっと溜息をつきながら車を発進させた。彼女の車は古めの軽自動車で、大学時代から愛用しているものだ。だからこそ、金銭面に余裕が出てきた今もなかなか買い換えようとは思えなかった。それなりに思い出だってある。
「んーんーんー♪」
お気に入りの音楽に合わせて小さくハミングする。まだ夜の八時だというのに、出歩いている人はほとんどいない。でも片田舎のこの町ではいつものことで、かえって運転しやすくていいと彼女は思っていた。
「んー、今日は何食べよっかなー」
1週間のうち5日、アパートと会社を往復する。車で15分程度かかる場所で近すぎず遠すぎずちょうどいい。冷蔵庫の中身を思い出しながら運転しているうちにあっという間にアパートに到着するが、アパートを少し通り過ぎて左側にウインカーを出した。
「んんー、やっぱり金曜日なんだし……カレーかなぁ。お肉解凍してないからウィンナーカレーだけど」
ギアをバックに入れて駐車してエンジンを切ると車内の電気が消え、音が止み、一瞬の静寂が訪れる。彼女は深く息を吐いた。
「はー……。今週もがんばったがんばった。つっかれたなー」
瞼を閉じて深呼吸をする。自然と俯く形になると伸ばしたふわふわパーマの茶色い髪が肩から落ちる。
「よっし。おうち帰ろう」
疲れを吹き飛ばすように息を吐き、ぐっと顔を上げてからバッグを持ち、車を降りる。鍵を閉めてバッグにしまいながら少し離れたアパートへと歩く。入居しているアパートには駐車場がなく、少し離れた月極駐車場を借りている為だ。
住み始めた当初は車を持っていなかったので必要を感じなかったし、安かったのもあってこのアパートに入居したのだ。
友人は『うっわ、面倒くさ。駐車場付き借りなよ』と言っていたが、引っ越すのも面倒だし何よりそんな時間もないのでこのまま暮らしている。
右側に田んぼ。道路を挟んで左側にまばらに住宅という道を歩いていると……
「え? やだ。何?」
こんな時間なのにカラスが居た。それも一羽ではない。三羽程が群れて喧しく騒ぎ、草むらの何かを突っついている。彼女の通る予定の道で。
「やだもう。何か車に轢かれたとか……?」
しかし騒いでいるのは道路ではなくて歩道の、それも隅っこのほうだ。車に轢かれてというよりも草むらの中に何かいるような……。動いている何かを執拗に追いかけて突っついているように見える。
「あ! まさか子猫!? あいつらまた!!」
居てもたってもいられず走り出した。
思い出されたのは中学の頃の記憶だ。実家で飼っていた子猫が襲われたことがあったのだ。その時は大暴れをして追い払い、子猫も十円ハゲができた以外は擦り傷くらいで事なきを得たのだが。
「しっし!! しっしー!!!!」
持っていた通勤用の鞄を振り回し、大きな声を上げるとカラスは散り散りに飛んでいった。
「おいでー!! 大丈夫だよ。今のうちに出ておいで」
彼女はしゃがみ込んで草むらに手を伸ばす。カラスが戻ってきたらいけないと思い、暗闇の中を手探りで探ると、柔らかく温かい感触とそれを伝うぬるりとした液体に血の気が引いた。
「え……怪我してるの?」
手から逃げるように下がる生き物をむんずと捕まえ、鞄に放り込む。
「大丈夫だよ、怖くないから。おうちに連れてってあげるからね」
そう言ってアパートまであと数分の距離をヒールで全力疾走。階段をかけあがり、三階にある自室の扉を開き、玄関に滑り込む。
「ごめんね、乱暴にして。大丈夫かな……」
電気を付けて靴を脱ぎながら鞄の中を覗き込んで……彼女は硬直した。
「……え?」
そこには気を失って倒れている小さな男の子(?)がいた。子供だから小さいのではない。そうではなく、物理的に小さな……。
「こっ、小人?」
