サースト・フォー・ブラッド
「せ、先生。葉介くんの病状が急変しました。すぐに来てください」
「わかった。今行く!」
看護婦の慌てた一言で先生と呼ばれた医師は葉介のいる病室へと急いだが、長年の経験から頭の中はとても冷静だ。
病室に着くにはそれほど時間はかからなかったが葉介の病状はかなり深刻なものとなっていた。
「これは今すぐ手術をしなくてはいけません」
慌ただしく手術室へと運ばれた葉介はそのまま麻酔を受けて手術が開始したが、駆けつけた母親は手術中という赤いランプが点いているのを確認しても祈ることしかできなかった。
そして赤いランプが消えて担当の医師が出てくると母親はすぐに駆け寄って結果を聞こうとしたが、その前に首を横に振られた。
「残念でなりません。まさかここまで病気が悪化するとは……。私たちも全力を尽くしたのですが」
「そ、そんな葉介〜〜〜」
白衣を着た人の一言で泣き崩れて、
「ち、違う。こんなの嘘だ。僕はこうしてちゃんといるじゃないか。まだ手術も受けてないのに」
「よ、葉介。お前……」
葉介は必死に頭に流れ込んでくる映像を否定しながらも本能は抗えないでいた。
「そうだよ。ネルガル様から元気をもらったんだ。僕はもう手術なんて怖くないんだ。だから……」
「もうやめろ葉介。それ以上言っても虚しいだけだ。真実を受け止めろ」
「し、真実?今流れてきたのが真実だと言うですか!そんな真実、僕は認めない。僕は死んでなんかいない」
「なら、自分の体を確かめてみろよ」
促されて目を落として自分の体を見つめ直した葉介は気がついた。
青白いものが流れ出て、徘徊する虫が突き抜けてしまう体。自分は幽霊なのだと。
「う、嘘だ嘘だ嘘だーーーーーー!」
今までにないほど顔を歪めて両手で頭を抱えたまま廊下に響き渡るほどの声で叫んだが、それはネルガルのような普通ではないものにしか聞こえはしない。
「シャボン玉で何が聞こえて、何が見えたのかは知らねーが自分を偽ることだけはやめろ。それは自分を否定することと同じだぞ」
「偽る?難しいことはよく分かりませんがもう生きてるとか死んでるとかどうでもよくなりましたよ。だって幽霊にだって意思があるんなら好きなことをやっていいんでしょ?ならとことんこの状況を楽しまなきゃそんでしょ」
「ま、待て!お前が思ってるほど簡単な話じゃない」
「僕、ヒーローになりたかったんですよ。誰にも負けないかっこいいヒーローに」
忠告を聞かないまま、力を放出させて空気をビリビリと振動させるとそれに反応して集まってきていたシャボン玉が破裂して葉介の元へと吸い取られていった。
「手術……怖い」
「どうせ私の病気は治らないの」
「あの人に会いたかった……」
「俺はこれからどうなるんだ?」
「この人は駄目だな。手術をしても治らない」
「どうせ病院なんで家族から厄介者にされた爺さん婆さんが集まる場所しょ?」
「僕が何をしたって言うんだ?何で僕をこんな体にしんだ神様」
「よ、葉介〜〜」
シャボン玉が割れた数だけ誰かの声が聞こえて、廊下中に響き渡ってその霊力を手に入れた葉介の体は廊下を埋め尽くすほど巨大になっていた。
「言霊に似てはいると思うが、これは病院に残っていた言葉を霊力で纏っていたのか」
葉介のことを見越してこれを放ったのかどうかは定かではないが、ネルガルにとって厳しいことになったのは確かだ。
「落ち着け葉介!お前はただ死んだ記憶がないだけでもうお前に居場所はない。さっさと認めて冥界に行くんだ。さもないと、地縛霊になるぞ」
地縛霊になったっていいことはない。病院からは出られないし、自分でも生きているのか死んでいるのか自問自答しながらそこに存在し続けるだけの亡者となってしまう。
「居場所なんてもういらない。僕は僕が生きていることを証明してやるんだ!」
壁や床を肥大化した腕と足でガンガンと破壊し始めるが、ネルガルには駄々をこねる子供にしか見えなかった。
「まさかこの病院を破壊するつもりか?だがそんなことしたって俺以外にはお前は見えない。ただの怪事件とされるだけでお前を見てくれる人は誰もいないぞ」
最近邪魔をしてきている神候補たちなら見えるだろうが、彼らが病院に来ることはないと踏んでいる。
彼らが怪我をしないという理由ではなく、すぐに冥界送りにするためだかだ。
「それでも僕は……」
暴れるのを止めた葉介の目からは微かに涙の光が見えた。
「お前……。そうか、確かにまだこれからって時だったのにやりきれないよな。だけどお前は死んだ。どうやらガンだったらしい」
「わ、分かるの?」
「俺を誰だと思ってやがる。死神ネルガル様だぞ。死については誰よりも詳しい。だから今からお前に死を教えてやる」
動いたのはそのすぐ後。
だが葉介はネルガルが一体何をしたのかを目で追うことはできなかった。
「サースト・フォー・ブラッド。じっくりと死を体感しな」
葉介の背後で鎌を振り切っていたネルガルは気を出してその巨体を横一線になぎ払っていた。
「う、うわ〜〜〜〜!」
溶けるように消えていく醜い姿を細い目で見つめるネルガルは最後になるであろう話を気持ちを込めて口した。
「これはできるだけ使いたくなかった。かなり苦しいからな。だが冥界に行ってもこれは覚えてろ。お前が死んでもその死を見た奴は生きていく。自分がああなる前にやりたいこと全部やりたいってな。死は受け継がれいく。俺はそう考えている」
青白く光って空ヘと飛んでいく玉に向かって自分が今まで生きてきた中で辿り着いた一つの考えで可哀想な魂を見送った。