そっと指で突っついてもなんだかぐったりとして動かない。よくよく見ると着ている独特な服はあちこち擦り切れて血が滲み、金色の髪の毛の右半分は真っ黒になっている。なんだか顔色もよくないし……。
「えーっと、もしもーし? 大丈夫?? 生きては、いるよね?」
予想を超えた事態だったが、一度拾ったものを捨てることなどできないし、何よりとても弱っている。
「ど、どうしよう? とりあえず汚れとか、血とか拭ってあげたいけど」
そっとバッグをおろし、お風呂場の隣に置いてある棚からバスタオルを2枚引っ張り出して重ねる。固くないか感触を確認してから、彼女はその小人をそっと両手で掬い上げてバスタオルに乗せる。
小さな体だった。彼女の両手で包むと肩と頭だけが出ているような状態。そんな小さな体は、満身創痍で。
「うう、装飾が細かくて脱がせにくい」
そーっと、細心の注意を払って上着を脱がせようとしたが、血がべっとりと固まりかけていて取れない。
ガーゼハンカチにお湯を浸して根気よくふやかして服を脱がし、消毒する。かなりしみたようで、意識は戻っていないのに小人は呻きをもらす。
「ああー、ごめんね、痛いよね。でも雑菌とか怖いから」
最近は消毒をしないとか聞くが、カラスが突っついていたのだ。一応消毒しておこうと思った。
そして、ひとしきり体を拭き清めて消毒を終え、傷薬を塗ったのだが……。
「どうしよう。この背中の傷だけすごく深い……ように見える。」
消毒するのも躊躇うような傷があり、素人目でも肉がむき出しになっているように見える。彼女はしばらく悩み……。
「あ。あれ貼っておこう」
救急箱から最新型の絆創膏を取り出す。貼っておくとカサブタのような役割をしてくれるというびっくり絆創膏。少し前に転んでしまい、大きいサイズを買ったのがまだ残っていた。それを貼れば一応の手当は完了だ。さすがにズボンを脱がすのは申し訳なかったのと酷そうなのは上半身だけだったので。
「えーっと、このフルーツ籠でいいかな」
数か月前に取引先から貰ったフルーツ盛りの藤籠に、なるべくふわふわなタオルを敷き詰める。
「痛かったら、ごめんね」
一応謝ってから、細心の注意を払って意識のないままの小人を掬い上げてタオルに寝かせる。最近冷えてきたのでフリースのひざ掛けを布団替わりにかけて、踏みつぶさないようにテーブルの上に移動させる。
「うん。これなら起きたとしても危なくない、かな?」
ひと段落ついて、自身もテーブルに頬杖を付き、眠る小人をじっと観察する。どこからどう見ても小さな人間だ。
「小人って、居たんだね……。びっくりだよ」
はーっと溜息をつく。
「うん、でも、子猫だったら飼ってあげられないし、良かったのかも?」
半ば自分に言い聞かせて納得することにする。
消毒液と鉄の臭いがこれは現実なんだと、ストンと落ちてきたから。
「そういえば、髪の毛は右半分汚れてると思ったけど、左は金髪、右は黒髪だったんだね」
しつこい汚れかと思って、先ほどはごしごしと濡らしたガーゼで擦ってしまった。
「服装はなんだか西洋の騎士の簡易版みたいな感じだよね。小人ってみんなこんな、なのかな」
しばらく観察していたが小人は起きなかった。先ほどよりも呼吸が深くなり、顔色も良くなってきたように見えたのでちょっとほっとする。と同時に仕事帰りでスーツのままだと思い出す。
お風呂にも入りたい。ご飯も食べたい。あ、この子の分も作ろう。
そんなことを目まぐるしく考えながらそっと立ち上がり、隣の台所兼脱衣所へと向かう。
「私もお風呂にしよう。ご飯は後でいっかな」
もしも今の彼女を古い友人はが見ていたら、いつもの呆れ顔で言っただろう。『あんたって、マイペースだよね』と。